2018年4月20日金曜日

特大奇跡がやってきた日【夜編】~出逢い~

2018年4月19日 夜
大学時代の友達Kちゃんからラインがきた。

Kちゃんとは年に数回やりとりはしている。

会ったのは最後数年前にKちゃんが名古屋に来てくれた時。

だからもう何年も会っていない。

その時はまだスピリチュアルな世界を知った初めてか2年目の年で、まだまだそんなことは誰にも言いたくない時だったから、当然Kちゃんにも黙っていた。

そういう匂いは当然1ミリも出さなかった。

元々私はそういう世界にすごく抵抗があった人だったから、そういう匂いを出さないことにはものすごく長けていた。

その時ももちろんそうした。

私は今回のラインをもらって知ったのだけれど、Kちゃんには3月で仕事を辞めるというのを前もっていつだったかに言っていたらしい。

だから4月に入って新しい仕事はどう?体大丈夫?みたいな内容になっていた。

最初迷った、何て返信しようかと。

Kちゃんは少なくともこの数年私が派遣の仕事を中心に職を転々としてるのは知っている。

それについてどうこう言う人でも思う人でもないからそこはどちらでもいい。

私にとってKちゃんに本当のことを言いにくいと思っている最大の理由はそれじゃない。

Kちゃんは臨床心理士をしている。

もうかれこれ10年はその道でやっていると思う。

大学の時に心理学を専攻していて、その後少し社会人をした後に大学院に入り直してそれで最終的に臨床心理士を取得してその後からは現場で働いている。

私は大学時代のKちゃんも知っているし、勉強が大嫌いなのも知っている。

Kちゃんは大学院時代のことも「これが本当に人生で最後の猛勉強だからやるけれど、もう二度とはやりたくない」と何度も言っていた。

そして心理学専攻の大学院の同期たちを見て「本当にああいうところに来る人って変な人たちばっかりだよ。自分も含めてこんな人たちが心の専門家になっていいものかと本気で疑う」と真面目に言う人で、そんな人が心の専門家だなんてとってもいいなぁと思っていた。

それはさておいて、それこそバリバリの理論をきちんと学んでその上で実践を積んでいるKちゃんからしたら、私のペンジュラムとかカードとかその他よくわからないことたちがどんな風に映るのかと思ったら、それはものすごい怖いことだった。

誰よりも言いたくない人と言ってもいいぐらいだった。

でももういよいよ誤魔化せないぐらいに自分の気持ちの方が固まりつつある。

これから先、どの時点で本当に始動してそれで本当にやっていくのかいかないのかは時間の問題だと思う。

仮に仕事にしなかったとしても、もう私の中では一生付き合っていくテーマだから隠すのは難しい。

さらにずっとずっと今後も付き合いが続くとなれば、なおさらいつかの時点では告白しないといけない。

最初また適当にごまかして返信することも考えたけれど、もういつまでもこんなことしてられないと思って、私はとうとうKちゃんに今の自分の状態を告白することにした。

もうどう思われてもいいやと思っていた。

そうしたらKちゃんから返ってきた返事はどこまでもやさしかった。


「確かに。目に見えないものは賛否両論を受けやすいし、胡散臭く思われることもあるけれど、それで救われる人がいるのも事実だよね。そういう才能を悪用する人もいるけど、震災後に出会ったエンジェルリーディングができる方とかは、誰かの苦しみを和らげるために、その才能を使ってくれてるんだなぁと思ったよ。史子のことだから、きっと史子もそういう感じなんだろうね(^^)
どんな道に進むにしても、史子が決めたことなら応援してるよ!!
色々軌道にのるまでは大変なこともあると思うから、とにかく体には気をつけて。
あとはあれだね。才能があるがゆえに、色々分かり過ぎてつらくなったり、疲れてしまうこともあるみたいだから、史子のバランスを大事にしてほしいよ。
話してくれて嬉しいよ(^^)
ありがとう」

 

