2017年12月10日日曜日

静なる統制


Pさんが洗面所に行ったのを遠目に確認してから、私も少し時間を置いてからしれっと席を立って洗面所に行った。

思い返せば、社会人人生10数年の中で初めての仕事中の愚痴だったと思う。

愚痴はこれまでの職場でだって仲良くなった人たちとは言い合っていた。

だけどその場じゃなくて、絶対に職場の外で。

その場で言えることは、実はそんなに大したことじゃないことも知っている。

だけどあの日は、私は席を立ってPさんを追いかけてまで言いに行った。

「今日の雰囲気すごくないですか?」
とPさんをつかまえて聞いた。

Pさんも全くの同感だった。

怒りの三重奏と言わんばかりに、3人の人たちがそれぞれ異常なほどイライラしていた。

普段からイライラしているのは知っている。

だけどその日はもう度を超えてのイライラで、私もその場にいるだけでピリピリモードを
感じて変な緊張をしていた。

そこにいることさえしんどくなるような、すごい重苦しい威圧的な空気に包まれていた。

過去にはもっといくつもの修羅場を他の職場で体験しているのに、そしてそういうのは気力か何か別のもので乗り越えられていたのに、その時の空気はもう私もどうしていいのかわからない位に耐え難いものがあった。

過去に仕事中思春期の男の子を怒らせて、私はその男の子から斎藤工の壁ドンならぬ暴力の壁ドン的な感じで、殴られる一歩手前までいったことがある。

怒らせたと言っても、元々その子が虫の居所が悪くて小さな女の子をかなり本気で蹴ったから、私がそれを注意したら火に油を注いで自分が殴られそうになったという流れ。

そこにはきちんとストーリーがあったけれど、Pさんに言った日はそういうことでもない。

しかももう、三者三様の怒りそのものは何に向かっているのかも何が原因なのかも全然わからなかった。

色々あったのは話の節々でわかったけれど、そんなに怒らなければいけないことなのか私にはさっぱりわからなかった。

もっと言えば、その日色々起こったことは、最終的に事無きを得たから何とか丸く収まったらしい。

「事無きを得たから良かったね」ではなく、「事無きを得たから今回は良かったけれど、……」の「……」の部分が延々と語られていて、そこが何度も何度も時間をおいては蒸し返されていた。

その雰囲気に耐えられない自分を珍しく思いながらもPさんに愚痴りに行ったら、Pさんがこんなことを言った。

「私も仕事の細かいところは全然わからないし、専門的なことも何も知らないけれど。
でもね、前だって今回みたいに色々大変なことはあったし、その都度『大変大変』って周りは言っていた時にね、私当時の上の人にそっと聞いたことがあってね。
『今大変なんでしょ?』ってね。
そうするとその人は毎回必ず『いや、大したことないよ』ってさらっと言って終わっていたんだよね。
起こっていることに大差があるとは思えないから、その取り方や感じ方の違いかも…と私思ったりもしてるんだよね」

私はこの話にすごく合点がいった。

前のトップの人は、何があっても騒ぎ立てるタイプの人ではなかった。

むしろ、何か起こっていても表には何も出さないタイプの人だったから、周りの人たちはその大変さに気付かないこともあったんじゃないかなとさえ思う。

自分が一番トップでも、威張ったり「自分が上なんだぞ」的な変な気負いや雰囲気も一切なくて、私なんかは最初その人が組織のトップだということさえ気付かなかったほどだった。

余計なことも喋らないし、人と群れるタイプでもなく、本当に淡々と自分の仕事を1つ1つこなしていく、そして必要な時はさっと周りをフォローする、そういうタイプの人だった。

周りの人たちがどんなに騒いでいても静かにどんと構えていたから、専門知識皆無の私から見ていても、どこか安定感や安心感が空気の中に含まれていた。

それが組織の中で揺るがない感じで存在していたと知ったのは、今頃になってから。

当時はそれが当たり前の空気だったから、それに対して私は何も感じずにいた。

トップの人たちの交代だけが原因ではなく、そこにいる人たち全員のお互いの悪いものがとことん吸収されて大きくなっていく、今はそんな風に空気が変わってきている。

1人1人の人たちは良いものを持っているし、プロ意識もとても高い。

だけれど、今は何か大切なものがグラグラしていて、そして悪いところだけがクローズアップされる感じが否めない。

色んな団体や組織に行った数だけ、その場の雰囲気や上となる人たちのこともその数だけ見てきた。

本当に色んなタイプの雰囲気に、色んなタイプのトップの人たちがいた。

その中で物静かなのに圧倒的な統制力みたいなのを発揮していた人は、今回のそのトップの人が初めてだった。
 

その日の夜「久しぶりに電話をしよう!」と約束していた名古屋でとってもお世話になった年上の女性と電話で話をした。

その方は元経営者で、億単位のお金を動かす事業をしていたらしい(数年前、他の人に全て事業をお願いして自分は退いた)。

ちなみにその方を知る男性の個人事業家の方が、その女性の商談の仕方がすごい数字を上げていたから一度見学させてもらったことがあって、その男性いわく「あんなの真似できん。もう全然レベルが違い過ぎる」と舌を巻いたことを私に教えてくれたことがあった。

私はその方の経歴がどんなものか知らずにそもそも知り合って、あとあと周りの人からその部分は教えてもらったという具合だった。

こういうタイプの人は、自分がどんなにすごいことをしていても「私は・俺は大したことをしていない」と言い切るから、周りから聞かないとどうすごいのか知る由もなかったりする。

