2016年1月30日土曜日

心のダメージと回復

年が明けてすぐに数年ぶりの風邪を引いた。

最初は体調が優れずに体が睡眠を欲しているのだろうと思っていた。

風邪は1週間もすれば回復して、徐々に生活のペースを自分が思い描くように戻す予定だった。

なのに体はいつまで経っても意味不明な眠気と疲れを訴えてきた。

ペースを戻すどころか、風邪を引いた時と同じような感じで、時間さえあれば極力早く寝るように

なった。

今日は休みだったから昨日の夜は遅くまで起きていたって構わなかったけれど、22時過ぎには

眠くなり23時前にはすとんと眠りに落ちた。

たくさん寝ればすっきり爽やかという感じでもなく、なんとなく気持ち的にけだるい。

他にも顕著だったのは、このブログも他のブログも日々の手書きの記録も、ほとんど書くことを

やめたこと。

書きたくないとかいう感じとは違っていて、疲れた体を労わることが最優先となった。

料理や部屋のちょっとした整理整頓も面倒になり、なんとなくすべてが重たい感じ。

それで今さらだけど、心の方がすっかり疲弊してダメージ受けまくりであることをようやく理解した。

仕事の人間模様に無駄にエネルギーが使われてしまっている。

特に今週はひどかった。

わたしは他の人たちがいい加減な状態で手をつけてそのままにしている仕事を、たまたまその

仕事の対象になっているお客さんからの1本の電話でその中途半端な仕事をすることになった。

そういうのはいつかは誰かがしないといけないことだし、そして最大の救いはお客さん自体は

クレーマーでもなんでもなく、単に自分に関わることに関してどうなっているのかを連絡もらって

いないからそれについて問い合わせただけの人だった。

だけど、複数の人が実にいい加減な状態で放置していて、もう事態は大変な方向に動いていた。

当然いい加減な回答をお客さんにするわけにもいかず、わたしは回答はするけれどその肝心の

回答がどういう風なのかを確認した。

そこから悪夢のようなことが次から次へと起こりだした。

まず対応していた人たちは、「知らない、今どうなっているか知らないから、○○さんに聞いて」と

さじを投げる。

さじを投げられるたびにわたしは次の人次の人と聞いて回る。

3人目に当たった時、わたしはその人からこっぴどく怒られた。

なぜわからないものを対応しようとしているのか、なんできちんと確認しないのか、どうして勝手な

判断をするのか、と到底理解できない言葉が返ってきた。

わたしの知っている範囲での状況は全部説明した。

でも1つ1つ返しても、わたしの言葉は相手の耳に全く届いている風ではなかった。

怒った人はそれでも事態を責任ある立場の者として確認し、最終的にお客さんへの回答を

知らせてくれたけれど、何だかもうどっと疲れた。

実際にお客さんと電話で話したけれど、お客さんは怒ってもいないし、少なくとも知りたいことは

全部伝えて、そして伝えきれない分についてはまたわかった時点で連絡しますということで、

ものすごくあっさりと納得してくれた。

何も難しいことなんか1つもなかった。

難しいことにしているのは、社内の関わる人たちの無責任な対応だということに誰が気付いて

いるんだろう?と思う。

そして尻拭い的なことをしているわたしが何ゆえに怒られたのか今でも理解できない。

救いだったのは、その日のお昼休み、仲良くしている人2人と一緒に初めて3人でランチをしたの

だけど、真っ先に2人ともが

「あの午前中のやりとり、何だったの?全然悪くない人がめちゃくちゃな言われようで、あれは

何だったの?」と心配してくれ、そして細かな事情を伝えたら2人とも口を揃えて

「ありえない!!!!」

とわたし以上に怒ってくれたことだった。

わたしは渦中の人物で周りの状況なんか一切見えていなかったけれど、2人いわく、仕事が手に

つかない位のヒートアップぶりと怒った人の意味不明な発言で、思わずそちらをがん見してしまう

そんな状況だったらしいことも教えてくれた。

ヒートアップしていたのは、わたしではなく怒った人一人だけ。

さらに最後、社内のわたしのフォロー役の人がわたしのところに来て、事の顛末を確認していた

