(↑ノムの個展の案内文。リンク飛びます)
個展「celebration!」のお知らせ
(↑これも個展の別バージョン(?)の案内文)
(↑ノムとミッチーの日常)
eat LOVE話に入る前に、予習的なお話。
(「予習」とか言うと頭良い人みたい(o´艸`)
↑人生でほとんど「予習」したことがない人の憧れワード)
占星術関連のものに「サビアンシンボル」と呼ばれるものがある。
12星座は各星座30度ずつに分かれていて、例えば牡羊座なら牡羊座1度から牡羊座30度まである。
牡羊座というと、多少年によって変動はあるものの、3/21〜4/19生まれの人を指すわけで、その間30日間あると思うと各星座に30度ずつの割り当てがあるのもなんとなくイメージしやすいと思う(1日1度ずつ太陽が進む)。
全部で12星座×30度=360度あるわけだけど、その1度1度に「シンボル」というものが与えられていて、そのシンボルから読み解いたものからまた各個人の細かなテーマや課題、強みなんかを見ていくことができる。
ちなみにサビアンシンボルは色々とぶっ飛んでいるものが多くて…。
例えば。
牡羊座1度は
「女性が水から上がり、アザラシも上がり彼女を抱く」
牡牛座1度は
「清らかな山の小川」
獅子座1度は
「脳溢血の症例」
射手座1度は
「共和主義
キャンプファイヤーの威厳ある軍隊」
牡羊座1度なんて、どんな状況か想像さえつかない。
アザラシがどうやって人間を抱くのか?という話。
他にも逮捕された男だの、泥棒集団だの、ハゲ頭だの、本当に言いたい放題のシンボル満載。
それだけでは当然読めないから、サビアンシンボルの解読本が市販されてたりネットで解説が出ている。
アザラシも意味不明な話だけど、一見聞き心地の良い「清らかな山の小川」だってなんだそりゃ?状態だと私は思っている。
脳溢血は、「熱い創造衝動」を表すらしく、要はパッション?
とにかく、非日常ワード満載だし、色々解釈が難しいものがかなりの割合で出没する。
で、そうした「アザラシと人間」とか、色々有り得ないシチュエーション命!みたいなサビアンシンボルたちを、日常の生活や風景の中で見ることはまずない。
上の4例なら、「清らかな山の小川」が唯一日常とまでいかなくても現実的に目にすることができるかな…という感じ。
そんな中、まさかの2つものシンボルを私はレイさん所有の母屋で見てくるわけだから、本気で驚いた。
ものだけでカウントすると2つ、状況をカウントするならさらに3つ追加される。
その場で気付けたのが2つ。
新潟に戻ってから、「あ!」となったのが3つ。
レイさんの母屋は、縁側があって、縁側のカーテンの向こうに見える緑がとても気持ち良さそうだった。
風が入ってくる度に薄い半透明色のカーテンが揺れて、その感じにいつも心が和んだ。
私はカーテンの向こう側が気になって、ある時カーテンをめくってみた。
Σ(꒪◊꒪ )))) ?Σ(꒪◊꒪ )))) ?Σ(꒪◊꒪ )))) ?
