ずっとずっと気になっていた質問にやっと答えがやってきた。
4月に入ってからハマりまくって調べてるホロスコープ。
このブログに一度書いた、「月星座」なるもの。
(参照:4月6日アップ 『人生を紐解く』
http://viva-vivir.blogspot.jp/2018/04/blog-post_6.html?m=1
←携帯からのアップだとリンク貼れないので、サイトには飛びません)
太陽星座はおなじみの自分の星座。
あの今日の星占いランキングとかいう時に見る星座が太陽星座。
月星座はまた別物で、それはネットで調べると出てくる。
ずっとしっくりこなかった月星座については、月星座と共にそれをタブー意識として持つような設定に私の場合ななっていて(タブー意識を持つ天体が一緒になってる)、それ故に月星座の性格があまり表に出てこなかった、というのはちょうど3週間前に気付いたこと。
まぁそこまでは読みきれるようになった。
だけどまだしっくりこなくて、もう少しプラスの説明が欲しかった。
何かが確実に違う。
その確実に違うと感じるその理由が欲しかった。
多分それがわかると、もっともっと色んなことがわかるようになるんだろうなぁという予感があったから、余計と知りたかった。
そうしたらやっと答えが来た!
先日、60キロと離れた県立図書館で借りて来た占星術の本に最初のヒントがあった。
次に自分が買った占星術の本の1冊にもヒントがあった。
まだ掴みきれない。
次に市の図書館から借りてる占星術の本を読んだ。
なるほどなるほど、やっぱりそう。
そして最後にネットで情報を調べて、もう目から鱗だった。
概論じゃなくて具体的な比喩を用いて説明されてた。
私の太陽星座(魚座)と月星座(獅子座)の関係はこんな感じらしい。
これから2人の選手が対戦するという時。
1人はバット持ってバッターボックスに立つ野球の選手。
もう1人は塩まいて四股踏んではっけよい残ったの相撲取りの選手。
その2人は絶対に同じ土俵には上がらない。
全く何の接点もない2人が同じ場所にいる、もしくは同じ場所にいても接点がないからいることさえ互いに気付かない、そんな風らしい。
または、そもそも別々の分野の2人なわけだから、同じ空間にさえいなくて、それぞれの持ち場にそれぞれが存在している、そんな感じだと説明があった。
それを私の心の中で再現したら、なるほど納得だった。
他にも調べてる例の中にあったもので、よく女の子が彼氏に「仕事と私、どっちが大切なの?」と聞いて、彼氏にしてみたらどちらも大切で、そもそもその2つに順位をつける発想なんてなくて、だけどどっちも大事なんて答えた日にはものすごい罵詈雑言が飛んでくる。
だけど彼氏にしたらその2つを比べる発想すらないから、何で彼女が怒ってるのかそれさえ理解できないみたいな。
他にも本にあった例はこんな感じ。
「犬と猫、どっちが好き?」
「そばとうどんどっちが好き?」
この2つの質問はわかる。
だけど、私のあの意味不明な太陽星座と月星座の関係を表す質問はこうなる。
「犬とうどん、どっちが好き?」
これはもう意味がわからないし、そもそもそんな質問さえ普通に存在しない。
そんなこと言う人がいたら、間違いなく頭のネジが1本確実にない人認定される。
要はそういう2つの全く共通点のないもの同士を自分の中に両方持ってる、というのが私の中にある性質だった。
そして私の場合は、その2つの中の1つにはタブー意識を持っているから余計とそこを出してはいけないと無意識のうちに思って、ますますその性格の部分は影に隠れる。
そのカラクリがわかって、ようやく私は自分の月星座がどこまでもしっくりとこない理由がやっとはっきりとわかった。
何でそこまで執着して調べ上げるのか。
こんな風にして読み解いていくと、自分の中で長年疑問だった自分のことを客観的に見ることができる。
特に、色々ちぐはぐで自分でも理解に困る自分自身について、初めてどうしてそうなのかという根本的な理由を知れたのはとても大きい。
そして、私の場合は、こうした異質の2つのものを同時に持ったり体験することが人生において相当大切な役割を果たしてる。
単に2つを体験してるだけじゃない。
2つを体験して初めて見えてくる世界があって、その世界観を持つことがこれからの私の仕事とか表現に大きく関わってくると私は思ってる(ホロスコープにそんなようなことが書かれている)。
体験して終わりじゃない。
体験は知恵や知識になって、その後また使う用途がある。
先々はさておいても、まずは自分の中のあらゆる矛盾を知り尽くしたい。
私は自分の矛盾を知ったことで、知らなかった時よりも自分に対しての信頼感が高まった。
ちなみに30代にことごとく意味不明なことが起こり、もう自分の努力の範疇を超えて手に負えないようなことたちを体験するのも、設定として元々あったものらしい。
これはまだかなり掘り下げないとわからないけれど、少なくとも私は本来の道から大きく外れたことでそちらに戻るための見えない部分での圧みたいなのが半端なくかかった。
これは2月にホロスコープ鑑定を受けた時に言われた。
30歳前後で基本的には誰しもが自分の生きる道や人生そのものに疑問を持ちやすい。
そもそもそういう仕組みになっているらしい、ホロスコープ的解釈によると。
本来進む道にきちんとハマってる人は、それで問題ないわけだからそのまま行く。
反対に私みたいに大幅に道から外れてる人は、本来の道に行くためにそれはそれはすごい水面下での圧がかかってくる。
だから私からしてみたら何でそんなことになってるのかさっぱりわからないけれど、とにかく自分でもどうにもできない、手に負えないような出来事がわんさかとやってくる。
