2015年10月6日火曜日

それぞれが見ている世界

ここにきて、これまで出会ったことのないタイプの人たちに出会っている。

どちらかというと、喜ばしい出会いというよりも、自分の価値観をがんがん質問されるような、

その人たちは質問はしてこないけれども、自分自身で自分に問いかける場面が多い、そういう

タイプの出会いだ。

「年金」「働き方」なんかをリアルに語る同年代と思しき人。

たしかに将来のことを見据えることも、働き方も両方大切だとは思う。

だけど、限られた時間の中で、わざわざその話をしなくてもいいだろう、と心の中で毒づくわたし。

今、年金の心配しても、その時まで生きているかどうかもわからないし、仮に生きていたとしても、

必要があれば必要な形で何かはやってくるだろう。

それよりも、その時までいかに楽しめるかの方が大切なんだ、自分は…と気付く。

過去にいた場所と同じ場所にもう一度足を踏み入れたわたし。

それでも、やっぱり人が違えば見ている世界も違う。

ほとんど同じ条件下に生きていても、話の引き出しは人によって全く違う。

気付くと、以前は「年金」の話なんて、誰とも一度もしたことなかったなぁと気付く。

色んなことを面白がって話をふくらませた当時がなつかしい。

そう、何かを楽しむ能力に長けている人たちが多かったことに今気付く。

当時はそれをあまりに当たり前と思っていて、そんなこと特別だとも思わなかった。

見ている世界が違い過ぎて、話もどうしていいものか手探り状態だけれど、とりあえず疲れは

しないことが唯一の救いだと思っている。

そしてまだ再会できていないけれど、タイミングが合えば当時の面白い話をする人たちと再会

できる環境にあるから、それを今からとても楽しみにしている。

そこで色んな愚痴が出たとしても、一緒にぎゃははと笑い飛ばせる位のパワーはある。

そして愚痴だけじゃなくて、他愛もない生産性ゼロの話にお互いくつろぎながら話せる雰囲気、

それも自然と目に浮かぶ。

思い出した。

当時一緒にいた人たちというのは、みんなそれぞれが人生の浮き沈みを体験した人が多かった。

そしてその沈み方がけっこう半端なく大きいものであることが多くて、だから痛みを経験しても

それでも人生まだまだ笑える瞬間があるんだから!というのを素でやってる人たちだった。

どの人の人生の沈んだ部分の話も、仲良くなってからある日突然教えてもらった。

教えてもらうまで何も知らなかった。

だけど、教えてもらったら逆にあの天性の明るさや人生を楽しむ術を持ち合わせている人柄に

大いに納得した。

そういうのって、黙っていても伝わる。

それぞれが見ている世界は違い過ぎるけど、それでも今わたしがいる場所は今何か大切なことに

気付くためにあるんだと思っている。

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