魚座スケジュール
2月20日
すーさんの誕生日
2月22日
父の誕生日
3月3日
母の誕生日
3月4日
とてもお世話になってる方の娘さんの誕生日&今の職場の長の誕生日
3月5日
高校からの友達の誕生日
3月7日
Hさんの誕生日
3月11日
自分の誕生日
3月13日
Aの誕生日
3月20日
リーダーの誕生日
こんな風にして、2月の終わりから1ヶ月間、色んな人の誕生日が相次いでいる。
今の職場の長の誕生日はつい3日前に知ったばかり。
過去に仲良くしてた友達も何人か魚座の人がいた。
本当に魚座だらけで、私の中でこの期間だけはうっかりすると誰かの誕生日を忘れてしまうから、なるべく頭に入れてメッセージを送ろうとは心掛けている。
家族以外で誕生日のメッセージを送るのは、魚座の人以外となると3人ないし4人しかいない。
だから、この魚座の期間だけやたらとスケジュールが過密になる。
今年は2歳の姪っ子が2月の終わりに10日ほど滞在したこともあって、なんとすーさんの誕生日を忘れたことを昨日の夜遅くに思い出して、今朝今さらだけどおめでとうとラインを送った。
母の誕生日についてはプレゼントを用意することを忘れたから、これはまた日を改めて買いに行こうと思ってる。
今日はちょっと嬉しいことがあったからその話。
職場の長の誕生日だというのは、前の週の飲み会の席で本人が言った時に初めて知った。
そんなオンタイムで人の誕生日を知ることもそうそうない。
特に何かをあげようなんて思ってなかったし、直前までそんなこと考えてなかった。
だけど私はその人に美味しいお菓子を今日プレゼントした。
話はさかのぼって昨日。
今日5日が誕生日の友達と一緒に過ごし、途中でその子が行ってみたいと言ったから、町の洋菓子屋さんに連れて行った。
そこは私が気に入って何度となく通っている。
しかも気に入った最初の理由は、なんとその店の名前だったから、そしてその店の名前が入ったこの世に1台しか存在しない車と出くわすたびに私は面白い体験をするから、その店の車はそのまま私のラッキーアイテムと化している。
名前から入ったお店ではあったけれど、私は一度食べてからというものそのお店の商品の虜になっている。
で、昨日友達を連れて行ったついでにそのお店の名物洋風まんじゅうを父と母と自分の分と3人分買った。
本当は昨日食べようと思ったけれど、昼間のボリュームたっぷりなランチのコースがまだ胃を占めていて、昨日は食べられなかった。
今日の昼休みに食べようと思って職場に持って行った。
ところがお昼を食べたらおなかがやたらと膨れて、またもや洋風まんじゅうは先送りかな…なんて思ってた矢先、長が出先から戻ってきた。
それで誕生日のことを思い出した。
それあげたらいいかも!なんて思ったけど、人が1人でもいて見られたら変な誤解を招きそうでそれが嫌だから、まぁ様子を見ようと思った。
こういう時って本当に不思議で、一瞬だけ誰もいなくなってさっと渡せる状況が生まれる。
まんじゅうを持って、誕生日おめでとうございますと言って、まんじゅうをあげた。
飲み会の時の帰り際、県外へ出向される2人の人にお菓子を渡したら、それを見て「あの、僕の分は?」と冗談で聞いてきたような人だから、渡しやすかった。
美味しいまんじゅうだからと説明して、相手もニコニコしてすぐに開けて食べ始めようとしたのを見て、あげて良かったなと思った。
大したプレゼントではないし、なんならその人のために用意したんじゃなくて色んなことが重なってたまたま渡したに過ぎないけれど、それで相手もニコニコしてくれるならそんな良いことはない。
けっこうな勇気も必要だったけど、渡して良かったと思った。
実はもう1つ良かったことがある。
長は自分の席に座っていた。
その場所に対して(長に対してではない)、私は色んな思い入れがある。
その思い入れの中で、1つ悲しい思い出になってるものがある。
悲しみやショックなんかでいっぱいになったまま今に至っている。
普段思い返すこともあえてしないけれど、でも思い返すたびにやっぱりチクリと胸が痛む。
その思い出は思い出としてそっと胸にしまうことにしているし、それはそれで大切なものだから、それはそれとしての位置がある。
だけど、その場所に対して、今日新しいページが1つ加わって、それは楽しい気持ちをもたらした。
悲しい思い出だけじゃない、楽しい思い出が増えたのは少し私を嬉しくさせた。
悲しい思い出の瞬間は、今思い出しても悲しい。
全力で拒否されてるのがわかったあの時、私の中の色んなものが一瞬で崩壊した。
仕事中だったから泣くわけにもいかなかったけど、本当にその場で涙が出そうなぐらいだった。
理性を保って涙をこらえて、やるべきことはやった。
だけど、もう全てが後の祭りで、自分のやらかした色んなことは帳消しにできないし、心の中に広がった涙を誘発するものはするものででんと私の中に君臨していた。
その場所には色んな思い出があるけれど、こうして今日新しく楽しい思い出を加えられたのは嬉しい。
悲しい思い出が悪いわけじゃない。
それはもう別格で大切な思い出だからそれはそのままでいい。
だけど、楽しい思い出が増えて、そこ全体に彩りが加わるのは、加わってみて初めて良いものだなと感じた。
でも多分、これから先も、そしてもうここを去ってもっと時が経過しても、私の中で真っ先に思い出すのは楽しい方じゃなくて悲しい方なんだろうなと思ってる。
悲しくても大切さや重要度から言ったら、そちらの方が確実に上だから。
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