2017年10月31日火曜日

1ヶ月


昨日10月27日でちょうど1ヶ月だなぁなんて思いながら昨日や今日を迎えた。

1ヶ月と2、3週間前に時計の針を戻す。

これからやってくることが確定した出来事に対し、私は並々ならぬ心の準備を始めた。

どう考えてもきついのはわかっていた。

何事もなく通過できるなんていう予想は一切立てられなかった。

だから、私は10月に向けて自分の中の楽しみを計画した。

少しの楽しみを用意して、あとはもうなるようにしかならないと最後は開き直った。

楽しみの1つに今のこの時間がある。

1ヶ月後の10月27日ないし28日にひとり反省会をやろうと決めていた。

その時は美味しいケーキを用意して(←本当に用意した)、美味しい珈琲でも飲んで優雅にひとり反省会!と思った。

ケーキは用意したけれど、私は今アルコールを摂取しながら片手に期間限定の北海道美瑛産のポテトチップス、一生のうちいつかは訪れたい町からやってきたじゃがいもを口にしながらこれを書いている。

いつだったか、朝からビール飲みながら家の掃除してたところに友達が来て「ぶっしーやるね!」などと言われながら一緒に乾杯したことも思い出した。

ケーキよりもアルコールの方がひとり反省会に向いている。

 

話はだいぶ過去にさかのぼる。

29歳の私は、30歳の自分が何をしているのか皆目見当もつかなかった。

そこを皮切りに今38歳になるまで、私は毎年毎年「来年の今は何をしているんだろう?」と思って1年1年を通り過ぎてきた。

気付けば1年として同じ1年がなく、仕事も人間関係も日常の生活スタイルもとにかく変化に富んだ日々が数年間続いている。

当然不測の事態なんかは日常茶飯事で、もうちょっとやそっとのことじゃ驚かなくなった。

いちいち驚いていたら体も心ももたないから。

変に慣れたというのもあるし、自分がどこの何に向かっているのかさっぱりわからないけれど、自分でもどうにもできないような人生の流れが水面下にあるような感じの30代を通り過ぎてきて、その流れにとりあえず乗っかってみようという感じだった。

 

話は戻してこの1ヶ月のこと。

 

これまでも「strange」という意味での変なことはたくさんあったからいちいちそれらを抜粋して振り返ることはそうそうしてこなかった。

だけど、この1ヶ月は本当の本当に不思議な1ヶ月だった。

そして不思議なことがいくつか起こった時に、ふと振り返ってみたら過去の色んなことたちと今とが一気に繋がり出した。

それで人生の棚卸し的な振り返りをし始めたのがこの1週間位。

 

33歳か34歳の時に、私は人生で初めて自分の人生の棚卸しをした。

でもその時の棚卸しは、ものすごく強い意志を持って意図的に棚卸しをしていた。

過去の点という点が線となって浮かび上がってきたから、私は過去の記録という記録を出してきて、スケジュール帳も写真もあれこれ並べては点と点を結ぶ作業を延々としていた。

その時に色んなことたちが、一見全く繋がりがないように見えても実は繋がっているということを体感覚で知った、という感じだった。

 

そして今回の2017年の9月末から今の10月末に至るまでは、意図はしていないところで人生の棚卸しが始まった。

正直1ヶ月前の私はこれからやってくるだろう色んなことたちに怖れを抱いていた。

向き合いたくないものとか、蓋をしてきた過去の何かとか、そういうものが浮上してくるんじゃないかと思っていたから。

実際にそうであった部分もあったけれど、そうではなくてもっと人生そのもののヒントになるような人や出来事がこの1ヶ月でたくさん出てきた。

これは想定外だった。

もっと感情に呑まれて(実際に呑まれているけれど)意気消沈・鬱々と過ごすのかと思っていた。

だからこそ自分のために楽しみを先に計画して用意した。

だけど実際は、意気消沈する時もドンと落ちている時もあったけれど、それとは反対に自分の人生で絶対的な形で存在しているもの、そういうものを知り始めることになった。

 