時に出た言葉で、「わたしが悪いことになっていること」が判明した。

わたしは自分が本当にできなくてとか失敗したことは責められても仕方ないと思っている。

だけど今回わたしは、たまたま誰しもが放置していてそしてもう手をつけられない位にひどくなった

事態の状態で、急遽お客さん対応を依頼されてやっただけに過ぎない。

自ら引き受けたわけでも自ら放置したわけでもない。

なのに総合的に自分が悪いことになっている、というのはものすごく納得がいかなかった。

納得はいかないけれど、自分はやれるだけのことはやったし、おかしくなっていた事態をある程度

軌道修正できたと思っているから、自分のやったことは良かったとさえ思っている。

これに限らず、こういうよくわからないことがものすごく沢山日常的に起こる職場だ。

心が疲弊しないわけない。

そういうことの積み重ねが、あの異常な眠気と疲れに繋がっているのだろうと思う。


本当に一連のおかしなことは日々沢山起こる。

だけど、真面目にやっていること、道理を通してやっていることは必ず伝わるということを身を

もって体験している。

直接に関わる人たちのいい加減な仕事ぶりとそれ故に回ってくる意味不明なフォロー的な仕事

には日々嫌気がさす。

だけどそうした私的な感情と実際のわたしの仕事には何の関係もないから、回ってきたものは

できる限りの誠意を持って対応するし完結に努めている。

つい数日前、フロアの責任者の人と面談する機会があった。

この方はつい3週間ほど前に着任されたばかりで、今全員と面談している。

わたしみたいに辞めることが決まっている派遣社員とさえも面談をする。

何せ日々直接話す機会がないから、どんな考え方や価値観の人物かというのは話す時まで

知らずにいた。

それでも遠目に時々姿を見かけてはすごく真摯に仕事をするし、小さなことも大切にする姿勢

というのは言葉はなくても伝わってくる。

人柄はそれだけでも良いというのが十分わかっていた。

実際の面談の時のこと。

その人のデスクとわたしの席は、一応顔が多少は見えて声も多少は聞こえる位の距離だ。

そうしたら責任者の方は、わたしの仕事ぶりをものすごく評価してくれていた。

例のフォロー役の人からは、わたしは毎回ぼろくそに言われものすごい低い評価ばかりを数々

受けていたから、その責任者の方の発言にはものすごく救われた。

自分のやっていることが正当に評価されたのももちろん嬉しかったし、その責任者の方は何せ

今30分×60~70名の面談をしているから、席にいる時間はかなり限られてくる。

かなり限られてくるのに、驚く位に内部事情をよく見ていた。

問題点となることも、強みとなる人物も、そして自分の手持ちの情報でどこから改善に向けて

実際に動いていけるかも、本当の本当によく見ていて、惚れ惚れする位のセンスだった。

情に厚いタイプの人だと感じたけれど、組織を動かす時は私情を挟まずきちんとビジネスとしての

審美眼を持っている。

現場ではなぜか意味不明な評価とぼろくそに言われたり責任を押しつけられたりと腑に落ちない

こと満載だけれど、責任者の方はそんな第三者からの意見ではなくその人が見たまま感じたまま

をわたしに伝えてくれた。

こんなことは言うべきではないし今さら言ってもとっても遅いのはわかっているけれど・・・と前置き

した上で、「残って一緒にやって欲しかったです」と3回ほど言われた。

それは人が減って困るという意味ではなく、わたしという人物を評価してそこはあくまで一個人と

して思っていることを思っているままに伝えてくれた。

それがあったから救われた。

変な評価を山ほど浴びていたからこそ、その責任者の方の言葉はまっすぐに届いた。

きちんと見てくれる人がいるというのは、それだけで自分のこれまでのすべてが無駄ではなく、

自分の信じていることがいつか実を結ぶこともあるということを教えてくれたりもする。

心のダメージは、それに取って代わる回復薬も必ずどこかのタイミングで届けられるんだと思う。

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