2019年6月18日火曜日

人生の分岐点を思い出した満月の夜








射手座満月の夜(6/17)。

朝から何だかんだと10時間近くホロスコープ関連の調べ物をしていた。

ペンジュラムがやってきた日のホロスコープで新たな発見があって、それを最初備忘録として書こうと思った。

その次に、今はホロスコープの基礎にハマっていて、そのことも書きたくなった。

その後の部分はどうしても思い出せなくて、その次に出てきたのが1年前のことだった。

「あっ!!」と声が出そうになったぐらいにビックリした。

記憶を確定するために、得意の記録ノートを探し出してきて、本当にそうだったかを確認した。

やっぱりそうだった。

不思議話がしたいわけではないけれど、本当に見事に仕組まれていたから、「こういうことなんだろうなぁ…」と思った。

真相は知らない。

だけど、こういうことこそ、宿命って呼んでもいいと思う、あらかじめ全ては決まっていたんじゃないかと思った。




なんとなく思い出してきたけれど。

4月に年度が明けてからの私は、ホロスコープに関して基礎を中心に学ぶようになった。

その話を書こうと思った時に、過去に受けたいと思って結局受けなかった占星術講座のことを思い出した。

そして、それを思い出したら「あっ!!」となった。

受けたいと思った占星術講座は去年の9月の下旬に予定されていた。

1ヶ月前の8月から受けたいなぁと思っていた。

募集が始まってすぐの日からずっと毎日申し込むか申し込まないかを決めかねていた。

9月はまだ、5月開始からの占星術初級講座の途中だった。

初級講座は、先生の方針で、出席するにしても欠席するにしても受講費が発生するようになっていて、欠席の場合、後日資料と音声データが送られてくる方式になっていた。

もう1つの講座は、受けるなら今がタイミングなのかな…と当時は思っていた。

ホロスコープから自分の人生の駒の進め方を読み解くみたいな講座で、主に仕事でどう発揮するかということを知っていくワークショップ型のものだった。

当時、他の占星術家よりも熱心に毎日チェックしていた占星術のブログだった。

本当に行きたかった。

だけど、ここで1つ問題があった。

もしその講座に出る場合、開催地は京都で、それに参加したら9月の東京である初級講座は欠席しないといけなかった。

2つとも出席できるほど資金は潤沢とはいかなくて、出席するならどちらか1つだった。

迷った私は、とりあえず京都側の申込状況をしばらく観察した。

そんなこんなのうちに、8月の東京での初級講座の日を迎えて、いつもの通り高速バスで東京に向かった。

私は京都に行った方がいいなら、そうだとわかるサインをくださいとお願いした。←決められない時の私の秘策。

そうしたら、途中のパーキングエリアで、わりかし大きな文字で「京都」と書かれたトラックを見かけた。

申し込もうと思った。

東京での講座を終えて家に戻ってから、申し込む前に1つ事務的なことで確認したいことがあって、その問合せメールをまずは送った。

それさえクリアになればあとは申し込むだけだった。

問合せメールの控えが自分のメールアドレスにも送られてきた。

24時間以内に返信とあった。

あとは待てばいいだけだった。

ドキドキしながら待った。

24時間経過したけれど、何もこなかった。

48時間を超えた頃、さすがにおかしいと思って、返信がない場合の対応を調べた。

どっちが先か忘れたけれど、定員に達して募集終了になったか、それとも私の方でそもそもが何かおかしいと思って一旦立ち止まったか、どちらにしても私は結局申込をしなかった。

