手紙を布製の保管袋に戻した際、色んなことを記録したノートを久しぶりに取り出して読んでみた。
少しだけパラパラっと読む程度だったけれども、そのパラパラだけでもどれもこれも鮮明に記憶に残っている。
ある時は電話の伝言のためにその人を探して、その人は下の倉庫的なところで別の電話をしていて、私は3メートルくらい離れたところで電話が終わるのを待った。
終わったタイミングで近付いて、電話の伝言と折り返しの連絡先を書いたメモを渡した。
その場はそれで終わったけれど、昼休みの前だったのか後だったのか、その人の机の上にさっき私が渡したメモがポンと置かれていた。
シュレッダーにかけないとと思ったのか、とりあえず無造作に置いただけなのかはわからなかったけれども、そのメモが置かれていた風景はまるで今さっき見たかのように思い出せる。
そのメモは名前と電話番号しか書いてないものだったけれど、私の手から渡されたものが少しの間だけその人の領域にちょこんと佇んでいるのがなんだか良かった。
すぐに捨てられるものでも、どういうわけかその時はまだ机の上にあって、その机の上でしばらく滞在している小さな紙を見て、私はそれだけで嬉しくて喜びがムクムクと湧いてきた。
その人と私とが同じ空間で働いていた期間は4ヶ月もないくらいだったけれど、そしてどうやっても仕事の絡みがなくて協同作業的なものは壊滅的にゼロだったけれど、よくよく思い出したら2回その人宛てに私は仕事のメモを書いた。
もう1回は私が書いたものを事務さんが預かって、事務さんからその人に手渡されることになった。
最初は事務さん預かりになったことでせっかくのチャンスが取り消されてとっても悔しかったけれども、代わりにもっとミラクルな瞬間を見れることになったから結果オーライだった。
私の隣りの隣りの席には共用パソコン的なパソコンがあって、その時その人はたまたまそこに座っていた。
そのタイミングで隣りにいた事務さんが私が書いたメモを手渡して、そのメモをその人が見る瞬間というのを私もこれまたガッツリと本人に気付かれずに見ることができた。
今でもあの時の時間の流れ方の不思議な感覚を覚えている。
実際は何秒くらいだったのかはわからない。
メモはA4の半分か4分の1の大きさで、電話してきた企業名と担当者名、要件、そして折り返し連絡してください、武士俣、みたいなその程度ですぐに読み終わるものだった。
で、そのことだと思うけれど、事務さんが隣りでどうするとか言っていたかと思うけれど、その人は話しかけられている間もメモに目を落としたままで、私は逆に「なんか間違えてるんだろうか…?」と不安になったけれども、とにかく時が止まったようにその人は手にメモを持ってそのメモに視線を落とし続けていた。
スローモーションみたいな感じで、すごい不思議な感じだった。
私から見て、「ガン見」という感じで、実際のところは知らないけれど、あの時が止まったような瞬間に私は私で釘付けになっていた。
長い人生の時間から見て、仮に80年生きたとするなら、25億秒越えの時間が人生にはある計算になるけれど、仮にその時を1分としたのなら25億秒に対してたかが60秒でしかないわけだけど、その時間はものすごくくっきりとした輪郭と感覚を伴っていた。
生涯忘れないようなインパクトを残した。
考えてみたら、その人がいた時間のすべてはどれもこれもそんな風になっている。
人生の中ではあまりにも短い時間だったけれども、どれも色濃く私の中に残ってそして今に引き継がれている。
*
2021/04/30
夜、布団の中
いつぶりだろう…と泣いた後に考えた。
いつぶりかは思い出せなかったけれども、色んなことの組み合わせが功を奏して、少しの間だけ「きちんと泣く」ことができた。
人前では基本的に泣かないけれど、1人で安心安全な場所だと私はわりかし不定期に泣く。
泣くことで自分の中に溜まったものを浄化したり澱みを無くすように心の凝りをほぐせることを知っているから、涙セラピーのごとく涙を流すことを時々する。
(涙セラピーは私の今勝手に思いついた造語)
自分でもギョッとするくらいに泣いた瞬間も知っているから、泣くは泣くでも自分の中で「これ合格」とか「これ泣き、足りない!」とか、色んなレベルがある。
