2013年10月31日木曜日

農業はセンス


『農業はセンスだと思う』


その一言に、わたしは最初どういう意味でそれを友達が言っているのかわからなかった。


どういう意味か、この発信者である友達に突っ込んで聞いてみるとこんな風だった。



最初にわたしは友達からこんな質問を受けた。


「ぶっしーがどうやって職場まで行ってるかわからないけど、
仮に歩いて行ってるとして、その間になんびきの虫を見つけられる?」


しばし考えて、
よく見るのはうちにある観葉植物の周りをうろうろする小さな名前も知らない虫と、
最近お昼を食べる公園で時々服に止まる、赤い2ミリくらいのクモみたいな虫とを思い付いて

「2ひきかな…」

と答えた。



友達は続けた。


「多分、俺が同じところを歩いたらもっと見つけられると思う。
子どもの頃から虫とか好きだったからね~。


同じ道を歩いても、
ぶっしーが目にするものと俺が目にするものは多分違うと思う。


ぶっしーが気付いても俺が気付かないものもあれば、
俺が気付いてもぶっしーが気付かないものもある。


それぞれ同じところを歩いても、まったく見える世界は違うはず。


で、さっきの『農業はセンス』の話の続きだけど。


それは『畑をどう見るか』がカギになってくる。


同じ畑に立った時、何が見えているかで、出てくる結果はまったく違うものになる。


たとえば、今日今年初の白菜を出荷した。


この初出荷の白菜は、正直ちょっと「初物」としては遅い。


あと1日、たった1日でいい、夏の日に早く植えていたら、確実に初物はもう少し早かったし、


そして白菜としての出来も数段良くなっていたと思う。


畑を見て、何を感じ取ったか、そこから何が見えたかで、


まるっきし違うものが生まれる。


最初の虫の話もそう。


なんびきの虫に気付けるか。


たった1ぴき、小さなちいさな虫に気付かなかったとする。


数が少ない時に気付けば、すぐその時に何とかすることができる。


その少ない時点で気付かず、大量に発生してから気付いたとしたら、


それはそれは大変な作業になってしまう。


俺からしたら、くすり(農薬)は最終手段。


早くに気付けば、くすりに頼らなくて済む。


些細な小さなことだけど、それに気付けるかどうか、


そういうこともとても大切になってくる。」



さらに、友達は将来の自分の農業の方面の展開と共に、彼の人生訓を続けて披露してくれた。



「俺は夢は見るものだと思っていない。


俺の中で、夢は、将来の希望そのものとイコールになってる。


叶わないものではなくて、形にしていくものだと。


当然、できないことも出てくる。


俺は「できない」と思った時にすることがある。


それが『夢を分解すること』だ。


飛行機だってボルト1個から始まってる。


夢もそれとおんなじで、夢全体を見て「できない」と思う。


そういう時は、分解する。ばらばらにする。


そうすると、明確になる。


そしてできるものを見つけてできるところからやっていく。」

2 件のコメント:

  1. 深いね。あいつは良いこと言うなぁ。

    返信削除
  2. そうちゃんへ。
    ほんと良いこと言うよね~。
    その深い内容をきちんと自分のものにして表現できる、というのが、
    私からしてめちゃくちゃ憧れる!!!

    返信削除