2015年9月9日水曜日

ラザニアの思い出

自分でも気付いているけれど、食べ物の話題が最近多い。

当初このブログでは、食べ物の話は書かないつもりでいた。

このブログの主旨からずれているような気がしたから。

ただ、食べ物に関する自分の中の思い出や気持ちなんかはたくさんあるし、そしてそのために

新たなブログを開設するのはなんとなく馬鹿げていると思った。

それでいつだったか、「このブログの中では食べ物の話もOKにしよう!」と決めてからは、気付くと

食べ物話題が2~3回に1回は登場するようになった。

今回ももれなく「食べ物の話」。


昨日の夜、お気に入りの料理ブログの中で「ラザニア」が出てきた。

わたしは自分が一体いつラザニアを人生で初めて食べたのか記憶がない。

少なくとも大学生の頃だったのは間違いない。

ラザニアという洒落た食べ物は家で出てくることはなかったし、そして今ほど色んな種類のパスタ

が田舎町に流通していたわけではなかったから、母がラザニアを買って調理するなどということ

は絶対になかった。

わたしがラザニアを自分で初めて手作りしたのは19歳の頃だから、おそらくそれよりも前にどこか

で食べたのだろう。

ラザニアとは実に便利なパーティー料理だった。

まず見た目が豪華であること、なのに材料はシンプルでお手頃価格、多少の手間はあるにしても

作り方は簡単だった。

だから大学時代、ポットラックパーティーという名の持ち寄りパーティーでは、わたしはほぼ毎度

ラザニアを作った。

自分の家でも、誰か他の人の家で開催されても、基本はラザニアだった。

しかもラザニアの素晴らしいところは、ベジタリアンの人にも対応できるところだった。

要は、ミートソースをミート抜きの野菜だけで作ればいいから、たまに当たるNo Meatの会の時は

野菜ソースのラザニアを作っていた。

当時は、ベジタリアンの人も普通に周りにいたから、そこは少し気をつければなんとでもなる、

ということも学んだ。

映画『魔女の宅急便』で、「手作りのニシンパイ」のシーンが出てくるけれども、たしかにアメリカ

ではあの手のでかいオーブンが普通にどの家庭にも設置されている。

短期長期含め5軒はどこかのアパートや一軒家に住んだけど、どこもあのオーブンがあった。

だから当時はオーブン料理を数多く作っていた。

厚切り肉の丸焼きはもちろん、チョコレートケーキもあほみたいに沢山作っていた。

誕生日会のケーキなんかはオール手作りする位、料理にいそしんだ学生時代だった。


そのラザニアだけど、昨日の夜読んだブログを見て驚いた。

ラザニアというのは、本来ラザニア(パスタ)+ミートソース+ホワイトソースの3層が普通らしい。

そう、「ホワイトソース」も入っているのが普通と知り、それが衝撃の事実だった。

言われてみれば、わたしは「ラザニア」を、自分が作ったもの以外はおそらく一度食べたかどうか

でしかない。

しかも母は絶対に作らないから、家でも食べたことがない。

それでわたしは、自分の想像でずっとラザニアを作り続けていた。

まさか「ホワイトソース」もラザニアに必要とは。

もしかしたら一度だけどこかで食べただろうラザニアにも入っていたのかもしれない。

だけどミートソースの方が圧倒的に味が濃いから、ぼけてわからなくなった可能性も十分ある。

数ヶ月前のいつか、一度だけ余った餃子の皮を何とかするために、ホワイトソースも作っての

ラザニアもどきを作ったことがあった。

だけど、その時もミートソースの味が濃すぎてわからなかった。


実は、いつかイオンでフランスフェスタをしていて、たまたまラザニアが安く売られていて買った。

いつかは作ろうと今もまだ食管庫の中にしまわれたままになっている。

その時はミートソースもホワイトソースも手作りしてみてもいいかもしれない。

唯一「やろう!」という気分になれないのは、オーブンのせい。

あのアメリカ式のでかいオーブンが本気で欲しいと思っている。

電子レンジ機能もついたオーブンでももちろん作れるけれども、いまいち乗り気にならない。

将来の夢は、でかいオーブンが付いたキッチンを持つこと(笑)。

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