少し小休止なブログ。
ゴールデンウィーク明けから本気で仕事の忙しさがバリバリ全開になって、この後も恐ろしい締切の数々とそれに伴うおびただしい業務量を前に、「何で私こんなことしてるんだろう?」と思っている。
(※体育会系男社会な会社の中で、冗談抜きで役職付男性たち並みに残業して、正社員じゃない派遣の立場で役員級の仕事がバンバン回ってくる、超異常な状況が続いている。)
確実に相当お疲れモードになっている。
そんな折に、昨日(7/10)占星術講座のクラスメイトだったノムと1時間少し電話で話した。
なんと今年も2年前に誘ってもらった某書籍に文章を寄稿できるとのことで、この夏も少し文章書きをする流れになった。
しかもノムが担当編集者さんにあらかじめ私の紹介をしてくれていて、なんなら彼女はペンジュラムを使ったり僕と一緒に星読みもすると言ってくれて、ノムは「ぶっしーのままで言葉を書けるよ」みたいなことを言ってくれた。
非常にありがたいお話で、もはやエスカレートしていく仕事のありえないことたちは脇に置いて、そちらの文章書きは何が何でもやりたい!!!と鼻息荒くノムに返事をした。
ノムも「僕もぶっしーと一緒に担当したかったから、ぶっしーが喜んでしたいと言ってくれて嬉しい!」と返してくれた。
2年前とはだいぶスタイルが変わるみたいでその辺りはドキドキしてるけれども、とにかく自分のありのままで何かができるというのがとってもうれしい。
自分を飾らず、盛らず、ありのままに出せるって、しかも42歳の大人の自分がそんなことできるって、それも人生のご褒美の1つだなと思う。
*
日曜日の午前中、ふと気になってこれまでに書き途中のまま保存してあるブログの下書きたちをチラ見した。
読んではないけれども、中にはガッツリとたくさん書いてあって、あと少し書き足せばアップできるだろうものもあると知った。
そうした中で2つの記事は、イケメン上司にまつわるストーリーで、それだけはお蔵入りさせずに最後まで書き上げたい、そう思った。
他のものたちはお蔵入りしてもいいけれども、その2つの記事だけは何が何でも完成させてイケメン上司の目に入るようにしよう!、と野望をメラメラさせた。
自分の中の鍵というか理性というか、そんなのがぶっ壊れたようになった感じがあって、前は控えめに「ブログを見てくれたらいいな」という超淡い感じのやさしめな願望だったのが、最近は「時間がもらえてさらに読んでもらえるなら、包み隠さずに言いたいこと伝えたいことを書きたいし、それを知って欲しい」とアグレッシブな感じになってきた。
こんな比較もおかしいけれども、仕事と比べるとよくわかる。
今仕事でやっていることは、企業にものすごく貢献するものだというのは知っている。
超貢献度は高いけれども、そうとわかっていても、私の中のモチベーションは全く上がらない。
なんなら、この業務から解放されるのであれば、本気で解放してくださいと思っている。
しかも秋くらいまでずっと続くのかと思うと超絶うんざりする。
一方、このブログは何の貢献もしないし、完全に自己満足の世界のことだし、書いても書かなくても何が変わるわけでもない。
なんだけれど、仕事と大きく違うのは、私の中に明確な意志や希望、そうなって欲しい的な未来に託すものがはっきりとある。
どんな風に思われてもいいから、イケメン上司に伝えたいし知っていて欲しい。
それが叶うのであれば、それだけで私には何十億と利益を生み出す資料よりも、比べようがないくらいに価値がある。
週4日は10時間勤務をやって、本当によくやってんなと自分でも思うけれど、どんなにクタクタで布団に横になるとすぐそのまま寝落ちしていても、時間を見つけてはブログを書いている。
調子が上がる時は、昼休みの15分とか20分とか使って、ささっと部分的に書いたりもする。
しばらく綱渡りみたいな仕事の納期の中で心は限界に近いくらいにグッタリしているけれども、イケメン上司にまつわる何かを書いている時は、本当にしあわせホルモンみたいなのが出ていて、ふっと息抜きができて、自分のキリキリしてる神経に違う風が吹いてくれる。
ここまでくると本当におひとり様も相当極めた感があるけれども、それでも確実に自分が救われていて癒されているから、私の中ではAll OKになっている。
仕事側の方は何をしていてもそこに意味だとか意義だとかは全く見出せないけれども、このブログは私にとって確実に何か大切なところを満たしてくれるって体感しているから、そりゃ体力さえあれば書いてしまう、その気持ちがよくわかる。
イケメン上司も仕事が忙しいんだかプライベートが忙しいのかで最近はアクセスも減少傾向気味だけれど、そしてそれはそれで気にはなるけれど、とりあえずその時その時の私のメンタルのエネルギーチャージのためにも書いている。
いつか絶対に読んでくれない時がくるわけだから、そうなる前に書けることは書いてしまおう、知って欲しいことは言葉にしてしまおうと思っている。
*
これを書いていてふと1つ思い出したことがある。
友達のちかが、博士を取るために書いた論文のテーマをいつかかいつまんで説明してくれたことがあった。
ちかは東日本大震災で被災した人たちのその後をずっと追いかけ続けて、その人たちの心身の健康状態と何か難しいテーマとを掛け合わせて研究して、その研究のために色んな人たちに話を聞きに行っていた。
