これまで一度も気に留めたことがなかったけれど、冬の紫陽花を見る機会に恵まれた。
冬の紫陽花と言っても、旬の頃の紫陽花とは全く様子が違う。
他の植物と一緒で、朽ちているか枯れているかで、それが紫陽花だなんて「そこに紫陽花が毎年
咲く」ということを知っていなければ見落としてしまうような容貌だ。
住んでいるアパートの斜め向かいのお宅の角に毎年きれいな紫陽花が花開く。
あとは、スーパーへ行く通り道の大きな公園にも所々紫陽花が群生している。
今日の日が暮れる前、両方の紫陽花を見たけれど、とてもあの梅雨の時にきれいに咲き誇って
いた紫陽花と同じとは思えなかった。
反対に、そんなにも違っているのに、そして今は枯れ朽ちているのに、また来年の梅雨を迎える頃
にはきれいに咲き誇るのかと思ったら、この紫陽花の生命力に感動した。
冷たい空気の中で、今の紫陽花は葉っぱすらも滅びようとしている。
自然の摂理ゆえ仕方ないにしても、けっこうみすぼらしい姿だ。
だけどそんなみすぼらしい姿でさえも、ものすごく強い生命力を感じる。
冬の気候に合わせて、紫陽花は紫陽花の今の現状をただただ受け容れて生きている。
そしてまた春が来て夏が来る頃、自然の流れに合わせてまた盛大な花をつける。
大人になると、こういう味わい深いことに気付けるようになる。
今までだったら絶対に見過ごしていたようなことにも目が向くようになる。
そしてそういうものたちから、自分が元気やエネルギーをもらう。
生命の偉大さに驚きながら、また姿を変えていく紫陽花の様子が楽しみで仕方ない。
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