(↑ノムの個展の案内文。リンク飛びます)
個展「celebration!」のお知らせ
(↑これも個展の別バージョン(?)の案内文)
(↑ノムとミッチーの日常)
eat LOVE邸に行く前から決まっていたのは
・ごはんを食べる
・ペンジュラムの扉びらき
・アトリエ及びeat LOVE本宅の見学
・本『光の書』を見せてもらう
ぐらいで、他は何も決まっていなかった。
ごはんはこの後の記事に書く予定でいるけれど、ごはんも行く前はどんななのか想像がつかなかった。
結果的に一番良い形に収まったけれども、1つだけ「お酒って飲むのかな?」ということだけは思っていた。
ノムでさえもお酒を飲むらしいことは、ノムとミッチーの日常を描いたサイト『eat LOVE』を読んで知ったぐらいで、ミッチーとレイさんに関しては全くわからなかった。
これだけは唯一特技と言ってもいいと思うけれども、私は相手に合わせてどうとでも自分を調整できる体質で、いっぱい飲む相手には私も合わせていっぱい飲むし(いわゆる「ザル」と呼ばれる体質)、飲まない相手の時は私もアルコールフリーでいく。
そしてどちらの時も基本的にテンションは一緒だから、なんなら周りが飲んでて自分は運転があるから飲まない時も飲んでる人たちのテンションに合わせて振る舞えるから、本当にいくらでも自分を調整することができる。
どうやらミッチーは飲まないか飲めないかのどちらかで、レイさんは車があるから飲まなくて、それでノムと私も普通に飲まずにごはんをみんなでおいしくいただいた。
ごはんも内容盛りだくさんだったから1つの独立した記事になるけれど、今回ほどアルコール抜きなのが大正解!なんて思ったことはないかもしれない。
飲まないことがこんなにも後々のことを大きく左右するなんて、その時はまだ何も知らなかった。
飲みたかったとかいうのはなくて、飲まないことが本当にとても大切な要素だなんて、普段そんなことを振り返って思うことはまずない。
でも、あの時は絶対に飲まないことが大事で、お酒の力ゼロであそこまで大人4人が盛り上がれるんだからすごい。
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ノムとのやりとりより(7/2)
[ノム]
(ぶっしーは)何度も言っちゃうけど吉本ばななさんの小説の登場人物みたい。あ、でも、ぼくもまたばななワールドに出てきそうかもね。平屋で暮らすゲイのカップル。ばななさんの小説は女性が主人公だから、ぶっしー主人公のストーリーにぼくらが登場するって感じかな。いつかばななさんとご飯とかしてみたいねー。
[私]
1週間前の日こそ、本当にまさにばななワールドだったよ(!!!)(!!!)(!!!)
だってさ、ゲイカップルに大家さんである家族持ちの中年女性、そして生き方彷徨ってどうしようってなってるオカルト体質の中年独身女。
何このキャスティングってなりそう(笑)
キャスティングだけじゃなく、中身も非日常みたいなこと満載で、すっごい楽しかったけれど、多分はたから見たら変態たちの集まりみたく見えててもおかしくないと思う(変態呼ばわりしてごめんよー、悪気はないよ(!!!))
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アルコールフリーのおいしすぎた夕ごはんの後、ノムが「レイさんが今やってることを見せてもらおうよ」とかそんな感じのことを言って、奥の仏間に連れて行ってくれた。
ビニール製の紐でかごやバッグを編んでいて、その途中のものを見せてもらった。
2人にお願いされたもののようで、すごく大きなトートバッグをレイさんは編んでいるようだった。
レイさんは趣味という趣味がなかったようで、ようやく最近自分のためだけに時間を使ったり、気持ちが向いたものに取り掛かったりできるようになったと話していた。
編み物というのもよくわかる気がした。
編み物は「無」になれる、そして他の事に比べて考え事を止められる素晴らしい時間をプレゼントしてくれるものだと思う。
今はやらないけれど、私も時々ハマってやっていたから、その気持ちがわかるような気がした。
そのうちミッチーもやってきて、4人で色んな話をした。
「話をした」だと少し語弊がある。
そうやって見ていなかったからあんまり記憶がないけれど、ノムと私がかなり喋り(倒して)、レイさんもそこまでじゃないにしても話して、ミッチーは基本振らないと喋らない感じだった。
私だから気を使ってくれたのかもしれないけれど、ミッチーは聞かれたことに関しては全部答えてくれた。
ノムから聞いていたミッチーは、返事もあったりなかったりするみたいな感じだったけれど、少なくとも私がいた時はどんなことも答えてくれたし、私が独り言のごとく疑問に思ったことを口にすると、ミッチーは速攻で携帯で調べてそれがどうなのかを教えてくれた。
思い出してきた。
そこでノムとミッチーとレイさんの出逢い話を聞いたんだった。
細かくは書かないけれども、そこで聞いてきたそれぞれの話は、ノムが言うように吉本ばななさんをはじめとする小説に出てくるような話だったけれども、どれもこれもそれが作り話でも盛った話でもなく、本当にリアルなんだとわかった。
ゲイカップルと家族持ちの女性の大家さんってだけで、しかもそれが大家さんと借主だけの関係ではないのだから、普通には考えられない3人組だった。
多分この言葉を読んでる人からしたら「そんなことってある?」みたいに感じるかもしれないけれど(私は少なくとも具体的なエピソードを聞かなければ、「ありえない」と思ったと思う)、本当に3人を見ているとそうであることが自然だった。
しかも聞いていると、レイさんとミッチーの時間、レイさんとノムの時間、とそれぞれのペアとの時間もある風だった。
これはまた別記事で書こうと思うからここではサクッと書きたい。
3人といて超居心地良かったのは、3人共が多分普段の3人のままで、さらに1人1人も普段の各自のままでいたからだと思う。
当然よそ者の私がいれば、100%普段の3人のリズムとはいかないところもあったと思うし、加わったゆえのいつもとは違うところもあったかもしれない。
だけど、私から見た3人はどこまでも多分そのままなんだろうなぁと感じた。
レイさんは「レイさん」って名称が付いていそうな気使いと心くばりをとても自然にしていた。
