昨今のイケメン上司にまつわるブログはあと2つないし3つアップしたら終わると言っていたけれども(これを書いている日の朝、そのように書いた記憶がしっかりある)、まさかのプチ出来事があったから、これも書いてしまおうと思う。
今回のテーマは「ドキドキの検証」。
今の職場に行ってから、初めてドキドキした。
ドキドキしたけれども、こんな風に検証しようとしてる時点ですでにドキドキという表現が合っているのかどうかわからないけれども、こんな検証は今日みたいなことが起こらない限りできないから、早速検証してみたいと思う。
事の発端はこうだった。
ジャニーズ事務所に就職した方が絶対に良かったんじゃない?という20代後半に差しかかったかな?という男性がいる。
私は全く好みではないし、なんなら色々仕事上でやりとりしてムカついたり神経に障るようなこともあったからなんとも思わないけれども、本当に冗談抜きでジャニーズに入れる甘いマスク系で背が高くてスタイル良しな感じ。
ジャニ男と呼ぼう。
ちなみにジャニ男は私が今の仕事に就いて2ヶ月目か3ヶ月目あたりに超大がかりな仕事の担当者に充てがわれて、さらにその大物仕事の英訳が私に回ってきたから、相当な回数やりとりをした。
しばらく組むこともなかったけれども、前日の残業終わりの時に突然やってきて、「明日っていますか?」と聞かれて、その質問が何を意味しているのか即わかって恐ろしいことこの上なかったけれども、とりあえず英訳の仕事が何かしらあるんだろう…というのはわかった。
実際にやってきて、思ったよりも小さな英訳で済んでそれはすぐに終わった。
そうしたら想像以上に早く終わったらしく、「またもう1つ聞きに行きます」と言われて、それで実際に終業30分前くらいにジャニ男が私の席にやってきた。
ジャニ男が訳したものを見て欲しいと言われて直したけれども、1つだけしっくりいかなくて、実際に直した英訳とは別にもう1つ英訳を作り直して、両方をGoogle翻訳にかけて印刷した紙を持って行こうとした。
ジャニ男の席は私の席の180度向こう側で体育館の端から端くらいの距離がある。
そうしたらちょうどジャニ男が2人の席の中間点にあるコピー機で何かコピーをしていて、そのジャニ男に話しかけて紙を渡して軽く説明して終わる予定だった。
実際にそうしたけれども、その説明の時にどういうわけかジャニ男は私と互いに面と向かっている状態のまま、さらに私側に近づいてきて、壁ドンとは言わないけれども、壁ドン級な近さで近づいてきてそれでドキッとした。
ジャニ男と私の間にもう1人挟まってるくらいな近さだった。
私の後ろにそれこそ棚があって、私も最初後ずさったけれども、そうするとジャニ男がさらに近付いてくるという、私からすると、っていうか私じゃなくても一般的な感覚からしても近すぎる距離でのやりとりになった。
不覚にもドキッとしたけれども、私はその時に別のことも思っていた。
もしこれがイケメン上司だったのなら、もう心臓が口から本気で飛び出したな…とか、背の高さは同じくらいな感じがするから、もしイケメン上司とこの近さでやりとりできたのならこういう目線の高さの感じだったな…とか、何もかも基準はイケメン上司だった。
ジャニ男とは目も普通に合わせられたし、当たり前だけど普通に喋ったし、何もかもが普段通りで、だから実際にドキッとしたのはジャニ男ではなくてその距離感というかそのシチュエーションだったわけだけど、そのことから一気に私の頭の中は様々な分析や検証が始まった。
ちなみにこれまで散々やりとりしていたものの、よくよく考えてみたらいつもはどちらかが席に座っている状態で、もう1人が机の向こうから話しかける状況が定番で、今回みたいに互いに通路に立って話すのは初めてのことだった。
だから今回こんなことが起こらなければドキドキの検証なんてする予定もなかった。
書きながら「ドキドキ」という言葉のチョイスがそもそもミスってる気がしてきた…。
*
ジャニ男との一件があってまず思ったことは、当時イケメン上司がイケメン行為な気遣いを私にしてくれた時、私がそれを「イケメンがしてくれたから感情が動いている」と思ったのも無理はないな…だった。
ジャニ男の行為や言動によってイラッやモヤッが過去に何回かあったのは決して忘れてないから、そしてそれらは私が人としてどうなのそれ?と思うことだから、ジャニ男は上手に付き合う必要のある人という認識にある。
そんな人相手にドキッとしたわけで、それは冷静になればなるほど、決してジャニ男にドキッとしたわけではなくてその状況にドキドキしたんだなとわかった。
ジャニ男との過去のやりとりはその時々はモヤモヤしたけれども、今となれば判断材料になってくれる貴重なものになってる(笑)。
