2015年7月30日木曜日

本のダイエットからの徒然

もう何回目の本の断捨離だろう。

だいぶ少なくなってきたとはいえ、まだまだ手元に残っている。

今回改めて5冊手放す。

今一体何冊あるのか数えてみたら、その5冊を除いて45冊だった。

最終的には30冊を目標にしたいなぁと思ってる。

この2~3年で行った物の断捨離を通して、どうしても手放せないものがあると気付いた。

死ぬ日の瞬間を思えば、本も、断捨離できずに手元にあるものも、何一つ自分と一緒に持って

行けるものはない。

本はなんとなくまだイメージが湧く。

いつかは全て手放すなり欲しい人に譲るなりするだろう。

わたしが手放せないものはそこにストーリーがあって唯一無二のもの、世界にたった1つしか存在

しないものたちだ。

思い出の品の時もあるし、10代の頃に着倒した服の場合もある。

服はもう自分で袖を通すことはなくても、布のデザインが気に入っていて2枚だけ手元にある。

元々60年代70年代の古着で買ったもので、わたしはそれを手にしてから今日に至るまで、

ただの一度も同じデザインの服を見たことがない。

断捨離関係の本を読むと、服にしても思い出の品にしてもそういうものこそ手放しなさいとある。

決して過去に執着しているとかではない。

それらを手放したところで、一瞬は心に隙間風が吹くかもしれないけれど、またいつもの日常に

戻っていくだろう。

書いていて嘘だと思った。

いつもの日常に戻るのは本当。

でも隙間風が吹くでは済まない。

執着しているのとは違って、言うなれば手元に残しているものは日記帳に近い存在だ。

その時その時で書き記した自分は、今の自分がどんなに記憶力を抜群に発揮したとしても、

やはりなれない自分だし戻れない自分だ。

普段はよく忘れるけれど、そしてこのブログを書いている時もそんな風に思うことは一切ない

けれど、日記を書く時だけは「今この瞬間しかない自分」をものすごく近くに感じる。

手放せない唯一無二のものたちにも同じ気持ちを抱いている。

別に過去に戻りたいとか、その時のことを今もずるずる引きずっているとかではない。

でも、もうその時にいた自分はそこにしかいない。

今のわたしではないし、未来のわたしでもない。

多分何かとても大きな変換でもない限り手放さないだろう。

それなら「手元に残す」ことを前向きに決断する方が早いかもしれない。

断捨離の本たちはたしかに色んなことを教えてくれたし、実際にそれであれこれ色んなものも

手放すことができた。

でも、それ以上はできないという自分の中の禁断の域がある。

それは手放すことで解決するものではなくて、残すことが逆に解決になるのかもしれない。

今書いていてそんな風に思った。

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