2人のことが本当に大事なんだろうなぁというのも伝わってきたし、法的な役割がないわけではないから、その役割もありつつ、でも対個人での関係をとても大切にしつつ、ものすごいバランスの中で2人とやりとりしていた。
というより、役割はキッカケに過ぎなかったのかもしれないなぁと思った。
役割が回ってきたことでレイさんが2人に出逢うキッカケになったわけだから、それがなければ絶対に出逢わなかったと思うと、私さえもあそこで4人で過ごす時間がもらえなかったわけで、とっても大切な役割なんだと感じる。
ミッチーとノムのやりとりは見ていてとても面白かった。
ミッチーは多分普段もその時もほとんど変わらなかったと思う。
ノムは逆に「えっΣ(꒪◊꒪; )))) 」って慌てふためいたり、「で、合ってるよね?」といちいちミッチーに確認せずにはいられない心情になってるみたいで、何とも言えず微笑ましかった。
見たことのないノムの姿はとっても新鮮だった。
4人が各々適当な場所に座った。
ノムは扉びらきの終わったペンジュラムを出して、ミッチーとレイさんにそれはそれは楽しそうに「見てみて〜!ほらほら〜!」みたいな感じで披露していた。
ノムは見せるだけ見せて満足すると、私たち3人はいるのかいないのかわからないぐらいに自分の世界に入っていって、ひたすらペンジュラムとの対話を繰り返していた。
会話にも反応するけれども、もう目の前のペンジュラムの反応が気になって仕方ないみたいで、そこにほぼロックオンされていた。
その状態を誰一人咎めることもなければ、それを普通にそのままにしておけるメンバーが最強だった。
私ももちろん気にならなかったし、ミッチーとレイさんも何にも思ってる風ではなかった。
気になったと言えば、その状況を許し合える3人の関係性は気になってそれは楽しく見ていたけれども、悪い意味での「気になった」みたいなのは1つもなかった。
ミッチーもレイさんも多くは語らないにしても、その時間を大切にする気持ちはあの時あの場にいた4人はみんな同じ量だけそう思っているのがなんとなくわかった。
この時は二度とこないってみんなどこかで知っていて、スピリチュアル世界推奨の「今を生きる」なんていうすごく難しいことさえも、あの時はものすごく自然にやってのけていた。
「今を100%楽しむ」っていう時間だった。
ノムのペンジュラムプレゼンに始まり、ミッチーとレイさんもペンジュラムに興味を持った。
私は常に2つのペンジュラムと財布に1つ、五円玉に紐を通しただけのペンジュラムを持っている。
2つのうちの1つ青いラリマールのペンジュラムと、ごはんを食べた部屋に置きっぱなしにしていた財布から五円玉のペンジュラムを出してきて、ミッチーとレイさんに渡した。
2人にもノムに説明したようにYESとNOの確認方法を説明した。
この時いいなぁと思ったエピソードがある。
YES NOを確認した後、今度は自分の名前できちんとYESが出るか、そして自分以外の名前とかを言ってそれでNOが出るかどうかを確かめる。
ミッチーが首をかしげてた。
聞いたら、YES NOが出るところまでは良かったけれど、今度自分の名前を言ったらNOが出たとのこと。
「僕自分じゃないのかな?」と半分笑いながら言っていた。
ミッチーにはもう一度やり直したらいいと伝えた。
ミッチーは「うん、わかった」と言ったかどうか忘れたけれど、本当にやり直しを始めた。
書くとあまりにもあっさりでこの凄さがわかってもらえないだろうから、解説を加えたい。
ペンジュラムに興味を持つ人はけっこうな数でいる。
ミッチーとレイさんが初めてでは決してない。
なんだけど、ミッチーにしてもレイさんにしてもこれまでに会った人たちとは全く違っていた。
五円玉や青いラリマールのペンジュラムを手渡した人数もかなりいる。
(初期の頃は水晶のペンジュラムも普通に貸与していたけれども、それだと色んな人の気や念を吸いやすいと聞いたのと、それで実際に人の何かを確認するのに使うことも増えてきたから、それで水晶側は今よほどのことがなければ人に渡さなくなった。)
みんな興味を持って、実際に使ってみる。
すぐ動くタイプの人はちゃっちゃかと勝手にどんどん試すから、そういう人は放っておく。
動かないタイプの人、もしくはミッチーのようにYES NOが出たにも関わらずその次の確認でつまずく人もけっこういる。
そういう人はもうその時点でやめる。
興味が失せたりペンジュラムそのものを疑ったりする。
今思い出したけれど、初期の頃、その手の人がいて、「何でも聞けるんだよね?」と言って「旦那が浮気しているか聞いて欲しい」と頼まれたことがある。
今なら絶対に断るけれど、当時の私は安請け合いして、しかも夫婦仲良いと聞いていたから勝手に大丈夫だろうと思って聞いたら、きれいにYES=旦那浮気にYESで、場が凍りついた。
それで当然おかしな空気になって、ペンジュラムもやんわりと、でもはっきりと罵倒された。
こんな極端なのはそれだけだったけれど、それ以外にもペンジュラムの動きがいまいちの人たちは往々にしてそこでやめる。
やめるのは構わないし何もペンジュラムを信じて欲しいというのもない。
なんだけど、少なくとも目の前で私がやっていてそれに茶々を入れるのは無しだなと思う(←笑ってスルーするけれど、心の中では大きく舌打ちしたりガッカリしている)。
その後は毎回のように相手の人がちょっとクセのある出方がわりかし定番だから、ミッチーみたいにやり直すとかとにかくもう一度やって確かめるとかいう人は本当にいない。
しかもそうなっても私ではなく、ひたすら自分との向き合いだと知ってそのようにするなんて、そういう人にこれまで出会ってこなかったからものすごく新鮮且つ嬉しかった。
レイさんは反応良いタイプで、もうノム同様どっぷりと自分の世界に入っていった。
ミッチーも黙々と自分でトライ&エラーの真っ只中。
ふと見ると、3人が超真剣にペンジュラムと向き合っていて、笑ってしまうほどシュール過ぎる絵柄になっていたのに気付いて、私は慌てて写真を撮った。
すごい不思議な光景にいつのまにか仕上がっていたけれども、そこにいると何の違和感もなかった。
独特のペースで時間が流れていて、何にも邪魔されず、各々が各々の世界に入っていって、なのに4人でいる一体感もある。
本当に不思議なぐらい、1人1人なのにまとまっていて、その絶妙なバランスがものすごく心地良かった。