世にも奇妙な組み合わせを初めて見た。
ソリ、それも季節外れのソリ。
えっと、えっと、ここは東京。
えっと、えっと、えっと、今は夏。
何でソリあんの??と思った。
時計の針をもう少し戻す。
母屋に入ってまず何よりも目を引いたのは「何もないこと」。
パッと見て目に入ったものは、和室用の木のテーブルと座布団、白い扇風機、ロッキングチェアー、大正ダンス、それぐらいであとはすごくスッキリとしていた。
それは私が憧れるライフスタイルでもあって、この最小限のものたちだけを置いてあとは空間をしっかり残す、そういうのが本当に好きで、だから私は入ってすぐに母屋の雰囲気が大好きになった。
恋に落ちたと言ってもいいぐらい、本当に最高に気持ち良い空間だった。
今は誰もそこには普段住んでいなくて、だから余計と余分な物が何も置かれてないのだと思う。
レイさんが自分がよく使う仏間や台所になるともう少し生活感が出てくるけれど、それでもやっぱり物は少ない。
どこもかしこも最小限にとどめていて、とにかく必要なものだけが置かれている空間だった。
それは家の周りもそうで、何も中だけに限ったことじゃなかった。
これもまたいつの話かは覚えていないけれど、レイさんはこの母屋の大がかりな断捨離をしたと言っていた。
とにかく要らないものは全部捨てて、ミッチーが一部引き取ったのかな?ぐらいで、あとは本当に要らないものを手放したと言っていた。
なのにソリ…。
雪国大国・新潟の中でさえもあまり見ることのない、というかこれまで一度も見たことのない光景だった。
ソリは別に珍しくはないけれど、写真みたいな超頑丈そうなソリは初めて見た。
eat LOVE邸付近だけ積雪1メートルとか行くんだろうか?そんなわけない。
あの辺りでソリを持っているお宅がどれだけあるのか知らないけれど、限りなくゼロじゃないのかな…と思った。
ちなみに東京で美容師をしている妹が、2年前の全国的に大雪に見舞われた時、なんと除雪用のシャベル(スコップ)を買って、それを持って新幹線に乗った。
東京にはほとんど売ってないのとあっても作りがちゃっちいということで、雪国仕様のものを買って、店に持って行くと言っていた。
東京はそういう土地柄だと思うけれど、妹の住むところとeat LOVE邸のところは町が違うけれども、決してソリが普通に売られてるところではないと思う。
そもそも何で年季物のソリが東京のとあるお宅に置かれているのか、しかも大がかりな断捨離後もそれが残ったのか謎は深まるばかりだった。
名探偵コナンとか金田一事件簿とかのヒントになるかもしれないような配置だったけれど、そんなことよりも私の頭の中に出てきたフレーズはこっちだった。
【雪と一緒にないソリ】
私の生まれた瞬間の星の配置のサビアンシンボルの1つが、【雪と一緒にないソリ】になる。
冗談かと思った。
うちの家の車庫にも、現在3歳の姪っ子が2歳になったばかりの頃から愛用しているソリがある。
だけど、季節物は大概車庫や倉庫にしまわれる。
私が新潟でこれまで見た一番季節外れのものは、真夏のダウンジャケットぐらいで、さすがに真夏のソリは見たことがなかった。
真夏のダウンジャケットもなかなかの存在感というか異彩を放っていたけれど、真夏のソリはさらにその上を行っていた。
【雪と一緒にないソリ】はアザラシのサビアンシンボルよりかは現実的な感じはしたけれど、これもまたおかしなシンボルだなぁと思っていた。
しかも私はその意味が好きではなくて、まるで私のダメなところがもろに指摘されてるみたいなシンボルで、何となく敬遠したくて、きちんとは調べたことのないものだった。
要約すると、「まだ起きもしない未来に向かって、先見の明を持って準備をする」。
1ヶ月あっても占星術の宿題を当日の朝にしかやらなかった私は子どもの頃、8月31日は毎年泣く日で(もちろん溜めに溜めた宿題に)、これが大人になったら改善されるのかと思っていたけれども(←どんな発想をしていたのか子どもの自分に聞いてみたい)、そんな奇跡は起こるわけもなく、三つ子の魂百までとは本当にその通りで…。
私にケンカを売ってるようなサビアンシンボルはちっとも好きになれなかった。
ちなみに今回私を招待してくれたノムも私寄りな人で
>>>講座数日前
「それにしても日々はあっという間!!
