5月2日と6日を有休にして、10連休にした。
とりあえず引きこもれるように、連休前の木曜日の仕事の後にあちこち食材の買い出しに出かけた(単なるスーパー数軒のはしご)。
ヤマザキのパン祭りの点数を確認するために途中で一度家に帰ると、町内会業務の市報関係のお便りが家に届いていたから、引きこもるために私は大急ぎで全部で14世帯分の紙の仕分けをして、新たな回覧板の仕分けも2部分作って(世帯数が多いから、回覧板を毎回2部分作って回す)、そそくさと夜暗い中各世代に配った。
家に帰ったらすぐにお風呂に入れるように追いだきのスイッチも入れて、また買い出しの続きに出た。(もちろんスーパー)。
商店街の道沿いに、たくさんののぼりが出ていた。
祭りでもあるのかと思ったら、市の文化ホールや図書館関係が全部新設されることになって、数年越しにようやく完成して5月からオープンすることがわかった。
頭の中では色んなことが思い浮かんだ。
連休初日の今日は精力的に色々やりたいことがあるから(もちろん家の中で)、「1時間」と決めて、今昨日の夜のプチドライブという名のスーパーはしご中に回想したことを書けるだけ書きたい。
*
買い出しの途中、隣りの市の道の駅にも行った。
今、玉ねぎがとにかく高くてずっと買えないでいる。
その道の駅は北海道のどこかの農協と提携しているのか、いつも玉ねぎの特売をしている。
それを期待して見に行ったけれど、玉ねぎはどこも一緒で超高額商品として並んでいた。
その道の駅は、イケメン上司がいた職場のすぐ近くで、あと1分2分と車を走らせたのならその場所に着けるところにある。
天気も良くて近くまで行こうかと考えたけれど、やめた。
ペンジュラムもNOだった。
そもそも、夕方の時間でうっかり関係者がいたら…というところまで考えた時、はたと気付いた。
もしかしたらもう事務所がなくなっているかもしれない。
仲良くしていたSさんからうんと前に聞いたのが、3月と言っていた気がするけれど、全国的な組織編成の変更に伴って、イケメン上司が所属する企業は新潟県の担当から外れるとかで、それで事務所が閉鎖されると聞いた。
だからもう事務所そのものがない可能性の方が高い。
3月の自分の誕生日に有休を取って1人ランチに出かけた時、その近くを通らないといけないところに行った。
大通りから事務所の方に目をやると、見慣れた事務さんの車があったから、まだやってるんだなと思った。
今はわからない。
もう本当に閉鎖になってるかもしれない。
建物の所有はしてないから建物は残り続けるはずだけど、もう事務所はなくなってるのかもしれない。
その場所は本当にわざわざ行かないとついでに立ち寄るような場所になく、そんな場所に私がその職場に行く何ヶ月か前に迷子になって行き着いて、Uターンするために車体の一部をちょっとだけ駐車場に入らせてもらって…、なんてことは普通にありえないわけで、本当によくぞそんな風に迷子になれたもんだなと思った。
そんなことを思いつつ、家の方向に向かう当時の通勤路を走りながら、「この夢は叶わなかったけれども、時間をかけただけあってそのことを静かに受け止められてる」と思った。
私はひそかに1つ「叶ったらいいな」と思ったことがあった。
もしイケメン上司と会えるような仲になれて、そしてもしイケメン上司がもう一度新潟の地に足を運んでくれるようなことがあったとするなら、イケメン上司と一緒にもう一度事務所に行ってみたかった。
大前提が色々おかしいのは百も承知だし、これこそ本当にとってもおかしな、夢どころか妄想、妄想というよりもあの世の世界を想像するくらい、つかめない雲を掴むみたいな話だけれど、私はひそかに本当にそれを叶えたかった。
それはもう叶うことはないんだな…とドミニカの陽気な音楽がかかった車内で静かに思った。
