昨日5年来の付き合いになる友達というか、年上の尊敬する人に会っていた。
話をすればするほど癒されていくその過程に目を見張りながら、1つ思い出したことがある。
「自分が人生で大切にしているもの」、それを言語レベルで認識することは普段ほとんどない。
いつも薄ぼんやり頭の中にあったり心で感じたりすることはあっても、それをわざわざ言葉にして、
外に出したりすることはない。
一応ブログを書いているけれども、ブログを書くことと「自分が人生で大切にしているもの」を
言葉にすることは別々のような感じだった。
でも、昨日会った友達を見て二人で話していて、「これこそが大切にしたいこと」というのを、すごく
間近に感じた。
わたしも色々やらかすけれども、それでもやっぱり一番大切にしたいことは「人間関係」で、そして
縁あって一緒に過ごせる人たちとの時間だ。
それだけは、どんなにお金を積んでも成り立つものじゃない。
空気や太陽と同じで買えるものじゃない。
ただその2つと違うのは、いつもそこにあるわけじゃない。
人との関係や人との時間は、勝手に生まれるものじゃない。
それを築くのに、そして続けるのに、何かしらの思いや手を付け加えることが必要になってくる。
そしてその人間関係の中でも自分が大切にしていることがある。
いつもブログを書いている時、とりあえず一言で「○○」と表現できないから、だらだらとプロセスを
書くことがわたしの場合は多い。
表現できないもの(○○の部分)が何かは感覚でわかるから、それをひたすら言葉に置き換える
作業をする。
ただ、日々色んなことを書きながら何をわたしは言おうとしているのか、その共通のテーマが何か
いつもわからずにベールに包まれていた。
そのヒントが昨日、友達の口からもたらされた。
「○○」の部分は、やっぱり一言での表現は難しい。
これだけたくさんの言葉が溢れていても、それでもなお一言では言い表せない。
一言では言えないけれども、それを体や心で感じることはできる。
感覚の世界だから、それを言葉にする方が無理がある、と昨日の友達は言っていた。
だらだらとプロセスを書いてはいるけれど、実はそこの根底に「自分が感じていること」を何とか
表そうとしている。
友達は、「全員には厳しくても、わかる人にはわかること」という風に言っていた。
さっき、ある人のブログを読んでいた。
その人は珍しく、自分の過去の経験を言葉で綴っていた。
そこにはその人のストーリーが広がっている。
ストーリーとそこでその人自身が感じたことが、言葉ではわかりにくいけど、多分これだろうなぁ
というものがあった。
実は、そのストーリー全体が、過去にわたしも体験したことのあるものだった。
目で追っているものはその人のストーリーなんだけど、頭の中に広がっているものは自分自身の
過去の体験だ。
それにより思い出したことは、今思い出しても甘美だし、良い体験をしたと思っている。
その人はあくまで自分の体験をシェアしているだけなんだけど、それを読んでいる読み手の
わたしにはまた別のものをもたらしてくれる。
そこから思い出したことは、わたしだけのストーリーで経験だ。
言葉になんかできない、でも心の中で思い描くことのできるある日のある場面のその時の自分が
今いる。
それでいいんだ、と思った。
きれいな言葉で、わかりやすい表現で、綴る必要はない。
わたしが自分自身のストーリーを外に出すことで、そこから感じるものは十人十色だ。
誰が何を感じてもいい。
その感じる引き出しを1つ、また1つとこれからも綴り続けよう、とそっと自分に誓った。
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