夕ごはん前にノムとアトリエにいた時、ノムには私の体質がもろに出た場面があったから、「これだよ」と教えることができた。
相手の人が自分の今の課題とか現状とか喋ると、私は普通に思い付いたというか出てきたことを言葉で返す。
一見アドバイスのようにも見える。
アドバイスのようには言わず、本当に会話のごとく普通に返しているつもり。
なんだけど、これこそ相手の潜在意識や魂からやってきている情報で、やたらと詳細な上、自分で喋っててもどこまでが自分の考えでどこからが相手のものなのかがわからない。
これが本当にわかりにくくて、例えば今回なら
「『eat LOVE』のサイトからミッチーが言葉や写真を抜き出して、それを冊子にしたんだよね〜」
そう言って、私が気になった小さな冊子を見せてくれた。
(後日このブログで公開予定)
私の口から出たのは、
・これは2人のお気に入りのカフェとか、誰でも気軽にふらっと入れるお店に置くこと
・冊子の裏に連絡先を入れること
・値段は作業工程や材料費に全く見合ってはいないけれどもそのままにすること
・この冊子で儲けようとは考えないこと
・冊子が誰かの手に渡ることで新しい展開が生まれるだろうこと
・だからこそお値段据え置きにしておいて、手に取りやすい値段設定にしておいて、誰の手にも渡りやすい状況をとりあえず作っておくこと
・本当にお金が入るとするならその先の全く違うルートだと思われること
・これが2人のeat LOVEの起爆剤的な役割となって、2人でする活動の何かに変わるだろうこと(2人のホロスコープの重なりの話も交えた)
こんな感じの、正直お節介もいいところのことをベラベラと喋った。
ノムは「あ、こういう感じなんだね〜」と言った。
私も途中から変だと思って(←最近はお節介的に喋りすぎな自分を見て気付けるようになってきた)、ペンジュラムで確認した。
やっぱり思った通り、情報源は私ではなかった。
eat LOVEは私も大ファンゆえにこのこれが今後大きく発展する予感がするのは、もちろんそのクオリティーを見て言うのもあるけれど、私情もゼロとはどうしても言い切れない。
だけど、やたらと詳細な情報をベラベラと喋っているから、途中で「なんかおかしい」と気付く。
私の場合、情報がそのまま頭にポンと浮かんでいるみたいな状態だから、それが本当に自分の考えなのか、相手からもらってる情報なのかの区別がさっぱりつかない。
しかも、本当に会話の一環として話しているから、声のトーンも体の感覚も、何一つ変わらないから余計と分かりづらい。
ノムは私のそんな細々とした事情は全く気にならないようで、それよりも出てきた情報に食いついて「そういう風にぶっしーはなるんだね〜、で、連絡先付けてカフェに置けばいいんだね」とサラリと流しつつ、でもきちんと受け取りつつしてもらえて、私は超絶感動した。
自分の体質に気付いてから、一番話がスムーズだった。
聞き流してしまう人には特に丁寧に説明しても、結構な確率でスカを食らう。
要はわかってもらえない。
わかる人でも、今度は変に勘繰られたり、一番凄かった時は私が出した情報の出所を確認されたりもした(←した人は悪気はないしそういう人だと知っていたから仕方ないと思おうとしていたけれど、本当は嫌は嫌だった)。
ノムはもう何をどうしてるのか知らないけれど、素直に「そういう感じ」として私のことをさらりと解釈して、そう、理屈とか説明なんて特に要らないみたいで「うん、わかった!」って子どもが納得するみたいなぐらいに軽快で、さらに私の口から出てきたものをきちんと受け取っていた。
それも理屈とか説明は要らないみたいで、言われたことをうんうん言いながら聞いてくれて、あとはごちゃごちゃと質問したり説明を求めたりとかは一切なくて、その姿勢は潔くて清々しくて、一緒にいてとても気持ち良かった。
で、上に書いたようなことが、ノムとミッチーとレイさんと過ごしていた時にも出てきた。
あのペンジュラム練習会のあの場所で。
今度はレイさんバージョンで出てきた。
何が驚いたって、私より先にノムが気付いたことだった。
「ぶっしー、もしかして今のもそう?レイさんから情報もらって喋ってるの?そうじゃない?」
とかそんなことを言われた。
言われてみたらそうで、ペンジュラムにも聞いたらYESが出た。
ノムがそれを取りこぼさずキャッチしてくれて、さらにレイさんとミッチーにもわかりやすく説明してくれてる姿には本当に感動した。
私のこのわかりにくい体質をそんな風に見てくれて、そしてそれをまた違う誰かにもわかるように説明を添えてくれる。
そのひとつひとつのことがとっても嬉しかった。
ノムにも本当に驚いたし嬉しかったけれども、さらに驚いたのはレイさんとミッチーにだった。
食べる専門の2人がアトリエでさんざん楽しく過ごしていた頃、ミッチーとレイさんは母屋で一生懸命料理をしていた。
だから、ノムが見ていたアトリエでの光景は知らない。
しかもミッチーもレイさんも、ノムや私ほどにスピリチュアルなことやオカルトなことに馴染みがないと思われる。
実際に、ノムが自分たちの家にiPadを取りに帰った時に、ミッチーに聞いた。
ホロスコープの話とか、ぶっちゃけミッチーは興味あるのかどうかを。
これはまた違う機会に書く予定でいるけれど、ミッチーの返事を聞いてすごいなぁと思ったのは、ミッチーは個人的な興味はないけれども、それはそれだしノムはノムだとそのまま受け入れてるところ。
レイさんもそうで、レイさんは知れば知るほど、本当にきちんとしたことをずっと積み重ねながら大人になった人だった。
私が最初に聞いた情報が、ノムが言った「星を見たい」を本気で叶えてくれる大家さんだったから、私は勝手にファンキーな方を想像した。
なんなら、幽体離脱しちゃうんだよね〜と言っていたノム以上にぶっ飛んだ大家さんなのかと思っていた。
ゲイカップルを住まわせるのも容認するぐらいだから、基本何でもありなのかと勝手に想像した(後から色々違うプロセスがあったと知った)。
だけど、レイさんはそういう世界ではなく、本当に堅実で伝統を重んじる中で人生を歩まれた人だった。
そういう2人を前に、ノムは私のことを紹介して、私もいつもと同じように思い付いたまま喋っていて。
大概の人は「ちょっと…」となってもおかしくない、若干心の中では引いたりする感じになる方が普通なのに、ミッチーとレイさんにはそれが一切なかった。
