夏至だの冬至だの日本古来の季節の言い回しにさっぱり興味がなかった。
今年は、ここ数日でやたらと「夏至」という言葉を目にして、自分なりに調べたりもした。
今日が1年で一番日の長い日だということは、36歳にして今初めて知った。
今は梅雨だし、本番の夏はこれからだけど、もう今日よりも日の長い日は夏にないんだと思ったら
とても不思議な感じだ。
ただ言われてみれば、たしかに夏の夕暮れ時の方が今の夕暮れ時よりどこか儚い感じはする。
今の夕暮れは夏に向かっている感じの、どちらかというと「陽」の雰囲気が強くて、
さびしさやわびしさよりも「元気な夕方」というイメージだ。
夕日に照らされてキラキラしている木々の葉っぱなんかも生き生きしている。
夏の8月に入ったあたりに一度どーんと暑くなり、その後は徐々に暑さが引き出す頃、夕暮れも
それに合わせてどこかさびしいものが混ざる。
これまで長いことそういう感じを自分で感じ取っていたけれど、今回「夏至」の意味を知って、
ようやく合点がいった。
そう思うと先人の人たちの季節の名前の付け方のなんとセンスのあること。
6月7月8月と西暦上ではなく、夏至・小暑・大暑ときたらもう次は立秋、そうやって微細な変化を
見逃さず、その時節に一番ふさわしい名前を付けていたんだから、本当にすごい。
今年はその二十四節気と呼ばれる日本古来の季節の言い回しに注目して夏を観察してみよう。
自分の中にある感覚と、古来の人たちの感覚、その2つが時空を超えて共鳴するのは面白い。
そして、その季節季節に合わせた体や太陽のエネルギーなんかを感じ取るのも面白そう。
梅干し仕事もそうだけど、こうして大人になってわかる愉しみというのに幾つになっても新しく
出逢えるというのが、とても粋でその雰囲気に酔いしれている。
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