2018年10月14日日曜日

振り返りノート〜2年前と1年後

2018年10月13日(土)

私が昨日昼間の車の中で「振り返りノートを書こう」と思った時は、まだ「書きたいなぁ」ぐらいでしかなかった。

だけど日記を書いているうちに気付いて、そして色んなことを自分の中で確信していく中で、書いて伝えなきゃと思った。

【*「書いて伝えなきゃ」…伝えなきゃと思ったことは、今はまだ上手く言葉にできないから、とりあえず飛ばします。
「伝えなきゃ」となった時の衝動具合はものすごく大きかった】

私が気付いたことは、自分ではコントロールできないこと、例えば婚活イベントの会場とか職場の人の長期出張とか派遣の人がなかなか決まらなかったこととか飲み会の席とか…、そうした一見関係のないことが実はきちんとそれぞれ意味があって、そしてそこを抜けてまでどうしても伝えなきゃいけないメッセージがあったということ。

私はシンクロニシティが起こった時に検証するのがすごく好きで、本気でシンクロニシティ研究家になれないかと思うぐらいに徹底的に過去を振り返る。

それらすべてを通してわかったことは、イレギュラーなことばかりが重なって起きていたこと。

イレギュラーで1つ1つには繋がりが見えないけれども、きちんと繋がっていた。

そもそも私は2年前の夏の終わりのハローワークのシーンを最初思い出していた。

それまでかれこれ10社近くから不採用をくらっていた。

先のことが何も決められなかった私は、細かいこだわりはなくて、少しでも興味があることや経験のあることを選んで受けていた。

でもどれも不採用で、正社員ならともかく、契約・バイト・パートすべてにおいて落ちた。

しかも希望欄は空白で出していたにも関わらず。

だからある時からは、本当に行く必要のあるところにしか行けないと思っていた。

ペンジュラムも受けることはYESでも、結果が来る前から「行かない」と教えてくれてた(笑)←こういうこともペンジュラムは教えてくれる。

ここで言う「必要」は、はっきり言って行ってみないことにはわからない「必要」。

頭でいくら考えてもその「必要」の意味は想像がつかない。

30代全体を通じて言えるのは、人生に必要な体験だと行く。

でもそこから外れているものは、行きたくても行けないようになっている。

反対に何で行くのかもわからないしやりたくもないけれど、必要な体験なら行くことやることになる。

これは仕事に限らず私生活全般にも言える。

セミナーやワークショップも、すごく行きたいものなのに行けないとか。

反対に都合悪くて行けそうにもなかったのに行けたとか。

人もそうで、どんな風でも会える人もいれば、お互い都合がつきそうなのにいつもすれ違う人とか。

私の中では、する体験も反対にしない体験も、魂が計画した人生に相応しいかどうかで判断されていると思っている。

ちなみに魂の計画なんて私にはわからないから、普通のアラフォー独身女性からしたら「うっそー⁉︎それ来ちゃう?それ私欲しくないよーーーー(涙)」なんてことも往々にしてある。

当時はそこまでわかっていなかったけれども、とにかく目先の仕事と言うよりも何か体験するための仕事という名の人生体験なんだろうなぁと思って見ていた。

その夏の終わりのハローワークでの窓口でのこと(2016年)。

2つの求人を持って行くと、受ける時は1社ずつだからどちらかを選んでくださいと言われた。

どちらも興味がなかった。

ただどちらも良かったことは、終わりがはっきりと見えていることだった。

1つは、米のもみがらを測る事務で、それは稲刈りの時期だけというものだった。

だから10月には終わる。

もう1つは、国の臨時事業の事務方の仕事で、これも秋いっぱいの仕事だった。

本当にどちらも興味がなく、どちらでも良かった。

本当ならペンジュラムに聞きたいところだったけれど、まさかハローワークの担当者の目の前でそんなことできなかったから、求人票をもう一度よく見た。

米のもみがらの方をやめたのは、「雨の場合休日」という表記だった。

ハローワークの人も首を傾げていたけれど、私は「逆に晴れなら1週間でも10日でも休みなく毎日行くとかいうこともあるんですか?」と聞いた。

ハローワークの人もどうでしょうね〜、聞きましょうかね〜、なんて言っていたけれど、それならとりあえずそんな質問をしなくても良い国の臨時事業の方を進めることにした。

それが速攻で決まって、申し込んだ2日か3日後には仕事開始になった。

そこで途中で辞めた人も含めて常に40〜50人いたわけだけれど、その中の同じ時期に入った子が婚活イベントに誘ってくれて、また別の同じ時期に入った美人ママさんが私たち2人に焼肉屋を紹介してくれた。