ノムが私を紹介するようにそのまま話を聞いて、2人ともそれをそのまま静かにうんうんと聞いていた。
2人の様子を見ているだけで自分が受け入れられてるのがわかった。
いつもなら、相手の反応を見て、私はあれこれ言葉の説明を加えて自分フォローや場の空気がおかしくならないフォローに尽力するけれど、そういうことを一切しなくて良かった。
ノムの紹介の仕方やそもそもノムと2人の関係がきちんと築かれているからこそというのも大きいと思う。
私が何であろうと、ミッチーもレイさんも「そういうものなんだね」とは言わないけれど、とにかくそのままにしておいてくれる。
そして、興味を持って話を聞いてもらえてることもしっかりと伝わってきた。
福祉でもコーチングでも「傾聴」というスキルを徹底的に学ばされた。
練習もかなりやった。
自分のことはさておき人様のことを言うと、そういうのは技術だけ学んでも絶対に身に付かない。
本人のクセみたいなもので、口ではいいこと言っていても話を聞けない人なんか五万といる(←おまえはどうなんだと聞かれたら答えられませぬ…( ̄∀ ̄;))。
レイさんといい、ミッチーといい、2人は傾聴マイスターの資格でも持っているのかと思うほど、聞き上手だった。
(傾聴マイスターは私の造語)
3人とも本当にこれまで会った人たちとはまた全然違った魅力を持っていた。
そして過去最高に安心感と安らぎを初対面でもらうという、すごい体験を3人を通じて私はした。
私は自分のオカルト系体質に関しては、もう一生付き合うものでその付き合い方とかそれを通しての人との距離感とかは試行錯誤で何とかするしかないと思っている。
文句ばかりブウ垂れてる人みたくなっているけれど、実際に世の中の多くの人が気をつける必要のないことに私は気をつける必要がどうしても出てくる。
そして世の中で1、2を争う怪しいジャンルゆえに、カミングアウトするようになった1年半ぐらい前からもやっぱりその時は気を使う。
はなから変な期待は抱かず、わかってもらえたら御の字ぐらいな気持ちで臨んでいる。
戦闘態勢とは違うけれど、どうしても私側は身構える。
なんだけど、あの3人の星トリオにかかると、身構えることすらバカらしくなってくる。
3人は一体どうしたらそんなにも受け入れ幅が広いのかわからないけれど、とにかくビックリするぐらいに受け入れて普通にしてくれてる。
私が新潟から来たということと同レベルみたいにして見ているように私には感じる。
ペンジュラムにしても相手の潜在意識や魂から情報をもらうことにしても、本当に普段通りな感じで、それを聞いた前と後とで何ら変わらなかったことがとても嬉しかった。
そしてその場を見て、「また人と新しく繋がれる」と本当に明るい希望を自然と持つことができた。
しかも、私は私のままで、3人も3人のままで。
等身大の自分で、等身大の相手で、それぞれが繋がれるなんて、本当に素晴らしすぎる。
番外編的に書くか、eat LOVEシリーズが終わったら書くかはわからないけれど、ホロスコープから読み解ける私の人生の方向の中に、まさに家族でもない職場の人でもない、本当に自分の意志とこの見えない世界のオカルト気質を軸にして人と繋がっていくというのがある。
自分のホロスコープの中は全体的にハードル高めだけど、その中でもそこは特にハードルが高いと常々感じていた。
自分の世間とはズレてる具合とか、ズレていてもそれを堂々と出す勇気のなさとか、さらにはオカルト体質とか、どれを取ってもそもそもが色んな悩みを引き連れてくるのに、さらにそれで人と集うとは何事かと思った。
それを目的として人と出逢うなんて味気ないし、そもそも私は自分のことは棚に上げてスピリチュアルに傾倒している人たちやその集まりがとっても苦手で、だからあまり自分からそうしたグループや団体に入ることもない。
出逢わなきゃ出逢わないで私は困らないから、普段そんなことを真剣に考えて何かを計画したり行動したりすることさえない。
なんだけど、あの日あの瞬間は、本当にホロスコープが指し示すことが飛び出してきたのかと思うほど、まさに!な展開だった。
そして、ものすごく自然にもたらされたその機会の中で、私は自分が欲しい人間関係や自分が安心できる空間がどういう特徴を持っているのか、3人と過ごしてみてわかった。
夢に見ることさえはばかられて、あえて深く考えないように避けていたことだった。
私は自分が求めているものがどれだけ難易度が高くて、どれだけ全人口に占める割合が低いのか、それはわかっていた。
だからそんなのは理想で、そういう人間関係や場が手に入るわけないと思っていた。
なのに、eat LOVE邸の母屋の奥の仏間では、それが普通に繰り広げられている。
しかも私は全くの初対面で海の者とも山の者ともわからない、唯一ノムが紹介してくれただろうエピソードの持ち主だということぐらいしか、ミッチーもレイさんも知らなかったと思う。
天界で「魂の閣僚会議」みたいなのがあるとするなら、本当にそこで審議されて忖度された会合だったんだと思う。
会合が実現するように、ノムの絵を家を新築したばかりの夫婦が買うように仕向けておこうとか、その日ミッチーもレイさんも時間が空くように急用が入らないようにしようとか、eat LOVEの冊子が私の目につくようにそれなりの場所に配置しようとか。
本気でそういうことがあったと思ってしまうぐらいに、色んなことが完璧すぎた。
当初こんなにも書く予定になかったけれども、何せeat LOVE邸での時間が濃密すぎて、書いてもまだ書きこぼしてる気がするぐらいに色んなことが盛りだくさんだった。
とりあえずこの回はここでおしまい。
最後言い忘れてた。
アルコールフリーで良かったのは、ここに書いたこと全部を全くの素の状態で体験できたから。
こんな大切な瞬間、人生でも何度もあるわけじゃないと思うから、その時にアルコール抜きで素面で参加できたのはとっても嬉しい。
[写真]
・ペンジュラム講習会の様子。
真ん中がノム。(と言えば、あとはわかるだろうと予想して…)
・私が普段持ち歩いているペンジュラムたち。
五円玉は昭和55年のもので、5が3つ並んでるみたいで縁起の良さを感じる(笑)。
・ノムの個展の場所の地図。講座のクラスメイト向けに送られてきたもの。わかりやすいし、オシャレだねと評判だった地図。
