『物は語る』と題したけど、実際に物が喋り出したというような怪奇現象の話ではない。
生活用品にまつわる某エッセイを読んでいたら、
過去に人からもらったある物とその結末を思い出した。
わたしはまだ使えるそのある物を、結果として自分の手で処分したのだけど、
まさにそれと同じことがその送り主とわたしとの間で後々起こり、
もしかしたら処分する時に、そうなりますよ~と予言めいたものが物から発信されていたのでは?
と思う。
いただいたものというのは、非常に実用的でそしてデザインの良いものだった。
わたしは実際に使っていたし、部屋の中に新たな彩りが加わって良い風であった。
ところが、ある時からそのもいただきものが床に何回も落下することが続いた。
落ちないように工夫したし、支えの部分をさらに補強した。
落ちても割れたり壊れたりするものではなかったから、物自体はいつも無事だった。
だけど、度重なる落下は、わたしにとってストレスとなり、
もう何回目かはわからない落下の時に、わたしは「捨てる」ことを選んだ。
補強してもしても落ちる物。
そしてその度にイライラする自分。
無傷の物は、まだいくらでも使えたけれど、そのイライラから自分を解放すべく、
送り主やその送り主に手渡る経緯に携わった人たちにも申し訳ないと思いながら、
思いきって捨てた。
この時は、単に物が勝手に落下すると思っていたし、送り主との関係も良好だった。
ところが、その後になって、物が落下するのとはちょっと違うけど、
関係にひびが入ることが幾度か続いた。
ひびが入るという表現が適切かわからないけど、わたしの中でもやっとするものが残る、
そういうやりとりが続いた。
そしてとうとう、そのもやっが塵も積もれば山となり、わたしは爆発してしまった。
わたしは自分の思いをそのまま伝えた。
関係修復をどこかで望んではいたけれど、現実はわたしの意志表示を皮きりに関係が終わった。
家の中で物が何度も落下していた時。
重さに耐えられないほど重い物ではなかったと思うし、
自らの手で処分するようになるなんて想像すらしなかった。
ただ、今になって振り返ると、すでにあの時点で物が何かしら語っていたのではないかと、
ふとそんな風に思った。
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