>>>不在初日 事務所の中
「○○さん不在の1日目。○○さんの机を何度も何度も見た。もう送るだろう荷物しかない机の上。きれいに前向いて収まってる椅子。当たり前だけど、駐車場に車もない。」
その日の仕事終わりにミスドに寄って、1日を振り返った。
当時は家を建て替えていて、狭い仮アパートではあまりのプライバシーの無さに振り返りなんてできなかった。
だから長居しても良さそうなチェーン店のお店やフードコートをグルグル順番に巡っていた。
今考えたら、当時の状況で良かった。
あんなに悲しい時間を家で過ごしていたなら、その時の思い出が部屋の空気に染み付いてしまったと思う。
悲しみが少し和らいだタイミングで家が完成してくれたから、その人の異動直後のモロの悲しさは自分の日常とは関係ないスペースに置いてくることができた。
普段の何倍も机の上はきれいだったけれど、荷物を送る関係で真っ新ではなかったから、それ見てちょっとだけホッとした。
それでも何度も何度も机の上を見ては本当にいないんだよね?忘れ物とかして戻って来ないかな?とか、まだまだ全然信じられなくて、今日は出張でいないぐらいの感じと近かった。
関係ないけれど、その人の机は荷物が送られた後は今度後輩くんがそこも占有し始めたから、そして後輩くんもその人に負けないぐらいに机が見えないほど物をあれこれ置く人だったから、机に関してはあまり気を揉まずに済んだ。
人が1人いなくなってもいきなり組織が大きく変わるわけではなく、その人がいないのが「今日はたまたまいない」みたいな気持ちだった。
でもそれはいないことを認めたくない自分の気持ちであって、その後日記にはこんな言葉が続く。
「時間がとてつもなく長くて、こんなにも時間の流れってゆっくりだったんだと驚いた。午前中なんて、いくら仕事をこなしてもちっとも時間が過ぎなくて愕然とした。時計を何度も見てしまった。」
その人がいなくなった後の仕事の時間は、ものすごくゆっくりそして重たい感じになった。
その日から、本格的な書類関連の入れ替え作業が始まった。
その人の名前だったところには後輩くんの名前が入る。
その人の名前のテプラを何枚も剥がした。
私はこっそりそのテプラをメモ用紙に貼り付けて持ち帰った。
今も手元にそのテプラは取ってある。
ノートに貼り付けた。
ちなみにその作業はそのためだけにする作業じゃなかった。
その作業は、私にその人の話を聞く絶好のチャンスを与えてくれた。
秘密主義的なその人の情報は、その人がいた頃、ほとんどと言っていいほど何も知らなかった。
本人もベラベラと自分のことを話さないから周りの人たちも知らないことばかりみたいだった。
私が知ったのは、独身ということと年齢だけだった。
ところが、その日以降、私はその人の個人的なことをちょっとずつ知っていくことになる。
本当に上手くできていて、きっかけはその名前入れ替えの仕事だった。
その仕事を担当したSさんの手伝いとして私はそこに入った。
Sさんだけはその人にとってちょっと他の人たちとは関係が違うんだろうなぁというのは気付いてた。
その人が多分唯一ちょっと心を許せる人なのかな…というのは見ていて感じた。
だけどそんなことSさんに聞くのもおかしいから私からは聞かなかった。
ところが、そういうことってよくできていて、その作業中にSさんの方からその人の話が出た。
異動はその人自身が希望していたこと。
その理由もちょびっと聞いた。
後輩くんが引越しについて電話で単にあいさつみたいな感じでその人に聞いたら想定外の答えが返ってきたようで、「僕聞いちゃいけないこと聞いたんですかね?」とか半泣きになりながら周りに聞いてた頃、隣りでSさんがこっそりその人の引越しのスケジュールまで教えてくれた。
あぁもう本当にいないんだな…って泣きたくなるぐらいに悲しかった。
これはもっともっと後に思ったことだけれど、私がその職場に行った頃、すでにその人の異動がある程度決まってたんじゃないかなと。
私は最後まで会社説明的なのは一切なくて(なくても仕事上困らなかった)、最初の日名刺を4人からもらった時に、この会社はみんな役職が付くのかと勘違いした。
これは後から知ったことだけれど、本来役職付きの人が何人もいる職場ではなかった。
私は本当に色々知る必要がない仕事だったから説明もなかったし、メールさえ不要だったからメールでの社内通知も一切なかった。
そもそも派遣会社の人からこの会社の求人情報を聞いた時も、事業内容を聞いていても全くわからなくて、会社名も聞き取れなくて、まぁいっか!と流した。
だからぶっちゃけ私は何の会社かほとんど知らずにその会社の求人に応募し、事前に顔合わせで企業見学に行った時も「なんかよくわかんないけど、私が雇われるぐらいだから細かいことは知らなくても差し支えないんだろう」と完全に開き直った。
そんな風だったから、入った後も社内の仕組みを知るのに私は相当な時間がかかった。
良くも悪くも情報がなくて、だから私は純粋に自分の気持ちに従うことができた。
だって初日から異動が知らされるまでの約3ヶ月、私はそれを知らなかったおかげで自分の気持ちだけを見ていられた。
もしもっと早く異動がわかっていたら、私は100%何もしなかった。