今回のは十分とは言えなかったけれども、それでもこのテーマで泣いたのはずいぶんと久しぶりだったから、その空いた期間を思えば御の字だと思っている。
日常の中にその人がいなくなって3年半が経過する。
最初こそ信じられないくらい量の涙を日々流していたけれども、日常はいないそのことに徐々に慣れていく。
この1年半は良くも悪くも、社会生活が活発になって、そちらにたくさんのエネルギーを注がざるを得なくなって、そのうち気付くとその人のことで泣くことがなくなった。
皆無とは言わないけれども、今思い出せないくらいということは相当な長さのはず。
その人のことに限らず、テレビを見て泣く以外は本当に泣く場面がうんと減った。
そういう時こそ実は要注意で、表面上はいいけれども見えないところでは自分でも感知できていない色んなものを溜め込んでいる。
そうした中で久しぶりの手も足も出ないくらいの動揺に始まり、今もすでに3日目?4日目?くらいに突入して、自分の中の色んな気持ちをできるだけ丁寧に見るようにしている。
本当はこれだけで1記事書けちゃうくらいの話だけれど、書かずにそのまま時間が過ぎる可能性も大だから、今ここで本題とは別の角度から今回こんな風になった星の話を少しだけしようと思う。
27日火曜日は満月だった。
実質満月のことを知ったのは28日。
そして実際の天体配置図(ホロスコープ)を出してみたのは昨日29日だったと思う。
いつも解約を忘れている占星術のメルマガを28日に開いて読んで、そこで今回の満月の解釈の1つを知った。
心の奥深くにしまわれてきたもの、自分の本音や本心、そうしたものにスポットライトが当たって、そうした長いこと蓋をされてきたものが開く時…というような感じでメルマガには書かれていた。
その人の転勤話を知ったのは、満月が起こるちょうど12時間前くらいで、そして私が仕事中涙うるっとしていた頃がちょうど満月の時間帯で、妙に納得した。
そして、今回の配置ってなんだろう?と思って、満月ジャストの時間を調べてホロスコープ作成サイトでホロスコープを作って見てみた。
それを見て、今の自分がどうしてその人のことに関して色々思い出すのかなるほど納得した。
もろに!!!ということがいくつも重なっていた。
まずは、
・素っ裸の自分
・パジャマを着ている自分
・社会に出る時の服を着ている自分
をそれぞれ表すものが占星術にはあるけれども、今回はその素っ裸の自分の超本音と生きる上で絶対に外せない大切なもの、そういうところにまんまとスポットが当たっていた。
さらには満月とそれに伴う月と太陽が、私の魂の傷と呼ばれる天体の真上で起こっていて、魂的なテーマが浮上しやすかったことは言うまでもない。
さらには心の拠り所とされるところに魂を解放するために変革をもたらす天体が重なっていて、色んな意味でビンゴな天体配置になっていた。
だからその人のことで色んなことが火山噴火みたいになったのは、天体たちを見れば必然の流れだったように感じる。
むしろそんな天体配置なのに日常と変わらずのほほんとしていたのなら、そちらの方が心身的には穏やかでも不正解というか流れに逆らってるみたいになる。
機が熟したと言わんばかりの今回の展開は間違いどころか大正解と言える。
仕事の方も変に落ち着いているというか、普段の責任をやたらと問われるような重たい仕事が来なくて、「何で今こんなに落ち着いてるの?えっ!?何か起こるの?」と心配していたくらいだった。
今このような時間を過ごしてみて、落ち着いていたことの意味がわかった。
今は仕事にエネルギー使ってる場合じゃないから、仕事の方は落ち着いていたんだろうなぁと。
本当、満月の流れ通りの展開を今迎えたわけだけど、今ここに立って「だから今向き合うことが大事」なんだとわかる。
*
2021/05/01
朝の5時、布団の中
昨日は平日モーニングとその後夏服に切り替えるために下に着るTシャツを探しに帰りにゴールデンウィークセール中のユニクロに寄った。
モーニングした店は引きこもり中に何回か訪れたところで、それは今の職場ではなく4年前に勤めた職場の方面にある。
だから途中の道までは当時の通勤路とまんまかぶっていた。
本当は当時の記録ノートを読み返すつもりでノートを持参したら、それは今現在使っている記録ノートで持ってくるノートを間違えていた。
