>>>2018年10月15日(月)
今朝干した洗濯物の中に、昔付き合った人のお母さんからもらった手作りの手提げ袋があった。
戦後生まれ物が無い時代を過ごした母が今でも時々使っている(苦笑)。
それを見て、あの頃の人生の分かれ道が今にきちんと繋がってくれたんだなぁと思った。
私はその頃から人を好きになるってなんなんだろう…と20代の若者が思うようなことではないようなことを考えていた。
その手提げ袋をくれたお母さんのことは好きだったけれど、肝心の相手のことになると私にはどう付き合い続けたらいいのかわからなくなっていた。
最終的に私は別れを選んだ。
はっきりと覚えている。
友達夫婦の姿を見て、その未来は自分とその人にはない、そう思ったこと。
その後に私は人生で大きな転機を迎えた。
人を好きになる気持ちが復活し、そして人生で初めてありのままの私をそのまま受け止めてくれる人に出逢った。
そして私はその後、これ以上ないというほど悲しい別れを体験した。
もう二度と誰のことも好きになれない、本当にそう思っていたし、そして気付けばそれで干支が一周するぐらいにまでなった。
私の心は閉じていたし、その長い時間をかけて癒す傷のようなものにももう疲れていたし、次があるとするならもう無謀な恋愛なんて嫌だ、お互いに大切にし合えるような人と出逢いたい、本気でそう思っていた。
そして、一度すごく受け止めてもらう体験をすると、私なんかは今度それ以上を求め出し、男の人を見ても全くときめかなくなった。
元々そんなにときめくタイプではなかったけれど、輪にかけてもっと男の人を見る目が厳しくなって(自分のことは棚に上げて)、だから私は自分が独身でいることも年々覚悟みたいなのを持つようになったし、それよりももっと重症だったのは、もう誰にもときめかない、人生で誰かに対してドキドキするなんてないんだろうなぁと思っていたことだった。
次々に誰かを好きになれる人たちが羨ましかったし、結婚しても男の人を外に求める女の人たちの話を聞いて、何食わぬ顔顔して聞きながら何でそんなに軽く誰かと付き合えるのかと猛烈に批判し、心の中の私のドス黒さと言ったらなかった。
(既婚者の友達でも本気の子は本気なのがわかるからそんな風には思わないけれど、遊びの子もいたからそれに対しては心の中で猛烈に批判していた)
大真面目に、現役時代はおひとり様で、将来老人ホームに入って、そこにいるどこかのじいさんと最後子どものような恋愛でもできたらいいかもしれない、そのぐらいのことを私は思っていた。
もっと言うと、30代は単純に「同世代の男性」と知り合う機会がものすごく多かったから、1人ぐらい誰かに恋しても良さそうなほどだったのに、それがさっぱりだった。
職場は9割男性とか、朝活も読書会的なものは男性の参加者が多かったし、コーチングのスクールやセミナー関係も男性が多かったし、とにかく男性の多い場所にやたらと縁があった。
もちろんそんなの狙っていたわけではなく、行くとそうなっていた。
紹介やコンパや婚活パーティーなんてのもあったけれど、とにかくびっくりするぐらいに誰にも気持ちが向くことがなかった。
「誰のことも想っていない」時間を初めて持ったのも30代だった。
過去からの傷は時間薬が効き出すのに10年近くかかって、でもその間気持ちが他の誰かに向くこともなく、どれだけ男の人に会う環境にいても何もないという時間を長いこと過ごしていた。
さらに私の中で、仕事は仕事だからそこで誰かと出会うとかいうのも考えたことさえなかった。
男性9割の職場の時なんかは、男の人たちは男である前に私の中で同僚や上司だから、ここでも自分のことは棚に上げ、まずは仕事のできるできないを瞬時に判断するという、末恐ろしいことをしていた。
異性として見てもいなければ、仕事が絡んでいるから目は仕事の目になっていて、色恋沙汰は皆無だった。
そういう時を長いこと過ごしていたから、1年前の当時はとにかく全く何も求めずに、とりあえず決まった派遣の仕事に行って、九州の結婚式に行こう!ぐらいな感じでしかなかった。
そんな風だったから、何にも考えたり期待したりもなく、ポンと行った職場だった。
相手の第一印象はとても良かったし、私が男の人の体系で背はこのくらい、体格はこんなくらい、とかいう諸々の個人的好みにピッタリの人で、さらにはイケメンではあったけれど、そこは職場だし実際に仕事の絡みもないしで、私はそこに深い意味なんか全く感じ取れず、しばらくは何事もなく過ごしていた。
当時は、不慣れな事務仕事に喋らない仕事のダブルパンチで、仕事は大変ではないのに心はアップアップしていて、「大人の寄り道」とか言って、帰りに寄り道して心を整える、そんな日々を送っていた。
なんなら、あまりのアップアップの有り様に、私は寄り道して1人になると、突然涙がツーっと頰を伝うぐらいになっていた(←名付けて社会不適応症候群)。