要は、軌道修正をするため、外部から色んなものがもたらされる(正しくは、私からすれば「爆弾投下される」)。
本来の行く道というのは、生まれてくる前に自分で「今回の人生はこういうことを体験しよう」と決めてきた人生の脚本みたいなの。
「外部」というのはどう説明するといいのかわからないけれど、スピ系の言葉で言えば「宇宙からもたらされる」でも「あなたの守護霊からもたらされる」でも「あなたの魂の願いを聞き入れて起こってる」でも何でもいい(私はどれもあまりしっくり来てないけれど)。
スピリチュアルな話に聞こえるとは思うけれど、私は自分のホロスコープを見て、それがスピリチュアルかどうかなんてのはどうでも良くて、むしろそこに表れたストーリーがまんまと自分の人生に起こっていることに驚いた。
そしてそれを見るとわかる。
私の場合は、本当に道から逸れてたから(アンチ精神世界主義だった)、元々そういうものを設定してるにも関わらず、その要素を一ミリも含まずに生きていたわけだから、それはそれは容赦ない出来事が次々に投入された。
それは投入というより、爆弾投下に近いものがあった。
私の人生に含まれているテーマはあれこれあるけれど、その中のかなり大きなテーマの1つが精神世界もといスピリチュアリズム(?)の実践。
スピリチュアリズムの実践とは何ぞや?って感じだけど、私の中では多分こういうことを指すのかな…みたいなテーマがある。
自分や他の人たち含めて、それが正しい・間違ってるとか、信じてる・信じてないとかいうことではなく、その中で使える教えや知恵なんかをいかに日々の生活に生かして、いかに自分自身を楽にさせられるか・自分を癒せるかということだと思う。
言うなれば、心の不具合があった時に、人に話して楽になるか、出かけて気分転換を図るか、神や仏とかの宗教の何かに祈りを捧げるか、精神科にかかるか、目標達成系の何かで解決を図るか、はたまたスピ系の方法で改善を試みるか、そんなぐらいの差だと私は思ってる。
世間ではまだそんな位置付けには当然ないわけで、その辺りをいかに誰にでもできる、わかる形で表現していくのかも私の今世でやることの1つだと思う。
(さっきの「外部」云々の説明なんかその最たるものだと思う)
ちなみに、
・精神世界に対してタブー意識を非常に強く持ってたこと
・精神世界と現実世界の両方を結びつけて物事を捉えること
・そうして自分で理解できたこと・体験を通して知った精神世界のいろはみたいなのを表現していくこと
そんなことまでホロスコープには表れてる。
ホロスコープにはどこまでも自分が出ているし、例えば生きづらさや社会生活で苦労しやすい点、自分の弱点、そんなのも出る。
でもこの時代の最大の恩恵は、そうしたマイナス的な要素に対して、きちんと探すとヒントも普通にネットや本から引っ張ってこれる。
しかもホロスコープは色んな人たちが情報発信してくれてるから、色んな人たちの見解を得ることができる。
その中で自分がピンときたヒントを自分に使ったらいい。
そして課題のような形で表れてることは、単に苦しみや生きづらさのみをもたらすものではなくて、それを超えた先に意味があって起こることだというのも、私の中で今徐々に結びついている。
私の場合は、自分の中で色々矛盾した性質をあれこれ備えているし、それを組み合わせて発展的な形で自分に良い風に活かすことも1つのテーマになってる。
そういうのがわかったことで本当に一番大きかったことは、無駄に自分や誰か他の人や他の何かを責めなくて良くなったこと。
これまではあまりにも訳の分からないことたちが山ほど起こっていて、自分でも頑張って生きてるつもりでももう本当に何をどうしていいのかさっぱりわからなかった。
自分や誰かを責めても全然楽にならないし、逃げても解決にはならないし、かと言ってそのまま放置も気分的によろしくない。
自分でもかなり色々やったけれど、何かが根本的に足りないというかおかしいというか。
そんなこんなの何年もの修行のような時間を経て、ようやくこのタイミングでホロスコープに出合った。
ホロスコープのおかけで、「自分の人生がそもそもそういう『設定』だった」ということに気付けたことが本当に大きかった。
理不尽な出来事たちも、もう『設定』なら仕方ない。
しかも理不尽なことほど実は大切な体験で、そこからいかに回復するか、自分のために何かをしてあげられるかが鍵になる。
そして『設定』に関して言えば、自分の強みや才能も同時に設定されてるわけで、そこにいかに気付いていかにそれを使っていくかで人生そのものが随分と変わると思う。
さらにはどういう分野に自分が人生の中で力を注いでいくのか、それもとりあえず現段階では分野だけはわかった。
そこはまだ未開拓ゆえに今後どんな体験が人生の中で出現するのかは未知数。
自分自身の解体新書みたいなもので、私が人生で出合ったどんなツールよりも使えるツールだと断言できる!
今度小学校で道徳が評価される教科に変わるとここ数ヶ月のニュースでたまたま見たけれど、そんなものよりホロスコープを必須科目にしたらいいのにと真面目に思う。
それか社会人になってからの新人研修とか中間職研修とかで導入したらいいのにと思う。
訳の分からない一貫教育や善行を促すような又は能力開発的なプログラムより、何百倍も使える。
話があちこちに飛んだけれど(←ちなみにこれもホロスコープに私の性格の1つとして挙がっていた)、熱弁振るうぐらいにホロスコープにハマってる。
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