例えば、この今している「書く」という作業。

私はこの1年書くことを止めた。

全く書かなかったわけじゃないけれど、これまで100やっていたとしたらこの1年は10以下しかしなかった。

それぐらいに書くことから離れていた。

そうしたら、この1ヶ月の間で私は書くことを再開した。

理由はかなり不純だけど、いやある意味とても純粋だけど、とにかく再開した。

書こうという強い意志を持って再開したんじゃない。

気付いたら再開していた。

今の私にとって「書く」という行為は手段でしかない。

でもこの手段を使ってでも成し遂げたいことがある。

その成し遂げたいことのために、気付いたら勝手に書き始めてたというのが今回の流れ。

「書く」という行為そのものはまた別の機会に綴ろうと思っているけれど、多分私にとって「書く」というのは人生そのものに関わる作業的なものだと思う。

そして20年越しに自分の名前と「書く」ということのヒントが結びついて、さらには38年前に付けられた自分の名前と今とが繋がった。

 

私はこれまで自分の名前の意味なんて深く考えたことがなかった。

ぶっちゃけ、私の名前は両親の漢字を一字ずつ組み合わせて成り立っている。

だから、人に説明する時もそう説明しているし、それは日本語のみならず英語やスペイン語で説明する時も同じようにそう説明してきた。

だから私は自分の「史子」という名前に対してどんな意味があるのかなんてつい最近まで知らずに生きてきた。

両親でさえも私の名前の漢字にどんな意味があるのかなんて多分知らないだろう。

だけど不思議なもので、まるで名前に託されたかのように、このタイミングで書くことを再開して、自分の名前と書くことの繋がりを発見して、さらに先に先に進もうとしている。

進む…というのは少し違う気がする。

成し遂げるとか何かに向かってがんばるというのではない。

何かもう、どんなに自分がそこから逃げ出しても逃げ出せない、そういうものに向き合い始めた感じとでも言えばいいんだろうか。

気付けば、読み書きすら満足にできなかった小学校低学年の頃から私の生活の中には「書く」ことが含まれていた。

それは自分でも意図したわけじゃなく、とにかく「書く」という行為から絶対に逃れられないと言ってもいいぐらいに、常に書くことがついて回ってきていた。

 

話が飛躍したから少しまた戻そうと思う。

この1ヶ月で起こったこと見てきたこと聞いたことは、実は大元をたどれば1人の人との出逢いに起因している。

この出逢いは私に史上最高に色んなものたちをもたらした。

予定もしていなかったこの出逢いは、今もってどうして出逢ったのだろうかと思っている。

あまりにも予定外だったし、今の現状を見たら悲しい結末を迎えて終わっていることにはとりあえずなっているし、純粋に「しあわせになりたい」と思えばもっと他の出逢いを自ら求めた方が心が満たされるだろうとさえ思う。

本当に何でこのタイミングで?と思うようなタイミングで出逢って、そして当初は私の惹かれるポイントやタイプからことごとく真逆にいたその人に対しては、意識としては一切の興味関心がないことになっていた。

ノーマークだったその存在がある時からどれだけ私の中の意識内に入り込んだことか、ある種異常と言えば異常だった。

その異常さを私は勘違いとか思い違いとして長いこと放っておいた。

かなりの時間が経過してからようやく自分の中にあるものを認められた時、今度は物理的に会えないことが確定した。

当初はこの流れをものすごく恨んだ。

何だこれ?と思った。

何にも知らなかった頃には当然戻れない、かと言って先があるわけじゃない、こんな中途半端な状態で突然の断絶を迎えても私の気持ちは追いつかなかった。

「異常」という表現は字のごとくで「常と異なる」ことがすべてだった。

いくら数年に渡って意味不明なことがたくさん起こってきても、その中でも群を抜いての「常と異なる」状態が出てきたわけだから、混乱や不安は当然のこと、一体全体自分の人生がどんなことになってるんだろう??と思った。

 

ちょうど1ヶ月前、物理的に会えない状況がスタートして、私は私で自分の日常に戻っていくんだろう、最初は色々気持ちが入り乱れてもそのうち落ち着くだろう…なんていう風に思っていた。