だから、そもそも婚活イベントや焼肉屋は、その職場に行かないことには私自ら行くようなこともなく、そういう意味でも私はそこの最初の職場に行く必要があった。

まさか婚活イベントが未来に出逢える人と出逢う場所の下見に繋がったり、焼肉屋が大切な人の話を未来のある日に聞く場所になるなんてその時は思ってもいなかった。

それだけじゃなかった。

当初秋までの仕事だったのが、さすが国の事業、その後事業が延長されて、それに伴って私の雇用期間も延びた。

2回ないし3回延長になった。

事業の先行きは国の決定次第、そしてそれに基づいてしか雇用主側も期間の延長ができなかったから、その2回か3回の延長の中には1ヶ月だけの延長もあったと思う。

だから終了時期も当初読めなくて、最後の延長なしの決定も急と言えば急だった。

延長なしと知らされたのも1ヶ月前だったか、もっと日にちがない感じだったかも忘れた。

私の雇用止めは確定したけれど、現場では私1人だけがする特殊な業務もスタートしていた。

手続き上私の雇用延長ができないところに来ていたことは、後から上司に教えてもらった。

手続きの時期が少しでもズレていたのなら、私は特殊任務のために残ることになっただろうし、上司もそれを希望していたことを後から教えてもらった。

だから私はそこを終わりにして、次なる職場を早急に探さないといけなくなった。

ちなみに、去年は5月と8月に九州での結婚式があったから、私の中でしばらくのんびりするなんていう選択肢はなかった。

これさえも大切な働く動機になっていた。

しかもこれは今年の春になってから知ったこと。

その仕事は雇用主側の期間満了に伴う解雇みたいなものだったから、実はすぐに雇用保険が出るだけじゃなく、期間も長くもらえるというのがわかった。

だけど、当時はそんなこと私含め誰も知らなかったから、私はすぐに次を探した。

結婚式というイレギュラーなことと情報が当時は出回らなかったこと、その2つのおかげで私は自分が大切な人に出逢えるとも知らずにそこに向かってひたすら動いていた。

それらは人知を超えてのことだった。

当時は20人以上の派遣一斉終了者がいて、その中で事務能力も経験年数も圧倒的に不利な私は、そう簡単に仕事を紹介してもらえるとは思っていなかった。

しかも6月開始の求人も例年少ないようだったし、さらに私みたいに長期雇用は嫌だと最初から言っていて短期の期間の決まった仕事がそもそもあまりないようだった。

あれだけ落ちまくっていたし、諸々の状況を思うと、そう簡単には決まらないだろうなぁとなんとなく思った。

なのにその次の職場はいきなり決まった。

スピーディーだったし、あまりにあっさりと決まったから驚いた。

派遣会社もどんな風に職場の担当者へ説明してくれたのか知らないけれど、私の「事務経験」は事務とは呼べない代物だったにも関わらず通った。

国の事業の事務なんかは、全く事務の仕事ではなかった。

すごい勉強にはなったけれど、今後仕事で活かされる事務能力的なものは何も身につくことがなかった。

だけど、名前だけ「事務」の経歴を持つことになって、それで通ったと思う。

決まったは良かったけれど、最初の1週間ほどは毎日思ってた、「私何でここにいるんだろう?」と。

不慣れな事務仕事だけじゃなく、1日中ほとんど喋らない仕事を人生で初めてして、それにも大いに戸惑った。

静かにしていることがいかに合わないかを自分で思い知りなさい!ということなんだろうかと思った。

今回は何を体験することになるのか、全くわからなかった。

だけど、あまりにもスムーズに決まったから、道としては多分間違っていない。

なぜなら道が違うと、私の場合は大量の不採用通知同様、そもそもそこにさえ行けないから。

そこに行くことになった=何か意味があるんだろうとは思っていた。

1つ1つ紐解くとわかる。

もしあの時米のもみがらの事務を選んでいたら…。
もし予定通り秋の終わりで事業打ち切り・仕事打ち切りになっていたら…。
もし友達の結婚式がなかったら…。
もし雇用延長の手続きの時期がずれていたら…。
もし雇用保険の情報を手にしていたら…。

