>>>2018年8月23日
いつぶりか知らないけれど、mixiの日記を夜寝る前に開いた。
塾に勤めてた当時の日記がいくつか続いた。
「ねぇ、この空気感は先生(=私)とだから作れるんだよ」
この言葉を読んで、これを言ってた子が誰だったのか気になった。
布団に入っていたから朝起きたら過去の日記帳を見てみようと思った。
>>>2018年8月24日
朝起きてから当時の日記帳を開いた。
日記帳にはほとんど何もなかった。
でもどこかに書いた記憶がある。
クローゼットの中からノートを保管しているダンボールを出した。
すぐに出てきた。
当時の私にありがとうと言いたい。
当時、毎週毎週、1人振り返り会みたいなのを開いてた。
好きなおやつとコーヒーとを木のテーブルに広げて、1週間印象に残ったことを箇条書きにして書いていた。
これは楽しくて2年ほど続けた。
そこにきちんと残されていた。
言葉の主はカンナちゃん(仮名)だった。
そうかなと思ってはいたけれど、やっぱりそうだった。
カンナちゃんの言葉「空気感」を見た時に、一気に色んな場面があれもこれもと言わんばかりに出てきた。
私が注目したのは、好きな空気感と苦手な空気感だった。
それを思い出すままに思い出してたら、ハッとなった。
「空気感」…これが私のこれから先のテーマの大きな軸だと感知した。
動き出すタイミングの前に来ている。
心の毒出しを7月の終わりから始めて、色々と強烈な時間はある程度過ぎ去ってくれた。
私の当初の予想としては、そこが抜けたら多少は動き出すかな…と思っていた。
ところが動き出さない。
相当焦ったけれど、動きそうにもない自分を何とかするのは、正攻法では無理だと堪忍した。
そこで私は何を始めたかと言うと、思いつくままに出てきたものをノートに書き出した。
「思いつくままに出てきたもの」と書くとプラスなイメージだけど、私が書いたのはひたすら暗くてネガティブなことばかりだった。
でもそれを書いて出さない限りはその奥では自分が本当は何を考えているのかわかりそうにもなかったから、とにかくジャッジせずにひたすら書いた。
そうこうしてるうちに、ある本に行き着いた。
その本は、その書き続ける少し前に、ものすごく遠いTSUTAYAで見つけた。
60キロ以上家から離れている。
そのTSUTAYAには全く用事がなかったけれど、そのTSUTAYAの姿が何度も頭に浮かんでいた。
洗顔ソープを買うために出かけただけの日だったから、ついでに寄るのは問題なかった。
3回目か4回目に訪れたそのTSUTAYA。
自分の気になりそうな場所はチェックしたものの何もなかった。
何でここ来た?なんて思いながら私は車に戻ろうとしてた。
あの通路も意図的に通ろうと思ったのかは覚えていない。
私はその時、女性向けエッセイ本のコーナーの前の通路を歩いていた。
近所のTSUTAYAなら絶対に行かないコーナー。
だけどその時は普段使いしないし店の配置も知らないTSUTAYAだったゆえ、その前を通ることになった。
数冊積まれていた本の著者の人の名前が目に入った。
吉元由美さんと言って、平原綾香の『Jupiter』の作詞家の方。
私が20代の頃、だからJupiterがヒットするうんと前から、その方の本を何冊も読んで生き方や考え方を参考にした方だった。
自分の中の懐かしさも手伝って、山積みされてた一番上の本を手に取ってパラパラっとめくってその場で少し読んだ。
その方の本でなければ絶対に手に取ることもなかった。
ちょっとしか見てないのに、すぐにこれが大事な内容だとわかった。
その方はその本の中で「ミッドライフ・クライシス」、要は中年の危機の乗り越え方をとても丁寧に説明してくれてた。
私はそれを見て、初めて自分が「中年の危機」にあると認識できた。
30歳から始まったこのどこにも落ち着かない感じの迷いまくりの生き方は、危機にしてはやたらと長いから、単に自分の生き方のセンスや生き癖かと思ってた。
だけど読めば読むほど、「もしかしてこれは『中年の危機』というやつなんじゃ⁉︎」と感じた。
吉元由美さんは自分の実体験とその時に得た色んな方法をとても丁寧に説明してくれてた。
その時はパラパラ読みだったけれど、また数日後、今度は近所のTSUTAYAでもう一度同じ本を見た。
今度はもっとじっくりと読んだ。
中年クライシスの抜け方の1つとして「自分史を書く」とあった。
23日から自分史を書き始めた。
1日で20ページぐらい書いた。
書いてるうちにちょっとずつ気になるポイントが浮かび上がった。
それとmixiとは全く関係のない話だったけれど、「mixi」という言葉が出てきて、懐かしくなって開いて、その先にカンナちゃんの言葉が出てきた。
