毎回不謹慎なことを思ってしまうけど、本当のことだからそのままを書こうと思う。
未明の北海道の地震が起きて、パッと3人ほどの友達が思い浮かんだ。
そのうちの2人は道内にいるから、停電と知って連絡はわざと避けた。
もう1人は札幌出身で今はアメリカにいる。
何年ぶりかわからないぐらいに久しぶりの連絡だったから、メールアドレスが生きてるのかどうかも怪しかった。
けれど、まぁ一か八かの賭けで出してみた。
返信が来て、実家の方は停電とか色々あるけれど無事だとのこと。
そして今年、カウンセラーで開業したとあった。
これはめちゃくちゃ嬉しかった!
この友達A子は、大学1年の時の最初の留学生オリエンテーションで知り合って、数ヶ月という短い間ではあったけれど、同じ敷地内の別棟に住んでいたこともあって、お互いにしょっちゅう行き来していた。
私たちのオーナーさんは、親子ほどの年の離れたご夫婦で、年上の旦那さんが大工さんで、ドイツから大学教授としてやってきたドイツ人の奥さんとがいつも仲良しこよしだった。
旦那さんのポールは狩猟が趣味で、秋の一番盛んな時期にはしょっちゅう仕留めた鹿肉のミンチをお裾分けしてくれて、毎回美味しくいただいた。
A子とは色んな話で盛り上がり、時々ごはんを呼び合い、本当に楽しい時間をもらっていた。
子どもの頃からの後延ばしの癖はその頃さらに一層磨きがかっていた私は、何事もスタートが遅かった。
アメリカの大学が大変なのは、内容云々よりも数々の課題やテスト勉強、予習復習が必要だからだと思う。
人生の中で一番勉強したけれど、それでも私は基本的にギリギリにならないとエンジンのかからないタイプだった。
片やA子は、日々夕方になる前から宿題や予習をきちんとしていた。
人生で初めて計画通りに物事に取り組み進めていくタイプとして出逢ったのがA子だった。
私には全くない才能で、本気ですごいといつも思っていた。
A子は日本の短大を出た後、3年生として編入してきて、だから確か私の2年次の終わりにはA子は卒業したような記憶がある。
A子は日本に帰国後、今度はアルバイトしてお金を貯めて、私の卒業と入れ違いでまた同じ州の別の大学の大学院に行った。
心理専攻で、その途中で当時付き合ってたアメリカ人の彼氏と結婚して、その後大学院を卒業してカウンセラーとして働き始めたことは知ってた。
違う州に引っ越して、小さなお家を買って、子どももできて…みたいな話が最後だった。
社会人1年目の時にA子たち夫婦のハウスウェディングに招待されて、私もアメリカのそのど田舎の町へ行った。
色んな結婚式に行ったけれど、私の中ですごく好きな結婚式だった。
一番好きと言っても良かったぐらい。
その結婚式は大きな一軒家の中で行われて(ちなみに私はそこに泊まらせてもらった)、日本のような式次第みたいなのはなく、あらたまった2人からの挨拶が全体にあった後は新婚の2人が参加者の間を巡回して談話するというもので、すごく温かい結婚式だった。
旦那さんになった当時の彼氏もうちの近所に住んでて、その独特な雰囲気の、言うなればヒッピーのシェアハウスみたいなところは異次元のようで何回も度々訪れた。
昼夜問わずマリファナ(大麻)吸ってるみたいな場所だった。
そういう雰囲気にも関わらず、住む人たちがいいんだと思う、すごく居心地が良かったことも覚えてる。
ちなみに、これは大学の授業の一環で教わったことだけれど、実は大麻はタバコよりも身体への悪影響が低い。
タバコの方がよほど毒で、体に悪い物質が入ってる。
だからアメリカの州の中では大麻を合法にしているところもある(アメリカは基本的に各州の州法で日々の生活が動いている)。
私はあの独特のにおいがどうしてもダメで、ただの一度も吸いたいと思わなかったから毎回誰に誘われても全部断っていたけれど、よく考えたら身近にいつもドラッグがあったなぁと思う。
話がそれた。
A子が今から20年前にどんな決断をしてどんな日々を積み重ねたのかを知っているから、今回の開業は本当の本当に嬉しかった。
しかも、あの英語の細かなニュアンスを感じながらやり取りできる、努力の結果で手に入れた今を心からリスペクトしている。
A子の人柄を思えば、ものすごく有能で人間味溢れるカウンセラーなのも目に浮かぶ。
地震の安否を知りたくて連絡したけれど、それ以上のものを手にしたのは私の方だった。
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ごはんを食べ終わって部屋に置きっぱなしにしていた携帯を見ると19件のラインが来ていた。
最初にその数字を見て、私は「どうかあのグループラインではありませんように」と祈った。
1つだけどう扱っていいのかわからないグループラインがある。
脱会するのもまた面倒で、そのまま放置している。
ちなみにグループラインが苦手なんではなくて、グループになった途端、水を得た魚みたいに好き放題発言する人がいるから苦手なだけ。
その人以外はみんな好きだし、その人も個人でもし会えば良い人なことも知っている。
だけど、グループになった途端、本当に超えてはいけない一線を平気で超えてくる発言が見受けられるから、毎回そのラインが来るたびに私は不快になるか疲れを覚える。
だから基本私は得意の既読スルーをする。
と思ったら、全然違っていて、去年の九州の結婚式の時に急遽立ち上げたライングループだった。
北は北海道、南は九州まで、全国津々浦々にみんな散らばっている。
(私は「全国津々浦々」を「しんしんうらうら」だと思っていて、今変換されなくて変だと思ったら「つつうらうら」なんだと初めて知った!)