「何かおかしい」の当時の記憶はおぼろげだけど、何となく「スムーズにいかない=行ってはいけない、ストップがかけられている」と思った。

どうして問合せメールの返信が来ないのかはわからない。

ただ、毎日ブログもアップすれば、申込ベースで募集人数も訂正してお知らせするぐらいのきちんとした管理の人だから、そもそも返信が来ないことの方が考えにくい。

現に自分の手元には、問合せメールの控えが届いているわけだから、送信エラーというのも考えにくい。

微妙なラインで、行けそうなのに行けない。

そのうちに募集定員に達して、行けないことが確定した。

そして、9月は当初の予定通り、連続して通った東京での初級講座に参加した。

最初それを思い出した時、「あぁやっぱり基礎の方が大事だったからそうなったんだ」と思った。

いくら後から音声データや資料をもらえても、私の場合は一度目の前で受けなきゃ全く理解できなかったと思う。

だから、発展よりも基礎ってことかな…なんてのんきに回想していた。

だけど、突然スイッチが入って、「待って…。えっ…?いや、でも間違えてなければ…」と思い始めた。

私が思い出したのは、時期だった。

私の記憶違いでなければ、京都の講座は秋分の辺りで開催だった。

逆算すると8月に申込開始になった気がした。

トラックの「京都」の文字は8月の終わりの東京行きで見た気がする…。

そこまで記憶の中の手がかりを繋げて、当時の記録ノートを出した。

「京都」の文字を見たことは書いてなかった。

代わりに、行く行かないで迷っていることをノートに書いていた。

やっぱり時期は当たっていた。

そして、あまりに感極まって泣いた。

「多分もうこの時に全部決まってた。
おじいちゃんに出会うことも。
今(2019年6月)ある現実も」




「行ってはいけない、ストップがかけられている」

その時に薄っすらそんな風に思ったことは、大当たりだった。

ストップがかかるというのは、見えない世界レベルでのストップだった。

私には時々こういうことがある。

時々なのか実はもっと回数が多いのかは知らない。

自分で認識できる範囲では「時々」感になる。

見えない世界レベルというのは、もう個人の意思でどうこうできるレベルじゃない、言うなれば天気を自分で変えられない、そのレベルでの「ストップがかけられている」感。

例えば、急募でも内々定が出ていても仕事の不採用が止まらなかった時、後から振り返って、そうまでしてでも私が就職してはいけない理由がわかった。

就職してはいけないと言うより、名古屋にとどまってはいけなかった。

経済的に行き詰まって親を頼って新潟に戻るという、非常に選びたくない選択になったけれど、そうまでして帰らなければいけない事情がその後にあった。

ちなみに帰らなければ、今ある全てがなくなる。

1年前の京都行きも、行ってはいけないものだったんだと今だからわかる。

もし行けたとしたら、私は間違いなく9月の東京行きは取り止めた。

これは想像でしかないけれど、東京に行かずその日は家にいたとするなら、私のiPhoneは割れることがなかったと思う。

家にいる時、私はよほどのことがない限り、自分の部屋以外に携帯を持ち歩かない。

部屋に置いている限り、床は畳だし、座って使う文机調のような高さの木のテーブルしかないから、高いところから落ちて画面が割れることはまずない。

あの日iPhoneの画面が割れたのは、東京駅から銀座まで歩くのにマップを開きたくて、それで携帯を手にした瞬間、滑り落ちるかのような感じで、とてもゆっくりだったのに50センチほどの高さから落ちて激しく割れた。

京都の講座と東京の講座とは日が違っていたけれども、近くは近くだった。

若干不謹慎だけど。

人の寿命は決まってる、という説を信じるとするなら…。

山で行方不明になったおじいちゃんの最期の日は、もしかしたら初めから決まっていたのかもしれない。

そして、その時に私に接触することも決まっていたのかもしれない。

もしかしたら、家にいたって、珍現象を発生させてでもiPhoneは壊れたかもしれない。

だけど、そんな不自然な形ではなく、もう少し自然に思える形の方がいいわけで(なぜなら珍現象過ぎたらホラー感が出て、さすがにそれは怖い)、そのためなら私が東京に行くという非日常が必要になる。