もう、数日後だものね、ぶっしーの上京。
占星術の宿題、まったくやっていない......。
ぶっしーはきっと、ちゃんと取り組んでいることでしょう。
そういうことしてまったく意味がないけど、
なんか、”宿題を写させてもらう”小学生の気分になってるよ。笑」
>>>講座2日前
「ねー、わかる。ぼくも講座がおまけみたいな気持ちにだいぶなっちゃってる。笑 きのうの先生からぶっしーの質問へのアンサーメール読んで、は! そうだった、講座だったんだ! って我に返ったり🙃
いろいろ楽しみだなー。今日は雨だけど明日にはあがるっぽい! お気をつけていらしてね〜〜〜。今日こそ講座の宿題やるぞ、、、!」
{占星術講座<eat LOVE邸合宿}
に完全にひっくり返ったのは、何も私だけじゃなかった。
ノムには早々と私は毎回宿題を当日の朝にしていたことを伝えて、ノムの思い込みを訂正しておいた。
ちなみに「ぶっしーの質問へのアンサーメール」というのは、宿題もしてないくせして、「そういえば先生はいつまで質問を受け付けてくれるんだろう…?」と思った時に、今回は6月で講座終了で宿題はもう出ないと思ったから、「あれ?今質問しとかないと受付してもらえないんじゃない?」と思って、慌てて先生に質問メールを送った。
もちろん、質問は宿題には全く関係ない、個人的な占星術の質問だった( ̄∀ ̄)。
話は戻して【雪と一緒にないソリ】。
それを見た時はあまりにビックリしたことしか覚えていないけれど、その時なのかその後なのか思った。
「あ〜、呼んでもらえたんだな」って。
【雪と一緒にないソリ】、私の場合、これは魂の傷に関するテーマになっている。
(そのおかげか、先延ばし術は筋金入りに仙人級までレベルアップ( ̄∀ ̄;)。魂の傷というのは、言い換えると、本人にとってとても苦手なテーマになる。)
色んな天体がある中で、知性とか美とか社会的到達点とか、各天体ごとにメインテーマがある。
その天体たちの中でも、「魂の傷と癒し」に関わる天体が、私の場合【雪と一緒にないソリ】になる。
占星術を勉強していなければ、間違いなくソリは無視した。
珍しいデザインでも、ソリ自体は雪に慣れてる新潟県民からすれば物珍しくはない。
そのソリが本当にとてつもなく存在感を示したのは、紛れもなく占星術を知ったからだった。
そして、今そこにある縁は占星術講座でノムと知り合ったからなわけで、さらにノムとレイさん(のご家族)が家を貸す借りるの契約をしたことがその根底にはあって、レイさんがどこかのタイミングで築100年の家を手離さず復元させると決断してそして大々的に手を加えて今も形としてしっかりと残して、さらにさらにノムとミッチーが付き合わなければノムたちがそこに移り住むことはなかったと思う。
ノムは自分たちの住処を「居場所、拠り所、安全安心なスペース」と呼んだ。
それを求め続けてその答えが今現在に至る、ってノムがいつか話してくれた。
だから、自分が今招いて立たせてもらっている場所は、単なる場所じゃなくて、本当に色んな人たちの想いや歴史なくしては絶対に立てない場所で、そしてそんな場所にどういうわけか私の魂の傷と癒しのテーマのシンボル【雪と一緒にないソリ】があって…。
どう言ったらいいんだろう…。
日本の家屋だし特別何かが変わってるとかいう場所ではないのに、母屋含めたeat LOVEの聖地は異次元空間に入ったみたいな感覚だった。
3人側の積み重ねももちろん必要なんだけど、私も私でそこに入るためにはそれ相応の準備が必要だったと感じている。
少なくとも、去年1年の春先から秋の終わりにかけて月1で東京に占星術講座に通っていた頃の自分では、絶対にその場にいることはできなかった。
これを書くにあたり、さっきネットで【雪と一緒にないソリ】を調べた時に、「自分は人と比べて何か劣っている、足りない、だからそれを何とかして埋めようとする」というような意味の解釈を読んだ。
1年前の私は、今よりももっともっと「自分は足りてない・劣っている」感がものすごく強かった。
そして、そこから離れるために私がしたのは、何かを足すことではなくて、現状の自分、それがいくらヘンテコで社会的価値観から大幅にズレていても、その自分だということを知っていく、その自分の居場所を作っていくことだった。