そのうちの1人が北海道で、それでみんなそれぞれ声を掛け合っていた。
最高に素敵なライングループだった。
しかも当の本人は気付かなかったらしい、地震に。
携帯の電源は、近所の電気屋さんでもらえたとか言ってた。
グループの1人は
「○○は適応力に長けた小さい生き物だから心配ないでしょう。
まるで初期の哺乳類だ!」
とまで言っていて、いいなぁこの感じ!と思った。
連絡しようとは思っていたけれど、電気の供給がかなり怪しかったから、あえて避けた。
本当に必要な人たちに連絡取れるのが一番だと思ったから。
だけどみんなでワイワイしてたから参加しやすかった。
その流れをしれっと最初に音頭を取ってくれた友達の掛け声も素晴らしかった。
しかも最小限で済むように10人以上は参加しているグループラインを使った判断もあっぱれだった。
(↑誰が参加しているグループラインなのかよくわかっていない)
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日本に住んでいると色々忘れてしまうけれど、普通に毎日電気がいつでもどこでもあるってすごいなと感じる。
ドミニカ共和国にいた2年間、毎日停電があった。
しかも私の住んでいた地域は、計画停電なんてなかったから、いつ電気が落ちるのかわからなかったし、ランプとランプのためのアルコール燃料は常に常備していた。
髪の毛洗ってる途中で停電して、頭アワアワのまま貯め水を取りに行ったことも何回もあったし、洗濯機を回す時は電気が止まらないことを毎回祈った。
(水は電気系統のポンプで汲み上げるらしく、断水時はもちろん停電時も水がストップする)
ちなみにトイレは、バケツ一杯分の水をトイレに流し込めば流れる(←これは断水時の時の対応)。
断水も毎日あったから、電気も水もないならないなりに生活する術があることを学んだ。
今変なことを思い出した。
首都の大きなスーパーとかには、「トイレットペーパー専属の従業員」というのがいた。
便座まで盗難が多発する国(←便座がきちんとあるだけで毎回感動してたレベル!)ゆえ、トイレットペーパーも盗難対象なのは当たり前だった。
それを防ぐために、トイレの前には暇そうに1回分の使用量の長さにトイレットペーパーをひたすら切ってトレイに入れて、客がきたら手渡すみたいな人がいた。
1個じゃ足りない時はいちいち申告しなきゃで面倒ではあったけれど、まぁそれも今振り返ると面白い光景だったなぁと思う。
地震や他の自然災害はないに越したことはない。
でもこういう時、人と人は繋がる。
普段グループラインとか超面倒くさいと思っているけれど、今回ばかりは逆にグループラインっていいなぁと思った。
ちなみに普段私が使うグループラインは家族間だけで、そのテンションの下がるグループは1つだけで、他は緊急時にだけ発動するから、基本はすっきりとしている。
テンション下がるグループラインが1つだけというのも今わかった。
私はSNSの類いは本当に苦手だし、個人的に連絡取りたい人たちとはガチに個人で連絡を取るから、そして仲良くしてる人たちでSNSやってる人たちは私がノータッチなのは知ってくれてるから、用事があれば直で連絡をくれる。
前回の大阪の地震の時もそうだった。
そこで繋がる。
その時に大きな揺れの場所にいた友達が「こういう時に連絡くれるってすごいことなんだよ!」と言ってくれた。
1人の小さな言葉は、時に大きなものになる。
別に大きなものを目指して声を出すわけじゃない。
でも予想外に喜ばれたりすると、言葉を発して良かったなと思う。
最近私は、ある人に「私の言葉の何に癒されるのか?」と聞いた。
そこには癒しの要素はない。
癒そうと意図して言葉を言ってるわけじゃないから、余計と「何にどう癒されてる」のかが気になった。
私の日常の何てことない話の中には「昨日と同じ今日の中の、昨日と違う今日がそこにある」ことがわかるらしい。
それが癒しの理由だと教えてもらった。
究極のところ、人は本当の意味で何か繋がりが欲しいんだと思う。
少なくとも私はそうだし、多分あの苦手なグループライン(の1人)もそうだと思う。
これは私が思うやり方だけれど、余計なことはごちゃごちゃ言わず真っ直ぐに出す方が伝わる気がする。
言われてみれば、北海道の友達が電気屋さんで電気を分けてもらった、と言う方がテレビの報道の何十倍もの欲しい情報をくれる。
そして、それを聞いた私や他の人たちも「あぁ見えないけれど、無事なんだな」ととりあえずわかる。
今回みたいに、「電気」という今や欠かせないライフラインが不安定な時、判断がすごく難しい。
変な話、影響のない地球の裏側のアメリカ大陸にいる友達の方が連絡を取りやすかった。
道内にいると知ってるからこそ、安易に判断できなかったし、連絡するのもためらわれた。
そんな折にささっと連絡の音頭をとってくれる人がいたり、ネットという素晴らしいツールで一気に無事を知れるのはとてもありがたいことだった。
たくさんは要らない。
たった数行のやり取りが心をいっぱいに満たしてくれる瞬間もたくさん見てきた。
今回みたいな甚大な被害を出している天災の時に不謹慎だとはわかっているけれど、こういう時の人との触れ合いに癒される。
そして人から元気をもらう。
生きていると面倒くさいことも面倒な人間模様も多々あるけれど、それでも人からパワーをもらう時が必ずある。
非常時に相応しくない話かもしれないけれど、本当に私が感じたことはここに書いたことだった。
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