そういう相手でもそうなわけで、イケメン上司はそういう嫌な印象や気をつけないといけない相手とかでは一切なかったから、だからこそイケメン行為な気遣いをしてもらった時に、私は「相手がイケメンだからこんな反応になる」と思った。
今は分析できても4年前の当時は思考停止して迫り来る感覚にひたすら反応するばかりの自分でいっぱいいっぱいだった。
なんだけれど、そうだと認めたくなくて、私は「これはイケメンが相手だから」と自分にその後必死に言い聞かせていて、そんなこんなのリアルな感覚を久しぶりに思い出した。
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検証を始めた私を見て、そもそもが違うことに気付いた。
イケメン上司の時はその後からイケメン上司の姿の代わりに足元をチラチラと見始めた。
そういう反応は計算なんか全くなくて、突如そうなるから、自分でも止められなかったし、色んな意味で為すがままだった。
一方でジャニ男の時はのんきに検証を始めて、しかも席なんか見えもしない位置だし、1日1回くらいの割合でジャニ男は私の席の後ろにある大型印刷機の部門のところに図面と思われるものを持ってくるけれども、私の席の脇の通路を通っても何とも思わない。
仮に席が超近くだったとしてもチラ見などする気にならないし、なんなら1日2回3回と通うMr.ダンディの席がジャニ男の席の2列ほど手前にあって、そこに向かう時はジャニ男の席を視界に入れようと思えば入るけれども、翌日以降もそんなことはしないだろうことが簡単に想像がつく。
イケメン上司の時は、滅多に訪れない用事が浮上してくれただけで狂喜乱舞してたし、それでほんの少し近くに行けるだけで行く前からドキドキして心を落ち着けるように最大限努めていた。
ジャニ男とコピー機のすぐ隣りでやりとりした後はあっさりとしたもので、ジャニ男の姿を目で追いかけるなんて全くしなかったし、もはやジャニ男ではなく私の中ではイケメン上司の方がやたらとクローズアップされていた。
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もう1つ、イケメン上司とジャニ男とでは圧倒的な違いがあることに気付いた。
イケメン上司の足元をチラ見してイケメン上司の姿を確認したその後から、私の毎日の楽しみはイケメン上司に会うことだった。
とにかく「会いたい」という明確な気持ちがまるで形を持っているかのように私の中にあった。
会うと言ったって、単に同じ職場に行くだけで、挨拶さえも交わさないくらいだったわけだけど、それでもいいからイケメン上司に会いたくてそれだけの理由で毎日ルンルンで仕事に行っていた。
当時は毎週金曜日になると翌週の予定表が配られていた。
途中からは私もそれが自分の仕事で必要だから仕事に必要な項目もきちんと見るようにはなったけれども、そのイケメン行為の後からは私は何よりも先にイケメン上司が仕事に来る来ないの確認(出張とかは目ざとく検知)、鍵当番の日は確実、よし!とか、とにかくイケメン上司の予定を真っ先に確認していた。
仕事はしていたけれども、もはや何をしに仕事に行っているのか私の場合は本末転倒だった。
その年のお盆休みのことも記憶にある。
会社としてはっきりとしたお盆休みが決まっていないから自由に休んでいいと私の教育係の事務さんから言われた。
お盆ど真ん中は休むにしても、16日とか17日とかそういう微妙なところはどうしようかな…と思った。
事務さんはじめ他の人たちがいつ来るのかを聞きながら、イケメン上司側の会社は超大型連休と聞いてガッガリした。
地元が新潟ではないから帰省することを見込んで、10日近く会えないのか…とテンションはだだ下がりだった。
自分は周りに合わせて16とか17とかその辺りから出たと思うけれど、そうしたら盆明け2日目にはイケメン上司も休みを切り上げたのかなんなのか普通に出勤していた。
仕事はいつの時も全くテンションが上がらなかったけれども、イケメン上司がその場にいる、というだけで私の心の中は常にテンションMAXだった。
しかもその頃はまだ何にもイケメン上司相手にしてなかったから、イケメン上司も穏やかだったし私にだけ向かう剣もなかった。
イケメン上司だってまさか自分が出勤するだけで私が大喜びしているなんて思ってもなかっただろうし、向こうは向こうで日常に戻るだけで何の喜びもなかっただろうけれども、私にはこの上ない最上のことだった。
