ホロスコープの宿題が終わりそうにもなく、なのに全くやる気も出ず。
これまでの宿題と違って、数時間取り組めば終わる内容じゃない。
昨日1日取り組むための時間はあった。
でも私はやらなかった。
○時になったらやろう!という決め事を繰り返すことのエンドレス、夕方になって「やりたくないならやらない」に切り替わった。
そう、究極のところ、私はやりたくない。
最近わかったことだけど、私の場合、とにかくこの「やりたくない」をとことん自分の中でいいよ!ってことにしないと次に動けなくなる。
やりたくないよりも上回る何かがあれば別だけど、例えばごはん作りたくないけどお腹空いたから何か作る、みたいな。
でもそうしたものがないと、やれない。
昨日書いた『物理と化学』の話は、私の中でかなりヒットした出来事だった。
今月のはじめ、私はもう全部が嫌になった。
思い通りにならない自分の人生と、願ってもいないことが入り込んでくる自分の人生と、そのあまりの極端さにプッツンと何かが切れた。
願うことは叶わず、願ってないことは叶う、そのサイクルがものすごく嫌になった。
そこで色んな感情が外に出てきて、そして最後私が出した結論は、「願いたいことを願う、嫌なものは嫌」を自分の中でOKにすることだった。
叶う叶わないは置いといて、自分が何かを欲しいと思ったり、これは嫌と感じたり、そうした自分の気持ちを大事にすること。
いつの間にか私は自分のそうした気持ちたちにも蓋をしていた。
ないフリはしていなかったと思うけれど、そのままの気持ちでいることが色々難しかった。
単純に苦しいのもあった。
苦しくなるぐらいなら蓋をしようかな、そんな風になっていた。
だけど、色々感じていくうちに、その純粋な気持ちをそのまま感じていくことの方が意外にも難しくなく、色々叶わないけれど、そして願ってもいないむしろ来てもらっては困ることもたくさんあるけれど、そういうことに対しても少しずつ向き合えばいいし、嫌なら逃げてもいいし。
そう思えたら少し楽になってきて、そして今に至った。
ホロスコープのマニアックな手帳が紹介されていた。
その手帳が気になって調べた。
手帳を探したのではなく、全然別のサイトを見ていて、そこからまた別のサイトが紹介されていて見つけた。
手帳には興味があったけれど、どうしても言葉が入ってこない。
製作者の方の言葉が全然響かなくて、どうしてだろう?と思った。
モノはおそらく良いものだと思う。
(品質ではなく、中身が良いという意味)
内容は色々自分を見つめるのに、占星術とも絡めていて、そこは惹かれたポイントだった。
だけど何かが違っていて心に響かない。
色々突き詰めていくうちに気付いた。
良いことがたくさん書いてあるし、天体の動きを自分のために使うヒントもふんだんに書かれている模様。
響かない理由は、気持ちが落ちる時、悶々とするような時、そうした時のことが書かれていないことだった。
最近別のサイトで読んだホロスコープの解説に、ものすごく響いた言葉があった。
例えば「流れに乗る」というのは、まるですべてが上手く行っているみたいな印象になりやすいけれど、本当の「流れに乗る」というのは、停滞することもあるし、ちょっと今動けないなぁというのもある、それもこれも全部含めて「流れに乗る」ということ、そんな感じの説明だった。
要は、人生悲喜こもごも、それが本質なんだと私は読みながら感じた。
「マネージする」「コントロールする」ここに違和感があったんだと気付く。
自分の気持ちや思考をコントロールする、又は人生をマネージする、そうした言葉は一見聞いた感じが良い。
でも自分の気持ちも思考も基本的に何もせずに放置していると、ものすごく醜かったり、酷かったり、むごかったり、下世話だったり…と色々ドロドロしたものも出てくる。
でも私はそこを何とかしようとしても基本的にダメだと思っていて、むしろそうした気持ちや思考の居場所を自分の中にきちんと作ってあげることの方が大事だと感じる。
11月23日(祝)朝の9時
この時の自分に言ってやりたい。
あなたホロスコープ講座に行くから!と。
宿題も信じられない方法で終わらせるから!と。
そして、ホロスコープも大事だけど、それ以上のことを体験してくるから!と。
いつ書くかはわからないけれど…。
その日ホロスコープ講座に行った私は新たなホロスコープの知恵を得て、そこからまたさらに自分の人生の特徴を知ることになった。
幼少期から今に至るまでの色んなことに説明がつく内容を知った。
最初の方に書いた「思い通りにならない自分の人生と、願ってもいないことが入り込んでくる自分の人生」、その究極の理由みたいなものをホロスコープから見出した。
これは生まれた時から死ぬまでの標準設定だから、もう仕方ない。
色んな車の形があるように、ホロスコープの形も千差万別とある。
軽の車仕様の人がクレーン車仕様を望んでも仕方ない、そういう感じなんだとわかった。
それを客観的に知っただけでも大きい。
そしてもう1つ。
その日の講座の後、クラスメートの人たちとごはんとお茶に行ったけれど、その時何気なく話したことがまたさらに意味のある出来事に繋がっていたなんて、誰が予想できただろう。
珍しく私は、その中の1人の人に「連絡しなきゃ」と思って、他の人を頼りながらなんとか連絡を取ることに成功した。
自ら連絡を率先して取ることは面倒くさいから、基本的に私はしない。
それを今回はなぜかやって、しかも他の人を頼ってまでなんて普段なら100%絶対にしないのにやった。
連絡を取ってわかった。
そういうタイミングでそういうご縁の人なんだと。
だから、そのクラスメートの方と繋がるためにも、何が何でもあの日はホロスコープ講座に参加しないといけなかったし、行かなければ何もわからなかったし始まらなかった。
冒頭の宿題をやりたくなかった私も私だし、行って良かったと思っている私も私。
色々面倒な性格だけど、それが自分だから、少しでも自分が楽だと感じる方法で自分と付き合えたらいいなぁ。
この間、シュールな四コマ漫画を見た。
男女の別れのシーンで、男の人が女の人をふるシーンだった。
別れを告げられた女の人のセリフが凄かった。
相手に向かって「あなたは私が嫌になって私と別れられていいわね!私は私が嫌でも一生付き合っていかなきゃいけないのよ!」というものだった。
ものすごい共感した。
自分とは一生付き合っていかなきゃいけないから、少しでもお手柔らかにいきたい。
12月2日(日)朝の9時前
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