mixiの日記を開いたことで、色んなことが1つ、また1つと繋がった。
そして、「空気感」というキーワードが出てきたわけだけれど、その時にもっとすごいことに気付いた。
カンナちゃん、だから私の夢に出てきたんだとわかった。
多分8年越しの話。
その全てが繋がった時に私は号泣した。
>>>2011年冬休み前
学期末恒例の成績調査を私はしていた。
終業式の日以降、子どもたちには最短で来る日に通知表を持参してもらう。
それを子どもと一緒に見ながら、成績が上がった部分や次の課題なんかを話す。
教務机みたいな机の上で子どもと向かい合ってするけれど、その通知表を私は転記しながら話もするからとにかくせわしない。
その時は目の前に小学生の男の子がいた。
その子とやりとりしている最中、ついたて代わりの大きなキャビネットの向こう側からカンナちゃんが私を呼ぶ声が聞こえた。
私は成績調査もカンナちゃんの声も一気に飛んだ。
驚いたなんてもんじゃなかった。
その瞬間と同じ瞬間を私は知っていた。
デジャブじゃない。
なんとそれと同じシーンを私はそのもっともっと前に夢の中で見ていた。
それはカンナちゃんが入会してくるうんと前だった。
夢の中で私は小学生の男の子の成績調査をしていて、目の前の男の子はたしかにその時すでにいた子ではあった。
候補は2人いるけれど、今となってはどちらの男の子かは忘れた。
でも確実に2人のどちらかではあった。
その時にキャビネットの向こう側から中学生女子の私を呼ぶ声がした。
呼ばれてるのはわかったけれど、その女の子は知らない子だった。
夢にしてはやたらとリアルだったから、私は起きた時、現実の仕事の延長みたいでグッタリとした。
夢の中ですでにガッツリ仕事をしたにも関わらず、起きたのが朝で現実的には何も仕事をしてないのがものすごく残念だった。
疲れきったけれど、気を取り直した。
やたらとリアルだったから記憶にも鮮明に残った。
その夢は記憶の片隅にずっとあった。
けれど、そんなの思い出すメリットもないから思い出したこともなければ、カンナちゃんが塾に入ってきた時もその夢自体忘れていた。
しかも、夢の中に出てきた声だけの女の子がカンナちゃんだなんて、その成績調査の日まで全く気付くこともなかった。
それが本当に現実に、夢と全く同じ瞬間として現れた時は、言葉にならないぐらいの衝撃を受けた。
今のところ、後にも先にもこうした予知夢はそれ1つしか見たことがない。
しかも本当に夢の通り過ぎて驚いた。
似てるなぁなんていうレベルではなく、そのまんまだった。
まぁこういうこともあるんだ!ぐらいに思って、私は現実の仕事に戻った。
>>>2018年8月24日再び
「空気感」という軸と、カンナちゃんが登場してきた予知夢とを頭の中で反芻した。
「ねぇ、この空気感は先生(=私)とだから作れるんだよ」
そう言ってくれたカンナちゃん。
ちなみにカンナちゃんは、私の中でとても特別な子だった。
ひいきとかではなく、本当に何か特別な気持ちを自然と感じる子だった。
カンナちゃんはそこにいるだけでいつも私に元気をくれる子だった。
底抜けの明るさと人懐っこさ、カンナちゃんのまとってる空気が私にはすごく心地が良かった。
カンナちゃんは生徒だったけれど、私からしたらその前に1人の人間だった。
今振り返ると、人生で出逢うことを約束していた子、そんな風に感じている。
カンナちゃんは普段から楽しい子でたくさん思い出をもらったけれど、その中で1つとても強く印象に残ったエピソードがある。
カンナちゃんは、中2のある日、「手を使わずに計算できるようになりたい」と言った。
数学が全くできないというわけでもなかったけれど、とにかくたし算とひき算は手を使わないとできない子だった。
本人が突然気になったのかそんなことを言った。
だからやり方を教えて(私も小学校1年生のさんすうの教科書を見て確認した)、それでしばらく毎回10問、たし算とひき算を私が適当にノートに書いて宿題として出した。
余談だけれど、私も小学校3年生でそろばんを習うまでたし算とひき算は壊滅に近いぐらいできなかったから、未だに普通のたし算とひき算のやり方を知らない。
今でも私は、たとえ一桁のたし算やひき算でも頭の中でそろばんをはじく。
そうしないと答えを出せない。
だからカンナちゃんに説明する時に1年生の教科書を見たのは、私もやり方がわからなかったから。
読めばわかるし、説明もできたけれど、私も普段そんな風に計算してないから、このやり方やりにくいなぁとは感じた。
それでしばらくやっていた後、カンナちゃんから言われた。
「ねぇ先生、カンナもうたし算とひき算の練習やめて、またこれまで通り手でする!」
「どうしたの?」
「だってさ、手を使わないやり方はやりにくいし、すごい間違うんだよ!
