「何で私はタロットカードを手に入れて1から独学で学ぼうとしてるんだろう?」
仕事中にそんなことを考え始めた。
先月の今頃に今年度の大型イベントが全て終わって、急ぎの責任重大な仕事から解放された。
途端に、本当に超のんびりモードに切り替わって、やる気は日に日に低落(現在進行形)、最近はルーン文字の外国語の解説を翻訳サイトにかけて調べたり、タロットカードの本のAmazonのレビューを読んだりしている、仕事中に( ̄∀ ̄;)。
で、まだ肝心要のタロットカードを買ってない状況で、なのに木製のカードホルダーを買ったり、タロット解説本を買ったり、タロットオススメ本のブログやサイトを読み漁ったりとなかなかの力の入れ具合だったりする。
そうした文章たちに触れるうちに、はたと気付いたことがある。
タロットだのルーンだのとここ最近ホットでブログもオカルト系ブログを書いているけれども、私は『占い』がしたいのとは違う。
占いに関しては、自分は占われる側として世話になりたくても占う側になりたいとは一切思わない。
その辺りは私の中にハッキリとしたスタンスがあって、他の誰もその人自身の人生は生きられないし、誰かの人生に責任を持てるような立場にもないわけで、すべてのことは本人が決めて本人が選ぶ、そうしたことに口出しをすることはお門違いだと思っている。
アドバイスや助言なんかも、基本的には誰かにするのはおこがましいと思っている。
その割にお節介など焼いたりすることもあるし、偉そうにならないようにキャッチしたメッセージを伝えたりもするけれども、そういうのと占い要素は私の中でかなりハッキリとした線引きがあって、とにかく吉凶を見たり方向性を導いたりみたいなのは絶対にやりたくないのと実際にやり方もわからないからやれないけれども、とにかく占いがしたくてタロットカードを手にするのとは違う。
そう、私はタロット占いをしたいのとは全く違う。
じゃあどうしてタロットカードを2つも同時に出迎える予定で、さらには本も3冊並べてのスタートで、自分でもビックリな独学スタイルをスタートさせようとしていて、なんなら下に敷くマットも手縫いでチクチクしようと思うし…とか、まぁ色々普通じゃない。
今書いた中で一番普通なのは、マットを自分で作ることで、どのサイトやプロのタロット占い師なり講座の講師のブログなんかを見ても
「初心者はタロットカードを2種類用意して、本は初級、上級、あとは自分の気になる本の3冊を用意して、独学でタロットカードを学んでみましょう」
なんて絶対に書いてない。
自分で書いていても変な組み合わせだなと思う( ̄∀ ̄;)。
で、毎朝の日課、ペンジュラムとサーフィンボードもといペンジュラム用のボードとで色々質問しておしゃべり的な、朝のラジオ体操ならぬペンジュラムボード体操的な、そんなことを毎日やっているけれど、その時に何で2つのタロットカードに3冊のタロット本とで独学をスタートさせるのか、その理由を聞いた。
それが一番効率が良い?
一番(やり方として)合ってる?
楽しい?
(私にとって)正しいやり方、正統なやり方?