で、そうした聞き取りをしてのちかの実際の個人的な感想をいつの時か聞かせてくれて、その時の話が今の自分と重なる。
人間、究極の状況になると、最後は見えない何かにすがるし祈る。
今も現実として、復興からは程遠いのが実際の被災地とのこと。
そんな中で人々がどうしているかというと(これはあくまでもちかが色んな人たちの話を聞いてそれを相対的に見て感じたこと)、先の見えない現実や希望を持てない未来に対して底知れぬ不安を抱く中で、スピリチュアルだとか宗教じゃないけれども、見えない何かに願いや祈りを託すようになる、その傾向が強くなるとのこと。
そして、人を回復させるのにもしくは前を向いて歩けるようにするのに色んな方法や手段がある中でちかが感じたのは、極限の状態にまで追い込まれた時、人を救うのはそうした見えない何かかもしれない…、言葉にするなら「癒し」に繋がるもの、色んな人たちから話を聞いてそう思ったらしい。
比べることさえはばかられるけれども、気持ちとして私もかなり近いものがある。
メンタルがやられてるとかいうのではないと自分では思っているけれども、どんなに役に立つことを自分がしていても、私の気持ちはさっぱり動かないし、私じゃなくて良くない?、これして私の人生に何の意味があるんだろう?と最近は特にそう思うことが増えた。
超貢献度が高いのは知っている。
だけど、それがすなわち私の何かを満たしてくれるのとは違う。
そのギャップがすごくて、やることはやるし手抜きもしないけれども、自分の中は確実に埋まらない。
何かズレている。
日常はそんな風で、心が無味乾燥みたいな、落ちてはないし無気力なのとも違う、本当に言うならそこに熱意みたいなのがないから「無」になっている。
そして乾いている。
渇きの方が文字としてはよりしっくりくる感じがある。
そんな中で、イケメン上司のことを何だかんだ書いている時は、自分の中に心が通(かよ)っているのがわかる。
それは全然錆びないし、古びないし、朽ちない。
いつの時もフレッシュでみずみずしくて、「生きてる!」って感じがある。
自分の心がきちんと通っていて、これをしたら特別にいいことがある!とはならなくても、確実に自分が満たされる。
何の結果を得なくても、少なくとも自分がすっと楽に呼吸ができて、良い感じで心の奥の方に潜っていけて、そして生きてるっていいねー!っていう気持ちにさせてもらえる。
書いてて楽しいとか、思い出に浸ってジーンとするとか、本当に心がイキイキしている。
ドラゴンボールに元気玉って出てくるけれど、本当にあんな感じ。
元気玉を口にすると力がみなぎって元気になる。
イケメン上司との色んなことを思い出しては心が潤って良い風になる。
貢献度高いものをやっても何も心は潤わないけれど、イケメン上司にまつわる色んなことは現実がヒュルリーな「無」の状態でも、自分はイケメン上司の存在のおかげで元気になれる。
不思議すぎる関係だけれども、今の魂の修羅場みたいな状況下において、そうやって心の軸のところに誰かがいてくれる、いてくれるのとは違うから誰かの存在を置いておける、それって絶対的な強さだなと思う。
外側の色んなことたちはすったもんだしていても、内側ではいつの時も平穏で大切なもので満たされていて、それってとてもしあわせだと私は感じている。
もちろん全てが明るい思い出じゃなくて、苦くてギュッと手を握らなきゃいけない、目をつむりたくなるような感覚に陥るものも中にはある。
でも、それさえも私は受け入れようとしているし、そこに自分の気持ちがあるのがはっきりとわかるから安心していられる。
仕事みたいに良いことをしていても、そこに自分の気持ちが通わなくて「何してるんだろ?」みたいなことには絶対にならない。
プラスでもマイナスでも、そこに自分がいると感じられること、自分の心があるとわかること、そういうことが私にはとても大事なんだとわかる。
だから、イケメン上司のことを書いた書き途中の2つの記事は、何が何でも完成させたい。
それは私のために書くわけだけれど、同時にイケメン上司の目にも入って欲しいから。
知ってて欲しい。
◯◯さんというのは、私にとってそういう存在だということ。
今みたいにわりと長期に不安定な時も、そうやって心だとか生きることへの活力だとか元気だとか、そういうものをもたらしてくれる人だということ。
今はきちんと伝える手段があるから、それをとことん活用して書けるだけ書いてしまいたい。
本人は何にもしてないと思っていても、もう十分存在だけで私の渇いた心に潤いを与えてくれてるわけだから、本気で偉業を成し遂げている。
生まれてくる前にそれぞれ人生の設定をしてくるんだろうけれども、少なくとも私の中でこういう役割をしてくれる相手がイケメン上司で本当の本当に良かった。
書き途中2つのものも、主にそういう感じの内容を書いている。
だって、生きる力を与えてくれる人って、すなわち命の恩人なわけで、命を救ったり生きたいと思わせてくれるって本気で凄すぎる。
これはみんながみんなできることとは違う。
私にとってそれをしてくれたのが、イケメン上司だったということ。
かなり一方的ではあるけれども、本当にそうなんだから仕方ない。
とにかくゆっくりでもいいから、2つの記事は何が何でも書き上げてアップしよう。
アップして届けよう。
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