これは全部の日本国内の情報発信に当てはまるわけではないけれど、
個人的に最近やたらと気になることが1つ。
「体に悪い食べ物」
「体に良いとされる習慣」
「友達が多い人の特徴」
「仕事ができない人の特徴」
「50代でもきれいな人がしていること」
こんな感じのタイトルの情報が巷には溢れ返っている。
とにかく異常な位の情報量。
それも、書く人は同一人物ではなく、日本国内在住の全く別人の方たちが発信されてると思う。
なのに、皆が皆こぞって白黒はっきりつけたがる情報を垂れ流しにしている。
白でもない黒でもないものの方が世の中圧倒的に多いにも関わらず、ある1つのことがとても良く、
それ以外はダメと言わんばかりの情報発信の方法に目を疑いたくなる。
例えば「健康」ひとつとっても、「健康」の定義は人それぞれだ。
「友達」についても、多いことが良いとする人もいれば1人でも信頼できる友達がいたらいいという
人も当然いる。
考え方も価値観も多種多様であっていい今の時代なのに、なぜか最近の情報たちは、ある特定
の価値観に傾倒する傾向が強い。
個人的に怖いなぁと思った記事の1つに、「友達の多い子どもの特徴」みたいなのがあった。
なぜこの記事が怖く感じたかと言えば、これを読む子育て世代のお母さんたちが、
「うちの子引っ込み思案でなかなか友達もできなくて・・・」と悩んでいたら、この記事はもはや
暴力的な内容に近い。
(実際にそういう相談も受けたことあれば、その手のお母さんの気持ちが書かれたブログも
よく見かける)
自分自身を見ていてもそう思うし、それこそ何百人という子どもたちを実際に見ても思ったけど、
友達が多い少ない、社交的内向的、おしゃべり静か、なんていう両極端の一部だけを見て、
子どもの個性の良し悪しなんて判断できない。
それぞれがみんな違ってみんないい、って言うときれいごとみたいだけど、本当にそうだ。
友達が多い子が性格的に明るかったり朗らかだったりするかと言えばそうでもないし、
反対に友達がいるのかいないのかもわからない子が根暗で性格が悪いわけではない。
そういうのも全部ひっくるめた上で「友達が多い子どもの特徴」なんていう情報が発信されている
のであれば問題ない。
だけど、読んでいる限りは、それこそきれいごとばかり言うな!と感じたし、これに当てはまらない
場合はどうしろと言うんだろう?と思ってしまった。
日本人特有の協調性は素晴らしいと思う。
これはなかなか欧米のような個人主義の国ではあまり見られないものだ。
だけど、「協調性」と「みんな一緒がいい」みたいな価値観は別物だ。
それぞれの個性があって、その違う人たち同士が協調するのが協調性であって、
何も同じ価値観を推奨するみたいな、それこそ「友達が多いのがいい」みたいなのは絶対に
違うと思う。
上っ面ばかりの垂れ流し情報に規制をかけることは言論の自由に反するからできないけれど、
せめて人を追い込むような情報ではなくてそれを読んだ人が救われるような情報だといいなぁ
と思いながら読んでいた。
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