と立て続けに聞いて、全てNOだった。
その後に、何て聞こう…?と考えて、こう聞いた。
「そうすることでしか得られないものがある?」
YESが出た。
その意味が私には感覚的にすぐにピンときてわかった気がした。
何を得るのかはわからないけれども、確実にその組み合わせでしか得られない境地や世界があるんだと思う。
話がどこに逸れるかわからないけれども、これは私のブログだから好きに書こうと思う。
例えば、占星術も私は基礎基本を徹底している先生から初級講座を受けたものの、私の読み方はとても偏りがあるし、なんなら星の情報を無視して感じたままに読んでることもかなり多い。
正しさや根拠を問われるとかなり困る。
けれども、自分の中に湧き出てきたりキャッチするものが別にあって、そうなるとそちらは出さないことにはどうやっても表舞台に立てなくなってしまうから、とりあえず出すだけ出す。
出してみると、相手がいる内容の場合、相手にはやたらと響いていたり、何かその人の中のキーワードや過去の分岐点なんかと重なったりする。
だからそこでもし私が正しさとか正当性みたいなのを見出そうとしたのなら、全てはおかしなことになってしまう。
正しさが今ある別のメッセージを潰しかねないことになる。
だから根拠なんかなくても、感じたものがあるならとりあえず感じたものを出すのが先決だと思っていたりする。
カードといい本といい、そんなにもたくさん並べてどうするのかと思うけれども、それら全てが揃って目の前に現れた時、そういう組み合わせにならないと見えてこないもの、私だから感じられるものがあるんじゃないのかな…なんて勝手に思っている。
さらに、正統版ではないオリジナルのタロットカードの見本で、見た瞬間からメッセージが飛び込んできたものがある。
その絵というのは、なかなかファンキーなでも威厳もありそうなおじいさんが、自分の持っている高価そうな金貨みたいなものを必要とするだろう人たちに配っているものだった。
まずおじいさんを見て、「長年積み重ねてきた知恵の持ち主」だと思った。
その知恵を人に分け与えることがメッセージかもしれないし、はたまた自分は手を伸ばしてる側で誰かからとても大切なものを教えてもらうなり譲り受けるなりするのかもしれない。
そんな風にしてタロットの本質的な意味なんかさっぱりわからないのに、答えのように感じたことがさっと出てきた。
他にもその手のカードがあって、細かな意味は後々わかるようになるとしても、既にある絵柄から私はいかようにでも感じて解釈できるように感じた。
例えば、剣が10本近く自分の背中に刺さって地面に倒れている怖い絵柄もあるけれども、それも万策尽きるとか終わりとかマイナスな方が出てきやすい感じは否めないけれども、その中でも私は「視点を変えることが自分を救う道に繋がる」だの「明るいところが今この瞬間にも存在している」だのと、本来暗い絵柄なのになぜかそうではないところも目に入って、そんな解釈をしている自分にも気付いた。
とにかく色々とタロットカードを紐解くと、その時に必要なメッセージが絶対にやってくるだろうことは想像できた。
タロットカードはWikipediaだったかそんな類いのもので読んだところによると、最初は貴族なんかの高貴な人たちの間でトランプのようなカードゲームとして誕生したらしい。
今みたいに占いに使うようになったのは18世紀だったか19世紀だったかに始まって、だから新しくはなくてもかと言って何千年も昔みたいなそんなシロモノとも違うと知った。
深層心理や潜在意識なんかと繋ぎ合わせて見ることもそれは変遷の中で生まれたことのようで、その辺りは諸説あるらしい。
さらには占星術はじめ世の中の色んなスピリチュアル的な系譜やら教えなんかと結び付けてさらなる深い意味が裏側にあったりするらしい。
調べたら色々どこまでも無限大に出てきそうだけど、私が個人的に注目したのは、カードを通じてどんなメッセージが自分に送り届けられるかということ。