それまでは「足す」ことをひたすら人生でやり続けた。
それが無駄ではなかったけれど、足しても足してもキリがない上に余計と自己否定が強まることはわかっていた。
それはオール1の子ども時代から長い年月で積み重ねられた習性で、私は親や親族、友達から「努力する才能がある人」と言われるぐらい、がむしゃらに何かに向かってがんばるのが当たり前みたいな生き方をずっとしてきた。
それを立て直すために人生が崩壊していったんじゃないかと思うほど、30代はドタバタで、そして30代最後の去年もまだ私はその生き方を繰り返していた。
今の流れを私はあんまり自分でもよくわかっていないけれど、その辺りの感覚が徐々に変わり出して、もう今さら自分を良くするとか無理だわと良い意味でのあきらめもつき始めて、そうした諸々を経てようやくノムとミッチーとレイさんが私の人生に現れた。
ちなみにこれはキロンという名前の天体の話で、キロンは元々持って生まれた魂の傷で、同じテーマでしか癒せないとされている。
だから、私が「何か自分には足りない」ということを、例えば美貌を手に入れるとか社会的なステータスを手にするとかお金を手に入れるとか素敵な男性と結婚するとか、そういうことで癒されるものじゃない。
あくまでも「自分は何か足りない」というところを見ていって、そしてどういうやり方がいいのかはわからなくて今も試行錯誤ではあるけれども、そうではない在り方を自分なりに模索していくしかない。
私はそれを見に行くためにeat LOVE聖地へと乗り込んだわけではなかったけれども、3人と出逢えたおかげで「足りないだらけの自分でもいい」ということと、その「足りないだらけの自分で人と繋がっていくこと」の両方を体験させてもらえた。
まさに、【雪と一緒にないソリ】が象徴している深いテーマをあの場で私は体験することになった。
それもとーっても素直に、とことん楽しんで魂テーマとやらに遭遇させてもらった。
3人じゃなければ絶対に無理だとわかった。
あの星トリオの3人だったからこそ、私が安心安全に自分の魂の傷を癒すプロセスに入っていけた。
今回は写真を載せてはいないけれど、次に見つけたシンボルが
【夕食のために用意されたテーブル】。
(※写真は、夕ごはんの時間の記事の時にアップする予定)
食べる専門係だった私は、ノムとアトリエ見学を終えた後母屋に戻ると、テーブルの上には夕食が用意されてた。
これには超テンションが上がった♪٩((*⁰▿⁰*))۶♪
店で出されるのとは全く別物で、誰かの手作り料理が並んだテーブルを前にするって、人生の中でもそんなに数多くは体験できない。
しかも憧れのミッチーのごはんに、スーパーサプライズ・スーパーウェルカムなレイさんのごはんに、ものすごーくテンションが上がった。
よくよく考えたら、超破天荒な、でも超恵まれすぎな状態だったんだな…って思う。
だって、出逢って3時間ぐらいの時には、ミッチーとレイさんはごはんを作り始めてくれてたと思うけれど、いきなり初対面のどこの誰かもわからない人にごはんをふるまってくれるわけだから、超有り得ないと思う。
ノムの人徳のおかげだと思うけれど、それにしたって凄すぎる。
ノムもノムで私の説明を2人にはそんなにしていなかったと思う。
新潟の女の人で占星術のクラスメイトでペンジュラム使っていて、この間お茶したらすごく気が合ってね…ぐらいな情報がせいぜいだと思う。
そんな人といきなりごはんを一緒に食べるために、ごはんを心込めて作ってもらえるなんて、10年分のラッキーを使ったぐらいの奇跡だった。
夕ごはんのことはまた別の記事で詳細を書いていく予定だけど、その時の光景こそ私の人生のテーマの一つ、そのまんまだと思った。
1年前の夏、人生2回目のホロスコープ鑑定をホロスコープ界でも有名な先生から受けてきた。
どうしても自分のマニアック過ぎるホロスコープを読み解いて欲しくて、それで会いに行った。
その時に言われた言葉を思い出した。
「夕食のために用意されたテーブル」の部分でこんな風に説明された。
(今、当時の音声を出してきて聞き直しているけれど、90分の長さの中からなんと一発でその部分をすぐに探し出せた!!!という大快挙v( ̄∀ ̄)v)