何て素敵な人なんだろうと思った。

Kちゃんが素敵な人なのも、長女で第一子の私からして私のお姉さんみたいな感じになってくれてるのも、ずっとずっと知っていた。

だけどこのスピ全開の私をどう受け止めてもらえるのかは本当に自信がなかった。

Kちゃんを疑うって言うよりも、もし受け止めてもらえない時に自分が受けるだろうショックの方が嫌で、要は自分自分で自分を守るためには黙っていた方が楽だと思っていた。

でもKちゃんを見ていて気付いた。

私は本当の本当に人にはものすっごい恵まれている。

人運だけは最強だと思っている。

結婚運や男運、金運とかそういう世の中でみんながお金を払ってまで祈祷なりお守りなりを買って高めるような運は、私はそういうものを一切していないせいか大凶状態になっている(苦笑)。

だけど、人運だけはものすっごく、もう大吉どころか有り得ないぐらいの運をもらっている。

私の人並みにあるかどうかもわからない人の良さや人徳なんかでカバーできるような運のもたらされ方じゃない。

私の最高に良いものを最大限に出しても全く足りないぐらいなのに、人にだけはびっくりするぐらいに恵まれている。

よくぞ私と友達でいてくれますね!というレベル。

 

しかもKちゃんは私のペンジュラムにも興味を持ってくれて、1つ私にお願いをしてくれた。

Kちゃんの友達でもう長年体調不良の子がいるとのこと。

もし何か癒しになるようなことを知っていたら教えて欲しいと言われて、私は2つ返事で引き受けた。

悪いことはしないから、私の実験にも協力してもらおうと思ってる。

私の実験というのは、ペンジュラムを使ってその人の癒しには何がいいかを聞いていく。

それを今色んな方法で聞き取る練習をしているから、それをさせてもらおうと思ってる。

4月に入って世の中の流れから離脱してから、よくわからないメッセージをキャッチするようになった。

私の場合はあくまでも誰か目の前にいる場面限定でやってくる。

目の前というのは物理的に目の前にいなくても良くて、今回なら今回でどういう人へ向けてのメッセージかというのが特定できていればそれでOK。

だからKちゃんの友達でどういう症状かということしか知らないけれど、情報としてはそれで十分。

そして「何か癒しになるようなこと」が知りたいというKちゃんの前向きな気持ちもいい。

ペンジュラムもぐるぐるとYESに回るから、多分あれこれ聞いたらヒントを教えてくれる。

しかも今何もしていないのが幸いで、その後疲れてもすぐに休めるのはありがたい。

完全に不慣れなことをしているから、多少体の調子が変わるらしく、その後いつも疲れる。

多分慣れてきたら体も順応するだろうから一時的なものとして見ている。

それを試すのにとても貴重な機会だから、とりあえずペンジュラムにあれこれ聞いてみようと思っている。

しかもペンジュラムに聞くにあたって、私は自分専用の聞く資料を作ろうとちょうど思っていた。

毎回頭に浮かんだまま聞くよりも、ある程度内容を一斉に網羅しておいて、そこに答えがあるかどうかを聞く方が効率的だなと思ったから。

この間もオルゴナイトの関係で、特定の感情を特定していくことをペンジュラムを使ってしたけれど、その時に咄嗟に思い付いた感情が4つほどしかなくて、それで感情をできる限り挙げたシートが欲しいと思った。

以前作ったものとそこにプラスしてもう少し足したら、とても良い質問シートに仕上がると思う。

そうすればもっときちんと聞きとれるし、特定する際にももっと細分化して聞けるし、そしてそれは情報をもらう人にとってもより細かなヒントになるからいい。

今回はまた別のお願いだったから、またまた別の質問シートを作ろうと思っている。

毎回限られた脳みその範囲で考えるのは大変だから、それを助けるためのシートという感じ。

とりあえず最低限のシートを用意しておけばそこから何かしら読み取ることができる。

そこに答えがなければ、その後は限られた脳みそを使って考えたらいい。

ちなみにこういう時は考えていない。

ふわっと思い付く感じ。

だからそれはそれで今後も大事にしたい。

自画自賛だけれど、こういう思いつきもすごく好きだなと感じる。

自分のことだけじゃなくて、それがしいては自分以外の誰かのためにもなるというのはとっても嬉しいこと。

オール1の子ども時代や完全なる引きこもりで社会から離れた13ヶ月の時間というのがあったから、自分自身が誰かのために動けるというのは私にとってすっごい喜びになる。

 

というようなプレゼントまでKちゃんからもらった。

本当に話して良かった。

話したからこそ見えてきた世界で、そして新たなヒントがもたらされた。

私にとってもありがたいばかりで、喜んで明日取り組みたい。

 

