何をどうしても眠気に勝てなくて、ひたすら眠りこけていた午後。
最初の30分で一度目覚めたけれど、また眠くなって二度寝。
その二度寝の時にその人は登場してきた。
全然知らない、見知らぬ土地にいた。
日本のどこかで、わりかしローカルでのどかなのんびりした町だった。
私はその人の普段着姿は一度も見たことないくせに、夢の中のその人は普段着を着ていた。
無地のTシャツに下は適当なパンツスタイルだったと思う。
夢の中では、私の妄想が大暴走していた。
私の願望がかなり反映されていて、とりあえず何かをきっかけに話ができる関係になっていた。
誰かが運転する車に一緒に乗って、そして降りたところでその近くを一緒に回った。
祭りとかではないけれど、人がけっこういて、知らない人たちばかりの中でその人だけが唯一知っている人だった。
途中、すごい急な階段があった。
高さ的には、2階ないし3階ぐらいの家の高さぐらいあった。
そこは屋外で、その階段の急なことと言ったらなかった。
工事現場で見るアルミのような足場の階段みたいな感じで、足を横にしないと階段の中に足が収まらない、ものすごく幅の狭い階段だった。
しかも手すりがない。
万が一足を踏み外したら、あっという間に落ちてしまいそうな、夢の中とは言えとても怖いものだった。
その人はすたこらとスムーズにその怖い階段を降りていった。
私は自分の運動神経の悪さを知っているから、一段ずつそっと足の踏み場を確かめるようにして降りた。
山の斜面見たいなところで、足を踏み外そうものなら転げ落ちてしまう。
で、やたらと時間をかけて降りたわけだけど、降り立ったところの邪魔にならないすぐ近くの場所で、その人は私の方をじっと見ながら待っていてくれた。
夢の中の私は、その人が下で待っていてくれてると確信してはいたものの、実際にその瞬間を見て1人で大喜びしていた。
その後も並んで歩いたり車の中に戻ったりしていたけれど、気付いたら手を繋いでいた。
手の感触とか何も覚えていないけれど、いつの間にか手を繋いでいた。
「何この夢みたいな展開⁉︎」と1人でツッコミをしていた。
夢の中の私は、それを夢とは思っていなくて、おめでたいぐらいにそれを現実と思っていた。
目が覚めて夢だとわかった瞬間、私はその夢をもっと見ていたくてまたすぐに寝た。
寝たけれど、その夢の続きにはならなかった。
風呂の中で読む本が読み終わった。
今日からは何を読もうかな…と思った時、重たいものは嫌だからとりあえず吉本ばななさんの別の小説にしようと思った。
それを含めて3冊候補があった。
ペンジュラムはどれを指すのか興味があって、それぞれの本に聞いた。
「今読んだ方がいい本ですか?」って。
ちなみに吉本ばななさんの小説は過去に読んだことがある。
でもストーリーをほぼ忘れてるから、そしてばななさんの本はいつ読んでも新しい発見があるから、別に2回目でも気にならない。
癒しが欲しいから、それをピックアップしようと考えてた。
でもペンジュラムはそれではなくて、和菓子職人さんのエッセイを指した。
そのエッセイも面白そうで図書館から借りてきた。
字も行間も大きめで読みやすそうだったから、とりあえず今日はそれにした。
何でそれなのか、読んでいるうちになんとなーくわかった。
大切なことが書いてある。
著者は和菓子職人でも、内容は手に取る人たちに響くようになっていた。
色々感じながら読んだ時、ふと本を読み進める目の位置を一瞬変えた。
縦書きだから、当然目は右から左へと流れる。
だけど、なぜか私はその時、目を左から右へと流した。
そうしたら横並びの2文字が目に飛び込んできた。
例えばその名前が森山さんだったとする(参考:森山直太朗)。
私が目を左から右へと流したら、「森山」とその名前が横に並んでいた。
突如「森山」という名がそのページのその空間に表れた。
森山ではなかったけれど、その名前は私が昼間に見た夢の中に出てきた人物の名字だった。
度肝を抜かれた。
だって、200ページぐらいある本で、そのうちの1ページの、そしてたまたま横に並んだ2つの文字が誰かの名前にそのままなるなんて、どんな確率なの?と思った。
まさかねぇ…と思って、後からペンジュラムに聞いた。
