部屋を片付けている途中でふと思いつき、すべてのノートを畳に並べて写真に納めてみた。
たくさんあることは知っていたけれど、実際に並べて見ると圧巻だった。
約80冊。
あとから他の箱たちからもノートがちょいちょい出てきたから、ゆうに100冊は超える。
実際は120冊ぐらいあるんじゃないかと思う。
見にくいけれど、写真一番上の列のノートは新品でこれからそれぞれ使われる予定のノート。
2段目が今現在使っているノート。
3段目以降が基本的に今は使っていない又はものすごーく時々使うノート。
3段目以降の9割はすでに100%に近い形で使い終わっている。
今よく見たら、下の2段のノートの一部は現在進行形で使っている。
それぞれはこんな風。
・スケジュール帳代わりにその日にあったこと・行った場所を簡単に記すノート
・2017夏の思い出記録帳(まだ途中)
・雑記帳
・日記帳
・持ち歩き用メモ帳
・100日記録・心理ワーク記録
・家計簿的なノート
・生活メモノート
・レシピ帳
・誕生日の日にだけ書く日記帳
・読書記録
・チケットなんかを貼り付けておくノート
・人からもらったプレゼントの包装紙や思い出に残った何かを貼り付けるノート
・アイディア帳
・心理ワーク記録簿
・手紙下書きノート
・死ぬまでにしたい100のことを書くノート
・写経ノート(本で気に入った文章を書き写すための専用ノート)
ノートはいちいち見なくても、表紙を見たら95%は何に使っているかをすぐに言える。
私が色んな種類のノートにこだわるのはそのせいで、例えば同じキャンパスのノートを80冊とか持ってしまうと、いちいち表紙に何か書かないと何に使っているのかわからないから、だから一目で見てわかるように違う種類のノートたちを毎回色んなところから調達している。
10代の終わりから徐々に始まった記録の習慣で、20代の頃も数冊ノートを買っていた。
爆発的に買うようになったのは30代に入ってから。
そしてこの度2017年とてもショックなノート事情が明るみとなる。
B5やそれより小さいA6?B6?A5?よくわからないけれど、そういうサイズのノートの生産が大幅に減ったということ。
私は12月に東京でノート探しをするまでその事実に気付かなかった。
20代の頃、ようやく若者たちがみんな白黒の携帯をほぼ持つようになり、そして途中からはカラーの携帯(ガラケー)が台頭してきた頃。
それよりも今、ものすごい勘違いが発覚(驚)(○_○;)
「台頭」を私はずっと「だいとう」だと思っていた。
「だいとう」と打っても変換せずおかしいなぁと思い、もしや読み方が違う!?と思い、念のため、あくまで“念のため”読み方を調べたら、「たいとう」だなんて!?!?!?
使い方も間違ってないか、それもついでに調べた。
こんなにもあれこれ書くくせして、私は日本語がかなり弱い。
私の英語力やスペイン語力を知ってる友達からは、「何でそんなに他の言語ができるのに、日本語がわからないの!?」と毎回言われる。
特に熟語や四字熟語、ことわざなんかは言われても毎回ちんぷんかんぶんで困る。
漢字の読み方もよく間違えている。
それで思い出したけれど、いつだったか友達2人と話した時(男1、女1)、「めはまら」と言われて「『めはまら』って何?」と聞いて大ひんしゅくを買った。
ノートの話に戻る。
ガラケーが台頭してきた頃というのは、まだまだアナログ用品も充実していて、そういう意味でB5のノートも色んなデザインのものが売られていた。
私は東急ハンズやロフトの文房具売場が大好きで、それは今も変わらないけれど、10代の終わりでそういう店に出合い、20代は東京に行く度に、30代は名古屋で、それはそれは足繁く通い詰めていた。
どういうわけかノートコーナーに無意識にいつも立ち寄っていて、だからこそこのB5のノートのデザインの種類が激減したことにショックを隠せなかった。
高齢者もスマホを持つような時代になった今、ノート業界は大きく変化している。
「字がきれいに書けるノート」「東大生が使っているノート」とかいうような変なノートはたくさん今出ているけれど、本当に普通のノートの種類がとても少ない。
先月東京に行った際、日記帳を探すついでにノートも探したけれど、とにかくない。
びっくりする位になくて、そういうどうでもいい変なタイトルがついていて使い方が限定されるようなノートだけがやたらと増えたことだけはわかった。
あとは高級ノートが主流なのか、1000円近い値段のノートとかも数多く取り揃えていて、それにも驚いた。
高級ノートもいいけれど、庶民価格のノートも置いてくれ!!と切実に思った。