「深い事情を聞かないから誰でも来ていいよというような、ちょっと居場所がないからちょっと寄ってお茶でも飲める同胞が集まるギャラリーとか、バーとか、畑とか、シェルターとか…、人間の枠を超えてというような場を作ろうみたいな…、あまりその資格とかは要らなくて、誰でも来ていいよみたいな場を作りたいっていう星を持ってる、武士俣さんは子どもになるのかな…、深い事情なんか聞かないからおいでっていう場を、割とウェルカムな、誰でも一服していきなさいよというような場を持ちたい人、そういう活動をする人。
それが人間交差点みたいな感じのことも、誰かの重要なタイミングに居合わせる、人と人との出会いのタイミングにも居合わせるような感じ。
だから、何で自分の人生、何でこんなに予期しない流れだったり特殊なのかなと言ったら、特殊なフォーメーションを持ってることもそうだけど皆既月食近い生まれだということも関係していると思いますね。
そう、人との接点になりやすい。
だからこのサビアン(=夕食のテーブル)は、みんなのために何らかの場を持つことに関係しやすい、今ピンとこなくてもいずれはあると思います。
(諸々の配置から)秘密めいたことを仲間とシェアする、パートナーとシェアすると読めるんですよね〜。同じ理念とか理想を共有する仲間たちと繋がってるって読めるんですよね」
その日のおもてなし夕ごはんがまさにその場だった。
本来の天体の意味は、私が出迎える側なんだけど、その時は私が出迎えてもらう恩恵に預かることができた。
しかも、本当に言葉のまんまで、何にも深い事情は聞かないからちょっとホッとしていきなさいよみたいな、実際はちょっとどころかすごくホッとする場を私は無償で、そしてただノムと繋がっているという理由だけでそうやって温かく迎えてもらった。
レイさんとミッチーとも色んな話をしたけれども、言われてみれば、2人から一度も私の何か個人的な事情とかは聞かれなかった。
それは興味がないから聞かないというのとは全然違っていて、とりあえず今この瞬間をみんなで楽しみましょう、堪能しましょう、ということを最優先してくれてた感じだった。
多分、レイさんもミッチーも、そしてノムも、そういうことをいきなり聞くのは、人によってはそれで壁を作る可能性があることを知っている人たちだと思う。
私もそれがわかるから、基本的に相手には質問しない。
ましてや、そんなこと聞かなくてもお互いに良い時間を持てるなんて、ものすごい奇跡なわけで、その奇跡をあえて質問をすることで自ら壊すようなことをしなくてもいい。
雪と一緒にないソリのすぐそばには、夕食のために用意されたテーブルがあった。
4人の魂もしくは魂を管轄する天界の審議会が事前に打ち合わせをして、そういう状況を生み出してくれたんだと私は思っている。
ここから先は、帰ってきてから気付いたサビアンシンボルたち。
【巨大なテント】
【お茶の葉を読む女】
【ハウスボートパーティー】
【巨大なテント】というのは、テントの中で楽しむことを指す。
もっと詳しく見ていくと、限定された安全な場所で、安心できる人たち(仲間)と魂レベルのやりとりを交わすとされている。
だから、あの日の夜、ペンジュラムの使い方をノムとミッチーとレイさんに紹介したりするのはまさにそれで、他にもホロスコープの話なんかもその域なわけで、単に楽しむんじゃなくて、深いところで交わされる大切な知恵や心の部分をお互いに共有して楽しむという感じだった。
次の日の朝、ミッチーとレイさんとで朝ごはんの用意をしてくれてる時間に、私はノムにお願いしてアトリエに連れて行ってもらって、『光の書』の本の写真を携帯で撮らせてもらった。
その時に、もう一つ聞きたいことがあると言って、本からヒントをもらった。
前の日と同じように、ノムは可愛い赤い缶から、茶碗やガラスのかけらでできたシンボルが描かれた手作りの占いグッズのようなものを出してきて、もう一度引かせてくれた。
ノムが番号を特定して、このページだよと見せてもらったら…。
「罪」
Σ(꒪◊꒪; )))) Σ(꒪◊꒪; )))) Σ(꒪◊꒪; )))) Σ(꒪◊꒪; ))))
読むとさらにパニックΣ(꒪◊꒪; )))) !!!