だから心の余裕もなければ、もう少しきちんと考えて仕事選ぶべきだったかなとか考える始末だった。
これも余談だけれど、その前の職場がまるで女子校みたいなノリでものすごく楽しかったから、それとのギャップもすごくて私は新しい職場に慣れない感じを消化するのにしばらく時間がかかった。
そんなこんなのバックグラウンドがあったから、私の辞書の中に「出逢い」なんていうものはなかった。
さらに「人を想う」というのは、辞書どころか私の生きる世界に存在さえしていなかった。
だから全てが計画外・予定外過ぎた展開だった。
時々思う。
その後、ある小さなやり取りをきっかけにその人の存在に気付くけれど、もしそれがなかったとしたら私はきちんと相手の存在を認識できたのかな…?と。
あのアップアップ具合はしばらく続いたし、仕事はもちろん仕事だからしていたけれど、本気で私じゃなくていい仕事だったから、自分がそこにいる意味もわからなかった。
何のためにそこにいて、人と触れ合うでもない、話すでもない、ただただ目の前の仕事をすることに私は大きな違和感を感じていた。
周りの状況なんて全然見えていなかったし、その人のこともいるのは知っていたけれど、後に仕事に行くのが楽しみ!なんてなるのはまだまだ先の話だった。
だから、超イレギュラーなことが起こらないことには、もしかしたら私は何にも気付かずに、その人の異動も淡々と聞いて、最後にありきたりな挨拶をして、今頃は思い出しもしなかったかもしれない。
ましてや仕事だと思ってそこに通っていたから、私はその人含め周りの男性には注目さえしていなかった。
うんと後になってから、その人のことだけは初期の頃からとても無意識に注意を向けてたことに気付いたけれど、何せ無意識過ぎたからそうだとは当時は全然気付いていなかった。
その人のことは、本人がいた時にはあまり細かいことはわかっていなかった。
いなくなる10日か1週間前ぐらいに魂の繋がり云々の情報に初めて行き着いて、その辺りから色々とこれまでとは違う視点で見るようになったけれど、それまでは自分の未体験ゾーンな感情ばかりで、「何かすごく変」と思っていた。
さらに、その人は頭で考える「自分のタイプ」とか「こんな人と一緒にいたい」というものとは全くの真逆の位置にいて、当初職場ということもあってそういう目でその人を全く見ていなかった。
その人が同世代の男性だとは見てわかったけれど、その人は事務所内の上司で、でも仕事の絡みがないから関わりを持たない人、イコール挨拶だけをする人みたいな、私らしいと言えば私らしい感覚で当初はその人のことを捉えていた。
これは私が体験して思うこと。
頭でいくら考えても絶対に選ばない人こそ、本当に惹かれたのなら本物だなと。
条件ではないし、タイプとかに分類されるものでもない。
そんなことは関係なくて、心で惹かれる。
しかも自分自らぐいぐいと想うと言うよりも、どんなに抵抗しても心はどんどんそちらに勝手に向かってしまう、そんな風だった。
相手を知ってどんどん気持ちが高まるというのとも違っていた。
相手のことを知らないのに、気持ちは日々値を更新、どこまで行くつもりだろう?と思っていた。
と同時に、知らないのに気持ちだけどんどん広がっていくから、だから私は自分に対して「これ勘違いでしょ!」と日々突っ込んでいた。
わざと粗探しに精を出した時もあった。
勘違いを止めるには粗探しをして、うわっ、この人最悪!とならないかと思った。
そんな試みをしても気持ちは止まらないし、自分でも一体何に心が響いているのかさっぱりわからなかった。
頑なに誰かを想うことから離れていた私にとって、その壁をひょいと乗り越える人物が現れたのは、奇跡の中でも特別な奇跡だった。
老人ホームでの恋愛を本気で想像するぐらいだった私は、誰かと出会うこともさることながら好きになるとかそういう気持ちも想像できなくなっていた。
そして私も一応年齢的には中年なわけで、中年期にアイドルにときめくとかではなく現実の生活に現れた誰かにときめくなんて想像できなかった。
10代や20代じゃあるまいし、ましてや中年期は仕事や生活もある。
もっと打算的になって、現実にときめくとかないのかと思っていた。
だけど、年齢とか立場とか仕事とか、色んなことが飛んでしまうぐらいに、心は止まらなかった。
こういうのって年齢関係ないんだなって思った。
年齢が関係ないと言うより、その人だったからそうした枠組みがガバッと外れてしまった…、そんな風だった。
他にも面白いことがあった。
その小さなやり取りの後に、ペンジュラムにその人とのことでいくつか質問をした。
ペンジュラムは私が質問を変えても、「嘘でしょ?」みたいな答えばかりを出してきた。
いくつか質問をしたけれど毎回答えが私の思っていることと違っていて、ペンジュラムもとうとうイカれたのかと思った。