eat LOVE邸に行く前から決まっていたのは
・ごはんを食べる
・ペンジュラムの扉びらき
・アトリエ及びeat LOVE本宅の見学
・本『光の書』を見せてもらう
ぐらいで、他は何も決まっていなかった。
ごはんはこの後の記事に書く予定でいるけれど、ごはんも行く前はどんななのか想像がつかなかった。
結果的に一番良い形に収まったけれども、1つだけ「お酒って飲むのかな?」ということだけは思っていた。
ノムでさえもお酒を飲むらしいことは、ノムとミッチーの日常を描いたサイト『eat LOVE』を読んで知ったぐらいで、ミッチーとレイさんに関しては全くわからなかった。
これだけは唯一特技と言ってもいいと思うけれども、私は相手に合わせてどうとでも自分を調整できる体質で、いっぱい飲む相手には私も合わせていっぱい飲むし(いわゆる「ザル」と呼ばれる体質)、飲まない相手の時は私もアルコールフリーでいく。
そしてどちらの時も基本的にテンションは一緒だから、なんなら周りが飲んでて自分は運転があるから飲まない時も飲んでる人たちのテンションに合わせて振る舞えるから、本当にいくらでも自分を調整することができる。
どうやらミッチーは飲まないか飲めないかのどちらかで、レイさんは車があるから飲まなくて、それでノムと私も普通に飲まずにごはんをみんなでおいしくいただいた。
ごはんも内容盛りだくさんだったから1つの独立した記事になるけれど、今回ほどアルコール抜きなのが大正解!なんて思ったことはないかもしれない。
飲まないことがこんなにも後々のことを大きく左右するなんて、その時はまだ何も知らなかった。
飲みたかったとかいうのはなくて、飲まないことが本当にとても大切な要素だなんて、普段そんなことを振り返って思うことはまずない。
でも、あの時は絶対に飲まないことが大事で、お酒の力ゼロであそこまで大人4人が盛り上がれるんだからすごい。
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ノムとのやりとりより(7/2)
[ノム]
(ぶっしーは)何度も言っちゃうけど吉本ばななさんの小説の登場人物みたい。あ、でも、ぼくもまたばななワールドに出てきそうかもね。平屋で暮らすゲイのカップル。ばななさんの小説は女性が主人公だから、ぶっしー主人公のストーリーにぼくらが登場するって感じかな。いつかばななさんとご飯とかしてみたいねー。
[私]
1週間前の日こそ、本当にまさにばななワールドだったよ(!!!)(!!!)(!!!)
だってさ、ゲイカップルに大家さんである家族持ちの中年女性、そして生き方彷徨ってどうしようってなってるオカルト体質の中年独身女。
何このキャスティングってなりそう(笑)
キャスティングだけじゃなく、中身も非日常みたいなこと満載で、すっごい楽しかったけれど、多分はたから見たら変態たちの集まりみたく見えててもおかしくないと思う(変態呼ばわりしてごめんよー、悪気はないよ(!!!))
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アルコールフリーのおいしすぎた夕ごはんの後、ノムが「レイさんが今やってることを見せてもらおうよ」とかそんな感じのことを言って、奥の仏間に連れて行ってくれた。
ビニール製の紐でかごやバッグを編んでいて、その途中のものを見せてもらった。
2人にお願いされたもののようで、すごく大きなトートバッグをレイさんは編んでいるようだった。
レイさんは趣味という趣味がなかったようで、ようやく最近自分のためだけに時間を使ったり、気持ちが向いたものに取り掛かったりできるようになったと話していた。
編み物というのもよくわかる気がした。
編み物は「無」になれる、そして他の事に比べて考え事を止められる素晴らしい時間をプレゼントしてくれるものだと思う。
今はやらないけれど、私も時々ハマってやっていたから、その気持ちがわかるような気がした。
そのうちミッチーもやってきて、4人で色んな話をした。
「話をした」だと少し語弊がある。
そうやって見ていなかったからあんまり記憶がないけれど、ノムと私がかなり喋り(倒して)、レイさんもそこまでじゃないにしても話して、ミッチーは基本振らないと喋らない感じだった。
私だから気を使ってくれたのかもしれないけれど、ミッチーは聞かれたことに関しては全部答えてくれた。
ノムから聞いていたミッチーは、返事もあったりなかったりするみたいな感じだったけれど、少なくとも私がいた時はどんなことも答えてくれたし、私が独り言のごとく疑問に思ったことを口にすると、ミッチーは速攻で携帯で調べてそれがどうなのかを教えてくれた。
思い出してきた。
そこでノムとミッチーとレイさんの出逢い話を聞いたんだった。
細かくは書かないけれども、そこで聞いてきたそれぞれの話は、ノムが言うように吉本ばななさんをはじめとする小説に出てくるような話だったけれども、どれもこれもそれが作り話でも盛った話でもなく、本当にリアルなんだとわかった。
ゲイカップルと家族持ちの女性の大家さんってだけで、しかもそれが大家さんと借主だけの関係ではないのだから、普通には考えられない3人組だった。
多分この言葉を読んでる人からしたら「そんなことってある?」みたいに感じるかもしれないけれど(私は少なくとも具体的なエピソードを聞かなければ、「ありえない」と思ったと思う)、本当に3人を見ているとそうであることが自然だった。
しかも聞いていると、レイさんとミッチーの時間、レイさんとノムの時間、とそれぞれのペアとの時間もある風だった。
これはまた別記事で書こうと思うからここではサクッと書きたい。
3人といて超居心地良かったのは、3人共が多分普段の3人のままで、さらに1人1人も普段の各自のままでいたからだと思う。
当然よそ者の私がいれば、100%普段の3人のリズムとはいかないところもあったと思うし、加わったゆえのいつもとは違うところもあったかもしれない。
だけど、私から見た3人はどこまでも多分そのままなんだろうなぁと感じた。
レイさんは「レイさん」って名称が付いていそうな気使いと心くばりをとても自然にしていた。
2人のことが本当に大事なんだろうなぁというのも伝わってきたし、法的な役割がないわけではないから、その役割もありつつ、でも対個人での関係をとても大切にしつつ、ものすごいバランスの中で2人とやりとりしていた。