京都ではなく東京に行く必要があった、あの日に。

もし京都の講座に行けたら、私は9月の東京の講座は休んだ。

だから、行けないように問合せメールの返事が来ない状況も必要だった。

それがきちんと返信が来たのなら、間違いなく私は京都の方を申し込んだだろう。

おじいちゃんが山に入ったあの日、私はおじいちゃんからのサインをキャッチできるように、東京に行かなければいけなかったんじゃないか…。

そうまで思っている。

もちろんiPhone画面が割れた瞬間は何も知らなくて、おじいちゃんの存在を知るのはそれから数週間後だったし、それがおじいちゃんの仕業だったと知るのはさらに3ヶ月以上先の話だった。

そして、まさにおじいちゃんが行方不明になったタイミングで、というよりも多分命が終わった瞬間だったんじゃないかと予想しているけれど、それを伝えるために私のiPhoneがその日のその時間帯にピッタリと息を合わせて落とされたんだと思う。

そうした一連の流れに乗るには、京都は行けないようになっていたと思うし、そう思えばきちんとしてる方なのに問合せメールに返信がないことにも今なら頷ける。




今ある現実(2019年6月)について少し触れたい。

私が京都に行かなかったことで、私は1つは自分が守ってもらえたことと、もう1つは今いる地点に立てたこと、その2つがわかった。

自分が守ってもらえたというのは、自分の中の感性とか、資質とか、魂の計画部分とか、絶対に外してはならない部分のこと。

私が行きたいと思ったその講座はすごく良い講座だと思う。

きちんとしてるのがなんとなくわかる。

だけど、行くと私の生まれ持ったものに別のものが混じる。

これは予想でしかないけれど、私の場合はどこまでも純度100%自分の資質だけで自分を確立することが人生の設定になっている気がする。

何かを学びに行こうと検討する時、受けれるものと受けれないものに明確な差がある。

私が行きたがった京都の講座は受けてはいけないものだったんじゃないかな…と予想している。

例えば、英語を学ぶとする。

英文法を学ぶスクールがあるとして、それは行ける。

だけど英会話を学ぶスクールには行けない。

挨拶1つでも
・How are you?
・How are you doing?
・What’s up?
・How’s it going?
・What’s going on?
をはじめとして、色々聞き方がある。

答え方も
・I’m good.
・I’m fine.
・Good.
・So so.
・Nothing.
・Nothing new.
とこれまたバリエーションはいくらでもある。

東京の占星術講座は、そうしたバリエーションの種類だけをひたすら教える講座になっている。

言うなれば、英語でいうところの英文法と英文の仕組み。

反対に京都の講座は、英語でいうところの英会話で、それは相手やシチュエーションによっていくらでも中身は使う人のセンスで変わる。

例えば、〇〇な状況ならどういうものが素敵なのか、センス的なものを教えてもらったとする。

それはたしかに素敵でも、それはもう私のセンスではなく講師の方のセンスで、それを良いと思った私が今度はそのセンスを取り入れる、そんな風になりかねない。

それは悪いことではないし、場合によっては自分の引き出しが増えることにもなる。

だけど、占星術の基礎すら完成してなかった当時の私、そして自分独自のホロスコープの読み解きなんか絶対にできるわけないと本気で思っていた私にとって、それは絶対にやってはいけないことだった。

話が少し脱線するけれど、東京の方の先生は、私にとってこの上なくパーフェクトな先生だった。

はなから敵わないとわかるぐらいにすごい博識で基礎が超しっかりしている先生で、でも先生はひたすら学術的な基礎のみを教えるだけで、そこに個人のセンスとか色つけが本当になくて、私は最初の頃はまじめに「これ学校の(大の苦手な)理科の勉強みたい」と思った。

初期の頃は本当に辞めたいぐらいに楽しくなかったし、苦行のような学びだった。

だけど、今となっては、超基礎の基礎を徹底してもらえたおかげで、正しい知識を身につけられた。

そして、最後に先生が言ってくれた言葉が忘れられない。

「史子さんは史子さんの星読みをして下さい。史子さんにしかできない星読みをして下さい」

そんなようなことを言ってもらった。

先生はスタイルとかも何にも言わなくて、もちろんやり方に押し付けもなくて、唯一色々テコ入れしてもらったのは、読み方の誤りとか偏った読み方をしている時にもっと俯瞰的視点を取り入れることとか、そういうこれから長く星読みをするなら絶対に外してはいけないことばかりだった。