「もしや、その名前を見せるためにその本を薦めたの?」と。
ペンジュラムはNOだった。
ホッと胸をなで下ろしながらも、偶然の産物にしては出来過ぎなそのことに、なんだかニヤッとしたくなった。
私が言う「距離感がわからなくなる」はこういうことを指す。
こういうこと「を」じゃなくて、こういうこと「も」が正しいかも。
距離は遠い。
宇宙銀河を一周しても、そちらの方がまだ近いんじゃないかというぐらいに遠い。
だけど、色んな形でその人を表すものを見る。
さすがに夢はレアなケースだけど(しかもあんな妄想が爆発したみたいな夢…)、遠いのに誰よりも近くに感じるのはこういうことが日常茶飯事にあるからだと思っている。
1週間ほど前、私は別のことを自分に約束した。
本当はこういうことも書かないにしようとしてた。
でもきちんと守る方が難しいからやめた。
相手に実被害が出てませんように…と祈りつつ、私は私で書きたいことをそのまま書こうと思う。
書き方は工夫するけれど、100%一切触れない!みたいなのはやめる。
普段呼吸していることは忘れている。
空気がきちんと吸えてるかどうかなんて考えない。
空気が次の瞬間、あるかないかなんてもっと考えない。
あって当たり前すぎて、そんなことさえ普段思い出さない。
それにかなり近いと思っている。
「考えよう」とか「思い出そう」としてそうなってるのじゃない。
常にいて、その存在感に対して私が意識を向けてるという自分に気付く度合いがその時々で変わるだけ。
出かけてる時に「家の鍵かけたかな」なんて心配しない。
鍵はきちんとかかっている状態は続いている。
これから出かけるという時に「道路あるかな?」なんて思わない。
私の意識が向こうが向かまいが道路はある。
状態は常に一緒で、それへの目の向け具合が変わるだけ。
そんな風だから、近くに感じるのはずっとずっと続いている。
もういちいち否定するのも面倒になってきたから、おかしいと感じてもそのままにしている。
普通ではないけれど、それが私の日常になったから、そういうものなんだと思っている。
遠いし、顔や姿を目にできるわけでもないし、話せるわけでもない。
「ない」ことを数え上げたら永遠に何かを挙げ続けなければいけないぐらいに「ない」。
ないないだらけ。
その中で唯一、とにかく毎瞬毎瞬私の中にどんといる。
もはや私がそれを望んでそうなっているのか、何か別の糸と糸とが交差してこういう現象が起こっているのかはわからない。
だけどいつも普通にいるから、近いは近い。
特別に意識なんか向けなくてもいる。
だから一番遠くにいて一番近い、そういう立ち位置になっている。
2つのことは矛盾しているけれど、あるところから見たら本当に遠いし、また別のあるところから見たら本当に近い。
質量を帯びてようが、もうそれを出さないように気をつける方がしんどいとわかったからやめた。
それに忘れていた。
私が書く理由。
私が書くのは、伝えたいから、そして届いて欲しいから。
それだけのこと。
私の中で、1年前、限りなくゼロに近いわずかな数字、ミクロの世界の数字に懸けたことは、多分本当に叶ってる気がしている。
色々すっとぼけているけれど、多分YESだよね、と思うことがたくさんある。
だから、私が懸けたミクロの可能性をこれからも大切にしようと思っている。
いつか飽きるかもしれないし、いつか全く別の流れに自分の身を置くようになるかもしれない。
それでも、今この瞬間、「懸けたい」と思っている間は、その「懸けたい」に懸けようと思う。
題名は今決まった。
上の文章を書いている途中、「私このシーンを知っている」と思った。
こうして自分の中を綴る。
そして綴りながら、未来のある地点から見て今ここが1つの通過点として見える、その感じを思い出してた。
夢で見たのか何なのかはわからないけれど、「私このシーン知ってる!」という既知感はしっかりとある。
「既に知っている」、そういう感覚を自分の中で感じる。
Deja vuー何で知ってるんだろう?
でも確実に「知ってる」って感覚が内側から沸き起こる。
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