いつの時も、また明日も会いたいと常々思っていたし、夜寝る前も今日1日の素晴らしさをかみしめ、明日の喜びに胸を馳せるという、自分の人生でも他に類を見ない毎日を当時は送っていた。
ジャニ男相手にはそんなこと全く思わないんだな…と当たり前のことに気付いて、それが当時はその時だけくらいに思っていたのにまさかその感触をその後何年も強く記憶に残るなんて考えたことさえなかった。
改めて、こういう強い記憶の残り方が魂の繋がりの強い人の特徴なんだろうなと思う。
新しい世界にそれぞれが身を置いて、私も私で当時とは全く違う日常を送っているけれども、そしてもうリアルイケメン上司は生きていても同じ場所にはいない人で会えないけれども、それでもこんな風にずっとずっと強い存在感を持ち続けるなんて普通じゃなさすぎる。
今も書いてて思ったけれども、ジャニ男とのやりとりは単なるトリガーに過ぎなくて、結局気付けばまたイケメン上司ワールド全開になっている。
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ドキドキの検証をのんきにしていた後、夜ごはんを食べ始めてすぐくらいにテレビの向こうでイケメン上司の下の名前が連呼された。
2回、3回じゃない、そのテーマが流れている間数え切れないくらいの回数、名前を聞いた。
これは過去も今もだけど、イケメン上司がいなくなる少し前からイケメン上司の苗字でも名前でもとにかく色んな形で聞いたり見たりすることが日常の中で溢れるようになった。
特にこういうイレギュラーなことがある時ほど絶妙なタイミングで現れる。
そんなのはイケメン上司の意思なんて全く働いてないけれども、今回のパターンは別に私にとっての危機的な状況でも絶対に外せない重要な任務中でもなくて単にドキドキ検証という半分エンタメ的な時に現れたのがなんだかホッコリとした。
「俺いるよ」とアピールしてるのとは絶対に違うとわかっていても、あまりの名前連呼にすごい存在アピールみたいで、これはこれで楽しいなと思った。
翌朝、朝の通勤の車の中で「ドキドキ検証とか言って、気付けばイケメン上司のことしか検証していないんだ…」と気付いた。
もはやそれに気付くまでジャニ男のことはすっかり忘れていて、これから向かう先にイケメン上司はいなくてもジャニ男はいるのにジャニ男に会う楽しみなど皆無だと気付いて、改めてイケメン上司の不動級の圧倒的存在感を認識して仕事に向かった。
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ジャニ男の存在感ではなくイケメン上司の存在感を浮き上がらせた朝の車の中とは一転、仕事に行ったら1つ事件が勃発して、そこでさらにはっきりとわかった。
長期的に関わっている仕事がある。
これまたいくつもいくつも問題勃発な上に、とうとう問題が重なりすぎてそれでアップアップしたことによって、私は私が信頼している人から当たられてしまった。
ゴールデンウィーク前から、何十年と積み重ねてきた負の遺産的な会社の悪しき体質にメスが入って、それの修正作業に今日々追われている。
会社としての指針が出たのは良いことだと思うけれども、それを是正する末端の人間からしてみればたまったもんじゃなくて、しかも末端側は業務だけひたすら増えて上の人たちは思いついたようにあれこれ指示や指摘をするだけで、私も含めて末端側の作業者はてんてこまいになっている。
そんな中で、その一緒にやっている担当者から当たられて、私の気持ちもガクンと落ちた。
その話は長くなるから割愛するけれども、ちなみに当たった人は翌日私のところに来てわざわざそのことを自ら話に出して謝ってくれて、それこそ人として超イケメン行為(ちなみにこの担当者もイケメン)をしてくれて、それだけで感動したけれども、とにかくそんなこんながあって、気付けばジャニ男のことなど完全に忘れてた!とこのブログの続きを書こうとした時に思い出したくらいだった。
ドキドキの話に戻ると、この時点でもジャニ男がどういう存在でもないことがさらに明らかになった。
というよりも、イケメン上司への反応の方が異常というか稀有だったんだとわかる。
当時はそれが日常だったから、自分の反応に常に半信半疑どころか「自分がおかしいかも」とは常々思っていたけれども、かと言ってそんな風になるトリガーのイケメン上司の存在が特殊で稀(まれ)だとまでは思わなかった。
今ならわかる。
当時の反応(今も引き続いてはいるけれども)は、あれはイケメン行為だとか相手がイケメンだからとかそういうことではなくて、イケメン上司の存在そのものが特別でそうなった。
存在そのものに対しての反応であって、行為とか外見的うんぬんではないことが今ならとてもよくわかる。