もう1つ今日はうれしいことがあった。

ハローワークに行く直前に郵便が届いた。

その中に数日前に注文した海部舞さんの本があった。

本体価格1円+著者のサイン付き+状態は非常に良い、さらにはポイントが使えて、トータルで送料込で171円だった。

しかも振込手数料0円で、コンビニでささっと払って終わった。

その本が届いた。

本当に状態はすっごく良くて、サインもついていた。

書き込みゼロで私は思う存分自分のペースで読める。

それだけで涙ものだった。

さらには送られてきたお店は、私が名古屋で最初に住んだ町と同じ区だったという偶然。

もう長くなるからここには書かないけれど、今私の手元に集まっているものたちには面白いストーリーや共通点がある。

今回もそうだった。

 

特大奇跡の今日、私は思った。

「この道で合ってる」って。

だからすごいシンクロも、ありえないような出来事も、そしてありがたいこともたくさん起こる。

それはもう私ががんばってるからじゃない。

そういう道ですよ、といつまでもうだうだぐだぐだしている私に優しく道を示すために起こっているような気がしてならない。

私は今本物の奇跡を見ている。

本当にありえないほどたくさんの奇跡を見ている。

私は知っている。

その奇跡の始まりがどこだったのか。

もちろんその前にもたくさんあったにはあった。

だけど確実に起き方が大きく変わったのは、1年前の6月のある時から。

そう、たった1人の物静かで何を思って何を考えているのかさっぱりわからないのになぜかすごいオーラを発していた人、その人に出逢った時から何かが大きく変わり始めた。

その人が私の人生に登場したことで、何か磁場みたいなのが変化を遂げたんだと思う。

ホロスコープ鑑定でも言われたことだった。

「運命的な出会いを意味する星の配置はありました。史子さんが感じている魂的なご縁で、史子さんのスピリチュアルな能力、過去世の能力を触発する感じの星の配置もあります。」

今ますますその時の言葉が身に沁みてわかる。

自分がその力を出してもいいと自分に許可すると、ますます開いていくのはわかった。

多分これからもっともっと向上していくと思うし、使い方さえ間違わなければ良い方にいくと思う。

でもそれって結局何だったのかと色々突き詰めていくと、やっぱりその人が絶対的なきっかけになっている。

これは私のものすごい妄想で言うのも恥ずかしいぐらいだけれど、でも多分当たっていると思う。

その人とはもう会えないのかもしれないしまた会えるのかもしれない。

もうこれだけ色々起こっているから、本当に縁があるとするならば、再会してもなんらおかしくないと思う。

これは何度か思ったことがある。

で、ここからは妄想の話。

妄想だけど、多分おおかた内容としては間違っていないと思う。

もし、もし、その人と私が普通に付き合おうみたいに去年なってたとしたら…。

これだけは断言できる。

私はここまで自分に向き合うこともなかったし、

ペンジュラムもここまで力を発揮するようにはならなかったし、

自分の持っている力に気付くこともなかったし、

自分の本名をさらしてでもこういう色んな情報を発信しようなんて思わなかったし、

ホロスコープにも出合わなかったし、

人のために自分の持ってる力を提供して癒しを起こすプロの人たちも逢えなかったし、

オルゴナイトと出逢うこともなかったし、

今ある色んな道具や本も手にすることがなかったし、

過去に身に付けた色んな知恵をもう一度復活させることもなかったし、

新たな読み取り技術も手にすることがなかったし、

そして何よりも「自分自身を生きよう」と思うことがなかった。

だからこれだけの距離や突き離しが必要だった。

だって普通に付き合えてたら、私なんかはものすごい専業主婦願望が強いから、せっせせっせとごはんを作ったり家を整えたりすることを喜んでしたと思う。

元々そういうことをするのもすごく好きだから、ましてやそれを自分の好きな人にできるなんていうのは私からしたら夢のような話で、ホロスコープなんて読み解いてる場合じゃない。

