2021年6月13日日曜日

4年後の初夏(2021)




色んなシーンを回想して、色んな人たちと日常で接して、外側は色々と目まぐるしくても内側はいつも同じ感じだったりする。

いつの時もその人はいて、もう会えない現実を生きていてもずっとずっと心の中では拠り所にしてみたり追い求めたり呼びかけたりしている。


そういうのが当たり前のように日々の生活に浸透しているから、改めて冷静な目で見つめると本当に不思議だなと思う。


昨日(6/10)の仕事の中で、いつも世話になっているMr.ダンディ、社内でMr.ダンディに逆らう人なんか誰もいないくらいに上の人に、ある仕事がとある部長のところで止まっているから煽ってくださいとお願いした。


そうしたら本当にすぐに仕事の返事が来てあっという間に片付いた。


それのお礼をMr.ダンディにメールしたら

Fumiko firstで頑張ります」

と返ってきた。


ものすごく嬉しかった。


と同時に、ありえもしないことも思った、その人もそういうこと言ってくれないかなと。


その人からそういう言葉が出てくることはないだろうってわかっていても、私からするとそういう言葉を私に向けて欲しい人になる。


一事が万事そんな風だから、その人は物理的にいないけれども、常に何かあれば浮上というか、浮上とも違って、言うなれば常にいる中でスポットライトが今強めに当たってるからクロースアップされたというか、そんな風になっている。







4年前の出逢った初日の回想は、本人よりも先に本人の名前に出逢うことから始まる。


事務所玄関には、何か緊急時は連絡くださいみたいな内容だったと思うけれど、その貼り紙があって、そこにその人の名前があった。


元々人の名前を覚えるのは苦手だし、なんならその人の名前は武士俣みたいなインパクトの強いものか佐藤鈴木みたいな人口の多い名前かと2択なら後者の方で、名前そのものに強いインパクトはない。


なんだけど、私はどういうわけかその名前だけは一発で覚えて、勝手に年配のおじさんなんかを想像したくらいにして、今思えば人の名前を一発でフルネームで覚えたのはその人が初めてで、今もその人しかそんな人は人生に存在しない。


そういうのも魂の関係っぽいなと思う。


武士俣級な変わった苗字ならまだ印象に残るのもわからなくもないけれど、苗字と名前とセットで記憶にすぐにそして強く残るなんてそんなことこれまでに一度もない。


その時はそんなことよりもその後の勤務初日やこれからしばらく続く事務仕事の方に不安やら心配やらがいっぱいでそこまで印象として強く残ったという感覚はなかったけれど、こうして1年また1年と時間が経過するたびにその瞬間はどんどん濃くなっていってる。


魂コードなるものがあって魂コードを解除する暗号があるとするなら、その人の名前はまさにそうした暗号だったと思う。


だから名前を覚えるのが苦手だろうが、特別に変わった名前ではなかろうが、そんなの関係なしに私の深いところには一気に刻まれた。


だから実際に初めて挨拶をした時に、その人から直接本人の名刺を手渡されて、「えっ!?Σ( )))) ?この人なの?◯◯◯◯と貼り紙にあった人はこの人なの!?」と超ビックリした。


「史子」みたいに「子」がつく名前は私と同年代に多いけれども、その人の名前の一部は言うなれば私の世代ではなくもう少し上の世代に多用されてるものだから、それで勝手に年配のおじさんを想像していたけれど、目の前で名刺を渡してくれたその名前の主は笑顔も声も顔も全てが良いさわやかイケメンだった。


冗談抜きでモデルみたいな体型をしているし、おおよそ名前と本人とがマッチしてない、マッチしてないっていうのも失礼極まりない話だけれど、とにかく名前からは想像さえできないイケメンの登場だった。


基本的にイケメンに全くと言っていいほど興味もないし、イケメンだからなんだということもないけれども、とにかくその人は私が人生で出会った男性たち何百人とか千人以上とかいると思うけれども、その中で1番のイケメンだった。


だから顕在意識と呼ばれる表層の意識の方では、「イケメン」という印象が全てと言っても良かった。


これもさらなる失礼な話だけれど、何度となくその人がもっと普通の容姿とかもしくは容姿に若干難ありとかならもう少し軽く関われる感じになれたんじゃないかな?なんて想像したこともある。


