今日の昼間、延々と梅干し作りのための赤じその作業をしていた。
その名残だ。
今回はもぎ取られる前の状態の茎付き赤じそを購入してきたから、まずはしそもぎから始めた。
その時はまだきれいな爪の色だった。
赤じその取り扱い方をすっかり忘れたわたしは、またネットでいくつか情報集めをした。
その中の1人が、「赤じそのあく抜きの時は、極力素手で行うこと」と書いていた。
何でそんなことを言うのかわからなかったけど、妙に強調していたから心には残っていた。
しそのあく抜きは、塩を振ってあとはぎゅうぎゅうと手でしそを押してしぼる。
すると、最初はどす黒い色の汁が出てくる。
回数を重ねて、ようやく赤紫色の汁が出てきたら終わり。
あれから3時間ほど経過するけど、全然爪のことは見てもいなかった。
今ぱっと目についてそれでぎょっとしたけど、次の瞬間は「あ、ばばちゃんの手だ」と思った。
ばばちゃんは、8年前に他界した母方の祖母だ。
ばばちゃんは若かりし頃から専業農家をしていたから、爪は常にまっ黒けだった。
どんなに洗っても黒さは落ちないようで、もはやしみのようになっていた爪だ。
自分の手にはぎょっとしたけど、ばばちゃんの手はいつ見てもそうだったから驚きもしなかったし、
汚いとも一度も思わなかった。
土いじりなんかで染まって黒くなった爪がばばちゃんのシンボルのようだった。
今日の赤じその作業は、正直あまり好きではない作業だった。
梅の時はテンションがすごく上がったけど、しそはそうでもなかった。
地道過ぎるのかもしれない。
やってもやっても終わらない感じに飽き飽きとしながら、なんとかやり過ごしていた。
ばばちゃんは、毎年何キロの梅を漬けていたのかは知らないけど、こういう作業を延々と日々
繰り返していたのだろうと思う。
晩年はテレビと新聞にかじりついてほぼ家事は何もしていなかったけど、その前まではとにかく
四六時中手を動かしていたイメージがある。
ある時は豆類のさやとりをし、またある時は乾物の準備をしていたような記憶がある。
だからばばちゃんの黒い爪やごつごつとした手は「働き者」のイメージが強い。
今の自分の手の匂いをかぐと、赤じそ独特の青臭さがする。
この匂いもばばちゃんの手の匂いだ。
そんなに何度もくんくんとかいだのだろうか。
そんなことした記憶がないけれど、でもこの手の匂いはばばちゃんの何かと結びつく。
去年も赤じその作業をしたのに、今年みたいにばばちゃんを思い出すことはなかった。
今年の梅干し作業は、不思議と過去の思い出が数々よみがえってくる。
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