「土用干し」という響きだけで酔いしれてしまいそうだ。
梅雨が明けたと思ったら一度天気が大崩れ、ようやく毎日太陽マークの晴れを天気予報で確認。
待ちに待った?梅干しの土用干しをした。
この土用の時期に、2、3日梅干しを天日干しする。
条件はとにかくからっからに晴れていること。
去年の記録を見たら、丁度同じぐらいの時期に土用干しをしていた。
去年漬けた梅干しは味はOKだったけど、果肉部分と皮の硬さがどうしても気になる出来だった。
ネットで調べていくうちにどうもこの土用干しが梅干しの硬さ・柔らかさに関係することがわかり、
今年はなんとしても柔らかい梅干しを目指したいと鼻息荒く思っている。
梅干しの漬け方も色んな方法が出回っていて、何が正しく何が違うのか素人にはわからない。
いくつかの信用できそうな情報を掛け合わせて、あとは実験のようにやって結果を見るしかない。
一緒に暮らしている時は何とも思わなかったけれど、母は毎年梅干しを漬けている。
何の興味も湧かなかった当時は、梅の諸々の作業も横目で見ていた。
時々その手伝いを頼まれると、面倒くさいとすら思っていた。
だから細かな作業の手順とか、梅干しの様子だとか、目の前に大先生がいるのに観察すらも
しようと思わなかった。
今になってよく見ておけば良かったと思っても時すでに遅しだ。
だけど、たった1つだけ覚えていることが今回の天日干しで判明した。
天日干しをすると、梅干しとはまた違った特有の匂いが発生する。
独特の匂いだけど、それがまさに実家の梅干しを保管している場所とおんなじ匂いだ。
去年もやったはずなのに、全然その匂いに対して既知感も懐かしさも湧かなかった。
でも今年はどうだろう、その匂いが鼻についただけで、「うちのあの匂いだ」とすぐに思った。
そしてそれは子どもの頃から繰り返し嗅いできた匂いだ。
物置で母の梅干しは保管されているけれど、物置は基本的に年がら年中その匂いがする。
それがイコール梅干しの天日干しの時の匂い、という風にこれまでならなかったけれども、
今回の天日干しですべてが明らかになった。
嗅覚は人間の最古の才覚とどこかで聞いたことがあるけれど、本当に一瞬ですべてが繋がる。
匂いの記憶ほど強く体の中に残るものはないような気がする。
大袈裟かもしれないけれど、これから自分がどこに住もうと梅干しはずっと漬け続けたいと思った。
この匂いの記憶は、多分これから年を重ねれば重ねるほど希少さが増す。
それは自分の子ども時代だとか母の手仕事だとかを思い出す1つのカギだ。
こういう思い出の重ね方もいいなぁと思った、今年の土用干しスタートだった。
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