手でやる方が絶対に間違わないし速いから、また元のやり方に戻すことにした!」
私はその考え方に大賛成した。
そしてそこにカンナちゃんのすごさがあった。
カンナちゃんだって指を使って計算することは、自分でも多少変わってるという認識はあったと思う。
だけど、カンナちゃんはそれを恥じてはなかった。
むしろそれを「自分のやり方」として受け入れていて、自分にとって一番やりやすくて正確にできる方法だからという「自分中心」の理由を堂々と説明できる姿はあっぱれだった。
周りや世間ではなく、自分に合わせることができるカンナちゃんは、本当に芯の強い子だと感じた。
しかもそれを普通に誰の前でもそうできる。
何せ本人があっけらかんとしていたから、誰もからかう人もいなかったし、学校でもそのキャラのようで、指計算を理由にいじめられるというような要素はゼロだった。
普段はめちゃくちゃ明るいけれど、大切なところは絶対に筋を通す子で、その時は表情が一瞬だけ変わる。
そういうところも私はすごく好きだった。
そんなこんなを思い出した時に、カンナちゃんが2010年頃のいつかの夜、私の夢に出てきた理由が突然わかった。
カンナちゃん夢に登場(2010年)
↓
カンナちゃんと現実に出逢う(2011年)
↓
成績調査の日、あれが予知夢だったと知る(2011年)
↓
私が辞めると知ると、「ねぇ、この空気感は先生(=私)とだから作れるんだよ」 と伝えてくれる(2012年)
↓
2018年の夏、カンナちゃんの言葉から私の生きるヒントをもらう
あのいつかの成績調査の日、夢が現実と同じになって、その時には単に「あれは予知夢だったんだ」で終わってた。
でも本当にカンナちゃんが夢に現れたのは別の理由だったと今は思う。
カンナちゃんは、私にとってとても大切なメッセンジャーだった。
カンナちゃんは、私の人生の中でとても大切なものを私に気付かせるために現れたんじゃないかとさえ思ってる。
しかも、私は言われた当時、6年前の時は単に喜んで終わりだった。
「ねぇ、この空気感は先生(=私)とだから作れるんだよ」
なんて、私の仕事の中で一番の褒め言葉だった。
私は売上も営業成績も全く興味がなかった。
それで表彰されても喜べなかった。
だけど、カンナちゃんが言ってくれた言葉は、生涯を通じて何度見ても嬉しい気持ちにさせてもらえる。
その時はすごく喜んだことは覚えているけれど、長いことこのカンナちゃんの言葉は忘れていた。
この2日ほどで取り組んだ「自分史を書く」ことは、ある程度までは良かったけれど、途中で息切れを起こした。
大学ノート20ページも書けば疲れるし、集中力ももたない(20ページ書いただけでも相当な集中力だとは思うけれど)。
書けば書くほど、自分の中の細かいことは色々出てきても、結局一番知りたいことからはますます遠ざかる感じがしていた。
そんな折にカンナちゃんの言葉がやってきた。
そして、カンナちゃんの言葉を通じて、自分が人生で本当に大切にしたいと感じてこれまで大切にしてきた軸の部分が見えた。
言葉にすれば「空気感」だけれど、これにはもっと色んな意味と気持ちが入っている。
そして私はこの「空気感」こそ、自分がこれまでの人生で色んな形で体験して、その良いものもそうでなかったものもたくさんたくさん経験をしたものだと知った。
例えばあの時カンナちゃんがとっさに言った言葉が「悲しくなる」とか「寂しくなる」とかであれば、今見ても響かなかった。
だけど、カンナちゃんは私としか作れない空気感だと言った。
それは私とだから作れると。
場所は塾で、本来の目的は「勉強」で、普通に考えて空気も何もあったもんじゃない。
