人生ですべてが予め計画されてることだったら…。
この話を読んだ時の正直な気持ちを綴りたい。
去年の夏1人の男性に出逢った。
これは1年経った今だから見えてる心の風景として綴る。
去年の夏について書く前に30歳の2009年の夏からの話を書きたい。
30歳だった私は、本当の本当に自分がこれからどう生きたいのかさっぱりわからなかった。
その方向性もわからないままの就職活動はしんどいだけの何物でもなかった。
ちなみに当時、就活と連動して私は大学以降に知り合った友達や友達と呼ぶにはそこまで親しかったわけではないけれど個人的に会うことはできるみたいな人たちに会いまくっていた。
目的は、自分の生き方がわからなくなった私に、色んな人の人生を見せてもらったり話を聞かせてもらえば、自分の生きるヒントになるんじゃないかと思ったから。
数えただけでも20人以上いた。
みんなそれぞれ別の土地にいたり違う人生を歩んでいて、誰から話を聞くのも楽しくて仕方なかった。
みんなそれぞれ悩みつつ目の前の何かに向かいつつ生きていて、肩の力が少しだけ抜けた。
それぞれの人がそれぞれの人生を歩むように、私は私の人生を歩いていくようになる、そう思えたことが一番大きかった。
当時を皮切りに、私は自分がどう生きていたいのかをずっとずっと模索し続けた。
途中途中、色々ずっこけまくるけれど、とにかくそこだけはずっとアホみたいに模索した。
1年また1年と過ごすうちに、本気で1人で生きていく覚悟が必要になって、さらには働き方も考えないといけなかった。
色んなすったもんだの末、2016年37歳の初夏、すべてリセットした。
リセットしたくてしたと言うより、強制終了に近かった。
死にたいとはもう思わなくなったけれど、生きること、生き続けること、何かを選び続けることに若干疲れてはいた。
とりあえずの派遣をして、それが翌年2017年の春で終了。
まだこれをやろう!なんていうものがなかった私は、とりあえずもう少し考える時間が欲しいと思って次の派遣の仕事に行った。
そして去年の夏に九州で友達の結婚式があったから、とりあえず働かないといけなかった。
それぐらいの目先の目的と答えが出そうにもない未来の先延ばしとで行った仕事で、私はとりあえず働ければいいぐらいな気持ちでいた。
出逢いも期待していなければ、我が身のこれからがあまりにも不確定すぎて、不安は山ほどあれど期待や希望なんていう明るいものは一切持っていなかった。
だからそんなところで誰かに出逢うなんていうのは想定外過ぎた。
そこは6ヶ所目の派遣先だった。
私がそれまでに行ったところの派遣先は、どこも名前を出せば知らない人がいないような大企業ばかりだった。
さらに30歳の時に採用された学習塾の仕事(男性9割)、名古屋にいた頃ハマっていた朝活で知り合ったバリバリのキャリアのサラリーマンの男性陣たち、その全てで知り合った男性陣たちを見て、私ははっきりと「生きてる世界が違う」というのはわかった。
やたらと男性が多く通うコーチングスクールに通って、そこで男の人たちとも個人的に仲良くなった人が何人かいたけれど、明らかに自分が一緒にいて居心地の良い男性たちと、職場や朝活で知り合う男性たちとは大きく異なっていた。
きちんとした人たちが悪いわけでは決してなかったし話が面白い人たちもたくさんいたけれど、何かが根本的に合わなかった。
これはその人たち個人の性格的なものにもよるけれど、きちんとした企業にお勤めの男性たちを私は何人か怒らせたり不快にさせたことがある。
相手の怒りスイッチとか不愉快スイッチが何かなんてわからないまま、私は地雷を踏んでる。
ちなみに一番怒らせたのは、朝活で知り合った方で、
「お仕事何されてるんですか?」
「デンソーです」
「デンソーってどんなお仕事ですか?」
だった。
私みたいにわからない人のために、「デンソー=DENSO」という企業。
DENSOという企業を知らなかった私が悪いとは思わないけれど、相手は明らかにムッとしてた。
塾の時の男性陣たちは、良い人や尊敬できる人もたくさんいたけれど、変わってる人や苦手な人も同じぐらいにたくさんいた。
そしてどこを見ても男性という環境下にいたにも関わらず、私はそこで一度もときめくことがなかった。