いなくなる人は私の中で既婚者と同じ立ち位置(=近寄らない)にあって、ましてやそもそも自分のタイプとは真逆だとしばらく思っていたわけだから、気持ちの動きようがなかった。
もし気持ちが動いても全力で打ち消したと思う。
私が細かな社内の情報を知らなかったことも、その人の異動のタイミングも、そしてそれを知らされたタイミングもこの上なく完璧だった。
もし異動がもう1週間早く伝えられたのなら、私は多分だけど何もしなかったと思う。
その告知がある前に動いたから動けたようなもので、知らされたとするなら私はもう何も考えずにすべてのことはなかったことにして、普通に一関係者として見送って終わっていたと思う。
そういうことも含めて、ちょっとでもタイミングがズレたなら、絶対に今ある現実とは違う現実を私は生きた。
断言できる。
その日他にも私のテンションを上げてくれる話をSさんは教えてくれた。
私がそもそもその会社に行くと決まって、その人は私の苗字にテンションを上げてたこと。
たしかにインパクトのある名前ではあるけれど、そんなに覚えやすい名前ではないと思うし、そして何よりも私の周りには私の名前の書かれたものは1つとして置かれていなかったから、周りの人たちがどの程度私の名前を知っていたのかはわからなかった。
だからある日私はその人から名前を呼ばれてビックリしたし、たった1回の紹介でそして周りの人たちも私をでかい声で呼ぶこともなかったから、うろ覚え程度かと勝手に思っていたらそうではなかった。
Sさんが、○○さんが武士俣さんの名前を知らないわけない、その名前で超テンション上げてたんですよ、なぜなら…ときっちりと説明してくれた。
この時ほど自分の苗字に感謝したことはない。
武士俣で得した気分になれたことなど一度もなかったけれど、この時は武士俣万歳ぐらいな気持ちになれた。
ちなみに私はこの日を皮切りに、半年ほどSさんからその人の情報を不定期に伝え聞き?又聞き?していた。
Sさんの鈍さに救われて、Sさんは何も気付かずに私に色んな話を聞かせてくれてた。
(Sさんに直接鈍いと言ったら、私は普段周りが見えてないですけど、そういうのは気付きます!と返ってきた 笑。だけど、Sさん、私が告白するその時まで全く気付かなかったと言われたから、私も相当上手に隠していたと思う!)
最後、ずっと騙してるみたいであまりにも申し訳ない気持ちだったのと、ペンジュラムや物と対話することなんかを告白するのと一緒にその人のことも告白した。
その人と出逢わなかったとしてもSさんとは仲良くなったと思う。
人として安心できて一緒の時間が楽しくて、バカ話からシリアスな話まで色々できた。
Sさんの好きだなぁと思うところ、その人も同じようにSさんに感じていたのだとしたら、お揃いみたいで嬉しい。
Sさんに話した日、Sさんは自分がどうして趣味の熱が30年ぶりに復活したのか、どうしてその趣味が大好きなのか時々疑問を抱くことがあったと言い出した。
Sさんは自分を「(2人の)仲介役の役目でもあったんですかね」と言った。
そしてそう考える方が自然だと。
泣きそうになるぐらいに心に響いた。
その言葉だけではなかったけれど、Sさんが言ってくれた1つ1つの言葉は私の心をジーンとさせてそして温かく包んでくれた。
Sさんから語られるその人の姿は、私の知らない姿で、それを聞くだけで1人でテンション上げてた。
そういうことを知れたSさん、その人と個人的にやり取りできるSさんにちょっとだけヤキモチ焼いたりもしなかったわけではないけれど、私はほんのちょっとだけでもその人のことを知れた方が嬉しくて、まさかそんな形でその人のことを知れるとは思ってもいなくて、思わぬ形でのプレゼントになった。
Sさんがその人を大事にしてるところも良かった。
Sさんは私には色々話して教えてくれたけれど、他の人には一切その人とのことは言ってなかったし、私にもここだけの話にしといてくださいね、とよく言われた。
言う相手もいなかったけれど、Sさんが言わないでと言ったのは、Sさんじゃなくてその人を守るために言ってた。
いつも相手の立場とか社内の関係とかに最大限配慮していて、Sさんが大切にしたくなるような素敵な人なんだろうと私は読んだ。
その人が個人的なところに踏み込んで欲しくないみたいな部分もSさんは尊重していて、自分から余計な話を振ったりはしなかったと言っていた。
いつだったか外部の取引先?連携先?の人からの評価が良いとSさんも他の人経由で聞いて、私もその話をさらなる又聞きで聞いた。
Sさんに本人に直接言ったら喜ぶかもしれませんよ、と言ったら、そういうことは言えないと言われた。
だから私がこのブログの中でいつだったかしれっと書いた。
そういういいことは、本人の耳にも入れたいと思った。
本人も聞いて悪い気は絶対にしないだろうから、少しの可能性にかけて私はその話をなるべく聞いたままに忠実に書いた。
そんな風にして、その人がいない時間と景色が始まった。
その人がいない空間や時間の方が、その人がいた空間や時間よりも圧倒的に多くなった。
徐々にその状況にも慣れるようにはなったけれど、寂しさや悲しさは残り続けてる。
それは時間の経過と共に薄れるようなことはなかった。
今も、本音を言えば寂しい。
会いたいと願う自分がいる。
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