これからしばらくの学習テーマ
・ホロスコープ
・癒し
・チャクラ・体・心の関係
この3つを完全な独学で勉強している。
ホロスコープは自分のため。
癒しは自分と自分以外の人たちに使っていく知識のため。
最後のチャクラと体と心の関係は、今自分で新しい手法を編み出したところ、それらをもっと具体的に知る必要が出てきて勉強している。
ちなみに私も「チャクラって何?」というところから始めないといけない。
癒しも同様「癒しってそもそも何?」というところを今は掘り下げている。
ホロスコープの本を探しに県立図書館まで私は行って、そうしたらホロスコープだけじゃなく癒しの本も目に入って、それがまさに「知りたい!」という内容だったから一緒に借りてきた。
さかのぼること金曜日。
私は友達に頼まれて、友達の友達に対してオススメの癒しがあったら教えて欲しいと言われた。
その時にふと、前々から試したいと頭に何となく思い描いてたことを思い出した。
完全なる思いつきだから、それが果たしてその友達の友達にとって役立つかは全くわからなかった。
だけど必要な道具(本+自分で作った資料+人からもらった感情一覧表+ペンジュラム)は全部あるし、やり方も多分こうしたらやれるというのが頭の中にしっかりある。
とりあえず物は試しでやってみた。
私がしたのは、その人専用の癒しのレシピを作ること。
やってみてすごく楽しくて、もっともっとやりたくなった。
その日の夜サノさんに会った時、そんなことをしてこれがその人に向けて書いたメッセージですと言って見せた。
サノさんも興味を示してくれたけど、すぐ別の話題に移った。
またそれからしばらく時間が経ってから、サノさんに聞かれた。
「ねぇbushi俣さん、そのさっき見せてくれたのあったじゃん。あれ、もし◯◯さんが自分の頭痛のことを私に相談ではないけれど何かしら言ってきたら、◯◯さんにbushi俣さんのこと教えてもいい?
なんか、◯◯さんにも何かしらのヒントになる気がするし、何となく役立つんじゃないかなと思って」
と言われた。
まさかそんなこと言われるとは思ってもみなくて、そんな風に思ってくれただけでもとても嬉しかった。
私も本人からその強烈な頭痛については話を聞いたから、確かにそれもしかしたら使えるかもしれないと思った。
医者じゃないし医学の知識は皆無だけれど、本人が自分のために普段できることや気をつけることは多分道具たちを使って情報を集めることはできる。
やってみてわかったことは、本当にその人専用のヒントになること。
だから私がヒントを読んでも、自分のことじゃないから全くピンとこない。
本人が情報の通りに何かをするしないは別にしても、その情報を伝えるところまでは私もできる。
サノさんにはもし本当にそんなことがあったらどうぞ伝えてください、武士俣さん石と喋るし、情報もどこから引っ張ってきてるのかわからずめちゃくちゃ怪しいです、ということもきちんと伝えた上で本人の意思を確認してください、とお願いした。
そんなこんなのやり取りもあって、もしそういうことをするならするで、きちんとした形で伝えられるように、もう少し理論的な根拠が欲しいと思った。
なぜなら今回の◯◯さんなんかは特に理系の頭脳派の超頭キレッキレな人だから、その人に伝えるとイメージした時に、これは言葉がいるなと思った。
◯◯さんにしなくても、今後そういう人と会うことになるかもしれないから、今からそのための勉強と準備をするのはありだなと思った。
しかも私も何となくの感覚じゃなくて、もっと自分でも人に説明できるようになった方が相手にも伝わりやすいだろうと思った。
そんなタイミングで、癒しについての本を数冊県立図書館で見つけた。
実際には、書庫保管で一般開放されてなくて、館員さんにお願いして出してきてもらった(10数冊スーパーで使うようなカートに乗って運ばれてきた)。
これまで名古屋の大型書店でも見たことないような本たちが図書館にはあった。
その中で厳選して借りて帰ってきた。
話は変わるけれど、私は30代に入ってから勉強の楽しさを覚えた。
それまでは勉強という勉強すべてに対して苦痛でしかなかった。
例えば英語の勉強も、私は元々赤点スレスレな英語力しかなかったのにそこから日常的に英語を使ってテストを受けたり論文を週一くらいのペースで書くようにになったから、すごい量の英語を詰め込んだ。
はっきり言ってその過程は苦痛の他の何物でもなく、私は世間の人たちが英語を楽しく学んでる姿を見るたびに、何か大きく間違えたと常々思ってた。
相当なレベルまで確かに上がったけれど、もう20年近く自ら積極的に英語に関わりたいとはただの一度も思ったことがない。
名古屋にいる時、派遣会社から一度だけ英語の資料作成とそれに付随するプレゼンをする仕事はどうですかとオファーされたことがあった。
内容を聞けば聞くほど相当なレベルのものが求められてる上、そんなの私は知識がないから家に帰ってまで勉強しないとやれないのが瞬時に想像できて、速攻断った。
スペイン語も必要に迫られて習得したけれど、英語同様ゼロからのスタートで全く楽しくなかった。
ちなみに言語については、「楽しく学ぶセンス」というものはそれだけで1つの才能だと私は思っている。
私にはない。
福祉の勉強もそうだった。
20代の私は資格がこれからは絶対にいると思って、国家資格の社会福祉士の受験資格取得のための通信大学の卒業と、それとは別に個人で保育士の資格取得を目指してた。
ほとんど勉強はしなかった。
しなかったわけではないけれど、家庭内自学は私にはさっぱり向いてなかった。
言葉はわからないし(日本語なのに外国語ですか、これ?のレベルだった)、内容は多岐に渡るし、さらには1つ1つの知識が頭の中で結びつかないから、いつまで経っても知識として定着しなかった。
保育士の試験は忘れもしない。