良い人や尊敬できる人は、異性ではなく「人」だった。
大学時代の男友達や協力隊の時の男友達の大半はサラリーマンだけれど、その人たちはその人たちで、日本社会に適応してることが本気ですごい!と思うぐらいに個人で会うとかなりぶっ飛んでる。
だけどその手のタイプの人には派遣先で会うことがなかった。
だから私は派遣の仕事は「仕事」以外の何物でもなくて、そこで出会いなんて全く期待すらしたことがなかった。
さらに言えば、当時勤めた会社に最初「企業見学」という名の面接のようなものに行った時、私は建物に入ってすぐに「男臭っ!」と思った。
これまでどの職場でも当たったことのないにおいで、それだけで男性が圧倒的に多い職場だということだけは簡単に予想できた。
ミーティングルームに入った時なんか、さっきまで誰もいなかったはずなのに、その男臭いにおいは部屋の中に充満していて、こんなところで働くんだ…と思ったらややテンションは下がった。
(慣れとはすごくて、入ったら入ったで気にならなくなった…)
何の話をしようとしてたのか忘れそうなぐらいに話がそれたけれど、そのぐらい期待していないどころか、自分のことにいっぱいいっぱいな状態で行った仕事だったから、そこで誰かに会うなんて考えてもいなかった。
不慣れな仕事すぎて、入ってしばらくは仕事に手一杯で周りを見る余裕なんて全くなかった。
さらに1日中何も喋らない仕事自体が初めてで、それも苦手だった。
そんな風だったから、まさかそんなところで自分の人生が大きく変化するきっかけとなる人に出逢えるなんて思ってもいなかった。
ちなみにその人に出逢った後、この1年で私は飛躍的に変化をした。
・ペンジュラムの性能がぐっと上がる
・自分の名前と「書くこと」が繋がる
・カタカムナ文字を知る(これは本だけ買って、学びはストップしている)
・オルゴナイトとの出合い
・ホロスコープの学びスタート
・ペンジュラムによる遠隔読み取り開始
・物との対話を始める
・人の潜在意識や魂からその人のヒントをもらってそれを本人にフィードバック
・ヒーリングについての学びがちょこちょこスローペースにてスタート
ホロスコープやヒーリングは第三者から学んではいるけれど、他は1人でも勝手にできるようになって(しかも練習もせず)、かなり戸惑った。
ホロスコープにしても、独学で始めたにしてはいきなり最初からかなり深いところまで見たから、知識ゼロの素人が到達するポイントとは違う気がする。
後天的に身に付けるものの中で、いきなり結構なハイレベルのことができる時、それは今の人生で必要があってそうなってる気がする。
という経過を経て思うこと。
その人は私の色んな可能性を、それもずっと眠っていて私自身もあることさえ知らなかったものを呼び起こすために私の中の蓋を開ける、そういう役割も兼ねてたんだと思う。
ここまでは自分なりに見つめてきたこと。
ここからは自分の心情。
抵抗がある人もいるかもしれないけれど、私はそうやって考えないと自分の中でかなり無理があるから、ここから先は2つの自分を出して話したい。
「人間の自分」と「魂の自分」。
私が分けるのは意味がある。
上に色々書いたけれど、私ははっきり言ってその手に入れたどれもが求めたものなのかと言われると、どれも求めていなかった。
もしそれら全部がなくなる代わりにその人と一緒に生きる道があるなら、私は喜んで手放すし、喜んでその人の元へ飛んでいく。
これは人間の私が本気で望んでる。
だけど現実は、色んなものがもたらされ開花したのはいいけれど、肝心の人がいない。
しかももたらされたものは、私もどうしていいのか、いやどう使うのかはわかっているけれど、それを本気でやろう!という覚悟は全く決まらない。
今の私には「やっても苦、やらなくても苦」という風にしか映っていない。
だけどこれだけのものが来たということは、もうそうした道の方向なのかな…と思う。
そして、それはたとえ「人間の自分」が望んでいなくても「魂の自分」が望んだことなら、なんとなくわかる気がする。
一般的にスピの世界で言われることは、魂の感覚は人間としての感覚とずい分違うこと。
例えば、人間の私は好きな人と一緒にいて日々の小さな生活を守ることに並々ならぬ憧れがある。
だけどどれだけ強く望んでも、やっとそういう人に出逢えた!となっても、とにかくそこは叶わない。