自分ならではのスタイルが見え始めたのはつい最近の話(今年の5月)で、去年の秋口ではまだ全然早かった。

もし京都の講座を受けていたら、私の星読みは頭で考えられたすごく限定的なスタイルになったと思う。

私が最近できるようになった新しい読み解き方は、ホロスコープのどの本やサイトを探したって絶対に載っていない。

載っていたのは、ダウジング辞典で、さらにはそこからやり方を発展させたのは完全に自分の感覚だけで、自分にも最初やって効果を感じたし、その後2人の人にモニターしてもらってそちらも良い結果に繋がってくれたから、あぁこのスタイルなんだとわかった。

1年前の夏にホロスコープ鑑定を受けた時に言われた言葉を思い出す。

【誰かの真似はできなくて、自分の中にある何かと何かを組み合わせていくタイプで、その組み合わせたものを提供していく。
複数ヨッドの人は、例えば写真家をしながら人道活動もするみたいな感じで、全く関係のないものを組み合わせる。
だから、自ずと自分のモデルとなる人が圧倒的に少なくなってくる。
別々のことをするのではなく、組み合わせる形で自分だけの在り方を確立していく。】

(※文中の「ヨッド」はホロスコープ用語)

だから、あの時、京都ではなく恒例の東京での講座に行くのが正解で、間違えて京都に行ってしまったのなら、私は今ある自分にあるもの(才能)には気付かずにいたのかもしれない。




去年の9月、私が繋がる必要があったのは、京都の先生でもそこで一緒に受講するだろう人たちでもなく、魂だけになってしまったおじいちゃんの方だった。

おじいちゃんこそが私が絶対的に繋がる必要のある人で、そしてそこに至るまでのプロセス然り、その後に展開したプロセス然り、どちらもおじいちゃんなくしては絶対に体験しえないことだった。

今となっては、3年前私が名古屋から新潟に戻ることになったのは、ある1人の人に出逢うためだったと思っている。

あの時はわからなかったけれども、結果としてそれが大本命の絶対に外せない人生のポイントだったと思う。

その人に出逢ったことで、私の生まれる前に設定してきたもののスイッチが入ったと私は思っている。

これだけは自信を持って言い切れるけれど、その人なくしては私のこのオカルト体質は発芽しなかった。

ペンジュラムを使うとかホロスコープを学ぶとかは、その人なくしてもある程度1人でやれた。

だけどそういうことじゃなくて、そうしたものに触れる時の心構えとか、自分の心の開き具合とか、揺るがない心を持ってそれらと対峙するとか、いわゆる「愛を持っておこないなさい」なんて言われる時のその愛の部分の感覚を、きちんと開いてくれた人だった。

私はゲームをしないからその辺りは詳しくないけれど、ロールプレイング系のもので、アイテムを次々に手にして強くなって最後はラスボスと戦うみたいなの、あれに似ている。

ペンジュラムとか占星術なんてのはアイテムの方。

そして、そもそもゲームを続行するためには、ライフとか愛とか勇気というような、そのメインキャラクターが持っていないと死んじゃうもの、そうした部分の命の根幹のところを確実なものにする、その部分担当の人だった、私からしてみたら。

相手からは迷惑万来だったかも知らないけれど、私から見てはそうだった。

そこから始まった様々なことが中間地点におじいちゃんがいて、さらにオカルト色を強めて、そして今、新しい人間関係がポツポツと始まり出した。

こういう人たちと知り合いたい…。

そうやって願って、でも元々人見知りで家にこもっても平気なタイプだから、外にも出ずに全くもって無謀な願い事だった。

でも新しい人間関係は意外な形でもたらされて、そして私が何1つ無理しなくていい、ちょっとだけ勇気は必要だったけれども、自分が出せるレベルの勇気で無理がなくて、ある程度自然にやれた中で小さく繋がり出したものだった。

