2016年4月28日木曜日

思い出の中だけで生きる場所

これまで一度も訪れたことのない場所を訪れた。

手続きのために向かって、帰りは思い出のある場所をひたすら歩き、当時仕事で使っていたバス

停からバスに乗った。

思い出のある場所の1つは大きな公園だった。

仕事の途中、ちょっとさぼって公園の中で休憩した。

平日の午前中に、中学生か高校生と思しき女の子がいて、どうしたんだろうと不思議に思っていた

あの場所だった。

今日は雨で、散歩のおばあさんと習い事に向かう小学生の小さな女の子2人とだけすれ違い、

あとは誰にも会わなかった。

ここかしこと木々が植えられていて、トトロのトンネルみたいだった。

当時の職場の近所で見慣れていたところは、ところどころ様変わりしていた。

中国人が経営していると思われる中華料理屋や大きな駐車場を備えたコンビニができていた。

中華料理屋が当時もあれば絶対に行ったのに、と残念に思いつつ、徐々に当時の職場に近付き

よく見慣れた建物が目に入った。

なんだか暗いなぁと思いながらも、まぁ元々暗い感じの建物ではあったから、そしてちょうど前の

歩道に植えられた樹木が邪魔していて見えないだけだと思っていた。

なんと前の職場は閉鎖していた。

会社自体はまだあるから会社は存続しているけれど、わたしの職場は閉鎖していた。

「テナント募集」の看板が窓に貼り付けられているのが目に入った。

まさかそんなことになってるとは思わず、直接3階建てのビルの中に入って行った。

下の駐輪場には当時の但し書きが残されたままになっていた。

2階に上がり、扉に貼ってあった事業所のシールはなくなっていた。

電気メーターも止まっていた。

そしてまたすぐに元の道を引き返した。

2階の踊り場で、ぽっかりと空いたスペースから雨空を眺めた。

いつかここでFと下弦の三日月を一緒に眺めて、それは時間にしたらほんの1~2分、ふたりで

感動した。

こんな風に夜に月を見ることもなければ、それがたまたま下を向いている三日月ですごくラッキー

と話していたFの姿は今でも目に焼き付いている。

最後の日、Iを外まで見送った。

外まで見送ってくれるなんて嬉しいと言いながら。

Yはいつも下に設置されていた自動販売機のジュースについて談義していた。

一時期撤去されて、その中のコーンスープが好きだったのに悔しいと真剣に訴えていた。

今日手続きした場所は、当時のお客さんが住んでいる町だった。

実際に歩いてみてとても遠いことがわかり、あんなに遠くからいつも通ってくれていたんだと

思ったら、ものすごく感動してしまった。

まだまだ思い出そうと思えばいくらでも思い出せる。

とにかくたくさんの思い出をたくさんの人たちと作った場所だった。

仕事の内容は全然好きではなかったけれど、そうした個人個人との関わりが大好きで、それだけ

を理由に続けられたと言っても過言ではなかった。

あの場所があったから出逢えた人たちで、作られた思い出だった。

今回4年ぶりの訪問で、この4年で色んなことが変わったんだと知った。

不思議と切なさはなくて、もう空虚となったそのテナントを見て、そこで一緒に思い出を作られた

その事実だけがなんだかものすごく特別に感じた。

当然そこに通ってきた人たちは今も9割がたはその地域に住んだままだろうと思う。

そこを見てどんな風に何かを思い出すんだろう。

時と共にどんどん色んなものを忘れるだろうし、もしかしたら一瞬たりとも思い出すこともないの

かもしれない。

別にそれでもいいなぁと思った。

多分もう自分の人生でそこには二度と訪れない。

ついでに行ける場所じゃないから。

二度と訪れることはなくても、わたしの思い出の中ではずっと永遠に残る場所、そして数々の

思い出たちも時々は人生の中で現れてくれるだろうもの。

そういうものっていいなぁと思う。

そういうものを持てたこともとても光栄だと感じてる。

当時はただただ辛かっただけの仕事が、今は素敵な思い出のワンシーンになっている。

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