物事の吉凶ではなくて、少しでも自分が楽になれるとか、気持ちが穏やかになれるとか、何か迷っていることに小さな答えの一手を見つけるとか、そういうことに興味がある。
で、冒頭に書いた質問だけれど、私はこんな風にその後続けている。(仕事中に思いついてパッとメモした…)
「占いたいのではなくて、
そこに含まれているメッセージをひもときたい
↓
メッセージによって、自分の今やこれからを好転させていく」
私は、細かなことがどうだとかいうのはどうでも良くて、カードや本たちが指し示してくれるだろうメッセージが今あるもの、自分が抱え込んで塞ぎ込んだり困ったりしているもの、そういうものへのヒントを得て、今よりも生きやすくなったらいい、そう思っているとはっきりと気付いた。
レビューを読んだり色んな学びの人たちの話を読んだりして、かなり気になったことがある。
どうやって意味を覚えたらいい?とか、このやり方は間違っているだとか、実践の解釈の説明が乏しいとか、そういうものたちを読んでとても違和感を覚えた。
もちろん、ある程度は意味を覚える必要もあるかもしれないけれども、意味を覚えたら読めるのとは違う。
やり方も然りで、どんなやり方も正しい誤っているというのが原点じゃなくて、目の前に現れたカードが何を自分に伝えてくれているのかじゃないのかな?と思う。
実践の解釈への批評はさらに意味不明で、少しでもやり方が違うとそれを叩いたり、例題がないとどう占っていいかわからないなど、とにかく少しでも自分の意に沿わないところがあると、それを至極当たり前の価値観として書いている人たちがいて、けっこう驚いた。
たしかに何か例題めいたことがあると参考にはなるだろうけれど、人の悩みなんて千差万別だし解決策や考え方、価値観も、これまた人の数分違うのが常だし、そして1人の人の同じ悩みだって、今日の解決策と明日の解決策、今日の価値観と明日の価値観が違う可能性はいくらでもある。
とにかく「すべてが違っていて当たり前」と思って例題めいた説明を見ないとかなり厳しい。
そして仮に解決策をカードが示したとして、それを本当に自分が受け入れてそのように動くかどうかは自分にかかっている。
解決策に従ったからと言って上手くいくわけでもなければ、従わなかったからと言って問題がさらに大きくなるとも限らない。
もちろんケースバイケースなのは承知の上で言うと、例えば欲しいものがあってなのにそれをお金を理由に手に入れなかったとする。
または別れた方が良いとか縁が無いと出ているのに、ズルズルと付き合い続けたとする。
私はお金に関しては、お金というよりも働くことに対してかなりおかしな気持ちが色々作動することで、何度も手持ち金が何十円だの、お金が底をつくのに働こうとしないだの、はたから見たら相当おかしな事をしているのは重々承知していて、なんなら親妹だけではなくて周りからも相当色々言われて、とにかく色んな痛みが自分の中で渦巻いてきた。
例えばそうした経過を経て、今は今で多少まともな感じになって、それでおいせさん手帳の原稿代が入ったからと言って天然石だのタロットカードグッズだのそれらの本だのとじゃんじゃん注文して手に入れつつあって、散財してるのだろうか…と不安にならないわけじゃない。
なんなら、ペンジュラムとサーフィンボードに散財しているかどうかを聞いたりもした。(NOだった!(笑))
とにかく色々ツッコミどころ満載の私の場合、とあるカードリーディングをされる方のやり方動画を2年前?3年前?に見てとっても救われた。
その動画は、当時ルノルマンカードを手に入れて、それのフル活用バージョンのやり方を紹介している人がいて、それを見たに過ぎなかったと思う。
ニート全盛期であったことも付け加えておきたい。
そんな時、どういうわけかその動画ではお金についての話をしていて、そのたった一度の通りすがりの私が見た内容が私の心を根底から救った。
具体的な言葉は忘れたけれど、話はこんな風だった。
「このカードを選んだ人は、お金がないとか常にお金の心配をしていたり、はたまた色んな理由でお金が底をついたりして何度もお金にまつわる危機を経験してるはずです」