というより、役割はキッカケに過ぎなかったのかもしれないなぁと思った。
役割が回ってきたことでレイさんが2人に出逢うキッカケになったわけだから、それがなければ絶対に出逢わなかったと思うと、私さえもあそこで4人で過ごす時間がもらえなかったわけで、とっても大切な役割なんだと感じる。
ミッチーとノムのやりとりは見ていてとても面白かった。
ミッチーは多分普段もその時もほとんど変わらなかったと思う。
ノムは逆に「えっΣ(꒪◊꒪; )))) 」って慌てふためいたり、「で、合ってるよね?」といちいちミッチーに確認せずにはいられない心情になってるみたいで、何とも言えず微笑ましかった。
見たことのないノムの姿はとっても新鮮だった。
4人が各々適当な場所に座った。
ノムは扉びらきの終わったペンジュラムを出して、ミッチーとレイさんにそれはそれは楽しそうに「見てみて〜!ほらほら〜!」みたいな感じで披露していた。
ノムは見せるだけ見せて満足すると、私たち3人はいるのかいないのかわからないぐらいに自分の世界に入っていって、ひたすらペンジュラムとの対話を繰り返していた。
会話にも反応するけれども、もう目の前のペンジュラムの反応が気になって仕方ないみたいで、そこにほぼロックオンされていた。
その状態を誰一人咎めることもなければ、それを普通にそのままにしておけるメンバーが最強だった。
私ももちろん気にならなかったし、ミッチーとレイさんも何にも思ってる風ではなかった。
気になったと言えば、その状況を許し合える3人の関係性は気になってそれは楽しく見ていたけれども、悪い意味での「気になった」みたいなのは1つもなかった。
ミッチーもレイさんも多くは語らないにしても、その時間を大切にする気持ちはあの時あの場にいた4人はみんな同じ量だけそう思っているのがなんとなくわかった。
この時は二度とこないってみんなどこかで知っていて、スピリチュアル世界推奨の「今を生きる」なんていうすごく難しいことさえも、あの時はものすごく自然にやってのけていた。
「今を100%楽しむ」っていう時間だった。
ノムのペンジュラムプレゼンに始まり、ミッチーとレイさんもペンジュラムに興味を持った。
私は常に2つのペンジュラムと財布に1つ、五円玉に紐を通しただけのペンジュラムを持っている。
2つのうちの1つ青いラリマールのペンジュラムと、ごはんを食べた部屋に置きっぱなしにしていた財布から五円玉のペンジュラムを出してきて、ミッチーとレイさんに渡した。
2人にもノムに説明したようにYESとNOの確認方法を説明した。
この時いいなぁと思ったエピソードがある。
YES NOを確認した後、今度は自分の名前できちんとYESが出るか、そして自分以外の名前とかを言ってそれでNOが出るかどうかを確かめる。
ミッチーが首をかしげてた。
聞いたら、YES NOが出るところまでは良かったけれど、今度自分の名前を言ったらNOが出たとのこと。
「僕自分じゃないのかな?」と半分笑いながら言っていた。
ミッチーにはもう一度やり直したらいいと伝えた。
ミッチーは「うん、わかった」と言ったかどうか忘れたけれど、本当にやり直しを始めた。
書くとあまりにもあっさりでこの凄さがわかってもらえないだろうから、解説を加えたい。
ペンジュラムに興味を持つ人はけっこうな数でいる。
ミッチーとレイさんが初めてでは決してない。
なんだけど、ミッチーにしてもレイさんにしてもこれまでに会った人たちとは全く違っていた。
五円玉や青いラリマールのペンジュラムを手渡した人数もかなりいる。
(初期の頃は水晶のペンジュラムも普通に貸与していたけれども、それだと色んな人の気や念を吸いやすいと聞いたのと、それで実際に人の何かを確認するのに使うことも増えてきたから、それで水晶側は今よほどのことがなければ人に渡さなくなった。)
みんな興味を持って、実際に使ってみる。
すぐ動くタイプの人はちゃっちゃかと勝手にどんどん試すから、そういう人は放っておく。
動かないタイプの人、もしくはミッチーのようにYES NOが出たにも関わらずその次の確認でつまずく人もけっこういる。
そういう人はもうその時点でやめる。
興味が失せたりペンジュラムそのものを疑ったりする。
今思い出したけれど、初期の頃、その手の人がいて、「何でも聞けるんだよね?」と言って「旦那が浮気しているか聞いて欲しい」と頼まれたことがある。
今なら絶対に断るけれど、当時の私は安請け合いして、しかも夫婦仲良いと聞いていたから勝手に大丈夫だろうと思って聞いたら、きれいにYES=旦那浮気にYESで、場が凍りついた。
それで当然おかしな空気になって、ペンジュラムもやんわりと、でもはっきりと罵倒された。
こんな極端なのはそれだけだったけれど、それ以外にもペンジュラムの動きがいまいちの人たちは往々にしてそこでやめる。
やめるのは構わないし何もペンジュラムを信じて欲しいというのもない。
なんだけど、少なくとも目の前で私がやっていてそれに茶々を入れるのは無しだなと思う(←笑ってスルーするけれど、心の中では大きく舌打ちしたりガッカリしている)。
その後は毎回のように相手の人がちょっとクセのある出方がわりかし定番だから、ミッチーみたいにやり直すとかとにかくもう一度やって確かめるとかいう人は本当にいない。
しかもそうなっても私ではなく、ひたすら自分との向き合いだと知ってそのようにするなんて、そういう人にこれまで出会ってこなかったからものすごく新鮮且つ嬉しかった。
レイさんは反応良いタイプで、もうノム同様どっぷりと自分の世界に入っていった。
ミッチーも黙々と自分でトライ&エラーの真っ只中。
ふと見ると、3人が超真剣にペンジュラムと向き合っていて、笑ってしまうほどシュール過ぎる絵柄になっていたのに気付いて、私は慌てて写真を撮った。
すごい不思議な光景にいつのまにか仕上がっていたけれども、そこにいると何の違和感もなかった。
独特のペースで時間が流れていて、何にも邪魔されず、各々が各々の世界に入っていって、なのに4人でいる一体感もある。
本当に不思議なぐらい、1人1人なのにまとまっていて、その絶妙なバランスがものすごく心地良かった。
夕ごはん前にノムとアトリエにいた時、ノムには私の体質がもろに出た場面があったから、「これだよ」と教えることができた。
