気が乗らないと書かないことから書こう!ということで、今回はこの話題から。
気が乗らないと書かないタイプのものは主に2つあって、1つは書くことそのものが億劫ででも記録としては残したいもの。
もう1つは書くのは楽しくてもアップするしないをものすごく迷ってしまうもの。
だから書くことに気は乗っても、アップには気が乗らない。
今回は後者の方。
一昨日10月31日の朝、東京駅に着くなりまさかの制服を見て驚いた、という話の続き。
もちろんあの時は続きのシリーズなんて書く予定もなくて、それっきりだと思っていた。
あそこには詳しく書かなかったけれど、私は単に制服を見て驚いたわけじゃなかった。
驚いたのには他の理由があった。
少し前から私の中で「終わり」を意識するようになった。
今から1年後、何も知らないまま時間だけが過ぎた時に、自分の気持ちだけがずっと残るのは怖かった。
1年後、私は安定の独身を貫いていたとしても(←決して貫きたいわけじゃない)、その人は新しく家庭を持っていてもおかしくない。
そうなれば、というかそうなっていなくても、私がその人の記憶からいなくなるのはとても自然な流れで、そんなことも知らずに、自分の気持ちだけ残ってる…とか想像したら、色んな意味で怖すぎた。
今回みたいにしばらくお江戸に毎月通うこともなくなるし、これから先の人生は未知すぎるし。
私が次に向かうのが怖い理由、色々あるけれど、その中の1つは、その人のいない世界に入っていくことだったりする。
言い訳みたいな話に聞こえるかもしれないけれど、私が一番望んだことは、その人の隣りにいる人生だった。
今、役割を何も持たない私にとって、何か軸となるものを先に持ってから動く方が本当は楽だったりする。
自分勝手なこと言ってるのはわかっている。
でも、本気で何もないからこそ、そちらが先の方が本当にいい。
そこは確実にしたいことだから、多少の不具合があっても何とかなる、そう思える。
でも自分のことを始めたら、私はもはや自分の人生がどこに流れていくのかもわからないし、そんなことしたいかと問われたら、今もまだものすごく抵抗がある。
嫌で仕方ない。
多分、私が人生でやっていくことは、世の中の誰も同じことができないことだと思う。
それできる人、他にいないよね、の話だと思う。
いっぱい競合者がいる中で、武士俣さんの上はいないね、じゃなくて、それする人武士俣さんぐらいだね、の内容になるかと思う。
そういう意味で、他の人で同じことをする人は多分いないような、そういう道に入っていくかと思う。
(なんて書いてはいるけれど、具体的に「これ!」とわかるまでこれから相当な年月を要するかと思われる)
だから、どこに向かうかわからない人生になる前に、一緒になれるなら一緒になる方が、そこが精神的な軸になるのは間違いないから、いいなぁと思った。
本当に勝手な話です。
だけど、現実はそんな要素1ミリもなくて、いや、色々不思議なことは多分その辺のカップルや夫婦なんかよりも余程たくさんあるけれど、目に見える現実には何もないわけで、数えきれないぐらいに悔しいと思ったし、そんな変な気を起こすぐらいならその不思議なことは要らない!とも思った。
で、私は今回の東京入りの前、何もなければもうそれが全てで、そんなことは何をどうやったって自分ではひっくり返せないから、もうそれが色んな意味で答えなんだろう…と思い始めた。
交わらないし、同じ土俵に立つこともなければ同じ部屋で寝て朝を同じ場所で迎えるようなこともない、そう思った。
後から書きたいけれど、占星術の講座もヒーリングの個人勉強会も、確実に必要だから来たこと(来てしまったこと)だと思う。
この必要は、私の意志なんかでどうこうできるレベルの話じゃなくて、とにかく知る必要があって行き着いたもの、という感じ。
東京行きの予定の中にその人がいないのが毎回とっても寂しく、そして毎回その現実に打ちのめされながら、でも他に楽しいことがたくさんある!と自分を鼓舞しながら通っていた。
なんならスーパーポジティブに、「その人が今いないおかげでできる体験なのかもしれない」などと思っていた。
9月までそんな風だった。
そしてその後、私は1年前を振り返りまくってブログも書きまくって、そして何もない現実をさらに強化する現実を前に「もうこれは何もない」とすっごい受け入れ難いけれども受け入れざるを得ないところに来た。
それが10月の半ばあたりから出てきた気持ち。
だから、もう何もサイン的なものを見ないことが私の中では正解みたいなものだったし、変に何かを見ても自分も辛いものがあるから、できれば見ない方がありがたいと感じる面もあった。
そうしたら、おとといの朝、朝一東京駅に到着してすぐに制服を見たから、本気で驚いた。
しかも思い出した。
着いてすぐは、まず待合室に行って、荷物や髪の毛をささっと整えた。
