そんな風だったから、気付けば5ヶ月経ったということに全然気付いていなかった。
気付いたのも今さっきで、iPhoneカレンダーを見て、そして指で1ヶ月2ヶ月…と数えて5ヶ月経ったことを確認した。
今年の夏、多分7月にこの記事を読んだ。
2017年ってそういう年なんだ、みんな大変だなぁなんて思った。
その後に友達と会って、その友達がまさにそういう状況で本当に毎日しんどいわ、なんて言ってたから、その場でその友達にその記事を見せて「あぁまるで私のことじゃん!」と友達は納得して、そっくりそのまま友達にそのサイトの文章をメールで送った。
11月になった今頃、その記事とそんなやりとりを思い出して、今さっきその記事を再度読むと、まさにそういう展開に私もなっていたことに気付いた。
2017年の前半は、この数年の中で私自身が一番落ち着いていた。
仕事の人たちに恵まれ、人生で初めての九州大陸上陸となる友達の結婚式も控え、心もおだやか、気持ちも上向きになるようなことがたくさんあり、とても良かった。
だから当初その記事を読んでも、本当に他人事で自分には一切関係ないんだなと思っていた。
まさかその後に自分もそういう体験をするとは、ゆめゆめ思わなかった。
その体験の起点となる日が5ヶ月前。
忙しすぎる5ヶ月だった。
前半のおだやかさもこの数年の中で一番なら、後半の怒涛のような時間もこの数年の中で一番だった。
1つだけ言えるのは、この怒涛のような後半の数ヶ月を迎えるために、過去の経験全てがあったんじゃないかということ。
そろそろ10年になるかと思うけど、とにかくこの何年間かは想定外のことばかりが起こりまくって、自分の人生そのものから逃げ出したい、そんなことがいくつもいくつもあった。
大真面目に朝が来ることが本当に怖かったし、来たら来たで「あぁまた今日という日が始まってしまった」と往生際の悪いことばかり思っていたし、自分でもどうしていいのかわからない位に悩んで立ち止まって答えのないことに答えを求めて…そんな時間がすごく多かった。
そこで身に付けた耐性というか、もう逃げられないよ的な腹の括り方というか、そういうものがあったおかげで何とかこの後半もここまで来られたように思う。
ただ、唯一これまでと違ったことは、「人生のご褒美」と言わんばかりのことがあったこと。
それがどこかで心の支えとなっていた。
10年とざっくりと区切ると、人生のご褒美の時間があまりにも短すぎるけれど、それでも「生きてて良かった!」と生きる喜びを感じるぐらいの大きなご褒美だった。
そしておばあちゃんになった自分を想像した時に、私はこのご褒美のことを一生忘れないだろうなぁと思っている。
この5ヶ月で、まるっと自分の人生が入れ替わったんじゃないかというぐらいの色んなことが起こった。
怒涛のような時間の中には、人生のご褒美に比例した大きさで気持ちが大きく落ち込むようなことも含まれている。
でもそれもこれも全部全部生きているから経験できたことで、今のこのタイミングだから出逢えた人で、そしてそうしたマイナスになってしまうようなものも含めて自分の人生なんだと、自分で自分を包み始めた。
「特技:自己否定」と書けちゃいそうなぐらいに自己否定の強い私が、色んなものをたいせつなものとして扱えるようになったのは、ものすごーい成長だと思っている。
*写真*
ちょうど携帯を開いたら11月11日の11:11だった!
そもそもの携帯の待受画面は、いつかの仕事中、たまたま窓の外を見たら彩雲が出ていて撮った1枚(シレッと撮った)。
・期間限定(?)の小さな野望
・占い
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・予感
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・毒出し
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