おいしいごはんを作るのに時間を割いてた。

感情のシートの進化バージョンを作ってる場合じゃない。

部屋を整えたりそこに置くものを探しに行くのに夢中になってたと思う。

別に結婚とかそういうことを言ってるんじゃなくて、一緒にいる時間を想像すると今していることはひとつもしなかっただろうという意味。

一緒にいるために必要なことしたいことを全力でやっただろう自分が思い浮かぶ。

さらにはブログなんて書かなかったと思う。

ブログよりももっと他に書きたいものがあるから。

もしくはもっと別の何かを2人のためにしたいとそちらにエネルギーを注いだことだと思う。

そう思うとよくできてるなぁと思う。

私にとっては、この別離は本当に辛かった。

辛くて苦しくてそれ以外の何ものでもなかった。

しかももう生涯を通じて会えないとなった時、私はそういう気持ちをどうしていいのかわからなかった。

だから今ここまでくるのに私を突き動かしていたエネルギーが何かと言えば、その人への気持ちとそれが届かなかったことに対する切なさとそしてもう会えないという究極の寂しさだとわかる。

あまり記憶にないけれど、遠くに離れるとわかってから実際に本当に会えなくなるまで私はもう何週間にも渡って毎日泣いてた。

涙が止まらなくてどうしようかと思ってた。

これから仕事に行くって時でさえ、車の中で号泣しながら仕事に向かってた。

いなくなってからもさらに涙は流れた。

どれだけ泣いたって現実はどうにもならないのに、そんなのおかまいなしに涙はひたすら出た。

まじめに自分が異常だと思ったのはそういうこともあったからだった。

どういう人かも知らないのに私バカじゃないのとさえ思った。

そこからもがき苦しんだ末に今のところに辿り着いた。

決して「自分を活かしたい」なんて最初からそんな崇高な精神を持ったわけじゃない。

その反対で、もうどうにもこうにもできなくて、そのどうにもこうにもならないことに目を向けるのがあまりにもしんどかったから、だから私は徐々に自分の方を自分の人生を見るようになった。

だから私にとっては本当に縁のある人だった。

こんなにもただいるだけで私の人生を変える人なんて過去に1人もいなかった。

ましてや本人はそのつもりも自覚もないだろう。

なんだったらもし今目の前にいてそうだったと伝えても、それさえも受け止めてもらえない気がする。

だけど確実に私の人生はそこから大きく方向が変わった。

もう自分でもどうにもできないぐらいの力が動いていた。

それを私の人生にもたらしてくれた人だから、そういう意味でもとても感謝している。

もう会えなかったとしても、多分生涯を通してその人には感謝の気持ちを持ち続ける気がする。

会えなかったらあの世に行ってから「ありがとう」と言おうと思ってる。

出逢いってすごいと思う。

相手に何かをしてあげて影響を与えるというのもすごい。

だけどある意味何もしなくて、ただ存在があるだけで、それで誰かに影響を与えるなんてもっとすごい。

だから私にとってはその人はただただいるだけでいい人だった。

別にその人が無口だろうが、自分の気分次第で相手に冷たくなろうが、人に心を開かないことを徹底していようが、そんなことはその人の性質の一部でそれでマイナスになることはない。

それも全部含めてその人だから。

だからその人がどんなに冷たくしてこようがどんなに避けたそうにしていようが私にはそういう意味で大きな影響はなかった。

心はぐさぐさとなって流血しまくりだったけれど、それでもその人はその人のままだから、うまく言えないけれどそんなことはあまり関係なかった。

その人がどんな風でもその人を大切に感じる気持ちは常に同じだった。

それよりもそんな状態なのに影響を与えまくるその人そのものがすごかった。

そしてそんなすごいものを私の人生にもたらしてくれたその人は、また違った意味での救世主的な役割の人だったんだと思う。

私をとことん自分の人生に向き合わせるための一番の起爆剤になった人なのは間違いない。

そしてどんな姿を見せられてもそれでもその人が大切であるという、そういう気持ちを教えてくれたのもその人が初めてだった。

本当にすごい人が自分の人生に現れたと思った。

そんな人忘れたくたって忘れられないから、だから私はもうそういう自分の気持ちとうまく付き合っていく方法を模索することにした。

とにかく、このすべての奇跡たちの源は、まちがいなくその人との出逢いに起因している。

そして心の中のお守りじゃないけれど、その人の存在があるからこそ私は今自分がそれでも立ち続けて歩き続けているように思っている。

私の生きる、命を日々紡ぐモチベーションになってくれてる人。

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