買ったのは真夏の東京でだった。
その靴は願掛けのような意味合いも含まれていた。
買った時に、その靴を最初に履くシーンを決めていた。
そのシーンが本当に現実のものとなるかは当時は不明だった。
でも現実に起こって欲しかったから、私は願掛けでその靴を買った。
結局願掛け通りに現実は動かず、ずっとクローゼットの中で靴は出番を待っていた。
このままいくと、冬を越えて春になってしまうことは目に見えていた。
願掛けしたことが叶うまでさらにずっとクローゼットの中…というのも何だか嫌だった。
そんなこと言い出したら永久にその時はやってこないんじゃないかという懸念まで出てきた。
せっかく自分のところにやってきた靴なんだから、今日履いて行こう!と決めて昨日おろした。
どこに履いて出かけたかと言えば、お墓だった。
1ヶ月半くらい欠かさず毎日お墓参りをしている。
お墓参りの効果がどれほどかは知らないけれど、色々と助けられていると思う出来事にこの1ヶ月半たくさん遭遇してきた。
何でお墓参りにその靴だったかと言えば、お墓参りで祈ることとその靴に当初願掛けしたことに共通点があったから。
願掛けは一方通行で終わってしまったけれど、それらすべてを陰で支えてくれてたと思しきお墓や3人のご先祖に対し敬意を払う意味も込めて、それで昨日その靴を履いてお墓参りに行ってきた。
いつもは朝仕事に行く前に慌ただしく手を合わせてくるから、何も予定のなかった昨日(2017/10/28)はいつもより長くお墓の前に手を合わせてあれこれ思い付く限りのお礼を心の中で唱えた。
そしてしっかりと願いも託した。
それこそ毎日お墓参りに行ったことで1つ気付いたことがある。
祈りを唱えている時や唱え終わる時、「きちんと届いてますよ」という意味なのかと勝手に解釈しているけれど、風が吹いたりその時だけぱっと太陽の光が雲の合間から出てきたり、時にはその時にしかない音が風と共に運ばれてきたりする。
お墓を離れるとそれらはぴたりと止む。
毎日ではないけれど、そういう日の方が圧倒的に多い。
毎回不思議だなぁと思いながら車に戻る。
自分の中ではちょっとしたパワースポット化しているお墓に行くために新しい靴をおろすというのもありだなぁと思ったから、昨日迷わずそうした。
その新しい靴は、おしゃれ靴だから次履く時がいつかは今はまだ知らない。
だけど、買った最初の時に願掛けしたそのことが、いつかの未来に本当に起こってくれたらいいなぁと今も同じように願っている。
0 件のコメント:
コメントを投稿