自分の中でコンプレックスの塊のようになっている自分の容姿について、それとは真逆の人が自分の強い魂繋がりの相手というのも、なんか魂メイトっぽいなと思う。


自分の持って生まれた容姿を周りの人たちからイジられるってどれくらいの人が体験するのかわからないけれども、私の場合小学校1年生に始まり中学卒業するまで相当な数で体験して、それも数相応に人も1人2人からじゃなくて数えられないくらいに、さらには大人になってからもグサリとくる言われ方をされたことが何回かあって、それくらいけっこう強烈な感じで体験しているから、別に私は自分が付き合う人や好きになる人に対して容姿はほぼほぼ求めないし、それは友達や知人レベルでも性格や気が合う合わないは見るけれども、相手にイケメンを求めることはない。


そういう意味でもその人は異例中の異例だった。


だから表層の意識では、こんなイケメンと自分とが何かしら縁があるなんて全く思わなかったし、まさかその人が自分のその後の人生に大きく影響するだなんて当時はつゆほども知らなかった。


単純に、イケメンできちんとした企業にお勤めの人と、色んな意味で自分の生き様をまんま公開した日にはツッコミどころ満載すぎる(実際の仕事の面接でもつっこまれるレベル、それも良い意味じゃなくて悪い意味で)世間では決して良い顔をされない派遣という働き方をしていて+容姿もあららな私が何か繋がっていくなんて、そんなことさえ思うこともないくらいに縁のない人と私は思った。







今年の6月9日は、いつも以上に張り切って自分の日付印をあちらこちらに押した。


とにかく今日という日の物理的な足跡、刻印を残したかった。


本当はちょうど仕事始まりの9時に当時を回想したかったけれど、何してたか忘れたもののとにかく慌ただしくてそれどころじゃなくなったのは覚えている。


初日の2日前に顔合わせという名のプチ面接みたいなことをした時は、私の直接の上司となるおじさんと私の教育担当者の事務の女性とあとお茶を出してくれた今も時々会うSさんとが登場して、そういう感じの雰囲気が初日も繰り広げられると思っていた。


ところがいざ実際の事務所内に入ると、そこにいたのはイケメン上司とイケメン上司よりもう少し背を高くした2人とも同じくらいの年頃っぽい男性だった(他にももちろんいた)。


イケメン上司は、事務所の雰囲気とは実にミスマッチで、この事務所にこんなイケメンがいるの!?と思った。


理系に分類される仕事だから、おのずと職場も男性多め(多分企業全体では相当多めなはず)で、女性が来るというだけで多少は期待も上がったのかもしれないけれど、いかんせん到着したのは私で向こう側は何にも感じずに終わったかもしれないけれど、私側はこんなイケメンがこんな田舎町の事務所にいるってすごいなぁと別のことを思っていた。


なにせ本当のイケメンがいたから、私の思考はそちらに気を取られてしまって、今となってはものすごくもったいないことをしたなと思っている。


もっとガン見したり差し障りない挨拶にプラスアルファされたおしゃべりとか、そういうのができたら良かった。


私に向けられた笑顔の回数は2回で、そのうちの貴重な1回がその時だった。


そもそも笑顔の回数さえも数えられるような関係性って関係とも呼べないのが普通だと思う。


当然初日の私は無害だったわけで、無事に笑顔獲得となったわけだけど、本当にその笑顔に自分が救われて心の支えになってるって知ったのはもっともっと後のことだった。


時間が積み重なると、どんどん新しい情報が入ってくるから過去の情報は大事なもの以外抜け落ちていく。


4年経った今、鮮明に確実に残っているシーンは、その日のイケメン上司の存在がほぼ全てと言ってもいい。


初日から普通に通常業務を始めたし、他にも何かしらあったかと思うけれども、今となってはイケメン上司が私の人生に登場したそのシーンと入口前で見たイケメン上司のフルネームを初めて見た時の風景しかすぐには思い出せない。







4年近い時間を使って色々知り得たものをもし当時も知っていたのなら、私はもっともっときちんとイケメン上司を見て自分の気持ちも感じて過ごせていたと想像する。


もちろん、そんなこと起こるわけないけれど、過去世で強い繋がりのあった相手と再会するとこんな風になりますよ〜と何でもいいから教えてもらえていたのなら、いくら鈍い私でも気付けたかもしれない。


そういう人に出会ったことがあるという年配の既婚女性に私は合計で3人会ったけれど、そのうちの2人が全くと言っていいほど同じセリフを言っていた。


「会った瞬間にわかるよ、この人は他の人とは全然違う」って。


ちなみにそのうちの1人は、相手の男性も気付いたと言っていた。


その男性凄すぎ!!!と思った。


それはそうと、私の場合は初日に潜在意識や魂レベルでは気付いたんだろうけれども、顕在意識バリバリの人間の私は「すごいイケメンがいる」だの「イケメンは笑顔も決まってる!」だの、細かくはもう覚えてないけれども、とにかくイケメンがクロースアップされすぎて、まさか目の前のイケメンと自分とが何かしら繋がってるなんて1ミリも思わなかった。