反対に、この1年でやってきたものたちは、確かに興味深いし面白いものではあるけれど、本気で望んだものかと言われると「いや、違うよ」としか言えない。
むしろ「何でこれ来た⁉︎」とさえ思う。
しかも好きが高じて来たと言うより、自分の中のものを明らかにしようと詰めていったら行き着いた、という感じ。
自分の中のモヤモヤ感は、大体奥の方からくる。
それは魂の自分の訴えのように感じる。
だから、どうしていいのかもわからない自分の中にあるものがわかっても、満たされた感はあまりない。
人間の自分が欲してるものとはズレてるから、仕方ない。
こんなことが書きたいんじゃなかった。
本当に書きたかったこと。
私にこれだけの影響が出たわけだから、もしかして相手にとっても私の登場は何かビックリするものがあったんじゃないのかな…と。
エネルギーの法則ではないけれど、片方にだけ影響が出る、しかもここまでの影響が出るというのは、一般的に考えにくい。
相手にとってのビックリや影響は負のものに満ちてる可能性も高いけれど、私の心の蓋が開いたようにその人にも何かあったのかもしれない…、生まれる前に人生を計画してくるという話を読んだ時にそう思った。
私がひたすらひたすら願ったのは、その人と繋がることだけだった。
決して能力的なものをもたらして下さい、なんて一言も願っていない。
でも結果的にきたのはそちらだった。
しかもヘビーな感じで心が躍ることはない。
去年のように「お盆休み早く終わらないかな♪」みたいな楽しみはない。
この1年は、常に心の中に大きく空いてしまった穴を埋めようと必死だった。
満たされない穴は満たされないままで、そして私は怖さもあった。
私は24時間ずっとその人が頭から消えない感じなのに、その人はその人で新しい生活に入ってさらにはもうそれが日常と今は化してるだろうから、その人の中で何でもない私というのもすごく嫌だった。
関係がない…これが私にはすごく悲しくて未だ受け入れられない自分がいる。
だから膜を張って遠くにしたのかもしれない。
この話を読んだ時の正直な気持ちを綴りたい。
去年の夏1人の男性に出逢った。
これは1年経った今だから見えてる心の風景として綴る。
去年の夏について書く前に30歳の2009年の夏からの話を書きたい。
30歳だった私は、本当の本当に自分がこれからどう生きたいのかさっぱりわからなかった。
その方向性もわからないままの就職活動はしんどいだけの何物でもなかった。
ちなみに当時、就活と連動して私は大学以降に知り合った友達や友達と呼ぶにはそこまで親しかったわけではないけれど個人的に会うことはできるみたいな人たちに会いまくっていた。
目的は、自分の生き方がわからなくなった私に、色んな人の人生を見せてもらったり話を聞かせてもらえば、自分の生きるヒントになるんじゃないかと思ったから。
数えただけでも20人以上いた。
みんなそれぞれ別の土地にいたり違う人生を歩んでいて、誰から話を聞くのも楽しくて仕方なかった。
みんなそれぞれ悩みつつ目の前の何かに向かいつつ生きていて、肩の力が少しだけ抜けた。
それぞれの人がそれぞれの人生を歩むように、私は私の人生を歩いていくようになる、そう思えたことが一番大きかった。
当時を皮切りに、私は自分がどう生きていたいのかをずっとずっと模索し続けた。
途中途中、色々ずっこけまくるけれど、とにかくそこだけはずっとアホみたいに模索した。
1年また1年と過ごすうちに、本気で1人で生きていく覚悟が必要になって、さらには働き方も考えないといけなかった。
色んなすったもんだの末、2016年37歳の初夏、すべてリセットした。
リセットしたくてしたと言うより、強制終了に近かった。
死にたいとはもう思わなくなったけれど、生きること、生き続けること、何かを選び続けることに若干疲れてはいた。
とりあえずの派遣をして、それが翌年2017年の春で終了。
まだこれをやろう!なんていうものがなかった私は、とりあえずもう少し考える時間が欲しいと思って次の派遣の仕事に行った。
そして去年の夏に九州で友達の結婚式があったから、とりあえず働かないといけなかった。
それぐらいの目先の目的と答えが出そうにもない未来の先延ばしとで行った仕事で、私はとりあえず働ければいいぐらいな気持ちでいた。
