ブログを書かないことはまだ良しとして、今年こそは元旦に届くよう準備した年賀状を書かないのは、自分でもかなり気になっていた。
でもいかんせん書く気が起こらず、このままもう何も書かない、年賀状もブログも他にひょんなきっかけで書くことになった手紙2通も半永久的に書かないんじゃないかと思うこと数日。
月曜日(12/26)残業もして疲れているはずなのに突如スイッチが入って、まずは帰り道に地元の郵便局に寄って年賀状にペタペタと正月模様のスタンプを押してきて、帰って諸々全部終わったら木のテーブルをセットして1枚また1枚と一気に6枚の年賀状を書き上げた。
すでに1人だけ早々と書いた友達がいたから今年は7枚書いたことになる。
手紙やハガキが入っているクッキー缶を開けたら、もう1人というかもう1組の夫婦のことを思い出して、それはもう1枚追加で年賀状を買って書いて出したいと思った。
スタンプ以外はオール手書き。
これはもう特技と言ってもいいかと思うけれど、私は全部それぞれの人に書きたいエピソードを書いていて、それを何も考えずいきなり本番でさらさらと書いていくことができる。
1人1人全く違う話を書いているし、それが私には苦にならないから自由に書いている。
これは面倒に感じていた年賀状だけの繋がりに近かった人たちを数年前名古屋から新潟に引っ越した時にバッサリと切ったことも大きい。
切った人たちは、同じように書くにしても書く内容を考えないといけなかった。
考えて書くのはしんどいし好ましいことじゃない。
このブログ級に自由自在に書ける人たちにだけ出す年賀状なら苦にならないんだと気付いた。
ようやく師走感が出てきた、今年もあと数日の今になる。
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今年の年賀状で「このために年賀状ってあるんだ」と感じたエピソードがある。
その中の1人は、本当にお世話になったから「去年は◯◯をしてくれてありがとう」と書くと共に、去年のお礼を書いて伝える、それが多分年賀状の大元の起源に直結する昔ながらの在り方なんだろうなと思った。
「去年はお世話になりました。ありがとうございました」とかいう定型文に私は長いこと疑問を持っていた。
お世話になっているどころか年賀状でしかやりとりしないような人たちにそのように書くのは悪い言葉ではないけれども本当の言葉じゃないというか、嘘をついているみたいで好きじゃなく、だからその言葉はある時から避けるようになった。
ちなみにどうでもいいことだけれど、全部手書きで書く私の場合、年賀状だけのやりとりの人たちの時はそれを書いて文字数を稼ぎたい衝動に何度駆られたかわからない。
今回は本当にお世話になった友達がいて、その友達にはしてもらったことをそのまま言葉にしてありがとうと改めて伝えた。
今年は何人か再会組がいたからその時にお世話になった面々にはそれぞれありがとうと書いた。
それは本当に「お世話してくれてありがとう」という原体験さえあれば、頭で考えることなんかなくてしてもらったことをありがとうとそのまま伝える、それが年賀状の役割でもあるんだと思った。
その原点に気付いた今回の年賀状はとても有意義なものになった。
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大学時代の恩師ジョンから今年もクリスマスカードが届いた。
カードの中で大学があった町に行ってきたことやこの後数ヶ月の日程で奥さんの実家であるマレーシアに行くと記されていて、とりあえず元気そうだと知ってホッとした。
私も今回は20年前に撮ったジョンとの写真も添えて送ったけれど、ジョンがアメリカを経つ前に届くかというと多分届かないだろうと思った。
数ヶ月先にジョンが自宅に戻った時に無事ジョンの手元に届くといいなと思う。
アメリカは普通に郵便の制度が成り立っているから、数ヶ月も不在の時は郵便物をどうするんだろうと思う。
ポストにだって限りがあるだろうから、そのうち入らなくなるだろうし。
親族とかご近所さんが何とかしてくれたりするんだろうか…。
いずれにしても無事にジョンに届いて欲しい。
「郵便の制度が成り立つ」という言い方はおかしいかもしれないけれど、ドミニカ共和国で郵便という制度が崩壊に近い国に住んでみて郵便が当たり前ではないことを初めて知った。
到着して最初の1ヶ月は語学学校に通ったけれど、その時に先生に郵便について聞いたら「配達員なんてもう長いこと見てないわ!今でも配達員なんているのかしら?」というワハハと笑いながら説明された時には度肝を抜かれた。
オフィスとかは別として一般家庭に郵便屋さんが配達するところなんてただの一度も2年間で見なかったし、郵便自体もどうやって出していたか忘れたけれど、とにかくすごい決まりきったところだけしか取り扱いがなかったと記憶しているし、自分が受け取るにもそれこそオフィスの住所を借りて出してもらってた。
街中にポストももちろんないし、家にも郵便受けのポストがない。
公共料金の支払い関係の請求書はどうするの?と聞いたら、それは各家庭に各供給会社が紙を配ると言っていた。
交通ルールもはちゃめちゃな国で、違反の切符を切られてもその場で捨てるということが当たり前の国で、日本じゃ色々考えられないくらいの超独自路線のやり方を貫いている国だった。
それはそうと、日本みたいにきめ細やかな郵便制度があるのはあれは本当に奇跡であって、世界の全部の国と比較しても相当素晴らしい制度と精度を持っている数少ない国な気がする。
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大雪の時の話とか自分へのクリスマスプレゼントの話とか、他にも東京滞在記や長野日帰り旅の後半部分とか書きたいことは色々あるけれど、どれもこれも年越しになりそうな予感( ̄∀ ̄;)。
せめてあと1回くらい年内にブログがアップできたら御の字だと思っている。
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