iPhoneの画面越しにひっくり返りそうなくらい、まさに自分のことだと思って聞いていた。
続けて言われた。
「そういう人は、お金がないこととか、何度も危機に陥ったとかいうことの方ではなく、そういう色んなことがあっても毎回何とかなっていること、必ず毎回何とかなる強運であること、そのことを自覚するといいですよ」
たしかそんな風な読み解き方をされていた。
目から鱗どころか私は泣き崩れたような記憶がある。
自分の色んなことが普通じゃないし、世の中のスタンダード的な価値観にイマイチ沿うことができなかったり、沿っているつもりでもズレていてそれを指摘されたりと、これは他の人たちはどうかは知らなくても、お金に限らず自分の生き方も含めて本当に色んなことを色んな人たちから否定というかずっと刺さりまくるような言葉を言われたりして、どの程度他の人たちがどうかなんてわからないけれども、私はその手の体験がかなりありすぎる。
そうした傷たちが疼くわけだから、それで否が応でもセルフケアだの自分癒しだのをしないと色々どうにもならないことがたくさんあった。
なんだけど、その動画の向こうのカードリーダーさんが、これ以上ないくらいにプラスのメッセージを私に伝えてくれている。
そして自分が本当に救われた。
ずっとずっと世の大人の多くが普通にやれることをやれない自分はダメだと思っていたけれど、良いとか悪いとかではなく、そのような生き方をしてきた自分が本気で救われた瞬間だった。
あと、お金に関して言えば、私はここ1年2年ぐらいお金のタイミングみたいなのを見ていて、「お金がない、足りない」というのが実はすごく大事なことに結びついているんじゃないのかと思って観察やら分析やらをしている。
世間一般的には、お金はあるに越したことないし、将来の公的年金の危うさもあってみんな貯めよ増やせよの貯蓄ゴリ押しな社会的風潮も理解している。
けれども、「お金がない、足りない」がものすごく社会悪みたいに捉えられているけれど、そうではない側面もあるんじゃないかと私は違う観点からもあれこれ見たりしている。
別にお金に限った話じゃないけれど、時間のタイミングや「うーん、これ(中古本)欲しいけれど、もうちょっと値下がりしないかな」とか、そういう全く何の重要性もないようなことが、実は後々すごい大事なものやもっと大切なものに引き合わせてもらえることに繋がっていると感じて、だから自分の中で何でもいいから「違和感」を感じたらとりあえず動くのを待ってみる。
だから、お金でも時間でも自分側の覚悟でも足りなくて動かない時は、動かないことこそが正解だったりもする、と最近はそんな風に仮定して物事を眺めることが増えた。
これが変な怪しいスピリチュアル的なものや極論系の自己啓発なんかだと「お金は後からついてくるから、お金を理由にやらないとか買わないのは良くない」とか平気で言い出す。
もちろんそのことが当てはまることもあるけれど、そうじゃないケースも五万とある。
だから、そうした個人のことは、正しいとか間違っているというのは基本的になくて、いかにその人の人生にとって必要なことが必要なタイミングで必要に沿って起こっているのか、そういう見方を以前にも増してするようになってきたから、だからいかにお金やら世の価値観なんかの余計なフィルターを外して、なるべくフラットに純粋に物事を色を付けずに見られるかに相当注力している。
あと、例えとしてメルカリがわかりやすいけれども、私は今もずっと特定の占星術の古本を何冊か探していて、そのためにかれこれ1年以上メルカリで日々検索しているけれども、そのおかげで他の本たちやグッズの存在に気付けて、それらが自分の今に生きている。
タロットカードホルダーなんかも、最初にその存在を知ったのはメルカリの中で、占星術本の検索の先に出てきたところが私にとってはタロットカードホルダーに繋がるきっかけとなったわけだから、人生どこで何が結びつくかわからない。
「この人とは縁が無い」と言われたこともあって、どうにもこうにも受け入れられないこともあった。