だけど、カンナちゃんは、勉強でも塾という場所でもなく、私とカンナちゃんで作る雰囲気を大事に思ってくれていた。
そしてそれをカンナちゃんは、私に言葉を使ってきちんと伝えてくれた。
真っ直ぐに思ったままにカンナちゃんはその言葉を私に向けてくれた。
最高のプレゼントだった。
色々思い出していく中で、それはカンナちゃんとの間だけで起こったことではないと気付かされた。
私は色んな職業に色んな人間関係に身を置いて、それこそ仕事もプライベートも関係なくひたすらしていたのは、その空気感にまつわる物語を紡ぐことことだった。
それは空気を誰かと一緒に作ることもある。
黙って空気を読むことだけに徹することもある。
居心地の良い空気なら、「今最高だね」と直接口に出すこともある。
悲しみの空気を一緒に吸う時は悲しみを分け合う。
喜びの空気の時はもっともっと空気を拡大させる。
沈黙を共有する静かな空気もある。
空気を感じ、空気を作り、空気を味わい、空気を分ける。
実はずっとずっとそういうことをしていたことに初めて気付いた。
だからカンナちゃんが言ってくれた「ねぇ、この空気感は先生(=私)とだから作れるんだよ」 は、本当に特別な言葉だった。
それは私が生きていく中で絶対に離れることのない自分の本筋みたいなものだし、これだけカオスな私の人生たちに一言で説明できる言葉は、この「空気感」の他に今のところ思い付かない
そして、その言葉にようやく辿り着いたのは今で、それを持ってきてくれたのはカンナちゃんだった。
おそらく8年前と思われるいつかの夜、私の夢の中に登場してきた女の子は、単に私に元気をくれるだけの女の子ではなかった。
それは会えなくなった今も、どこかで繋がり続けていて、そして私の準備が整った今、ようやくメッセージをキャッチできるようになった。
そのノートはずっとずっと手元にあった。
だけど、これは自分の中がある程度クリアにならないと見えないものだった。
夢に出てきた女の子は、8年越しにもう一度今度はメッセージを持って私の元へやってきた。
だからあの日の予知夢は、単なる「その瞬間が現実のものとして現れますよ」という前振りだけではなく、もっと大切な何かを伝えに来る役割を持ってるからね、というタイプのものだったと思う。
私が辞めた紫陽花の季節の頃、カンナちゃんも部活を引退して受験生になった。
その年度の終わる桜の季節の頃、私は後任の方に連絡をした。
受験生だった子たちの進路がどうなったのかと、その子たちの住所を聞いた。
さくらの模様が描かれた絵葉書を買って、合格祝いのはがきを書いて出した。
その時にカンナちゃんが、途中で退会したことを知った。
それもとても変な時期に辞めたとのこと。
受験で多分一番心細くなる時期になる前に辞めていて、カンナちゃんと仲良くしてた子からの情報で、どうやら○○高校に受かったらしい、と又聞きの又聞き状態で教えてもらった。
だから、本当にあの1年とちょっとの時間は、特別に用意された時間だと知った。
いつでも出逢えたわけじゃない。
あの時でなければ出逢えなかった子で、そして予知夢のように事前に自分の存在も知らせてくれてて、さらには何年も経過して私側の準備が整ったら再度またメッセージを届けてくれる、そういう子であったことが初めてわかった。
私が号泣したのは、そのすべてを知りすべての繋がりが見えた時、感極まるものがあったから。
ちなみに私は辞めた後も1年に1回ないし2回はカンナちゃんや他の子どもたちが頭に浮かぶことがある。
今さらだけど、突然思い浮かぶ時、実は「メッセージ持って待ってるからね」のサインだったんじゃないかと思った。
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