相手の人が自分の今の課題とか現状とか喋ると、私は普通に思い付いたというか出てきたことを言葉で返す。
一見アドバイスのようにも見える。
アドバイスのようには言わず、本当に会話のごとく普通に返しているつもり。
なんだけど、これこそ相手の潜在意識や魂からやってきている情報で、やたらと詳細な上、自分で喋っててもどこまでが自分の考えでどこからが相手のものなのかがわからない。
これが本当にわかりにくくて、例えば今回なら
「『eat LOVE』のサイトからミッチーが言葉や写真を抜き出して、それを冊子にしたんだよね〜」
そう言って、私が気になった小さな冊子を見せてくれた。
(後日このブログで公開予定)
私の口から出たのは、
・これは2人のお気に入りのカフェとか、誰でも気軽にふらっと入れるお店に置くこと
・冊子の裏に連絡先を入れること
・値段は作業工程や材料費に全く見合ってはいないけれどもそのままにすること
・この冊子で儲けようとは考えないこと
・冊子が誰かの手に渡ることで新しい展開が生まれるだろうこと
・だからこそお値段据え置きにしておいて、手に取りやすい値段設定にしておいて、誰の手にも渡りやすい状況をとりあえず作っておくこと
・本当にお金が入るとするならその先の全く違うルートだと思われること
・これが2人のeat LOVEの起爆剤的な役割となって、2人でする活動の何かに変わるだろうこと(2人のホロスコープの重なりの話も交えた)
こんな感じの、正直お節介もいいところのことをベラベラと喋った。
ノムは「あ、こういう感じなんだね〜」と言った。
私も途中から変だと思って(←最近はお節介的に喋りすぎな自分を見て気付けるようになってきた)、ペンジュラムで確認した。
やっぱり思った通り、情報源は私ではなかった。
eat LOVEは私も大ファンゆえにこのこれが今後大きく発展する予感がするのは、もちろんそのクオリティーを見て言うのもあるけれど、私情もゼロとはどうしても言い切れない。
だけど、やたらと詳細な情報をベラベラと喋っているから、途中で「なんかおかしい」と気付く。
私の場合、情報がそのまま頭にポンと浮かんでいるみたいな状態だから、それが本当に自分の考えなのか、相手からもらってる情報なのかの区別がさっぱりつかない。
しかも、本当に会話の一環として話しているから、声のトーンも体の感覚も、何一つ変わらないから余計と分かりづらい。
ノムは私のそんな細々とした事情は全く気にならないようで、それよりも出てきた情報に食いついて「そういう風にぶっしーはなるんだね〜、で、連絡先付けてカフェに置けばいいんだね」とサラリと流しつつ、でもきちんと受け取りつつしてもらえて、私は超絶感動した。
自分の体質に気付いてから、一番話がスムーズだった。
聞き流してしまう人には特に丁寧に説明しても、結構な確率でスカを食らう。
要はわかってもらえない。
わかる人でも、今度は変に勘繰られたり、一番凄かった時は私が出した情報の出所を確認されたりもした(←した人は悪気はないしそういう人だと知っていたから仕方ないと思おうとしていたけれど、本当は嫌は嫌だった)。
ノムはもう何をどうしてるのか知らないけれど、素直に「そういう感じ」として私のことをさらりと解釈して、そう、理屈とか説明なんて特に要らないみたいで「うん、わかった!」って子どもが納得するみたいなぐらいに軽快で、さらに私の口から出てきたものをきちんと受け取っていた。
それも理屈とか説明は要らないみたいで、言われたことをうんうん言いながら聞いてくれて、あとはごちゃごちゃと質問したり説明を求めたりとかは一切なくて、その姿勢は潔くて清々しくて、一緒にいてとても気持ち良かった。
で、上に書いたようなことが、ノムとミッチーとレイさんと過ごしていた時にも出てきた。
あのペンジュラム練習会のあの場所で。
今度はレイさんバージョンで出てきた。
何が驚いたって、私より先にノムが気付いたことだった。
「ぶっしー、もしかして今のもそう?レイさんから情報もらって喋ってるの?そうじゃない?」
とかそんなことを言われた。
言われてみたらそうで、ペンジュラムにも聞いたらYESが出た。
ノムがそれを取りこぼさずキャッチしてくれて、さらにレイさんとミッチーにもわかりやすく説明してくれてる姿には本当に感動した。
私のこのわかりにくい体質をそんな風に見てくれて、そしてそれをまた違う誰かにもわかるように説明を添えてくれる。
そのひとつひとつのことがとっても嬉しかった。
ノムにも本当に驚いたし嬉しかったけれども、さらに驚いたのはレイさんとミッチーにだった。
食べる専門の2人がアトリエでさんざん楽しく過ごしていた頃、ミッチーとレイさんは母屋で一生懸命料理をしていた。
だから、ノムが見ていたアトリエでの光景は知らない。
しかもミッチーもレイさんも、ノムや私ほどにスピリチュアルなことやオカルトなことに馴染みがないと思われる。
実際に、ノムが自分たちの家にiPadを取りに帰った時に、ミッチーに聞いた。
ホロスコープの話とか、ぶっちゃけミッチーは興味あるのかどうかを。
これはまた違う機会に書く予定でいるけれど、ミッチーの返事を聞いてすごいなぁと思ったのは、ミッチーは個人的な興味はないけれども、それはそれだしノムはノムだとそのまま受け入れてるところ。
レイさんもそうで、レイさんは知れば知るほど、本当にきちんとしたことをずっと積み重ねながら大人になった人だった。
私が最初に聞いた情報が、ノムが言った「星を見たい」を本気で叶えてくれる大家さんだったから、私は勝手にファンキーな方を想像した。
なんなら、幽体離脱しちゃうんだよね〜と言っていたノム以上にぶっ飛んだ大家さんなのかと思っていた。
ゲイカップルを住まわせるのも容認するぐらいだから、基本何でもありなのかと勝手に想像した(後から色々違うプロセスがあったと知った)。
だけど、レイさんはそういう世界ではなく、本当に堅実で伝統を重んじる中で人生を歩まれた人だった。
そういう2人を前に、ノムは私のことを紹介して、私もいつもと同じように思い付いたまま喋っていて。
大概の人は「ちょっと…」となってもおかしくない、若干心の中では引いたりする感じになる方が普通なのに、ミッチーとレイさんにはそれが一切なかった。
ノムが私を紹介するようにそのまま話を聞いて、2人ともそれをそのまま静かにうんうんと聞いていた。