それは時間をこれでもかとかけて、もう自分の中で癒されないからその癒されない自分と生きようと決めて、そういうことにも年単位で時間が必要で、最後どう変われたかってそれ以上の人が人生に現れた時に癒された。
そちらもさらに上手くいかなかったけれども、それでも色んなことが絶望的でどうにもならなかったのに、ある時ストンと癒された。
話が飛び過ぎているけれども、とにかく色んな体験を経て、結局のところ、何が癒しになったり前を向くキッカケになるかはいつの時も未知数であるということだけはよくわかった。
そして、特に感情がセットになっている系統の悩み事なんかだったりすると、より一層正論が自分を救ってくれるわけじゃないこともよくわかった。
時間もかかれば、強い感情のものになればなるほど痛みも増えて、その分色々回り道することになるけれども、それでも第三者の正しさよりも自分の痛みまくった心を優先させたことが今となっては良かったと思うこともたくさんある。
とにかくそんな風だから、私にはタロットカードや本の調べ物の先で、やれどうやって意味を覚えたらいい?とか、やり方や実践の解釈がどうだとか、そういうことは明らかに何か根底がズレていると感じて仕方なかった。
本当に苦しくて前を向けなくてのたうち回るような時、難しい本も解釈も勉強法もどうでもいい。
今この瞬間100の苦しみがあるなら、それからほんの一瞬でも自分が離れることができたのなら、たとえそれが1分とかいう短い時間でも離れられたら、それで御の字と思っている。
その1分さえも離れられない時が、自分ではどうにもできない時だってあるわけだから、苦しみはすぐに減らなくても、一瞬でもお風呂が気持ち良いと感じるとか、くだらない何かを見てクスッと笑うとか、おいしいものを食べて舌が満たされるとか、逃げて逃げて逃げまくって趣味に走って問題から離れてみるとか、何でもいい、生きることを続ける選択にあるなら正直何でも良いと思っている。
だから私はタロットカードを無事手に入れたのなら、とことん絵を見て、それに自分が何を感じるのかをひたすら観察するのと、それらに紐付いた先人の知恵や知識を読んで何が自分の中に残るかやひらめくかを見てみたいと思っている。
だから、『占い』をしたいのとは違う。
誰かのためにカードを使う時があっても、アドバイスとかしたいのじゃなくて、今ある苦しさや悩みが一瞬でも軽くなるような何かがカードに示されているのならそれを全力で伝えたいと思う。
ずっとタロットのことで書こうと思っていたことを今思い出したから書きたいと思う。
タロットカードを探しだした初めの頃、過去に一度見せてもらった亀のカードが気になって、そのカードを探した。
このカードの意味を今回初めて知ってものすごく驚いた。
冒頭の亀のカードがそれで、カードの下に「Slowing Down 」と出ている。
そのカードの解説をしている人たちは、皆揃いも揃って「ゆっくり歩みましょう」みたいなことを書いていた。
このカードを私が読み解いてもらった時、私は全く違う解釈を伝えてもらっていた。
それは名古屋にいた時のいつかのニート時代だった。
カードをするだけじゃなく、金属加工で物も作るみたいな、他にも私生活も色々ぶっ飛んでいて、私はカードの方ではなくてその人という人物にすごく興味が湧いた。
それで人づてに紹介してもらって、そのSちゃんに会えることになった。
Sちゃんの工房がうちから歩いて30分くらいのところにあって、その時に引いてもらったような記憶がある。(何回か会ったから、それが初回だったのか別の時だったのかははっきりとは覚えていない)
細かいことは忘れたけれど、当時の私も何回目かのニートだったんだろうなと思う。←おそらくまだ1回目とか2回目のわりかし初心者だったはず。
(今度ニート日記じゃないけれど、どんな時間を過ごしていたのか、色々振り返って書いてもいいなと思う。←実現度低めだけど。
