2018年2月24日(土)
今日の昼間あるものを買いに行ってきた。
それは、色んな意味を込めて買おうと決めた未来のプレゼントだった。
そもそものきっかけはこうだった。
1週間前の土曜日にも私は同じお店に行ってきた。
その時に、私個人のオーダーと頼まれた知り合いの人のオーダーをお願いするため、今日買ってきたものの製作者の方に個人的に連絡を取りたいとお店の人にお願いして帰ってきた。
お店の人が最初に間に入って連絡を取って、その後その方と私が直接やり取りできるようにしますね、と言われて安心して帰ってきた。
そうしたら、お店の人から次の日連絡が来て、なんと製作者の方が今後は製作中止することが判明した。
販売も今出ている分だけということになった。
個人のオーダーも当然お願いできないことになった。
それも残念すぎたけど、それ以上に気になったのは別のことだった。
もし、本当にもし、ある人と再会できるのなら、その時にはその人にそのものを渡そうと考えていた。
その人に渡したいものだから、もし本当にそれを渡せるような状況になったら、その時は喜んでお店に買いに行こうと思ってた。
だけど、近い将来製作中止ゆえの販売中止になるなら、それは叶わないことになる。
そのいつ起こるかもわからない万が一みたいなことが本当に起こったとしても、もうその頃にはそのものは売られていないことは明白だった。
それで今日慌てて買いに行ってきた。
友達2人も買いに行きたいと言ってたから、その付き添いも兼ねて行った。
買うと決めるまでのこの1週間、私は何度も本当に買うのかを自分にも聞いたし、ペンジュラムにも聞きまくった。
これが確実に相手に渡るものであれば私も何の迷いもなく買うって決めれた。
だけどそんな保証もないどころか、普通に今の現状を見たら渡らない方が可能性として高いと言うより、それしかない。
渡す手段さえ今の私は持ち合わせていない。
高い買い物じゃないから財布への影響は少ないけれど、でもいかんせん渡るか渡らないかと言えば渡らない可能性が99.9%。
こんなの買うこと自体どうかしてると真面目に思う。
でも残りの0.1%のことが現実になったら、今度は物がない可能性が高い。
世の中には同じ商品が売られてるのは知ってる。
作り手もその人1人じゃないことも知ってる。
だけど、私はその人の作ったものだから買いたくて、他の人のものでは多分違うんだろうなと思ってる。
自分が日々使ってみてすごく良くて、それで最初2人の友達にプレゼントしようと考えて買いに行ったら、ちょうど仕入れ担当の店の人がたまたまいて、それがどういうものか説明してもらえた。
制作過程やその製作者の意図を教えてもらって、余計とそれが本当に良いものだとわかった。
すでにプレゼントした友達の1人がネットで色々調べて、「なんか他の人たちが作ったものは(質が)違うんだよね」と言ってたから間違いないと思う。
その友達は、物でもサービスでも悪いものや合わないものは体にとことん出てしまうし(私も数回目の前で具合悪くなったのを見ている)、反対に良いものは体の調子が良くなったり他にも本人にわかるプラスの作用がはっきり出る人だから、その人がそう言うぐらいだから本当にすごいんだろうなと思ってる。
だから、そのものはもう今あのお店にある分だけ=なら今しか買えないということもわかった。
そんなにすぐには売り切れないにしても、いつか近いうちには売り切れる。
でも、そんなの本当に相手に渡るかもわからなければ、相手が受取拒否することだって考えられる。
本当に買うのかな…と迷ったけど、ペンジュラムはNOを言わないどころか買えと言う。
こういう時私は質問を変えてあれこれ聞くんだけど、どんな風に聞いてもペンジュラムは買うにYESしか言わなかった。
しかも「買わない」に対しては単純なNOではなく、絶対的なNOを示すサインまで出してきた。
毎日アホみたいに何回も聞いて、それでもペンジュラムは何十回と聞かれても「買う」に対してYESだった。
もうこれは今の私の頭の中ではとても考えられないことだけれど、それでも買うことが何かに繋がっていくのかもしれないと思って、それで買いに行こうと決めれた。
ちなみに変えた質問の1つに「相手に渡らなかった場合、私の手元に置いておく」というのがあった。
それに対してもペンジュラムはNOを指した。
往生際の悪い私は、買った後も「これを渡す機会が巡って来なければ、自分のものとして使う」かどうかを聞いた(答えはNO)。
他にも「その人には渡らず、その人以外の人の元に行く」と聞いたけど、それもNO。
もっと色々聞き直しても相手にいくようになってるらしく、私の手元には残らないというのがペンジュラムに聞いて今の段階でわかったこと。
別にどうなっても、仮に願った方向(相手の手に渡る)になったらそれはそれで一番良くて一番嬉しい結果だけど、そうならなくてもこれはこれで実験として楽しんだらいいと思って、だから買いに行けた。
ちなみに今回が自分が自分用に買ったものも含めて8個目で、他にも友達の付き添いでもう9個、全部で17個のものを見たけれど(ひとつひとつ全部違う)、今回は自分のものと同じくらいすぐにピンときた。
言うなれば、ひとつひとつデザインが違う。
他の人たちのものは付き添いの友達含めて、なんとなくこれかなとなったのは3人、他は全くわからなかった。
どれを見ても、これがその人たちの元へ行く、その人たちのものになる、というイメージは湧かなかった。
なんとなくわかったのも3人で、自分の時と今回の時ほどに「これ!」とはならなかった。
それぞれデザインも意味も違うから、そういうわからないことはペンジュラムに全部聞いて決めた。
(この間頼まれた分も含めて4人分購入した時、ペンジュラムを使って選んで、その後ネットで意味を調べたら、4人が4人ともそれぞれにピッタリなものが選ばれていてビックリした!)
