2015年6月30日火曜日

今年の前半を振り返る

今日の6月30日をもって2015年の半分が終わる。

これまで6月末に「1年の半分を振り返る」なんて一度もしたことがなかった。

例えば、塾に勤めていた頃は、四半期だの半期だのの売上がどうで全体の成約率がどうで

顧客数の増減がどうで・・・なんていう話が年がら年中飛び交っていた。

毎週の会議の度にそれを延々聞かされていたけれど、全く興味のなかったわたしはいつも右から

左どころか右にすら入れず、いつも上の空で別のことを考えていた。

「四半期」も「半期」も存在すらしていなかった、わたしの頭の中。

あれだけ言われていたにも関わらず、3回は通過した6月30日をどうやって過ごしていたのか、

と記憶をたどったら1つ思い出したことがある。

毎年7月8月は地獄を見るように多忙を極めていた。

それが嫌でたまらず、6月も下旬になるとげんなりしていた。

だから、6月下旬に「さぁ今年の半分を振り返ってみようではないか」と思いつくことすらなかった。

そんな風で、さらにその後のここ3年の6月30日も、特に何の気持ちも湧かず通過していた。

今年もその調子でいく流れだったところ、突然この1週間で「この半年を振り返ろう」フレーズを

あちらこちらで見かけるようになった。

しかもその半年を振り返って残りの半年をどう過ごしていきたいかを見つめてみようなんてある。

すぐに感化されやすいわたしは、「さぁ半年を振り返ろう」と思い立ったが吉日、

今日はそんな調子で過ごしている。

さらに、この半年の疲れや澱みを落とすのにソルトバスと言えばかっこいいけど、いわゆる

塩をじゃばじゃばと入れた風呂がいいとどこかで読んで、さっき早速1kgの食塩を買ってきた。

ちなみに使うのは500gでいいらしく、2回はソルトバスを楽しめる算段になっている。

とにかく「良い」とされるものにはすぐに感化されやすいわたし。

昨日はある人から「名古屋に来てお世話になった神社がある。今回も名古屋滞在の時に時間が

できてその神社にお参りしてきた」という話を聞いた。

わたしも真似っこで、今日自分が6年前の秋に名古屋行きを決断した神社に行ってきた。

この神社はいつ出掛けても気持ち良い。

今日はくもりだったけれど、そんな天気すら気にならない位に気持ち良い空気が流れていた。

その神社もたまたま行き着くことになった場所だった。

就職試験の面接で、人生で初めて名古屋に行った。

縁もゆかりもない名古屋。

右も左もわからず、とりあえず会社が指定した駅に辿り着いた。

その日の朝、母親が弁当を作ってくれて持たせてくれた。

その弁当を食べる場所がないかと、指定された駅の近くをうろうろして、数階~十数階のビルが

建ち並ぶ合間にひょっこりと顔を出した神社だった。

それがその神社と出会った瞬間だった。

しかも、その神社というのが自分が子どもの頃遊んでいた社の雰囲気に似ていて、それを見て

名古屋行きを決断できたと言っても過言ではない。

名古屋は熱田神宮が有名だけど、熱田神宮よりそのこじんまりとした神社の方がわたしは好きで

もう何回も通っている。

冗談抜きで、あの日母親が弁当を持たせてくれなければ一生出会うことのなかった神社だ。

そのまま採用されて、会社の本社に通うのに何百回と使った駅ではあるけれど、会社のある

方向と神社のある方向は真逆で、特別に足を運ばない限り神社は行かない場所だった。

300m位しか互いの距離は違わないけれど、この300mは駅―会社間の道で見たら完全な

死角となる。

しかも会社側から神社側の方向を見ると、神社の前にでんと建っているビルたちが神社の存在を

100%消し去っているから、あの母の弁当がなければそこにずっと存在しているにも関わらず、

ないも同然になる。

ちなみに会社で仲良くした人たち数人にその神社の話をしたら、全員が「そんなのがあったなんて

知らなかった」と口を揃えて言っていた。

昨日の話に感化されて、丁度1年の半分の最終日の今日にその神社に行ってこれて良かった。

「残りの半年」を少しでも清々しく歩んでいくのに、新年の誓いじゃないけどそれに似た気持ちを

抱いてその場をあとにした。

今年の後半はどんな風になるのかはわからない。

わからないけれど、「こんな風だといいなぁ」とか「○○ができたらいいなぁ」というちょとした希望や

展望を抱ける今というのが、自分を励ましてくれる。

希望も展望も行方不明になっていた時期が色々あったから、それらを抱けるだけでわたしは

そこから勇気とパワーをもらえる。

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