確実に手書きで物を書くという時代ではないから、ノートの種類が少ないのは仕方ない。
だけど私みたいに本当に使う人からしてみたら、この種類が少ないのは困る。
最近は、地方の蔦屋書店とかの文具売場の方が充実していることを知り、その手のノートはそういうところを探す方が早いことを知った。
写真の一番上の段にスヌーピーのノートがあるけれど、それはうちから少し離れたところにあるツタヤで購入してきた。
これはまだ使い道が決まっていないけれど、心理系ワークの記録簿とかアイディア帳とかに落ち着くと思う。
ノート繋がりで言えば、なんとその余波的なことは無印良品にも及んでいる。
12月だったと思う。
駅に行ったついでに無印にも立ち寄った。
そもそも「開きやすいノート」という96枚の分厚いノートがそろそろ終わりだから、ということでそれを買いに行った。
ノート売場を見た時に、通常あるだろう場所になかった。
丁度スケジュール帳とかで売場が多く取られているからだろうと最初は思い、文房具売場をくまなく探した。
あったはあった。
割引コーナーに。
嫌な予感がした。
このノートが30%OFFになんてこれまで一度もなったことがない。
2014年ぐらいから愛用していて、いつも別に買わなくても「私の持ってるノートと同じだ!」と目で確認していたから、それは間違いない。
とりあえず1冊持って行って、レジで店員さんに聞いた。
割引になっているけれど、これはモデルチェンジの予定なのかそれともそもそももう生産中止の予定なのかを。
「調べてみます」と言われ店員さんを待つこと数分。
「こちらのノート、今在庫ある分だけで、今後入荷の予定も新しいモデルの予定もありません」と説明された。
ガーン。
気に入って使っていたノートは今あるだけ…。
ただこのノート、分厚いだけあって使い切るのに1年は必要。
そんなにたくさん在庫を抱えても仕方ない。
だからその時は1冊だけ買ったけれど、年明けもう一度同じ店に行った時、確実に数冊しか残っていなかったから、もう1冊買い足した。
この無印の分厚いノートは、本当の雑記帳で、とにかく色んなことを書き残している。
2015年9月に書いたメモより。
「今日出逢う一期一会のストーリー
秋の日に暑さを感じて額をつたう汗かもしれない
前に進むヒントとなる本の一節かもしれない
ありあわせの食材で作ったごはんかもしれない
もう二度とはやってこない“今日”という1日を
メモするための暮しの手帖」
写真の上のメモは、「暮しの手帖」という雑誌の表紙に書いてある言葉。
その言葉が好きで、その下に自分の言葉を足した。
中は自由自在に使っている。
レシピを書くこともあれば、その日食べたもの、印象に残った出来事や風景、人との会話、自分の健康、友達の住所、読みたい本などなど、とにかく色々書いている。
次が3冊目
うれし悲し30%OFF
結局もう1冊買い足した
あと3年後とかさらにノートの生産は、無印だけじゃなくて業界全体が変化するんだろうなぁと思う。
デジタル化は止まらないだろうし、ますますペーパーレス(paper less)なんて言葉があるかわからないけれど、紙ベースでのデータ保管は好まれない=ノートの生産中止が増えるだろうなぁということは予想できる。
でも私は自分がどんなに年をとっても、やっぱりノートを持ち続けると思う。
もう最後、キャンパスのような王道のノートしか残らなくなったら、その時は表紙に好きな紙やシールでも貼ってデコレーションしてでも使おうと思ってる。
ノートはそこに足跡だけじゃなくて、その時の風景や雰囲気、空気も一緒に残されている。
だから開くと、その当時のことがよみがえる。
そしてその前後に何があったのかもノートを開けば一目瞭然になっている。
デジタルのデータでは絶対に再現できないものだから。
デジタルは1つ1つにタイトルをつけてフォルダなんかに入れて、わかりやすく見やすく整理はできる。
でもそれら全部を一気に見たり、じゃあ去年のものを見ようとなれば、また別ファイルを開くしかない。
私は自分がよぼよぼのばあさんになった頃、今書いているノートを見返すのが楽しみで仕方ない。
80、90になった自分が10代20代30代をどう過ごしたかを知るのは、もはやこのノートたちしかない。
それをしわが刻まれて皮膚の表面もかさかさになってるだろう指でぺらぺらとめくって、もしかしたら老眼鏡をかけているかもしれない目で、そっとそっとたどっていくのが面白そうだなと思ってる。
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