ニートになろうと思ってなったのではなく、気付いたらそうなって、そして本当に徹底的に彷徨いまくった。人に薦められるような生き方とは違うけれど、もしそういう時間が自分の人生になかったとするなら、今の自分にはなれなかっただろうし、あの時の人生の落ちた感じをもし今この年齢から初体験するとなったのなら、「絶対に無理!!!」と思うくらいにキツすぎる。個人的に、派遣でもバイトでもなんでもいいから、何かしらしていることの方が、動けなくなって立ち止まることよりうんと楽だと思っている。別の大変さがもちろんあるけれども、24時間365日対峙するのは自分だけみたいな逃げ場のない中にずっといるよりも、日常の慌ただしさに身を任せておける方が本当のことから目を背けていられるというか、気持ち的に負担が相当少ない。とにかく強烈だったことだけは記しておきたい。そして、ここに今書くのは、そういう悩みや先々の不安を根底に持ちながらSちゃんのところを訪ねた時の話。)
一通り色んな話をした後、Sちゃんが最後慣れた手つきでカードを1枚引いてくれた。
子どもの頃からカードが好きで、当時ですでに占い歴20年以上はあったと思う。
裏面にしたカードを横1列にした後、パッと適当なところで引いて出してきたのが、その亀のカードだった。
ちなみに今回調べるまでそのカードがタロットカードだとは知らずにいた。
Sちゃんはそれを見て受け取ったメッセージの説明を始めてくれた。
「ほら、亀が向かう方向が明るくなってるよね!光の方に向かって進んでいる、反対の暗い方じゃなくて明るい方を向いている。
そして止まってるんじゃなくて、前に確実に進んでいる。ゆっくりでも着実に進んでいる」
そんな風な解釈をして私に説明してくれた。
ずっと立ち止まって動けなくなって、日々これからどうやって生きたらいいんだろう?とこれ以上ないくらいに悩んで、本気でものすごくしんどかった。
そんな時の自分を、カードからSちゃんはそのように読んで伝えてくれた。
その一瞬のメッセージに私は心底救われたし、あれからもしかすると10年近く経ったけれども、ずっとずっと自分の中に残っている。
Sちゃんから何回か他の時にもカードを引いてもらったけれど、どんなカードでもSちゃんのメッセージはいつも的確で私側に寄り添っていて、本当に占いというかカードリーディングとはこういうものだという、まさしく超一流のお手本を私に見せてくれていた、ということに今ごろ気付いた。
もちろん当時もすごいとは思っていたけれど、今自分がカードや本を手にしてタロットを始めようとしていて、今はすごく惜しいことをしたと思ってるくらい、もっとよくSちゃんの動きを見たり言葉の紡ぎ方を観察しておけば良かったと思ってる(笑)。
ある意味、何の見本もないから、ある種どこまでも我が道スタイルを貫けるという風に解釈したらいいんだろうか…( ̄∀ ̄;)。
とにかく、教科書通りに言葉を覚えていくようなスタイルではなくて、そこに込められているものを自分なりに解釈して、そして他のカードたち同様に、実際の状況と照らし合わせてカードから何を感じられるのか、それを大事に私は読み解きたい。
絵柄のついたカードも、これから購入する予定のタロットが私の中で6つ目になる。
今さらだけれど、惜しいことをしたなと思うのは、6つあるカードたちの絵柄をじっくりと1つ1つ見ておけば良かったなと思う。
今からでももちろん見れるけれど、初対面は生涯で一度だけだから、その一度をもっと大切にしたら良かったと思う。
そしてこれを書きながら、そのうちの3つは特にあまり使ってないから(うち2つはほぼ新品同様)、これからは時々触ろうと思う。
*
ここまで書いたものを読んで(相変わらず、あちこちぶっ飛びまくりな話し方をしてるなと思った( ̄∀ ̄;))、ふと今回のタロットカードをお出迎えのタイミングに至れたことの自分なりの変化を感じた。
つい最近のオカルト日記のどこかにも書いたかもしれないけれど、私が今回タロットカードを手にしようと決められた1番の理由は、おいせさん手帳の原稿料だった。
おいせさん手帳の原稿料は、何か形あるもので一生モノになるものに変えたいと思った。
だから講座とかではなくて「物」として残ってくれるもの。