ジャニ男はそういう意味でわかりやすいくらい真逆のことを指し示してくれたから、今回ジャニ男がいてもいなくても全く気にならない自分の心の中がよくわかった。
ジャニ男はいないけれども、見えもしない会えもしないイケメン上司はずっとずっといるんだなというのも今回改めてよくわかった。
*
【人間は、男女ともに本当に人を好きになったら、冷静な駆け引きなどできなくなる。】
たしかネットニュースで見た言葉をそのままコピペしておいたものだったと思う。(引用元失念)
そもそも私は人間関係全般において駆け引きとかいう概念がないから、すべからくそういうことを器用にできるタイプとは違うけれども、その中でもイケメン上司相手の時は何もかも冷静ではいられなかった。
一方でイケメン上司も、私に対して何か想っていたとかいうことはなくても、普段のクールで落ち着いた感じの対応じゃなくて、かなり素に近い自分が出ていたんじゃないのかな…と思う。
イケメン上司の態度を見て自分が好かれてるなどとは全く思えなかったけれども、少なくとも私がその場での再起不能になるくらいの破壊力抜群な態度を見て、職業人ではなく私人としての顔を少しだけ見れたように思う。
私というのは、イケメン上司からしてザワザワさせたり受け付けられない何かを発していたとしても、癒しだとか好きだとかそういう相手とは確実に違うんだろうなぁと思った。
そういう人ではないけれども、自分の中の感情を刺激する人、良い方ではなく好ましくない方で…みたいだったのかな……、と想像する。
ドキドキ検証の翌日、チームで仕事をしている相手が仕事上でむしゃくしゃしてて当たられた時、ふと占星術の先生から言われたことを思い出した。
「人間関係の中でゴミ箱になりやすい」ということ。(私がということではなく、私の生まれた時の星の配置というのがそういう性質を帯びている。)
人には恵まれているけれども、時々私は何が悪いわけではなくても人から当たられることがある。
そういうのを指すのかな…なんてふと思って、そうしたらイケメン上司からしても、そもそもの火種を蒔いたのは私だし私が動くことでただならぬものを感じて穏やかになんていられなかったんだとしても、もしかしたら当時もそういう負のものをキャッチする係というか矛先になってたのかもしれないな…とも思った。
自分が先に差し出しているからそのような態度になってもそれは仕方ないというか、イケメン上司の非という風には思わなかった。
むしろごめんなさい、と思っていた。
イケメン上司との時とは状況も感じも全然違ってはいたけれども、今の仕事で当たられた時のガーンという感じはイケメン上司の時の心が折れた時とちょっと似ていた。
決して歓迎できるものじゃないけれども、イケメン上司が冷静でなんていられないくらいに個人的な感覚が動いたのかな…と思うと、それはちょっぴりだけ光栄なことなのかもしれない。
少なくともイケメン上司はいつも涼しい顔をしていて私情を皆無と言ってもいいくらいに外に出さない人だったから、私とてそのイケメン上司の中では超がついてもいいくらいの人間的な反応を見たのは全部で2回だったと思う。
1回は仕事の伝言をしているのにガン無視。
もう1回は最後の日の挨拶。
心を許してもらえたとは全く思ってないけれども、そういう自分を無意識のうちに出してもいい相手として私はいたんだろうなと思うとほんの少しだけ自分が救われる。
個人的にはもう少し役得な感じのポジションが良かったけれども、あまり自分を出さないイケメン上司の性質を思えば、それを見せてもらえたことはある種の勲章に近いものがあるなと思う。
今も思い出すと苦い感覚が自分の中にジワジワと広がるけれども、そんな風でも小さな人と人としてのやりとりができたのはある意味しあわせなことなのかもしれないな…とも思わなくもない。
ドキドキの検証からかなり離れた話になってしまったけれども、どれもこれも今は全部大事な瞬間として私の記憶の中に残っている。
「生きてること」
「同じ時間を同じ場所で共有すること」
そのどちらもが成り立っていた当時は、他の何にも代え難い。
感覚の再現はできても、イケメン上司が私の生きる世界の中に実態を伴っていてくれるという再現はできないから、だからこそどんなに強烈でしかなかった当時のことも今はとても大切なものとして私の中にある。
そしてそういうことを思い出すたびに色んな感情を味わいつつ、その時が自分の人生にあって良かったといつも思う。
そしてイケメン上司が私の人生に現れてくれて良かった、とこれもまたいつも思う。
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