そうした「もし」を並べると見えてくる。

何なら国の事業の延長だって、そんなの国の判断・決定だから、私みたいな一国民がどうこうできるものじゃない。

しかももう事業が終わったから、その仕事は今はない。

それさえも何だかんだと私を2017年の5月まで引き留めてくれて、次の職場の求人のタイミングと私の身が自由になるタイミングとがピッタリ重なるようになっていた。

人生の壮大な計画に合わせて物事は動いていた。

それぞれの仕事の話や契約更新を進めるかどうかの選択肢は私にあっても、そもそもの仕事を生み出すということやその時期、私が新たに就いた仕事の開始時期、そんなのは私が影響を及ぼせるような領域じゃない。

大量の不採用通知の意味もわかった。

理由は何でもいいから不採用にしてもらわないと、その次の本当に必要な出逢いにはたどり着けないようになっていた。



2018年10月14日(日)

振り返りノートを書こうと決めて、その後カフェにいた時。

私はその日(=金曜日)から、当時の最終金曜だと思って振り返りを仕切り直すことに決めた。

昨日は天気が良かったこともあって、私は思い出の地に足を運んだ。

その人の異動が知らされたその日の昼休みに行った場所に行った。

そこで私は賭け事を1つした。

絶対に起こらないと知っていたことを賭けた。

起こらないと知って賭けたから、頭の中では当然もう何もしないと思っていたし、相手のノーリアクションこそそれが答えなんだから、もう突っ込むのやめようと思っていた。

だけどもし賭け事が私が思った方にならなかった場合、私は自分の心のままに動いてみようと思った。

そんなの起こるわけない、と確信しながら賭け事を始めた。

今でもあれは何だったんだろう…と思う。

その瞬間、まさかの展開が目の前で繰り広げられた。

あれは、GOのサインが、それこそ天でも宇宙でも神様でも何でもいいけれど、とにかく人知を超えるものから送られてきたと思う。

私は99.9%じゃなくて100%のNOを確信しながら、だからあんなのは賭けとは呼べない言葉だけの賭け事みたいなものをした。

そうしたらまさかの結果がやってきた。

その時、賭け事の結果が違っていたのなら、その後の現実も全く違うものになった。

手紙なんかは絶対に書かなかった。

手紙を書くに至るその前のアクションを自ら起こすなんてそもそもありえなかった。

だけど、私は動いた。

おかしいと思いながら、何でそこまでするのかもわからずに動いた。

動いた結果の直後、もうやり切ったから静かにするつもりでいた。

だけど、あの賭け事の時みたいに、何かがあの後も動いた。

もちろん動いているのは私だし、そうすると決めているのも私ではあったけれど、それ以上に何かが動いている感じはあった。

そのゼロ地点のような場所に行った。

土曜日の昼下がりはさらに人がいなかった。

そこから私は昨日のブログをアップした。

このブログのどこかで書いたことをもう一度書いたりもしているけれど、今回だけは気にせずに思いついたことは書き込んでいこう、そう決めてる。

今振り返ってみても不思議だなぁと思う。

そもそも何であの時賭け事しようなんて思ったんだろう。

手紙なんて書かなくてもいいのに書いたり。

自分でもドン引きするぐらいに相手が1人のところを狙って話しかけに行ったり。

常軌を逸すってそういう私みたいな行動を指すんだと思いながらも、止まらなかった。

だけど、反対に静観して何もしなかったことも今となっては想像できない。

人生に正解も不正解もないけれど、その一連のことに関してはそれが正解のような気がする。

完全なる自己満足だけど、私は自分が伝える努力をしたことは良かったと今は思っている。

だってもし仮に今手紙を書いたとしても、もう渡す術がない。

話しかけに行きたくてももうそれもできない。

このブログの上では好き勝手書けるけれど、もう直接の手段は何も持っていない。

だからできる時にやっといて良かったと思っている。

あの時何もしない選択ももちろんあった。

そして何もしなくても同じように1年という時間は過ぎた。

何もしなかったのなら、私はすごく後悔したまま1年を送ったかもしれない。

色々ツッコミどころ満載なのは相変わらずだけど、自分がしたことは後悔していない。

むしろ伝えて良かったと思っている。

伝えられる時に伝えて良かった、もうあの時には二度と戻れないから…そう思っている。

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