私が行きたかった店は3つ候補があった。
これも後からわかったことだけれど、私が行った場所は、その後の動きを考えると一番都合の悪い場所で、言うならわざわざ遠回りをして東京の地下鉄一駅分歩いたみたいな感じだった。
AーBーCと3つ並んだ駅があるとするなら、最初Bにいた私はAが最終地点ならAに最初から行くのが早い。
でもペンジュラムはCを指した。
だから私はBからCに行って、そして今度はCーBーAとまた来た道を戻ってA地点に向かった。
ペンジュラムの意図は毎回わからないから、とりあえずCと言うならCに行く必要があるという意味だから、Cを目指した。
そして、Cを目指したから制服を私は見ることになった。
ちなみに話はそんな単純なことではなくて、他にも色々選択肢はあった。
だけど、他の選択肢全てはNOで、唯一CにだけYESが出ての制服だった。
だから本気で驚いたし、「何で?」とも思った。
ちなみに次を目指して移動した際、また元来た道の前を通ったけれど、その頃にはもうその制服を着た人たちはいなくなっていた。
それだけでも十分なことだったのに、その後またもや「えっ⁉︎」となることに遭遇した。
日比谷方面から銀座まで出た時のこと。
東京の青空に感激しながら(新潟は同じ頃、今年初のあられが降った模様)、私はちょっとした確認のために銀座にある2つの文房具屋を目指した。
土地勘はなく、iPhoneの検索で出てきた地図を頼りに歩いた。
美味しそうな立ち食いそば屋さんがあった。
本当に美味しそうで、匂いまで美味しい匂いが漂っていた。
でも男性10割みたいな場所に入る勇気もなく、とりあえずそこは立ち去って、すぐ近くにあると思しき文房具屋を探した。
まっすぐ歩きながらも顔は左を向きながら、店を探した。
制服を着た男性とすれ違った。
「えっ⁉︎」となった。
あまりに一瞬過ぎて、本当に合ってるかどうかは知らないけれど、多分朝見た制服と一緒の制服を着た別の男性のようだった。
怪しいのもおかしいのも承知で私は回れ右をしてその男性を追った。
信号待ちなんかしてくれたら最高!と思ったけれど叶わず、代わりにその美味しそうなそば屋に入って行った。
ガラス戸で店内は見えるけれど、いかんせん後ろ姿だけではわからない。
でも多分見間違えではなく、本当にその制服だと思う。
少なくとも後ろ姿の感じはそうだったし、何より正面から見て「あ!あの制服、あのマーク」と思ったぐらいだから、多分ビンゴ。
そんな怪しい尾行をしてる場合じゃなかったから、私はまた文房具屋に向けて急いだ。
その日の朝、私はやたらと作業服の制服を着た男性をたくさん見た。
東京駅周辺の工事ラッシュは凄くて、至る所で色んな会社の制服を見た。
そうやって見ると、普通に考えて、全国何千何万とある会社の制服と全く同じ制服を見るなんて普通にありえないとわかった。
しかも工事現場の1つは、その日は共同作業だったようで、ぱっと見20人以上集まっていて、制服も人の数だけあるみたいな感じだった。
あんなに種類がある中でもその制服はその中にはなかった。
なのに何でピンポイントで朝一でその制服を見るかな?と思わずにはいられなかった。
その後の銀座での多分そうかな?の制服も、何でそんなピンポイントでいるの?と思った。
しかもその道を通ったのも、文房具屋に行くからだったし、文房具屋に行く理由はあることを検証するためだったし、そのあることはその前にした買物の際に本当にそこでしか買えないものだったのかを検証したかったからだし、さらにはその買い物も急遽前日に決めたことだった。
もっと言うと、その買い物は、私の買い物じゃなくて、プレゼントの買い物だった。
だから、そもそもプレゼントが必要になる出会いがないことにはその買い物さえ不要で、もう買い物が本当の目的だったのか、それともその制服を見るのが目的だったのか、わけがわからないほどだった。
ホロスコープの講座の後、近くのカフェに移動してカフェタイムに参加した(先生への質問タイム)。
カフェタイムの終わりに受講生の1人の方から、展示会のお知らせのハガキをもらった。
絵柄が素敵♡などと思いながら、裏返して会場がどこかを探した。
度肝を抜かれた。
最寄駅「〇〇駅」。
その人の苗字がまんまと入る。
住所も「東京都東京市〇〇町」、その人の苗字の名前の町。
ここまでくると、何かのお知らせかと思うぐらいの執念を感じる。
朝一の制服、昼間の銀座の小さな通りで見かけた制服に続いて、受講者の方から渡された展示会の知らせを見ても、私は「気のせい」と思うことにした。
だって、そんなの見ても何もなければ何も起こらないから。
そして、私はもうこのことは自分の胸にしまっておこうと思っていた。
今回の東京旅はもっと他に書くことがあって、そちらだけを綴るつもりでいた。
気が変わったのは、今日の夕方だった。