付き添いで行った友達やその家族の分も、私には全くどれがいいかなんてわからないから、まずは本人に選んでもらって最後はそれが合ってるかどうかをペンジュラムで確認するというやり方を採った。
念には念をということで、さらにその後ネットで調べると、どれもみんな友達の直感で選ばれたものがやっぱり本人や家族にぴったりのものがいくというなんとも不思議な感じで、私はそれ見たさに同行してるようなものだった。
余談が過ぎたけど、とにかく私は何を見ても基本的には見ただけでピンとくることは自分のもの以外にはなかった。
そんな私が今回は見た瞬間に「これだ!」となって、そこに相手の顔も浮かんで、そして最後ペンジュラムにも聞いてそれだけがYESで他の商品は全てNOだった。
数としては20前後あったと思うけど、今日買ってきたものは、見た瞬間「これだ!」となった。
自分のものを選んだ時と同じ感覚だった。
これまで自分以外の16個の時には絶対にそうならなかった。
3人だけそうかな…という多少なりの感覚はあっても、「もう絶対にこれ!」なんていう感じからは程遠かった。
反対にネットで意味を調べたら何でそれなのかわからなかったけど、まぁそんなの本当に相手の手に渡るならその意味もその時にわかるだろうと開き直って買ってきた。
今回のプレゼントは他にも意味がある。
1つは、「渡せる状況になる」ということが起こるなら、それ相応の関係性が未来に生まれるということ。
まさか関係性がないのにプレゼントは渡せない。
はじめに書いたように、今の段階では渡したくても渡す手段がない。
だから、渡せるということは、今とは違う展開になってるということ。
私の人生はもう何年にも渡って読めないことだらけで、そして過去にたくさんの奇跡を体験したから、たとえ今私の目に映る可能性が0.1%でもそれが本当に起こることもありうると思ってる。
最近では「起こらないことは起こる必要のないこと」「起こることはどんなことを経ても起こるべくして起こること」ぐらいに思うようになってきたから、だからそこは未来のお楽しみみたいにしてその時を待てたらいいなと思う。
2つ目は、今回のプレゼントは私そのものを表してる一部で、それを受け取ってもらえるというのは、私にとってとても大きな意味がある。
私はすでに4人の友達にプレゼントしたりこれから郵送したりするけれど、1人だけはプレゼントするのにすごく勇気が必要だった。
他3人は間違いなく理解あるし興味もあるのはわかってたから平気だった。
なんなら私がペンジュラムを日常的に使うことも知ってれば目の前でも使ってる姿を見ているから、ペンジュラムを使って選んだと言ってもそのままわかる人たち。
だけど、1人だけは、誰よりも早急にプレゼントしたかったけれど、誰よりもペンジュラムのこと含めてきちんと説明しなきゃいけない相手で、私は彼女にはものすごーく長い手紙を書いて説明した。
(『ふみの日日曜日』http://viva-vivir.blogspot.jp/2018/01/blog-post_5.html?m=0)
友達はものすごく喜んでくれたし、手元に着いてから「自分の元にやってきてくれたものはそもそも来ることが決まってた、そんな気がする」なんていう嬉しいことまで言ってくれたけど。
それぐらいに私も相当な注意を払って渡すもので、だから今日買ったものを受け取ってもらえるというのは私からしたら自分の思いや大切にしてることを受け取ってもらえるのと等しかったりする。
そんな色んな意味を込めて用意した未来のプレゼント。
ごちゃごちゃ書いたけど、本音は「届くといいなぁ」の一言に尽きる。
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