だから私は本気で取らなかった。
得意の否定「ペンジュラムも間違えたのかも」という、あまりにあり得ないことばかりが答えとして出てくるから、私は気のせいとすることにした。
今ならわかる。
ペンジュラムは嘘を言っていたんじゃなかった。
きちんとペンジュラムだけは最初からその人が私にとってとても大切な人だと教えてくれてた。
ただ私がそれを信じられなかっただけ。
そしてこれは強がりでも変な私の頑固な考え方でもなく、本当に最近思っていること。
大切な人=両思いだとか、パートナーとは限らないこと。
望んだら、願ったら、祈ったら、伝えたら、両思いになれてパートナーになれるのなら私はどれも全部本気でする。
100万回唱えなさいと言われたら、私は100万回数えてでも祈りの言葉でもなんでも唱える。
だけど、そうはならないことも現実にはきちんとあって、そしてそうはならない現実になってもやっぱり大切だと感じる部分は変わらない。
そして、ペンジュラムが教えてくれてたのは、その本質の部分だった。
その人との出逢いの本質を最初からペンジュラムは知っていて、それに沿った答えを見せてくれてた。
今ならよくわかる。
本当に「この人」という人に出逢うと、わかるようになっている。
私みたいな鈍い人でもわかる。
そして、私のような鈍くて気付かないタイプには、気付かせるために色んなイレギュラーなことが起こる。
私がここで言う「この人」は、結婚相手とか彼氏彼女とかそういう枠のある対象ではなくて、この人生で会うと約束してきた人、という意味。
前者のように名前のある関係性も私は欲しかったけれど、どうもそれとこれとは別らしい。
ここからはいつも以上に私の脳内暴露=可笑しな発想タイムになるけれど。
これは色んな人たちに出会ったおかげで気付けたことでもある。
この人!と知るために、予め人生であれこれ体験しておく。
同世代の男性とやたらと知り合うなんていうのも、私のような鈍チンが気付くための伏線だったと思う。
そしてそれまでにも体験をいくつかしておく。
いざその約束した人が目の前に現れても、気付く人は気付いても、私みたいに気付かない人は気付かない。
気付かない人のために、今度はイレギュラーなことが起こる。
その起こった時の自分の気持ちや心の動きを見るとわかる仕組みになっている、と私は思っている。
感じ方は人それぞれだと思うけれど、わかりやすいことは
「これまでに体験したことのない感覚や気持ちになること」
だと思う。
これまでの人生経験では絶対に答えが出ない。
だって初めて体験することだからわかるわけない。
だけど、そういう人が現れたら、その初めてのスイッチが入って、初めてを体験することになる。
生まれる前に約束してきた出逢いなんですよ、ってわかるように。
そんな風に私は今解釈している。
未体験ゾーンに相応しく、私は自分の感覚が「変」だと思った。
「変」と感じる感覚は人それぞれだけど、もしそれでもわからなかったら人を変えてその出来事を復元してみるとわかる。
小さなきっかけになったことを他の人がしてくれたとしても、やっぱりそれはちょっとした喜びとか良い気分を運んでくれるものだと思う。
だけど、ときめくことはなかったと断言できる。
されて嬉しいけれど、ときめく風にはならない。
その職場も男性が多めだったから、人を入れ替えて想像することができた。
やっぱり他の人ではときめかない。
その人だったから、心のスイッチがオンになった。
その人もその人で何であの時にそんなことをしてくれたのかかなり謎だけど、っていうかよく気付いたね私のその状態に!とそれは今でも思うけれど、その色んな意味でイレギュラーなことが起こってくれたことでスイッチがオンになって私もようやく気付けた。
尋常ではない、そしてこれまでに体験したことのない気持ちをどんどん自分の中で感じていくことで、ようやくその人が単なるいいなぁという男性というだけではないと気付いた。
「今しかない」という時間の感じ方がかなり異常だった。
人生全体において、その時にしかいられない、その時にしか関われない、そういう人たちとの出会いは多分多い方だと思う。
だけど、「今しかない」って基本思わない。
終わりが見えていても思わない。
なのに、その時だけは「今しかない」アラームがバンバン鳴り響いていた。
じゃなきゃ、私は実際に動いたほどは動かなかったと思う。
自らリスクを冒してまで行動するなんて、有り得なかった。
話はちょっと?だいぶ?変わるけれど、私はその人に出逢うまで本気で異性との関係の色んなことが怖かった。
人と踏み込んだ関係になるのが怖かったし(ちなみにそれは今もある)、そもそも人に気持ちが向くことさえ怖かった。
私が積極的に婚活でも出会いでもそうしたものに向かおうとしない一番の理由は、傷付きたくないから。