そして正味4ヶ月弱しか同じ職場にいられなかったのに、まさかその後4年もズルズルと今みたいな状態になるなんて、人生奇天烈すぎる。


引きこもってようが外出て働いていようが活動の中身に左右されず、他の色んなことも左右されず、とにかくイケメン上司だけは何の変化もなく自分の中にある・いるという何もかもがぶっ飛んだ展開になっている。


魂の計画とやらは本当に今生の社会情勢とか資本主義社会とかデジタル社会とか、そんなの一切合切関係ないんだなとわかる。


そして魂は社会情勢に沿う必要なんか全く無いから、私が貫くつもりもない独身だろうが、専業主婦希望なのになんだかよくわからないことばかり人生てんこ盛りだろうが、とにかく全てにおいて自分の意志とは別のところで全て動くんだなと思う。


イケメン上司と私とが今後の人生で交わるなんて、イケメン上司が一生分の勇気と覚悟とを持って、もちろん私と繋がりたい意志も持って、そして私に連絡してくる以外起こらないわけで、それら全ての条件が揃うなんて魂があと2回3回と転生しても起こりそうにもないことで、だったら私は残りの余生を本当にもう少し自分の気持ちに寄り添えるような形にできないものかと思う。


話が逸れた。


4年経った今は、相手がイケメンだとかイケメンスマイルがいいだとか、そんなことは逆に薄れた。


代わりに、初対面で尚且つその後も会話らしい会話を交わさずに物理的に離れてしまった人だというのに、印象の残り方、印象と言うよりも存在そのものの残り方、その人がいた時間全ての記憶とが他の人たちとは全く違う種類のものだと知った。


名前にしても初めて会った時の表情にしても、こんなにも存在そのものを私の中に残したのは人生でイケメン上司しかいない。


色んな意味で別格すぎた。


当時はわからなかったけれども、今ならわかる。


全部が普通じゃなかったし、この世を生きる感覚とは違う感覚だったなぁと今さらながらに思う。







自分で書いて公表しときながら何を言うんだ?状態だけれど、イケメン上司シリーズはイケメン上司からして読んでいて面白いんだろうか?とほんの少し気になっている。


ネタがないわけで、もうある時からはひたすら過去のある場面の切り取りと私の今とを組み合わせて書くスタイルで、私の今はきちんと読めば多少の変化はあっても、基本のところは毎回同じだからそんなに面白いものじゃない。


過去の場面切り取りは下手すると何回も使われてしつこいぐらいにリピートしてたりするけれど、そんなのが読んでて面白いものなのか?と思うと、かなり疑問が残る。


イケメン上司は何に心を動かされてるのか全くわからないけれども、何か心が惹かれたり動かされたりするようなものがこの中にあるんだろうか?といつも不思議な気持ちで見ている。


なんならかなり言いたい放題で読むに耐えないところだってあると思うけれども、それでも基本は見てくれてるようで、人の趣味ってわかんないもんだななんて思っている。







今回久しぶりに思い出した。


当時私は、最初の3週間くらい、「何でこの仕事に行くことになったんだろう?」と毎日仕事をしながら何回も疑問に思った。


30代の私の社会生活は全くもって予測不能な展開がいつの時も続いた。


30歳で就いた正社員の仕事はあまりにもブラック過ぎる働き方で私はすぐに音を上げて、最終的に33歳の時に辞めた。


正しくは10回近く退職願を出して、それで本当に受理されるまでに2年以上かかって、やっと辞められたのがその時になった。


30歳くらいから色んなことがどんどん起こるわけだけど、仕事に関しては全てにおいておかしなことが続いた。


余談だけれど、私が今も派遣という働き方を何の抵抗もなく選べるのは、最初に派遣という働き方をした先がビックリするくらい良い人たち+できる人たちで構成されていて、それは今となればそこがある種特殊だったわけだけど、その時の印象がとっても良かったから派遣ということに何の抵抗もなく入れた。


それはさておき、イケメン上司に出逢う2年くらい前あたりから、本格的に仕事は自分じゃ選べない状況がいくつも続いた。


今の仕事も含めてだけど、その後から今に至るまで5つの職場に行って、1つを除いて実はどれも自分で選べたわけじゃなかった。


募集が出てることさえ知らないもので、派遣会社から紹介されて初めて求人を知って、さらにはその実際に行ったところ以外はいくつも不採用をくらうのが毎回のお決まりパターンだった。