出逢いも期待していなければ、我が身のこれからがあまりにも不確定すぎて、不安は山ほどあれど期待や希望なんていう明るいものは一切持っていなかった。
だからそんなところで誰かに出逢うなんていうのは想定外過ぎた。
そこは6ヶ所目の派遣先だった。
私がそれまでに行ったところの派遣先は、どこも名前を出せば知らない人がいないような大企業ばかりだった。
さらに30歳の時に採用された学習塾の仕事(男性9割)、名古屋にいた頃ハマっていた朝活で知り合ったバリバリのキャリアのサラリーマンの男性陣たち、その全てで知り合った男性陣たちを見て、私ははっきりと「生きてる世界が違う」というのはわかった。
やたらと男性が多く通うコーチングスクールに通って、そこで男の人たちとも個人的に仲良くなった人が何人かいたけれど、明らかに自分が一緒にいて居心地の良い男性たちと、職場や朝活で知り合う男性たちとは大きく異なっていた。
きちんとした人たちが悪いわけでは決してなかったし話が面白い人たちもたくさんいたけれど、何かが根本的に合わなかった。
これはその人たち個人の性格的なものにもよるけれど、きちんとした企業にお勤めの男性たちを私は何人か怒らせたり不快にさせたことがある。
相手の怒りスイッチとか不愉快スイッチが何かなんてわからないまま、私は地雷を踏んでる。
ちなみに一番怒らせたのは、朝活で知り合った方で、
「お仕事何されてるんですか?」
「デンソーです」
「デンソーってどんなお仕事ですか?」
だった。
私みたいにわからない人のために、「デンソー=DENSO」という企業。
DENSOという企業を知らなかった私が悪いとは思わないけれど、相手は明らかにムッとしてた。
塾の時の男性陣たちは、良い人や尊敬できる人もたくさんいたけれど、変わってる人や苦手な人も同じぐらいにたくさんいた。
そしてどこを見ても男性という環境下にいたにも関わらず、私はそこで一度もときめくことがなかった。
良い人や尊敬できる人は、異性ではなく「人」だった。
大学時代の男友達や協力隊の時の男友達の大半はサラリーマンだけれど、その人たちはその人たちで、日本社会に適応してることが本気ですごい!と思うぐらいに個人で会うとかなりぶっ飛んでる。
だけどその手のタイプの人には派遣先で会うことがなかった。
だから私は派遣の仕事は「仕事」以外の何物でもなくて、そこで出会いなんて全く期待すらしたことがなかった。
さらに言えば、当時勤めた会社に最初「企業見学」という名の面接のようなものに行った時、私は建物に入ってすぐに「男臭っ!」と思った。
これまでどの職場でも当たったことのないにおいで、それだけで男性が圧倒的に多い職場だということだけは簡単に予想できた。
ミーティングルームに入った時なんか、さっきまで誰もいなかったはずなのに、その男臭いにおいは部屋の中に充満していて、こんなところで働くんだ…と思ったらややテンションは下がった。
(慣れとはすごくて、入ったら入ったで気にならなくなった…)
何の話をしようとしてたのか忘れそうなぐらいに話がそれたけれど、そのぐらい期待していないどころか、自分のことにいっぱいいっぱいな状態で行った仕事だったから、そこで誰かに会うなんて考えてもいなかった。
不慣れな仕事すぎて、入ってしばらくは仕事に手一杯で周りを見る余裕なんて全くなかった。
さらに1日中何も喋らない仕事自体が初めてで、それも苦手だった。
そんな風だったから、まさかそんなところで自分の人生が大きく変化するきっかけとなる人に出逢えるなんて思ってもいなかった。
ちなみにその人に出逢った後、この1年で私は飛躍的に変化をした。
・ペンジュラムの性能がぐっと上がる
・自分の名前と「書くこと」が繋がる
・カタカムナ文字を知る(これは本だけ買って、学びはストップしている)
・オルゴナイトとの出合い
・ホロスコープの学びスタート
・ペンジュラムによる遠隔読み取り開始
・物との対話を始める
・人の潜在意識や魂からその人のヒントをもらってそれを本人にフィードバック
・ヒーリングについての学びがちょこちょこスローペースにてスタート
ホロスコープやヒーリングは第三者から学んではいるけれど、他は1人でも勝手にできるようになって(しかも練習もせず)、かなり戸惑った。