私はたった1問の正解を逃したが故、3年受けて最後落ちた。
(何科目かあって、各科目ごとに合格は3年間有効で、その3年の中で全科目合格したら良いシステムになってた)
そんなこんなの社会人になってからの勉強と比べて、今のホロスコープとかの勉強は楽しくてたまらない。
しかもどんなに難しくても超必死でわかるまで調べ倒して学んでる。
福祉や保育士の勉強の時には全くなかったことだった。
「好きこそものの上手なれ」ということわざ、本当にその通りだと思う。
好きとか興味があると、それだけでまずは「楽しく学ぶセンス」が自動的に手に入る。
プラスして、好きだからどんどん極める。
もっと知りたい意欲が半端ない。
もう少し独学が済んだら、どこかのタイミングできちんとホロスコープの読み方は信頼できるプロに習ってこようと思ってる。
そこからまた世界が確実に広がる。
これは今だから思うことだけれど、私は20代の頃の社会の価値観に合わせた資格取得のための勉強も無駄ではなかったと思ってる。
自分にとって苦痛なことをしたおかげで、苦痛ではない勉強も世の中にはあることを知った。
そして苦痛ではない勉強は、1人1人の中にしか答えがない。
誰かに「ホロスコープ勉強してみたら!」なんて言われても、多分私は始めなかったと思う。
何だか色んなことが重なった先にホロスコープがあって、自分でもやり出したらすごく面白いことがわかった。
それは完全に個人の好みの問題だから、それはやっぱり本人にしかわからない。
そしてやってみないとわからない。
やったら本人だけは絶対にわかるようになってる。
だから今の私は「これだ!」っていうのがわかる。
確実にこれまでとは違うから。
好きなことは私はどこまでも追究する。
お金も時間も惜しみなく出す(福祉と保育士の勉強や試験のお金はいつも「もったいない、他のことにこのお金を使いたい」と思ってた)。
結果もあってないようなものだから、自分の気が向くままに進められる。
その辺りもとっても気に入ってる。
そして不思議と、それぞれ別の分野なのにそれぞれが交差したり共通したりする点も見えてくる。
多分これからもっと知識を深めると、今見えていない新しい視点が見えてくる気がしている。
少し話が脇道にそれるけれど、ホロスコープをはじめ精神世界やスピリチュアルなことを学ぶこともそもそも私の人生の設定の中にあった。
ホロスコープにそのように出てる。
しかも私の場合は、そちらの世界を極めていく・追究していくのが、人生においてかなり重要な位置を占めている。
ちょっと勉強します程度のレベルじゃなくて、それが自分の癒しだったり自己表現だったり自分の生き方そのものにやたらと直結してるから、だから今してることは本当に理に適ってる。
もちろんそんなことは知らずに私はそうした世界に入っていくわけだけれど、本当に設定通りの人生を生きるのだからそれを表したホロスコープ恐るべし!
話はさらに飛躍するけれど、性格やコミュニケーションの方法なんかもホロスコープから割り出せる。
例えば私ならはっきりストレートに言う言い方をしやすいとか…苦笑。
反対に周りの状況を伺って言いたいことが言えない性質かも…と書かれているタイプもある。
そういう差を知る時、自分は自分のままでいいし、同様に他の人たちも他の人たちでそれがその人の素の部分ならそれでいいんだと思った。
今までは何となくの感覚で人それぞれ!と思っていたけれど、今はそれがその人の設定なんだと思うともっと理解がしやすくなる。
30代の終わりになって、ようやく私は自分の感じることを軸にして何かを選ぶということを少しずつ始めた。
勉強ひとつ取っても、これまでとは明らかに違っている。
世の中に役立つからとか生計を立てるのに社会で認められるのに都合がいいからじゃなくて、自分が知りたいから学ぶ。
このままでは人生が危ないから学ぶというのとも違っている。
ちなみに30代の前半は、どちらかというとそういう理由からスピリチュアルなことを学んだところも大きい。
あまりにも先行き不安すぎて、その不安と向き合うために学んだと言ってもいいくらい。
それはそれで本当に必要だったから良い学びにはなったけれど、今みたいに興味関心に基づいてるのとは違ってた。
だから、舵切りの方向が180度変わろうとしている今、怖いことも焦ることもたくさんたくさんある。
全てが未知の世界すぎて、正直どうなるかなんて全く見通しが立たない。
スピ系の本たちにそう言えばそんなこと書いてあったなと思う。
自分の道に行き出すと、「こうなります」という道しるべはなくなること。
要は1人1人違う経験をするのが普通だから、その後はそれぞれの人のドラマになるみたいな書かれ方をしていた。
この状態も怖いけれど、私は自分の意思のないところでずっと生きていく方がもっと怖かった。
お金のためにも働こうとしない自分を目の当たりにした引きこもりだった頃、本当に途方に暮れた。
自分がお金さえもモチベーションとして働くことをしようとしないと知った時、もう何をモチベーションとしたらいいのかもわからなかった。
当時は今みたいにこんなことを時間をかけてでもやっていきたい、なんていうものもなかったから、したいこともわからない、だけどお金のためだけにも働かない、色んな意味で四方八方塞がっていた。
そういう完全なる足止め期間が数年に渡ってあったから、今本当にやりたくて学びたくて色々勉強できることがたまらなく楽しいししあわせだなと思う。
ここまで来れたことももちろん嬉しい。
多分私は今、もう一度自分の人生を生き直そうとしてるんだと思う。
色んな価値観に押されて訳もわからずにここまで来たけれど、一旦リセットしてそしてもう一度今度は自分の意思で選び直したい、そういう気持ちになってる。
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