契約、派遣、パート、バイトと働き方も選ばなければ、働き方の希望も一切出さないのに、それでも毎回落ちまくるという世にも不思議なことが何回も起こった。


代わりにどこも行くと決まるか決まらないかのうちに、早々と相手企業なり派遣先からOKが出て即断即決状態だった。


普通の職務経歴書としては私の生き方は最悪ランクになるだろうけれど、これがもし魂視点の生き方経歴書なるものがあるとするなら私の生き方はもれなく花丸百点満点になる。


なぜならば、どの職場に行っても私は特殊な役割が最終的に与えられて、毎回超マニアックな業務に就くのがお決まりパターンで、もしくは人の生き方や組織が組織として動くための見えない部分の調整を観察するまたは関わるみたいなことも回り回ってくるわけで、とにかくヘンテコなことに当たる。


という中で、イケメン上司がいた職場だけが唯一「何で私ここにいるんだろう?」と毎日疑問を抱かずにはいられない職場だった。


置き物のように喋りもしなければ、やったことは資料のコピーとファイリング、入力、伝票の整理くらいなもので、正社員が働かず派遣が責任ある仕事をするみたいなところもけっこうあったから、私はその職場で初めて本来の派遣という社内での立ち位置に相応しい業務を充てがわれていた。


一般的に普通なんだろうけれど、よくわからない不可抗力が働きまくりな私の人生からすると超異彩を放っていて、こんなこと言ったら怒られるけれど、別にコピーもファイリングも入力も伝票整理も私じゃなくていいだろうに何で私がその仕事に選ばれているんだろう?と思った。


だから来る日も来る日も私は、まずは1日中喋らないことがそもそも苦痛だったし、そしてマニアックな業務はしてもコピーとか伝票整理とかは基本ほとんどしたことがなかったから、さらには元来おっちょこちょいでぬけさく気質だから業務の内容的にも苦手で、何でもっと得意で有能な人がいるだろうに、よりにもよって得意ではない私がこれをするんだろう?とかも思った。


しかも職場のすぐ近くは越後平野と呼ばれるところの一画なんだと思うけれども、田んぼだらけで周りには民家と少しの施設や中小企業以外何もないという、仕事の行き帰りにも楽しみのカケラもないような場所だった。


本当にそんな風だったから、何で私今ここにいるの?疑問がしばらくずっと止まらなかった。


そして不慣れな仕事だったから、周りを見る余裕なんかなくて、最初の日に始まってその3週間後くらいにイケメン上司が私にちょっとした(私からしたら特大の)親切なことをしてくれるのだけれど、その3週間くらいは全くもってイケメン上司のことなんか見てもなくて、超もったいないことをしたなと今は思っている。


無意識に声は聞いていたけれども、何せ顕在意識は「何でここにいるの?」やら「この仕事やらかしそう」やらそんなこんなの雑念で忙しすぎて、全くもってイケメン上司の姿が目に入ってなかった。


これは今となるとたられば話になるけれども、もしイケメン上司が親切なことを私にしてくれなければ私は下手すると最後までイケメン上司のことに気付かなかった気もする。


そうしたら逆に普通にしていて、ごはんに誘うとか絶対にしなかったし、当然気まずくもならなかったし、普通に送別会も出たかもしれないし(これはどうしたかはわからない、ただでさえ人見知り状態なのに、何十人と集まるところにはさらに行きにくい)、そして最後も最初と同じようにさわやかイケメンスマイルで気持ちの良い挨拶を終えて、そこで全て終わったと思う。


今みたいにタラタラとブログも書かなければ、本人に押し付けられた手紙だってこの世に誕生しなかったし、とにかく全て今あることとは真逆の現実になったと思う。


そもそもその親切にしてもらったことだって私のぬけさく的なことが発端になるわけだけど、そんなの狙ったわけじゃないし、そもそもイケメン上司も何で気付いてくれたのか知らないけれども、全てにおいて1ミリも狂わずにその通りに物事が起こらないことには私はイケメン上司の存在にはきちんと気付けなかった。


しかもイケメン上司は別に私じゃなくても同じ状況に他の人たちがなっていたのなら同じように親切にしたと思う。


そういう全てのことが重ならないと今に至らないわけで、イケメン上司がいた時のことを思うと人生って本当にすごいんだなと思う。


すごく巧妙に微細なことも見えないところできちんと整えてもらって、それで起こるべくして起こることが起こって、あとは人間である私がどこまで気付けるかどうかみたいな。


そんな風にもたらされた出逢いが4年前だった。

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