たしかに表面上の日常は形として元通りと言えば元通りにはなった。

だけど、この1ヶ月で私の日常のリズムは大きく変動したし、自分がそもそも生きていることに対して2人の人からとてもはっきりと自分の存在価値や生きる理由みたいなものを伝えてもらい、そして1週間前の伯父の死を見て生きていることの凄さを改めて思い知った。

1ヶ月前には想像もしていなかったことが次々と起こり出した。

起こってくる出来事と日常のリズムの変化を見て、ふと自分の人生を遠くから眺める風にしての棚卸しを始めた。

 

私の人生にひょっこりと突然現れた人は、その人が具体的に何をしたということではないけれど、多分人生においてキーパーソン的な人なんだろうと思う。

「バタフライ効果」という言葉を知ったのは何年前だったんだろう。

ブラジルで蝶々が1羽飛ぶその微細な振動が遠く離れたアメリカで竜巻を起こす一因となる、そんな風な喩えだったと思う。

気象学だか何学かはわからないけれど、現実的にそういう理論が提唱されてるというようなことが書いてあったと思う。

あまりにかけ離れた発想のようだけれど、私はその考えが妙に心に残った。

(当時読んだ本は『バタフライ・エフェクト 世界を変える力』だと思う、表紙を見る限り)

今人生の棚卸し的な振り返りをしていると、全く関係のないことたち、それこそ蝶々と竜巻ぐらいの別物たちが、同一線上に浮かび上がってきている。

そしてそのキーパーソンがそこにどんな形かは今はまだ全容を知らないけれど、それこそ竜巻級の変化を私の人生にもたらしたのは本当だった。

 

さかのぼること5ヶ月前。

今の仕事の採用が確定した時、そして実際に行き始めてからも「何で私ここにいるんだろう?」とずっと思っていた。

そこにいる理由が私の中で1つもなかったから。

でも5ヶ月経ってわかった。

私はやっぱりそこに行く必要があったこと。

そしてこれまで「話す」ことを軸として仕事をしてきた私にとって、1日に数分しか口を開かない、しかもその口を開くことも最小限のみという状況も異様だった。

だけど、これも実によくできた環境設定だと思う。

黙ると色んなことが見えてくる。

黙っていなければ自分の内面で起こっていることや外で起こっていることを静かに見つめることができなかっただろう。

幸いにして、手をたくさん動かす仕事ではあるけれど、頭はさほど使わなくていいというのが、自分に集中できる状況をさらに加速度的に作り出している。

その自分に集中する状況があったからこそ、色々気付けるようになっていた。

これがそれまでの仕事スタイルであれば、自分じゃなくて目の前の誰かに集中していなければ仕事として成立しなかったから、今気付いていることに気付くことはなかったと思う。

 

この1ヶ月の振り返りはすごく面白く、また来月もしようと決めた。


上の文章の「ノーマーク」からのくだりは翌日29日日曜日に書いた。

そこから上は梅酒→スパークリング系→白ワイン→発泡酒という順で飲みながら書いた。

途中でケーキも食べた。

飲みながら書いたからどんな変なことを書いたかと思えば、けっこうまともだったからそのまま残すことに決めた。

日曜日の朝は、優雅に珈琲を淹れてケーキと一緒に買ってきたアップルパイを口にして、反省会ならぬ書き物をひたすら進めた。

この先の1ヶ月、すでに3つ予定が決定している。

なんとひょんなことから、過去に戻って謝りたいと思っていた人とも10年ぶりに再会できることがつい昨日確定した。

しかも私が設定したんじゃなく、共通の知人がみんなに連絡を取ってくれてその機会が設けられることになった。

必要があれば再会できるんだというお手本のような機会になる気がしている。

そしてキーパーソンが私の中でどんな風に変わっていくのかも、別の意味で楽しみだったりする。

ちなみにこの1ヶ月は、半分は想定内、半分は想定外だった。

 

これにてひとり反省会終了。2017年10月29日 雨の日曜日


~伯父の最後~



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