ノムに言った。
「私、“今後生きていくためのヒントをください”ってお願いしたら、これだったの!生きていくのに『罪』ってどういうことだと思う?(T_T)」
ノムはもう一度丁寧に、まずは自分の番号の読み方が間違ってないかを確認した。
やっぱり『罪』だとわかって、今度は2ページにも渡る解説を延々と目を通してくれた。
読み終わった後、私の方を向いてノムは言った。
「これって、【清く生きる】ってことじゃない!?【清く生きる】ってのは、この本に書かれているような悪いものを体内に入れない(食べない)とかそういうことじゃなくて、ぶっしーが自分の魂や自分の意志に対して【清く生きる】ってことじゃないかな…」
『光の書』は全く解せなかったけれど(若干、色々図星過ぎてどうしようかと思ったけれども( ̄∀ ̄;))、ノムが訳してくれた言葉は一発ですっと胸の奥に届いた。
ちなみにそこには一言も【清く生きる】なんて書いてない。
ノムでなかったら訳せない、思い付かないメッセージだった。
おかげで気持ちが「罪」と出てもやさぐれず、そしてノムが言ってくれた【清く生きる】のところだけが私の中に残った。
これもまさにグルが集って、もしくは師匠と弟子が集って教えを授けてもらう巨大なテントと同じだった。
冒頭に付けた写真は、罪ではないもう1つの質問の答えの方。
その手の内容が2ページに渡って書かれていたものを、ノムはものすごくわかりやすく、そして私が受け取りやすい形にして伝えてくれた。
【お茶の葉を読む女】
お茶の葉は読んでいないけれど、今回のこのeat LOVEシリーズでのちょっとした裏話。
(2)のタイトルを『もなかでお茶タイム』にした時のこと。
あの話のメインは「もなか」だったから、タイトルに「もなか」は絶対に外せなかった。
だけど「もなか」だけじゃ物足りなくて、もう少し言葉を足そうと思った。
いくつか候補があって、「リクエストされたもなか」とか「もなかの時間」とか、他にもあったと思う。
だけど、なぜかあの時、「もなかでお茶タイム」でまぁいっか…となった。
納得した感じはあんまりなくて、他の言葉がいいかも…なんて気持ちもまだ十分あったけれども、ズルズル延ばすのも嫌だったし、そして自分はしっくりきてなくてもペンジュラムはYESだった。
ちなみに私は、タイトルを迷っている時、よくペンジュラムを使う。
いくつかの候補それぞれにYES NOを聞いていく。
その時も「もなかでお茶タイム」にしかYESが出なくて、変なの…と思ってた。
(自分から聞いてるくせして、しっくり来てない時は毎回文句をぶうたれてる…( ̄∀ ̄;))
何でこのタイトルなんだろう…と思っていたら、このサビアンシンボルとの繋がりがもっと出てきて、そして「あ!」となった。
聖地巡礼の時間でお茶を飲んだのはあの時1回きりで、あの時のことしか「お茶」という言葉をタイトルに入れることができなかった。
そう、だからあの時に「お茶」ともし使わなければ、もう他の記事では絶対に使えない言葉だった。
「お茶の葉を読む女」は、基本的に誰かとティータイムを過ごして、その時に使った茶葉を使って占いをするのが伝統的な流れらしい。
もなか食べた後に占いなんてしてないけれど、少なくとも「ティータイム」はあった。
だから、あのタイトルに「何でお茶?」とは思ったけれども、ペンジュラムは今のこと(=近未来)も見越していたのか、しきりに私に「お茶タイム」という言葉を使うことを薦めてきた。
正しくは、他は全て却下で、それしかYESにならない、半ば強制的なタイトルに近かった( ̄∀ ̄;)。
私のサビアンシンボルと結びつけるなら、そりゃそうだよねと思う。
【ハウスボートパーティー】に関しては、私は以前書いた別の記事の中でこんな風に書いている。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
・水の上に浮かぶ舟が自分の日常で、そこでパーティーをする。
・舟を漕いで、行きたい場所に行って、会いたい人に会って、ちょっとおしゃべりして…みたいなのが私にとっては非日常=奇跡となっていた。
・「ハウスボート」という言葉を自分のテーマの1つと知ってからかれこれ1年半くらいになるけれど、リアルでハウスボートをテレビで見たのは今回が初めてだった。