ちなみに今のところ、原稿料で買ったものは
・ルーン占い用の天然石グリーンカルサイト
・タロット入門書
・ルーンの石たちを置く木製のボード(イギリスから配送中)
・ルーン文字とタロットカード専用の高級ノート
・グリーンカルサイトを持ち歩くための布袋を作るための布
・ルーン文字の専門書
・タロットカード特集の雑誌
・タロットカードホルダー
・タロットカード専門書2冊
《↓番外編且つ一番高額な買物↓》
・家の炊飯器←一応両親向けの買物
とまぁこんな風にオカルトグッズたちが続々と集まっているわけだけど、こういう機会でもなければ絶対にタロットに手を出さなかったと思う。
タロットは78枚もカードがあるし、1つ1つなんだか覚えるのが大変そうだし、タロット占いに興味がなかったし、とにかくやる理由が私の中に1つもなかった。
ところがここで変わったのは、占星術で時々タロットの話が出てくるのと(タロットと結びつけての説明なんかが時々ある)、「一生モノ」と考えた時にタロットなんかは一度きりしか手にしないだろうからピッタリだし、ちょっと嗜(たしな)む程度ならいいかな〜なんていう軽い気持ちで出迎える心の準備ができたから。
そして、ここ最近の調べ物によって、私はそこそこタロットにハマっていくんじゃないのかな〜なんて思っている。
さらに、本から注文してその後にカードを買おうとしているあたり、その順番も面白いと思っているし(物を買う前に参考書や解説書を買うなんて人生初の体験)、タロットを出迎えることでまた色んなドラマがありそうとも思っていて、それも楽しみにしている。
そして上の方に書いたけれども、正統版ではなくてオリジナルなカードを見た時に、絵柄を見てイメージやメッセージが出てきたことも自分の中で自信となった。
大丈夫!と思えたというか、わからなくても何とかなるかもしれない、そういう気持ちがタロットカードに対して初めて芽生えた。
専門書の2冊のうち1冊は鏡リュウジさんの『鏡リュウジの実践タロット・リーディング』という本だけど、その中で鏡さんは、自分の感覚を何よりも大事にして欲しいというようなことを書いている。
抜粋すると。
「さあ、タロットのイメージをあなたの中で動かして。ぼくの拙(つたな)い解釈とイメージの流れは、あなた自身のイメージを動かすための、一種の呼び水のようなもの。今こそ、一緒に旅に出よう。最初はぼくが道案内をしようと思う。けれど、タロットのイメージの世界は広大だ。あなたはやがてあなた自身の道を見つけ、あなただけが見ることのできる景色と出会うだろう。その景色があなたの現実の人生を豊かにするならば、こんなにうれしいことはない。」
『鏡リュウジの実践タロット・リーディング』
その世界観を見せてもらえる、その期待が大きくてタロットカードに手を出してる感じもある。
さらには、そういうメッセージを出せるタイプの人の本ばかりを今回は集めている。
色々楽しみで仕方ない。
ちなみに年末年始は、オール引きこもり(一歩も外に出る予定なし)で、それこそタロットカード用のマットをチクチクと手縫いして過ごそうかと考えている。
*
タロット関係に関して、新たな計画が浮上したから追記(◔‿◔)
タロット本を探していた中で、1冊試し読みができるものがあって、読んでみたらそれがものすごく良かった。
英語の原書が1998年出版、日本語版が2007年出版になっている。
関係ないけれど、どちらの時も海外にいて今でもかなり鮮明に記憶に残っている時期を過ごしていたんだ〜と思いつつ、そんな時に私の知らない世界では有名なタロット本が出ていたのかと思うととても興味深い。
そちらも辞書級の分厚さとレビューにあったし、実際に画像検索をしてとにかく分厚いのはわかったけれども、多分私にはおそらくものすごく合っている。
同じカードを見ても、その中にどんなストーリーを見出すかは個々人で違っていて(それが当たり前だというような捉え方だった)、鏡さん同様、自分の書くものはあくまでも1解釈でしかないから、どのように読み解くかはあなたの感性を何よりも大切にして欲しいというような感じで書かれていた。