1年前の今くらいだったと思うけれど、協力隊の時の知人の女の子が若くして亡くなって、そういう生き死にが関係することを思う時、生きてるうちにしか叶えられないことってたくさんあって、でもこんな風に叶えられないことももちろんあって、受け止めながらも色んな気持ちが湧いた。
生きてるうちにイケメン上司にもう一度会えないのかな…とこれも静かに思った。
*
最後の1軒のスーパーで買い出しが終わると(全部で8軒はしご)、けっこうなお金を使ったなと思いつつも、それだけたくさんお金を使えるくらいに今働いてお金を稼げていることに感動した。
お金が底をついても働こうとしなかった自分を何度も見ているから、普通に仕事に行って(やりたいことではなくても)、生活できるだけじゃなく、今回みたいにある程度好きなように食材を買えるというのは私には一種の贅沢みたいなもので、それができてることに単純に感動した。
今回買った中ですごく満足したのが、30枚入り餃子の皮を半額の50円で5袋買えたことだった。
単純に計算したら150個餃子を作れる。
250円で150個…、単価を考えたらただみたいなものだなと思った。
これも超くだらない話だけれど、私はこの間とうとう味の素の冷凍餃子デビューを果たした。
料理ブロガーの人たちがこぞってイチオシしている味の素の冷凍餃子。
これは少しだけ期待した。
料理上手な人たち、中には私がレシピを試した人たちもいてそれでおいしいレシピに当たったこともある、そういう人たちも絶賛しているから大丈夫だろうと。
私は別にグルメでもないし味にうるさいとかもないけれど、そしてジャンクフードも好きだし、スーパーのお惣菜も何の抵抗もなく好きこのんで買って食べるけれど(ちなみにスーパーの惣菜はおいしい店とそうでない店とがある)、冷凍餃子やスーパーの餃子コーナーに売っている冷蔵の餃子だけは、どうしても苦手な味がする。
保存料的なものなのかは知らないし、餃子の時にしか感じないからそれが何の味なのかもわからないけれど、とにかく機械で作った系の餃子特有の味がある。
で、味の素の冷凍餃子はすごいおいしいと超評判だから、この間試してみた。
たしかに冷凍であそこまでのクオリティーはすごかったし、味も普通においしいものだとは思うけれど、やっぱりその私が感知する苦手な味がした。
自分以外でそんなこと言う人に当たったことがないからわからないけれど、とにかくその味がすると「おいしくない」といつも思ってしまう。
だから餃子だけは毎回適当に味付けするから味も落ち着かなければ焼き方もフライパンとの共同作業具合でまちまちな完成具合にはなるけれど、それでも自分で作った方がおいしいと思う。
ちなみにお店で食べるのは別で、それはみんなどこもおいしいと思う。
多分機械仕様の餃子が苦手なんだと思う。
だから今回、ゴールデンウィーク中の数日間は両親が金沢から帰ってくるから、その時にも餃子を作って焼いてもいいなと思った。
ちなみに10連休初日の今日、夜は占星術の講座があってその前に飲むことはできないから(飲んだら眠くなりそう)、昼飲みを企画していて、その時も餃子を作って焼こうかと思っている。
夜は生きくらげともやしとひき肉を炒めての味噌ラーメンの予定だから、その時にも餃子を焼けばいいかな〜なんて思っている。←食べ物の計画だけはとてもスムーズ。
*
餃子の話が盛り上がりすぎて1時間を超えてしまったけれど、買い出しの最後に思ったことを書いてそれでアップしたい。
買い出しが終わって家に帰る時、私はいつもの道の方じゃなくて、小さい頃に住んでいた方の町の道の方を通った。
わざとそうした。
イケメン上司がいた事務所とか、ニート引きこもりだった時の自分とか、ドミニカの音楽とか、そうだった、最後のスーパーでは私が20代の頃に流行っていた浜崎あゆみのBGMが流れていて、20代の頃の自分を思い出したりしていた。
20代の自分からは考えられない今の自分であると共に、色々やりきった20代を思ったら、もっと過去に戻ってその自分を回想したいと思った。