それは京都に行っていたのなら叶わないことだったんじゃないかな…と思う。

そして新しい人間関係、正しくは知ってはいたけれども仲を深められるようになったのは、紛れもなくおじいちゃんが関係している。

おじいちゃんが私の人生に登場してくれなかったら、今ある新しい人間関係も多分今のようには発展しなかったと思う。

発展するためのキッカケが必要だったわけだけど、そのキッカケをなんと亡くなったおじいちゃんが作ってくれてる。

本当にまだまだ小さなステップで本当にこれで大丈夫なのかはわからない。

だけど、私の中で明確に「きちんと繋がっていきたい」という意志がある。

やっと自分のままでいられる場所、それもオカルト体質も隠すことなく、色々世の中の価値観とズレてることもそのままで良くて、弱い自分も情けない自分も普通に出せる場所、やっとやっとそういう場所が見え始めてきた。

京都に行っていたのなら、なんとなく想像がつく。

多分私は、弱い自分や情けない自分を隠して何かをしたと思う。

でもそれじゃ今までと一緒になっちゃうから、それでは意味がなかった。

また誰からも受け入れられそうな自分を演じて、その自分でいってはまたいつか限界が来たと思う。




知らぬうちに去年の夏から秋にかけて、大きな分岐点に立っていた。

地味な占星術講座よりも、発展的内容の講座に憧れた。

1回ぐらい休んでもいいかな…なんて安易に考えていた。

でも、あの時からもう魂の進もうとしている道ははっきりと限定されていたんだと思う。

2016年にペンジュラムを携えて新潟に戻ってきたことに始まり、2017年は1人で愛のレッスンを受けて、2018年は2017年に開いた自分の中の感覚を使って新しいことを学び始めた。

(注釈:2017年は決して1人で愛のレッスンを受けたかったわけじゃなくて、結果1人だったというだけ。私の希望は2人だった。何が悲しくて1人でそんなの受けたいんだろう…。そんな変な趣味はさすがにない!)

そして今年2019年、今度は新しい人間関係が始まりつつある。

新しい人間関係は、人間愛の愛たっぷり。

決してロマンチックな愛の方ではないのがいちいち私らしいけれど、本当に素敵な人たちが自分の人生に登場してくれたのはとっても嬉しい。

今立っているところを見ると、あの分岐点の時、多分見えないところからの介入が入ったんだと思う。

私がフラフラとそちらに行かないように、ありえないことが起こったとわかる。

無理した自分じゃなくて、そのままの自分でいい方に向かって行けるよう、道が敷かれていた。

そんなことずっと気付かずにいたけれど、今になって気付いた。

人生って本当に凄いな!!!と思った。

人間の頭じゃ計算できないことが起こって、こうして奇跡をたくさん見せてくれる。

願わくば、素敵なパートナーを人生に登場させてください…、いい加減苦行ではないほっこりするような時間を人生にもたらしてください…、と祈ろう。




[写真たち]
ほっこりからは程遠い、今朝のLINEスタンプ。
プロレス好きな方と今日(6/18)の午後一緒に紫陽花を見に行く約束をして、その時にもらったスタンプ。
「てへっ」って…Σ(꒪◊꒪ )))) 。
「てへっ」って普通笑うんじゃないの!?超真顔ですけど!これ「てへっ」じゃないでしょう…、とツッコミどころ満載なスタンプを朝から頂戴した。
スタンプを押したらスタンプショップのサイトに移って色々見てみた。
基本的に言葉と絵柄とがマッチしてない感じが…。
いつか送られてきたフィギュアの写真も超シュール( ̄∀ ̄;)。
ご本人はとっても気に入ってる(♡´艸`)♡とのこと。私も左下のフィギュアをプレゼントして、それはして良かったなぁと思った 笑。
ちなみに、スタンプやフィギュアからは想像できない綺麗な女性。

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