水の上に暮らす人たちも、そこでは普通に生活を営んでいた。
そして、家ではなくリアルハウスボートを所有している人がボートで移動しながら人を訪ねるシーンが出てきた。
それ見て知ったけれども、ハウスボートの上の人も、誰でも彼でもの家には行かない。
おそらく自分の好きな人たち、会いたい人たちめがけて会いに行ってる。
自分のボートに乗せるのも同様で、きちんと相手を選んでいる。
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今回私は舟には乗っていないけれども、すなわちそういうことをしたと思っている。
自分の体を移動させて、自分の好きな人たち、会いたい人たちめがけて会いに行ってる。
相手の家におじゃまして、そのおじゃま先で楽しいひと時を過ごす。
シンボル通りのことが展開していたとわかる。
eat LOVE聖地巡礼の日の空模様と自分の生まれた時の星模様を重ねると面白いことがわかる。
【雪と一緒にないソリ】が指す魂の傷と癒しを表す天体の上には、空の天王星がかかっていて、過去の痛みからの解放が促されていた。
天王星だから出方は読めないものだけど、ノムが言った「吉本ばななさんの小説に出てくるみたい」なシーンがあの時あの場所に現れて、そして私の長く積み重ねてきた心の傷を瞬速で癒してくれた。
天王星らしく奇想天外な流れを運んできたけれど、今回だけは天王星LOVE!と言い切れるぐらいに素晴らしい流れにあった。
生まれ持ったスピリチュアル的な資質に関しても、今度は空のキロンが助け舟を出してくれている。
ざっくり言えば、スピリチュアル資質の部分の魂の傷を癒しましょう!ってことだと思う。
さらに、心の基盤とか拠り所に対して、空の水星が知性を使って強化してくれる流れになっていた。
だから、まさに私はノムとミッチーとレイさんがいる場所に呼ばれて行ったと思う。
それは単にノムが2人にも話をして呼んでくれたということだけではなくて、私たちが考えることのできないもっと大きな力が働いて呼ばれたとしか思えない。
私が長く抱え込んでいた魂レベルの深い傷を癒すために、今生40年という月日の中で積み重なった心の傷を癒すために、ノムとミッチーとレイさんという素晴らしいキャスティングが揃う愛溢れる素晴らしい場所に呼ばれたんだろうと思う。
ノムが、自分たち3人を「星トリオ」と名乗った時、素敵な名前だなぁと思った。
私がそんなことを知らない時に、星トリオで私が住んでいる新潟に星を見に来て、3人はノムの生誕を祝った。
その後に、今度は私が東京にいる星トリオを訪ねに行くことが決まった。
3人に会う前に「星トリオ」の名前をノムの口から聞くことになったけれど、私は星トリオがいる場所で自分が生まれ持ったテーマのシンボルを見ることになるなんて想像すらしていなかった。
シンボルは星から割り出されたもの。
そして、それは魂も関係している深いテーマだった。
しかも、ノムたちが星を見に行ったのは、1年越しで叶えられた夢だった。
何で去年は天気が味方してくれなくて今年は味方してくれたのか、それさえも天の采配だったんじゃないかと思ってしまう。
星トリオと織りなす星たちからのメッセージは、去年ではなく今年だったからこそ、私も受け取ることができた。
そう思っている。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
[ノムのメールより]6/22
星の話は、もう少しドラマがあってね。
実は去年の誕生日に「星をみにきたい」「連れて行くよ!」ってなったのね。
だけど当日、東京は晴れていたんだけど、
日本一星空がきれいってされている長野県の村は、雨で。
けっきょく、長野にあるキースヘリングの美術館にいって、星は断念して帰ってきて。
今年はだから当日じゃなくて、新月の日にしよう、となり(空が暗いから)。
で、大家さんは「長野が当日ダメだったら、晴れている土地へいけばいい!」と思いつき、
そうして上越市に向かったというね。
だから、また「あ、新潟だ! またぶっしーとつながった」って思ったのだよ。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
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