2人の様子を見ているだけで自分が受け入れられてるのがわかった。
いつもなら、相手の反応を見て、私はあれこれ言葉の説明を加えて自分フォローや場の空気がおかしくならないフォローに尽力するけれど、そういうことを一切しなくて良かった。
ノムの紹介の仕方やそもそもノムと2人の関係がきちんと築かれているからこそというのも大きいと思う。
私が何であろうと、ミッチーもレイさんも「そういうものなんだね」とは言わないけれど、とにかくそのままにしておいてくれる。
そして、興味を持って話を聞いてもらえてることもしっかりと伝わってきた。
福祉でもコーチングでも「傾聴」というスキルを徹底的に学ばされた。
練習もかなりやった。
自分のことはさておき人様のことを言うと、そういうのは技術だけ学んでも絶対に身に付かない。
本人のクセみたいなもので、口ではいいこと言っていても話を聞けない人なんか五万といる(←おまえはどうなんだと聞かれたら答えられませぬ…( ̄∀ ̄;))。
レイさんといい、ミッチーといい、2人は傾聴マイスターの資格でも持っているのかと思うほど、聞き上手だった。
(傾聴マイスターは私の造語)
3人とも本当にこれまで会った人たちとはまた全然違った魅力を持っていた。
そして過去最高に安心感と安らぎを初対面でもらうという、すごい体験を3人を通じて私はした。
私は自分のオカルト系体質に関しては、もう一生付き合うものでその付き合い方とかそれを通しての人との距離感とかは試行錯誤で何とかするしかないと思っている。
文句ばかりブウ垂れてる人みたくなっているけれど、実際に世の中の多くの人が気をつける必要のないことに私は気をつける必要がどうしても出てくる。
そして世の中で1、2を争う怪しいジャンルゆえに、カミングアウトするようになった1年半ぐらい前からもやっぱりその時は気を使う。
はなから変な期待は抱かず、わかってもらえたら御の字ぐらいな気持ちで臨んでいる。
戦闘態勢とは違うけれど、どうしても私側は身構える。
なんだけど、あの3人の星トリオにかかると、身構えることすらバカらしくなってくる。
3人は一体どうしたらそんなにも受け入れ幅が広いのかわからないけれど、とにかくビックリするぐらいに受け入れて普通にしてくれてる。
私が新潟から来たということと同レベルみたいにして見ているように私には感じる。
ペンジュラムにしても相手の潜在意識や魂から情報をもらうことにしても、本当に普段通りな感じで、それを聞いた前と後とで何ら変わらなかったことがとても嬉しかった。
そしてその場を見て、「また人と新しく繋がれる」と本当に明るい希望を自然と持つことができた。
しかも、私は私のままで、3人も3人のままで。
等身大の自分で、等身大の相手で、それぞれが繋がれるなんて、本当に素晴らしすぎる。
番外編的に書くか、eat LOVEシリーズが終わったら書くかはわからないけれど、ホロスコープから読み解ける私の人生の方向の中に、まさに家族でもない職場の人でもない、本当に自分の意志とこの見えない世界のオカルト気質を軸にして人と繋がっていくというのがある。
自分のホロスコープの中は全体的にハードル高めだけど、その中でもそこは特にハードルが高いと常々感じていた。
自分の世間とはズレてる具合とか、ズレていてもそれを堂々と出す勇気のなさとか、さらにはオカルト体質とか、どれを取ってもそもそもが色んな悩みを引き連れてくるのに、さらにそれで人と集うとは何事かと思った。
それを目的として人と出逢うなんて味気ないし、そもそも私は自分のことは棚に上げてスピリチュアルに傾倒している人たちやその集まりがとっても苦手で、だからあまり自分からそうしたグループや団体に入ることもない。
出逢わなきゃ出逢わないで私は困らないから、普段そんなことを真剣に考えて何かを計画したり行動したりすることさえない。
なんだけど、あの日あの瞬間は、本当にホロスコープが指し示すことが飛び出してきたのかと思うほど、まさに!な展開だった。
そして、ものすごく自然にもたらされたその機会の中で、私は自分が欲しい人間関係や自分が安心できる空間がどういう特徴を持っているのか、3人と過ごしてみてわかった。
夢に見ることさえはばかられて、あえて深く考えないように避けていたことだった。
私は自分が求めているものがどれだけ難易度が高くて、どれだけ全人口に占める割合が低いのか、それはわかっていた。
だからそんなのは理想で、そういう人間関係や場が手に入るわけないと思っていた。
なのに、eat LOVE邸の母屋の奥の仏間では、それが普通に繰り広げられている。
しかも私は全くの初対面で海の者とも山の者ともわからない、唯一ノムが紹介してくれただろうエピソードの持ち主だということぐらいしか、ミッチーもレイさんも知らなかったと思う。
天界で「魂の閣僚会議」みたいなのがあるとするなら、本当にそこで審議されて忖度された会合だったんだと思う。
会合が実現するように、ノムの絵を家を新築したばかりの夫婦が買うように仕向けておこうとか、その日ミッチーもレイさんも時間が空くように急用が入らないようにしようとか、eat LOVEの冊子が私の目につくようにそれなりの場所に配置しようとか。
本気でそういうことがあったと思ってしまうぐらいに、色んなことが完璧すぎた。
当初こんなにも書く予定になかったけれども、何せeat LOVE邸での時間が濃密すぎて、書いてもまだ書きこぼしてる気がするぐらいに色んなことが盛りだくさんだった。
とりあえずこの回はここでおしまい。
最後言い忘れてた。
アルコールフリーで良かったのは、ここに書いたこと全部を全くの素の状態で体験できたから。
こんな大切な瞬間、人生でも何度もあるわけじゃないと思うから、その時にアルコール抜きで素面で参加できたのはとっても嬉しい。
[写真]
・ペンジュラム講習会の様子。
真ん中がノム。(と言えば、あとはわかるだろうと予想して…)
・私が普段持ち歩いているペンジュラムたち。
五円玉は昭和55年のもので、5が3つ並んでるみたいで縁起の良さを感じる(笑)。
・ノムの個展の場所の地図。講座のクラスメイト向けに送られてきたもの。わかりやすいし、オシャレだねと評判だった地図。
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