2018年4月10日火曜日

チョコと桜と手紙とハーブティ

朝、無性に一粒の美味しいトリュフチョコが食べたくて、ひとつ口に放り込んだ。

美味しい。

大雨から一転、今朝は青空が広がった。

桜を見に行こう。

リュックに幾つかの荷物を詰め込んだ。

毎年桜が咲く頃、読み返す手紙がある。

それもリュックに入れた。

1年前、朝の出勤前に立ち寄った桜並木と同じ道を歩いた。

歩きながら、私は1年前よりも2年前の春にワープした。

2年前の春は名古屋にいた。

そして今朝リュックに入れた手紙は、名古屋で最後に郵便ポストで受け取った手書きの手紙だった。

その手紙を読んで私は何度も泣いた。

心の奥深いところに色んなものが届いて、そのぬくもりが温かすぎて涙腺が緩む。

2年前と状況は全く同じでも、心の中が違う。

2年の月日は、私に確固たるものを1つもたらしてくれた。

彷徨いまくった先にようやくたどり着いた1つの答えだった。


駅前のチェーン店のコーヒーショップでモーニングをする。

桜の季節に読む手紙をリュックから出した。

もう何回読んだかわからないけれど、毎回読むたびに自分の心に響く箇所が変わる。

なんなら、「こんなこと書いてあった?」なんてことも多々ある。

『本当は何が言いたかったのか、心の中にどんな想いがあったのか、そこまではわからないけれど、何かを思いだしたのか、何かを納得するような事なのか、なんでかぶっしぃがそう感じた事をそのまま噛み締めていればいい事のように感じたから。』

私はその友達ともう1人の友達と魚座の会を開催して、その時にその手紙の主にひどいことを言った。

どんなに酒が入っても泣かない私がその時は泣いた。

色々感極まって泣いた。

友達はその時もその翌朝も普段と変わらずにいてくれて、その友達の態度に私は救われた。

でもやっぱり言わなくていいことを言ったからそのお詫びを友達に書いたら、その手紙が来た。

私の中のものが何であっても、そのまま噛み締めていればいい、そう言ってくれてた友達の言葉は今回初めて目に止まった。

今の私を肯定されてるかのようだった。

『電話やメールのある今の時代、わざわざ手紙を書くというのは、何かを伝えたいという自分の為に書くものなのかもしれませんね。』

いきなり敬語になってる友達の言葉が面白かった。

内容はすごく真面目なのに、これまで一度も敬語なんて使われたことないのに、手紙の中で一瞬だけ敬語で、でも普段の色が濃いから他人行儀な感じはなくて、むしろ敬語なのに近く感じた。

手紙を『何かを伝えたいという自分の為に書くもの』と表現した友達の言葉が、今ならものすごくよくわかる。

自分がそれを体験したから、だからこそその言葉がよくわかる。

『その人がいてくれるから、自分の為にその人に手紙を書く事ができる。ぶっしぃありがとう。』

人生のある瞬間に、自分のために誰か他の人に向けて手紙を書く事ができる、それがどんなにすごいことか、友達は2年前に伝えてくれてた。

超詩人のような名言を酒飲みながら書いた友達の姿が思い浮かんだ。

もう二度とはそこで酒を交わせないあの平屋の家で、自分でつまみ作って、焼酎お湯割でも飲みながら書いてそうだなと思った。

ちなみにこの手紙はいつ読んでも泣ける。

そこに思い出と友達の優しさとが手紙の向こうから滲み出てくるから。


ホットのカフェラテを飲み終えて、上の階へ上がった。

オルゴナイトを遠方に大量に送った関係で、シンプルな便箋がなくなったことをダイソーを見て思い出した。

便箋1つだけの買い物だったのに、そこのダイソーのレジの女性がすごく素敵な笑顔で対応してくれた。

ここで買って大正解だった。

そのまま同じ階の大型書店に足を運んだ。

これまで見向きもしなかった占いコーナーに行って、占星術の5000円もする分厚い本を手に取って、適当なベンチを見つけて、そして自分に該当するところだけを拾い読みした。

気になったフレーズをメモしようと携帯を出すと、友達からの着信があった。

仕事のはずだから、最初誤作動かと思った。

念のためかけ直すと、4月から始めた仕事があまりにも合わないのと、当初知らされてた仕事内容とは違っていて、かなり参っているとのこと。

それで今日は仕事休んで私に電話したと話してた。
(ちなみにライン電話だから誤作動なんてことはありえない、本当に必要だと感じなければかけないよ、と説明してもらった)