そして、今ニュースで連日報道されてる行方不明になった女の子や海の事故で亡くなった小さな女の子のこともあって、私は当時の記憶を辿りたい、そう思った。
その通りに差しかかった時、自分でもビックリしたくらいに当時の記憶がとても鮮明に出てきた。
その道は、普通の通りではあるけれど、そこを5歳くらいの私が若そうな男の人に口を塞がれながら連れ去られた道で、私はジタバタしていただろうし、そこそこの体の重さもあったと思うけれど(年齢からすると17〜20キロくらいの間)、その人は火事場の馬鹿力じゃないけれど、その私を抱えて歩くだけのすごい力を出していた。
私は近所の家に行っていた母親を迎えに行くと言って、家で飲んでいた父とその友達にそう告げて本当に30秒もあれば着くような夜道の途中で連れ去られた。
その道を車でゆっくりと進んだ。
そして今は別の家が建っているところで、そこで当時あった町の書店のおばちゃんがちょうど店じまいのために外に出てきたところとかち合って、そこで私がそんなことになっているとすぐに気付いて、後にも先にも聞いたことのない大きな声で男を怒鳴りつけて、そして男はパッと手を離して私を置いて走って逃げて行った。
そうやって自分は危機一髪で命を救ってもらった。
今現在も、大きな事故や病気もなく生き永らえている自分というものが、とても凄いことだと感じた。
生きていることが当たり前のように感じている日常ではあるけれど、普通に生きていられたというのは本当にすごいことだと感じた。
1秒でも何かが違っていたのなら生きていられなかった、その上に今の自分がいるんだと思ったら、スーパーのはしごももう無くなってるかもしれない事務所も、何もかも全部が何ひとつ当たり前ではない、ヤマザキのパン祭りも餃子の皮もビールもどれも日常のなんてことないことたちでもそれは「命」があって初めて体験できるものなんだと感じた。
色々と家や空き地の感じは変わっていたけれども、夜の暗さやそこそこ街灯があっても人影がないゆえのしんとした暗さとかは当時と何ら変わりなく、あの時の体験がここまで鮮明に記憶に残ったのは、自分の命に対して今生きてるよと伝えるためでもあったんじゃないかとさえ今書きながら思った。
*
10連休中は、6日に陶器市に出かける以外は基本家にずっとこもるつもりでいる。
もしかしたら真ん中の妹も帰ってくるかもだけど(昨日連絡が来た)、それ以外は休息も含めて家でやりたいこと諸々ある。
頭の中の予定では。
・タロットカード遊び
・タロットカード用のマットのための裁縫
・友達のタロットカード読み
・別の友達の手作り誕生日プレゼントの用意
・大学時代の恩師への手紙書き
・衣替え(←これはしたくないけれども、やらないと生活に差し支える)
・部屋の片付け(断捨離含む)
・テレビ見てダラダラ
・1人飲み
・ブログ書き
・日記書き
・占星術講座(今日、初日の夜)
これも気付いたら2時間近く書いたけれど、とりあえず書きたいことを書けたから満足。
今日初日は、この後タロットカード系のやりたいことリストのどれかをやる予定。
洗濯やらと同時進行で。
朝は最近ハマってる、ダブルソフトをトーストして、マーガリン、はちみつ、ゆずジャムを塗って食べる予定。
ダブルソフトはもちろんヤマザキのパン祭りの副産物。
どうしたら点数を稼げるかを自分で調査した結果、ダブルソフトが一番お得だとわかった。
セールの時にかち合えば、100円近くする0.5点分の菓子パン系に対して、130円くらいで2.5点分のダブルソフトの方がうんとお得になる。
28点集めるとお皿1つと交換できる。
どうでもいいことだけれど、ヤマザキのパン祭りの皿は耐久性抜群で、我が家には何十年クラスの選手もまだ現役で活躍している。
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