自分のケアを考えると、あえてそうしたところから離れることで、傷になりそうな体験は避けられる。
私はそうやって避けてきた。
だから老人ホームの恋愛にやたらと想像豊かになれるのは、もう死期もある程度射程圏内になったら余生を楽しむことに貪欲になれるかな…などという計算もある。
生きていたら、苦しいこととか辛いこととか避けられない。
だけど、そういうものを自ら作るようなことはしたくない。
色んな体験満載だったおかげで、メンタルは相当タフにはなったけれども、かと言って自らそんなきっかけを作ることはしたくない。
だから私は自分が異性関係に対して消極的なのはわかるし、長く自分の中で昇華できなかった気持ちをものすごい時間をかけてようやく清算するに至るまでのプロセスも全部見てきているから、余計と避けようとする傾向は仕方ないと思っている。
そんな風な感じだったのに、その人が現れたことで、もうどこからそのパワーが出てくる?と思うぐらいに私は動いた。
そして怖さよりも傷が増えてしまう心配よりも、私は自分の気持ちを一番にした。
そして「今しかない」という強い衝動に突き動かされて自分が動いていた。
私の願いよりも魂の願いと思うと、妙に納得した。
私も伝えたかったけれど、多分私以上に長い歴史を誇る私の魂が伝えたかったんじゃないかな…と思う、出逢ってくれてありがとう、と。
朝の洗濯物を思い出す。
きちんと繋がるべき道に繋がったんだなぁ…と感慨深く振り返った。
今の結果だけ切り取ったら、明るくはない。
世間では「失恋」にカテゴライズされると思う。
でも、私は明るくない現実や交わらなかった今を見ても、決して悲嘆はしていない。
悲しいし寂しいけれど、私は本当に会いたかった人に出逢えたと思っているから。
生きている毎日が喜びだった。
私の中であきらめていた色んなことが日々叶った毎日だった。
こんなこといちいち言わないと気が済まない自分だけど、やっぱり気になるから言う。
「失恋」はだいぶ表現として違う。
その人に出逢ったことで知ったこと。
恋よりも愛の方が深いのは誰でも想像がつくと思うし、私もそう思っている。
だけど、その人に感じたのは、愛よりももっともっと大きな何か違うものだった。
その中には恋も愛も含まれていても、それ以上の何かが確実にあった。
だから「失恋」のカテゴライズは違う。
彼氏彼女という枠組みだけなら完全に「失恋」カテゴリーで当てはまるけれど、それは結果だけを見ての話で、気持ちとか見ていた景色はもっともっと違うものだった。
だって、その人に会えるだけで毎日生きていて喜びを感じるなんて、ミラクルなんてもんじゃない。
そして生きてる毎日の中にその人の姿が見えなくなってからも、私は当時を思い出しては温かい気持ちになったり、心を酔わせるような状態になれたりしている。
全然おめでたい結果でも現実でもないのに、そうなれた私。
頭の中がおめでたいと言われたらそれまでだけど、基本的にネガティブループにハマるのが得意な私からすると、私がおめでたいのではないと思う。
明るい気持ちを持てるほどのものをその人が人生に現れたことで得ることができたから、それによって私はこの1年支えられてたと思っている。
毎朝、朝を迎えるのが楽しみで仕方ない、そんな感覚を連日連夜持ち続けるなんて人生の中でほとんどなかった私にとって、それをたとえ短い期間でも日々体験できたことはものすごく大きい。
「生きる喜び」というオノ・ヨーコの言葉が体感覚的にわかったのは、初めてと言ってもいい気がする。
そして一度でもそれを体験できた私は、その時が特別と思わず、そういう感覚を感じられる自分がいる、という方に注目した。
だから、失恋で悲しんでいるのとは違う。
私はその人に会えないことが悲しい。
すごい強引なまとめだけど、私はその人に出逢えて本当に良かった!と今でも思っている。
だから、今いる地点に人生の中で立てたことは本当に嬉しい。
もしあの時、違う選択をしたら今は絶対にない。
そして、その人を通じての「生きる喜び」を知らない人生になったのかと思うと、今さらながら過去の選択肢は大正解!って思う。
だからせめて、「出逢えて良かった、ありがとう」という言葉(想い)を伝えられて本気で良かった。
頭で考えるような素敵なパートナーシップや恋愛事情とは大きく異なっていたけれど、私はそれでも生きることに喜びを感じていた。
生きてその人に会える、それが毎日のものすごく大きな楽しみだった。
そしてその人が生きていること、普通に仕事に来ること、それに対しても「それって奇跡♡」と私は日々思っていた。
だから、出逢えて良かった、私の人生に現れてくれてありがとう、だった。
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