2018年5月2日水曜日

60歳、射程圏内突入

20年後の私は何歳なんだろう?

夜の布団の中で突然考え出した。

およそ60歳になる。

これまで60歳は遠い年齢だったけれど、突然射程圏内に入ってきた。

全く遠くなくて、むしろ近ささえ感じた。

20年後ということで、先に逆に20年前に時計の針を戻した。

20歳の私がいる。

その20歳の私があと20回誕生日を迎えるとちょうど今くらいになる。

速すぎやしない?

その速さを感じた途端に60歳が射程圏内に入ってきた。

決してもう遠くない。

そんなに遠い未来ではないところに60歳がある。

私が人生で最初に「時間の速さが変わった」とはっきり自覚したのは小学校6年生の時だった。

これまでとは全く違う時間が流れていて、気付いたら3月で卒業で、その時の速さに驚いた。

大人がよく口にする「時が経つのって速いね」という言葉が子どもながらにものすごく理解できた初めての年でもあった。

20歳の頃、私より年下の友達が「フミコ、20代はたくさん色んなことして趣味を持ったらいいって、◯◯さんから聞いたんや」とある日教えてくれた。

◯◯さんは30歳過ぎたぐらいの女性だったと思う。

私は会ったことなかったけれど、友達はその方から趣味についてこんな風にアドバイスされたらしい。

20代で手を付けた趣味は、その後うんと大人になってからも自分の中に残って、自分の日々の生活の中にささやかな喜びを見出せる、と。

そのためにも今から色々しておくといいよって。

確かにいくつかのことは試した。

20代の時にしてたことは、私の場合30代ではほとんど手を付けなかったけれど、代わりに30代になってからの方が自分の本質に近い趣味を開始することになった。

少なくとも、20代の時に「趣味を持つ」ことの面白さを覚えたから、それはそのまま30代に引き継がれることになった。

ちなみに社会人1年目の終わりか2年目に入ってすぐの頃、人生の大先輩のような先生が、切り替えが下手くそな私にとても大切なことを教えてくれた。

いつかその先生に「休みの日に1日ゆっくり休んだり寝たりしても疲れが取れない」と言った。

当時は不規則勤務な上に週1の夜勤もあって、私はその勤務体制ゆえの疲れなのかとずっと思い込んでた。

でもその先生は違うことを私に聞いてきた。

「休みの日、武士俣さん仕事のこと思い出したりする?」

「最後のやり取りが気になるものだと思い出します」
と答えた。

子どもたちとガチで関わるのは、いい時はそれでいいけれど、悪い時はとことんそれを引きずる。

彼氏彼女や友達と気まずくなって引きずるあの感じにとてもよく似ている。

そうしたらその先生は、
「それよ、それ!
だから疲れが取れないの!
武士俣さん、仕事のことはここの玄関を出たら綺麗さっぱり忘れなさい!
最初はうまくいかなくても、とにかく忘れる、仕事のことは考えない癖をつけなさい!
代わりに休みの日は自分のために使うの。
自分が好きなことしたりするのに使うの!
じゃないとこれから長い人生もたないわよ!」
と言ってきた。

私は今でもその先生にとっても感謝してる。

私はその時からそれを実践するようになった。

無理矢理にでも切り替えた。

切り替えるうちに、切り替えがとても上手くなった。

だから、その後、体が慣れたこともあるけれど、休みの日に疲れることがなくなった。

そんなこんなをしてるうちに、雨の日はお休みの国ドミニカ共和国に移り住んで(←他の日本人の人たちに言ったら、それはぶっしーのところが特別だと言われた)、リーマンショック後のガチの就職活動に、正社員・契約社員・派遣・アルバイト・ニートを全て体験した30代を過ごす。

この20年があっという間で、この感じで次の20年も過ぎるなら60歳はものすごく近い。

いつかの未来じゃなくて、ものすごく臨場感を持って近いと感じる未来にいつの間にかなってる。

22歳の頃、60歳は果てしなく遠く、そしてその頃には間違いなく65歳定年が当たり前になってるだろうなと思った時、43年もあると思った。

それがもう今は25年しかない。

これから私がどんどん自分のテーマに沿って生きたとしても、時間的な長さはそんなにない。

65歳は少し先に見えても60歳はやたらと近い。

「40近くになったら色々考えるよ、これでいいのかな?って」
と、私よりいくつか年上の友達たちはみんな口を揃えてそう言ってた。

私の場合は色んなことが相まってその中年クライシス的なものがもっと早くに訪れたけれど、そんなこんなをしてるうちに40を目前に控え、そして60の地点がやたらとリアルに映り出す。

星読みをする中で、今年2018年に着手したテーマは今後約30年続くという流れを見た時、そのテーマを掘り下げる時間って多いようで少ないんだなと思った。

多分私は30年と言わず、一生自分と添い遂げるテーマだと思う。

死ぬまで現役ではないけれど、そんな気がする。

心の傷の癒しとそれにまつわることたちは、今ようやく「意識」の上に上がってきたけれど、そもそもそれの上にずっと人生があったようなものだから、多分それはこれからも形や関わり方は変わるにしても、テーマそのものはずっとあると思う。

それはそうと、一区切りの60歳というのを見た時に、もうそんなに遠くない「近未来」の感覚が湧いた。

どんな速さかはわからないけれど、少なくともこの20年と同じような感じで時が流れたら、60歳なんてあっという間にたどり着く。

今は全く想像がつかないけれど、時間の流れ方だけは想像できる。

そして何となく、もっと速さに磨きがかかって次の20年は過ぎ去るようにも思う。



明日から1週間ほど2歳のギャングと共同生活を送る。

このギャングは、小さな体のくせになぜか大人たちより体力が有り余っていて、癒しと荒らし(いらし)を同時にもたらす超人的破壊力を持っている。

私たち大人はドラゴンボールにちなんで、「スーパーサヤ人」と呼んでる。

戦闘力は半端ない。

大人数人分の戦闘力を足したってまだその上を行くくらい。

明日からまたたくさんこのギャングから色々学んだらいい。

ギャングは、人生を楽しむ名人で、そして唯我独尊超マイペースを貫く名人でもある。

ちなみにギャング滞在中は、学びじゃなくてひたすら「疲労」がもたらされる。

0 件のコメント:

コメントを投稿