金沢にいる妹が、月末に娘(=姪っ子)を連れて帰ってくると連絡が来た。
そして間違いなく、それにすぐ感化される母が喜びのあまり電話するのは必須で、それを見越した妹は理由は書かずに週末は電話出れないから電話をかけないで的なことも添えていた。
母は母で、電話に出れない=旦那側の家族が来訪するのかと予想した。
この辺りのやり取りが毎回色んな(面倒な)ことを生み出すから、私は妹に連絡して、もしかして義理家族が来るのかを聞いた(←私はどっちでもいいけれど、母と妹のコミュニケーションがいつもちぐはぐで変なストレスを生むから、そしてそれが私のところに飛んできても困るから←しょっちゅう微調整をしている、その防御策のために聞いた)。
たしかに妹は、11月あたりに義理家族が来るとか言っていたから、あぁこの週末なんだなとは思って聞いただけだった。
そうしたら想定外の返事が来た。
義理家族の訪問は日程がズレたようだけど、妹が今回週末に手が離せないのは、妹の友達がしているお店のイベントを手伝うためだった。
妹は「〇〇さんの店」と書いていた。
妹が唯一金沢に行く前から知り合いだった友達で、その〇〇さんとは、その制服の〇〇さんと同じ苗字だったりする。
そもそも妹の日々のスケジュールなんて知らないし、今回だって後々の面倒を避けるための質問でしかなかったのに、何でこんな展開になるかな?と思った。
ちなみに、3月に妹のところに遊びに行った時、妹の口からその人の名前がフルネームで出てきた時は度肝を抜かれた。
話はこうだった。
「〇〇(苗字)さんのおばあちゃんがね作り方教えてくれて、〇〇〇(下の名前)や何とかや何何の作り方を…」
私はその場で何かを口からブッと吐き出すかと思うぐらいに驚いた。
何で妹の口からその人のフルネームが出てくんの?と思った。
それはそうと、なぜにもう「終わり」を意識しだしたらこういう形で色んな何かが来るかな…と思った。
自分でわかる。
その人のことを気にしないようにしよう!、と心に決めると大体見る。
見ようと思っても普段は見ることがない。
もうここは切り替えて、そうしたものたちを見たとしても、それは私がそこから自分の気持ちが抜けてないサインであって、それ以上でもそれ以下でもないことに今後はしよう、と。
私はもう本気で悲しいから、そのことはそっとしておいて欲しいとどこに願っていいのか知らないけれど、そんなことを願っている。
会える可能性があるからそういうサインを見るのなら歓迎できるけれど、会えもしないのにそんなのばかり見ていても心は沈む。
私は本気で、自分の人生の設定が嫌でたまらない。
自分でももうわかってる。
受け入れて生きていかなきゃいけないのはわかっている。
でも、私は自分が一緒にいたいと思う人と一緒になれない人生で、その他の訳の分からない自分でもそんなこと望んだ覚えもないことをこれからの人生でやっていくなんて、狂気の沙汰だと思っている。
すごい満たされないまま、納得なんか何にもできないまま、こうやって進んでいく自分の人生が本気で嫌だと思っている。
だから「意味はない」し「何もない」って思い込まないと私はもう動けない。
たまたま、偶然、そうしたものに出くわすだけ、そう思わないと辛くなる。
偶然見かけた時の喜びもとても大きい。
そしてその分の絶望感も大きい。
もっとシンプルに、一緒にいたいから一緒にいられるとかだったら本当にいいのに。
私が欲しいのは、制服とか名前とかいうようなものではなくて、もちろん他のパターンのサインでもなくて、本当にただの一言連絡が欲しいだけなのに。
このブログのコメントでもいい。
今見たら、このブログ、この記事入れて公開済みのものが769記事あるらしく、その中でどこか全く関係のないところにコメントしたとすると、他の人は全部見ないとどこにコメントがあるかわからなくても私は管理画面上に表示されるから、すぐにわかるようになっている。
しかも匿名でのコメントも受け付けられるようにしている。
(←初期設定がそれでずっとそのまま…)
匿名でもいいけれど、本人だとわかるようなヒントが欲しい(焼肉屋の名前とか、近くのスーパーの名前とか、事務所の略称とか)。
じゃないといたずらと区別がつかなくなるから。
この悲しいぐらいのノーリアクションに対して、どこからでもやってくる数々のサインたち…。
逆になってくれないかなと思う。
自分でも書いてて恥ずかしいものがかなりあるから、週末いっぱいぐらいはアップして、また引っ込めようかと考えている。
色んな人に読んで欲しくて書いてるわけじゃないから、読んで欲しいのは1人だけだから、だからそんなにいつまでも読める状態にしたいわけじゃない。
私信*これを読んで連絡してもいいなぁと思ったら、連絡ください。
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