1時間半後に、新しくできたスーパーの中のカフェで待ち合わせることになった。

私はそれまでの時間、必死で占星術の本とにらめっこして、難しい言葉たちをひたすら拾い集めてた。

時間になって朝来た桜並木を通って駐車場へと向かった。

近くの小学校でクラスの集合写真を撮影していて、その時の女の中堅風な先生の掛け声に引きながら歩いた。

「将来の夢を想像して!
この町のヒーローだという顔をして!」

そのセリフをその先生は何度も大声で言ってた。

私は逆に聞いてみたかった。

先生はどんな顔するんですか?って←私はこういう意味のわからない、リアクションに困るポジティブな発言は好きじゃない。

友達に教えてもらった新しいスーパーは、とても綺麗でそしてeat-inできるコーナーがとても充実してた。

最近滅多に買わなくなったけれど、コンビニやスーパーのおにぎりで断トツで一番好きな具はツナマヨ。

手作りなら梅干し。

だけど既製品はツナマヨ。

何が違うのかよくわからない。

ちなみに友達が作ってくれたおにぎりで衝撃な組み合わせなのにめちゃくちゃ美味しかったのは、おかかとプロレスチーズを1センチ角ぐらいに切ったものをゴロゴロと入れたもの。
(あの四角いチーズは、プロレス?プロセス?何チーズ?)

おかかは醤油と混ぜてしっとりさせる。

私もそれ以来好きで、時々作る。

ツナマヨのおにぎりや50円のサラダ、メンチカツ、友達が買ってくれたほうじ茶ラテにフルーツヨーグルトを口に入れながら友達の話を聞く。

あまりにも寒い店内に、私たちは場所を移した。

友達の家の前の公園の桜が見頃ということで、そこに連れて行ってもらった。

私の車に積まれてた新聞紙持って、コンクリートのベンチにそれを敷いて、また話し続けた。

話してる最中、変なことに気付いた。

それは眠りの浅い友達が自分自身のために何かできないかなと考えてた時のこと。

最初は頭で考えていたけれど、途中「ハーブティ」が出てきた。

私は1回目無視した。

そうしたらその後3回ぐらいリピートするように「ハーブティ、ハーブティ、ハーブティ」と声とは違うけれどとにかく執拗に出てくる言葉をキャッチした。

さすがに変だと気付いて、話聞きながら片手でペンジュラムに質問して(この友達はペンジュラムを何回も見てる)、それでその人の眠りにとってハーブティが手助けになるとの回答を得た。

私も意味がわからないから、とりあえず自分の頭で考えたことたちはNOだったのに、何だかよくわからないハーブティはYESが出てと経緯を説明してから、ハーブティ飲みます?と聞いた。

眠りの質の改善に役立つみたいなので試してみるといいかも…と伝えたら本人もすんなりそれは「わかった!」と言った。

寝る前の深呼吸とハーブティ、それ以外はいくつか聞いたけれど、本人の提案も含めてペンジュラムはNOで、とりあえずその2つを試してみるわ、ということになった。

確かに眠りのためのハーブティは市場に出回っているし、実際にそれで安眠効果を得てる人もいると思うけれど、とにかく変な感覚だった。

私の考えというよりも、第三者から必要なメッセージが伝えられてる感じだった。

友達と別れて、その後桜で有名な公園に行こうと思ったけれど、何だか体が疲れて少し用事足してあとはまっすぐ家に帰った。

朝のトリュフのチョコの残り3粒を口に入れた。

妹が金沢で買ってくれたフランス産の美味しいチョコ。

商品入れ替えのため100円に大幅値下げされたチョコはとっても美味しかった。


今日の疲れというか体調の急変具合は、ハーブティの時のことが原因じゃないかと思ってる。

明らかに普段と違っていて、これまで体験してないことだったから、体がビックリしたんじゃ…と思ってる。

この1年ぐらい、新しい体験の始まりの時は一時的に体調が変になる。

今日のリピートハーブティが1回だけのものなのか、今後も今日みたいに突然よくわからない言葉をキャッチするのかは知らないけれど、後者だった場合の体調不良ならわからなくもない。


人生の中ですでに織り成された瞬間瞬間がある。

その瞬間の中に人の姿があるとわかった時、すごく感動した。

私は基本的に人見知りなところがあるし(大人になってから知り合った人たち全員から違うと否定されるけど…)、1人の時間もこよなく愛してる。

そんな私の思い出の中に、色んな人たちが登場してくれる、その奇跡を思う。

今日の美味しいチョコにも、手紙にも、おかかとチーズのおにぎりにも、初めて訪れた公園にも、そこには自分以外の誰かがセットでいてくれる。

春の肌寒い陽気とその思い出の瞬間とが重なり合って、私は色んな瞬間を色んな人たちからプレゼントしてもらったんだなと気付く。

0 件のコメント:

コメントを投稿