ホロスコープにしても、独学で始めたにしてはいきなり最初からかなり深いところまで見たから、知識ゼロの素人が到達するポイントとは違う気がする。
後天的に身に付けるものの中で、いきなり結構なハイレベルのことができる時、それは今の人生で必要があってそうなってる気がする。
という経過を経て思うこと。
その人は私の色んな可能性を、それもずっと眠っていて私自身もあることさえ知らなかったものを呼び起こすために私の中の蓋を開ける、そういう役割も兼ねてたんだと思う。
ここまでは自分なりに見つめてきたこと。
ここからは自分の心情。
抵抗がある人もいるかもしれないけれど、私はそうやって考えないと自分の中でかなり無理があるから、ここから先は2つの自分を出して話したい。
「人間の自分」と「魂の自分」。
私が分けるのは意味がある。
上に色々書いたけれど、私ははっきり言ってその手に入れたどれもが求めたものなのかと言われると、どれも求めていなかった。
もしそれら全部がなくなる代わりにその人と一緒に生きる道があるなら、私は喜んで手放すし、喜んでその人の元へ飛んでいく。
これは人間の私が本気で望んでる。
だけど現実は、色んなものがもたらされ開花したのはいいけれど、肝心の人がいない。
しかももたらされたものは、私もどうしていいのか、いやどう使うのかはわかっているけれど、それを本気でやろう!という覚悟は全く決まらない。
今の私には「やっても苦、やらなくても苦」という風にしか映っていない。
だけどこれだけのものが来たということは、もうそうした道の方向なのかな…と思う。
そして、それはたとえ「人間の自分」が望んでいなくても「魂の自分」が望んだことなら、なんとなくわかる気がする。
一般的にスピの世界で言われることは、魂の感覚は人間としての感覚とずい分違うこと。
例えば、人間の私は好きな人と一緒にいて日々の小さな生活を守ることに並々ならぬ憧れがある。
だけどどれだけ強く望んでも、やっとそういう人に出逢えた!となっても、とにかくそこは叶わない。
反対に、この1年でやってきたものたちは、確かに興味深いし面白いものではあるけれど、本気で望んだものかと言われると「いや、違うよ」としか言えない。
むしろ「何でこれ来た⁉︎」とさえ思う。
しかも好きが高じて来たと言うより、自分の中のものを明らかにしようと詰めていったら行き着いた、という感じ。
自分の中のモヤモヤ感は、大体奥の方からくる。
それは魂の自分の訴えのように感じる。
だから、どうしていいのかもわからない自分の中にあるものがわかっても、満たされた感はあまりない。
人間の自分が欲してるものとはズレてるから、仕方ない。
こんなことが書きたいんじゃなかった。
本当に書きたかったこと。
私にこれだけの影響が出たわけだから、もしかして相手にとっても私の登場は何かビックリするものがあったんじゃないのかな…と。
エネルギーの法則ではないけれど、片方にだけ影響が出る、しかもここまでの影響が出るというのは、一般的に考えにくい。
相手にとってのビックリや影響は負のものに満ちてる可能性も高いけれど、私の心の蓋が開いたようにその人にも何かあったのかもしれない…、生まれる前に人生を計画してくるという話を読んだ時にそう思った。
私がひたすらひたすら願ったのは、その人と繋がることだけだった。
決して能力的なものをもたらして下さい、なんて一言も願っていない。
でも結果的にきたのはそちらだった。
しかもヘビーな感じで心が躍ることはない。
去年のように「お盆休み早く終わらないかな♪」みたいな楽しみはない。
この1年は、常に心の中に大きく空いてしまった穴を埋めようと必死だった。
満たされない穴は満たされないままで、そして私は怖さもあった。
私は24時間ずっとその人が頭から消えない感じなのに、その人はその人で新しい生活に入ってさらにはもうそれが日常と今は化してるだろうから、その人の中で何でもない私というのもすごく嫌だった。
関係がない…これが私にはすごく悲しくて未だ受け入れられない自分がいる。
だから膜を張って遠くにしたのかもしれない。
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