色んな話をした中で、最近の感じたことなんかを話していくうちに、丁度その怒りの三重奏の話とPさんが教えてくれた話もそのまました。

職場の話をしたと言うよりも、自分の心の中であることを決め出した途端に職場の雰囲気がすごく(悪い方向に)変わったという話の流れだった。

そうしたらその方が何を言うかと思えば、

「その前のトップの方、すごく人格が優れている方ね。精神性が本当に高い。人間的に器が大きい方じゃないのかしら。
人間誰でも感情はあるし、それは湧いて出てくるものだから抑えようと思って抑えられるものじゃない。当然、仕事をしていたら色んなトラブルや問題があるでしょうから、その都度色んな気持ちが湧くでしょう。でも、その感情のところにとどまっていない、感情のところに住んでいないから、感情に流されることなく目の前のことを淡々とやられる、それってものすごいことなのよ。それってなかなかできることじゃない。本当に人間的に器が大きいんでしょうね。
まぁ、ただそういう人は周りからは理解されにくい人でしょうね(笑)」

と言われた。

私は聞いていてはっとした。

元々この方はどこに目が付いているんだろう?と思う位の感性の持ち主の方で、時々思わぬことを口にする。

しかも、何か視えてるの??と思う位に私の置かれている状況や環境をずばっと言い当てたりもする。

今回は私のことではない人のことだったのに、しかも会ったことも私の職場を見たわけでもないのに、突然そんなことを言い出した。

さらに私が近況報告で言ったのはもっとざっくりとした情報で、そのトップの人に関して言えばPさんの言葉ぐらいしか伝えた情報はなかったのに、先に書いたことを一気に言ってきた。

でも聞いていてすっと言葉が耳に入ってきた。

最後の「周りからは理解されにくい」というところまで、笑う場面ではないところだけれど思わず笑ってしまいそうだった、あまりにその通り過ぎて。

経営者の視点がある人だからこそ見えてる視点という感じで、私にはとても斬新な切り口だった。
 

1日経ってから私はとあることを思い出した。

前のトップの人の頃、私はPさんにある日すごいことを指摘された。

「武士俣さん、何の歌を歌ってます?」

私は最初質問の意味がわからなかった。

「どんな歌が好きですか?」とかじゃなくて、「何の歌を歌ってます?」と聞かれたら、誰だって一瞬ぽかんとすると思う。

私がどういう意味の質問なのかを聞き返したのか、それとも私がぽけっとしていたからPさんが言葉を重ねてくれたのかは忘れたけれど、Pさんは続けてこう言った。

「武士俣さん時々鼻歌歌ってますよね!私武士俣さんのその鼻歌がすごく好きです」
と言われた。

私は度肝を抜かれた。

なぜかと言えば、私はものすごく無意識に自分でも気付かないところで鼻歌を仕事の最中に歌っていて、しかもそれが一体いつの頃からの癖なのかがさっぱりわからなかった(汗)。

社会人としてあるまじき行為を自分でも気付かぬうちにしていたことになるけれど、Pさんはとても優しくてそれがすごく好きだと言ってくれた。

いつでもどこでも歌っているわけじゃないにしても、当時は多分自分が安心しきっていたんだと思う。

それ以降かなり気をつけるようにしているけれど(意識がボーっとする時は要注意と思って自分でも気をつけている)、もう今は絶対に鼻歌は歌わない。
(Pさんにも鼻歌が聴けなくなって残念と言われた)

自分でもわかるけれど、今の私は別のところに意識を向けているから、鼻歌を自然に歌ってしまうようなそんな状態にない。

今は、色んな人たちの怒りのスイッチがどこにあるのか全く読めないから、用事や確認しなきゃいけないことが出てきた時に「今なら大丈夫」かどうかを見極めるのに全力を費やしている。

そう、要は落ち着かなくなった。

もちろん表面上は仕事をしている。

それは今も前も変わらない。

だけど、その静かな統制が敷かれていた時には本当に安心して目の前の仕事をしていたものが、今は仕事しながらも周りの空気を読もうと躍起になっている。

いとも簡単にピリピリモードが場の空気を充満して、その中に自分を巻きこみたくないから必死に防御している(苦笑)。

静かな統制に身を置いていた時は、それが当たり前だったから全然気付かずにいたけれど、その統制がなくなった今、その凄さが身に沁みてわかる。

自分自身の内面を見て、落ち着いていた頃は自由に自分の世界を堪能していたし、安心しきってその場に日々いたけれど、今はそうじゃない。

表面上のコミュニケーションは前に比べて活発にはなったけれど、この空気の変遷はコミュニケーションがあればいいということではないことを伝えている気がしてならない。

何度か当時のトップの人が周りの人の質問に対して「こうしたらいいんじゃない?」とさらりと答えている場面を見たことがある。

普段の言葉はたしかに少なかったしそれで誤解を生んだりしたこともあったとは思う。

だけれど、「この人に聞けば絶対に大丈夫」みたいなのは暗黙の了解であった。

だからみんな聞いていたし、いざ決断をしなきゃいけない場面ではその人がすべて決めて動いていたと思う。

今はそういうシーンを見なくなった。

質問や決断の場面がなくなったわけじゃないけれど、あの独特の統制力はなくなったし、そこにいる他の人たちの安心感みたいなのもなくなっている。

静なる統制、それは初めて見たタイプの組織内での統制力だったけれど、なくなった今その偉大さを日に日に感じている。

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