おいせさん手帳原稿料が残すところあと1万円の予算で、カード2つ買うと2000円〜3000円くらいのお釣りがくるかと計上している。
いきなり4冊目を手にして4冊同時にスタートはどうかと思うけれども、かなり気になる。
そして予算上、かなりピッタリな金額だったりもする。
ペンジュラムとボードに聞いたら勢いよくYES。
ですよね…( ̄∀ ̄;)、と思いながら、名案が浮かんだ。
ボードには1月から12月までも書いてあるから、時期を聞いてみた。
1月3日と出た。
日(日取り)をボードで見たの初めてで、こうやって使えばいいんだとそれも勉強になった(笑)。
1月3日と出て、自分の脳裏に出てきた。
「新春の初買物2022」
ずっと延び延びになっているタロットカードを来年の初めての買物にしようと決めた。
初めての新年の買物がそれだなんてすごく幸先が良い。
そして、タロットカードの4冊目の本も同時に注文することにした。
私が想定しているのは、それぞれのカードの説明部分は1ページから数ページで説明されているから、実際のカードを読み解くためにノートを作る時は、1枚ずつの解説を読み進めようと思っている。
それなら分厚い本も少しずつ読めるし、そこだけなら何とかなりそうと思う。
仮に1週間に1枚ずつ進めるにしても、1年半かかる計算になるから、まぁそれでもいいかと思っている。
ということで、来年の買物計画がクリスマスの日に浮上した。
自分サンタが自分向けにプレゼントしたアイデアということにしようと思う。
さらに、タロットカード用のマットを手作りするために、寒波到来で大雪が降る中、人に会った後布を買いに行った。
最近、大型の手芸店ができたと知って、それで見に行った。
探してる布地は極端に少なくて、5種類くらいからしか選べず、とりあえず一目惚れしたのは紫だった。
(他は、赤、金、シルバーみたいな白、茶色、ピンクという選択肢だった。)
即刻ペンジュラムを出して、布を前に1つ1つ聞いたら、紫にYESが出た。
本当は濃紺とかを想定していたけれども、珍しく黒だの紺だのというレギュラーカラーがなかった。
紫は明るすぎやしないかと思ったけれども、ペンジュラムはこれだと強く言う。
まぁ気に入らなければ新たに作ったらいいと開き直って、とりあえず1メートル買った。
家に帰って早速他にも買った、ペンジュラムを入れるリニューアル巾着袋用の布たちと一緒に洗濯機にかけた。
布は縮むから、とにかく裁縫用の布は買ったらいつもすぐに洗濯をする。
こういうことへの自分の動き方はいつの時もスムーズで速い!!!
年末年始はオール引きこもりの5日間ないし6日間を過ごす予定だから、その時にチクチクする予定。
妹は私のオカルト体質を知っているけれども、両親は、特に母親は私に「精神科に行ったらどうか」と大真面目に言ってくるぐらいに理解がないから、そんな中でタロットの本なんか広げていたらさらに面倒な会話が出てくるだろうから、その点マット作りは元々20代の頃にパッチワークにどハマりしてやっていたのを母も長いこと見ていたから、家族で茶の間でダラダラしている横でチクチクしていても浮かずに済む。
そんな計算もしつつのタロットカードマット作りを正月はする予定。
さっき作り方を調べたら、タロットマットの紫の意味が出ていた。
霊感や直感を高めてくれるらしい。
他の色だと、哲学的見解とか自分の占い力への自信が高まるとかってあったから、私にはたしかに霊感や直感を高めるので合ってるらしい。
ちなみにマットは、これから作る1枚が一生モノになるらしく、ペンジュラムはそのように言っていた。
あんまり布そのものはそこまで気に入っているのとは違うけれども、実用性が高いのか使い勝手がいいのか、まぁそれならそれでいいかと開き直っている。
タロットカード関係はあれよあれよという間にどんどん展開している。
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