2015年1月21日水曜日

目のきれいな人

思い返されるのは、Sさんの目。

今日数ヶ月ぶりに再会したSさん。

Sさんは、わたしが春夏と仕事でとってもお世話になった人だった。

おいしいお店でランチをご一緒しましょう!となってから幾らか時が経ち、

ようやく今日ランチ日和を迎えた。

春夏しか会ったことなかったから冬のコートを着ているSさんに会うのは今日が初めてでも、

高架橋の上から待ち合わせ場所を見下ろした時、

遠くから見てもあれがSさんだとすぐにわかった。

Sさんという佇まいは、冬のコートを着ていようが変わらず、

わたしと会ってすぐにほころんだ笑顔も相変わらずだった。

たかだか数ヶ月しか一緒に働いていなかった割には、実に色んな話を共有した方だった。

わたしよりも20歳ほど年上のSさん、もうお孫さんも数人いらっしゃるけど、

おばあちゃんでもお母さんでもない、Sさんはわたしにとって大人の女性だった。

がははと大口開けて一緒に笑うこともたくさんあったし、

手作りのものや何かおいしい頂き物があると会社までわざわざ持ってきてわたしにくれて

肝っ玉母ちゃんのようなことをしてくれたこともあったし、

スーパーのお得情報も、仕事の色んな愚痴も、かと思えば人生のある1ページを語ったり、

組織という中にいながら、実に楽しい愉快な時間を過ごさせてもらった。

Sさんはわたしの席の隣りで、仕事中は横顔を見るか、

少し体を斜めにして向かい合わせに少しでもなるようにして話していたかと思う。

でも、やっぱり真正面ではなかった。

お昼のお弁当の時間も斜め横とかだったし、

いつか2人で土曜日出勤の日は、L字型にテーブルを囲んで窓の外を眺めながら

暑いさなか辛い辛いタイカレー弁当を2人で大汗流しながら食べたこともあった。

やっぱり真正面ではなかった。

グループ内で送別会を開いてくれた時も、Sさんはわたしの真横にいたから横顔だった。

よくよく考えてみると、Sさんの顔を正面からしっかりと数時間拝んだのは今日が初めてだった。

今日もいろ~んな話をしたけれど、わたしは話の内容よりもSさんのきらきらした目に

惹きこまれて仕方なかった。

本当に、目がきらきらしていた。

軽く化粧をするだけの人だから、化粧とかではない。

小さな子どものような感じの目とも違う、あの子ども独特の無邪気な透明な目。

これまで見たどんな人よりも目がきらきらしていたし、

魂のきれいな人、という感じの目だった。

魂のきれいな人の目というのがどんな目なのかわからないけど、

あのきれいさを表現するのにはどんな言葉がいいだろうって考えていた時に最初出たのが、

「魂のきれいな人」だった。

Sさんが数ヶ月の期間で話してくれたSさんの人生の軌跡の数々は波乱万丈だった。

本人が決めたものもあれば、本人がどんなに努力や良い行いを日々していても

防ぎようのない出来事もあった。

もちろん全部なんか知らないし、自分から尋ねたこともないから、

Sさんが話してくれたことは、50数年の中のほんの一部だ。

それだけで十分に波乱万丈とわかるのだから、

大層なアップダウンな人生を送ってきたんだと思う。

概要だけかいつまめば、非常に重たい内容になる。

でも、Sさんが話すと重たいことも重たさではなく強さみたいなのがいつも伝わってきた。

そして、どんなに理不尽なことや不幸と言いたくなるようなことでも、

それらをすべて通り抜けて今底抜けに明るいSさんがいる。

Sさんの目の奥からそれらすべてを映し出しているような、

目の奥に邪念も邪気もない、大人特有の計算や駆け引きもしない、

人間としてあるがまま生きている、

辛いことも楽しいことも存分に味わって生きています、というような、

何とも表現しがたい輝きをずっと放ち続けていた。

ここまで目に力の有る人も見たことない、と何度も思った位にわたしは今日じっと目を見ていた。

あれだけ毎日のように顔を合わせていたのに、今日までこんなにも目のキラキラした人だと

知らずにいた。

どこに行き着く予定の人生なのか、自分の人生がさっぱり読めないけれど、

わたしがあと20年くらいして今のSさんと同じ年になった時、

ああいうキラキラした目を持てるようになりたいと、

どんなに波乱万丈なことになっても、ああいう目の大人になりたいと心底思った。

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