見返すことは早々とあきらめて、一緒に持参した日記帳を広げて、丁寧に淹れられているカフェオレのモーニングを待っている間、日記を書いた。
日記帳の最初のページがちょうど開かれて、「38歳」とあった。
その日記帳は38歳の時に買ったものだった。
その人が転勤でいなくなって2ヶ月経った頃、東京に行く用事ができて、その時に長いこと探していた日記帳をようやく「これ、いい!」というものを吉祥寺の駅の中の商業施設の一角で見つけた。
その時も時間ギリギリだったけれども、ペンジュラムに案内してもらってペンジュラムが私に行くように指南した店を探そうとした途中で見つけたものだった。
ついでに思い出したけれども、吉祥寺に行ったことで私は『サビアンシンボル』と呼ばれる占星術の手法をまとめた本を初めて人生で見て、さらには何で吉祥寺だったかと言えば、私はドミニカ共和国から日本に帰ってきた2009年から名古屋時代も含めて数回通った占い師のおばちゃんもとい戦争を体験した当時80過ぎのおばあちゃんに自分の人生を観て欲しくて、それで予約を取って鑑定に行ってきた。
その時に言われたんだった。
その時はまだその人の誕生日は知らなかったはずだから、代わりにその人と初めて出逢った日を私はおばちゃんに伝えた。
その時に言われた。
「あなた、仲間に出逢っているわね」って。
私は「仲間じゃなくて仕事の人です」と返した。
そうしたら「それが仲間ってことよ」とおばちゃんに言われた。
さらに話は飛躍するけれど、そのさらに2ヶ月後に人生で初めてのホロスコープ鑑定を受けた時に、鑑定士さんはホロスコープに出ていることの1つにこんなことを言った。
「理系の男性と縁があります」
その鑑定士さんにもその人と出逢った日を見てもらったけれども、その日の天体情報ではなくて、私の生まれた時の天体配置を見てそう言われたんだった。
ちなみにもう3年近く占星術を学んではいるものの、自分のホロスコープのどの配置が「理系の男性と縁がある」と言われるものになるのかは未だに知らない。
その鑑定士さんも必要なメッセージを自分の意思とは別に勝手に受信するタイプの人だったから、もしかしたら根拠とかなんてなくてその鑑定士さんゆえのキャッチしたものの情報だったのかもしれない。
理系と言うとジャンルは幅広いけれども、気付くと私はその人に出逢うまでは男友達も含めて意外と理系の男性にあまり会ったことがない。
ゼロとは言わないにしても、本当に私が「縁がある!」と思ったバリバリの理系男(リケダン)はその人が人生初な気がする。
話がどんどん脇道にそれたから元の話に戻す。
今回日記帳を書いた時に、思い出したことがあった。
今の日記帳は、当時その人がその年のスケジュール帳だと思うけれど、持っていたものと色と形が似ている。
たまたまそういうものを見つけてさらには使い勝手が良さそうで気に入って買ったわけだけど(それにたどり着くまで多分1年近くは探し続けていて10数軒は見て回ったかと思う)、思ったよりも愛着が湧かなくてそしてさして書きたいこともないから日記帳がほとんど進まないと書いた。
38歳だった私は今42歳になったわけだけど、それだけ時間が経過したんだなぁと思った。
本当に色々書きすぎたけれども、泣いたシーンはこうだった。
ユニクロも寄り終わって、ヤマザキのパン祭りの皿のためにパンを買おうかと思ったけれども、メルカリにあるんじゃないかと思って初めてチェックしたら本当にあって、それをピッタリの点数且つ安価で見つけて即購入して、それで心配事ゼロになってあとは家に帰るだけになった。
今年初の蝶々も帰り道の途中で見た。
白い蝶々だった。
嬉しい偶然に心が躍った。
そういう感覚で運転をしていた時だった。
その辺りはその人の当時の生活圏内半径1キロみたいなところだと思う。
途中で止まった信号の道で目の前の風景を見た時に、空の入道雲みたいな雲と晴れてきた青空が目に入った。
季節は春だけれど、その風景を見て一気に当時の夏空を思い出した。
空はもっと夏の青さを帯びていたけれども、その人が私の日常にいた時の空は本当にそういう感じの空だった。
青い空ともくもくとした白い入道雲の組み合わせ、そして空も雲も周りの他の景色も色彩が本当に濃くなって、その人が人生に現れたら冗談抜きで景色の色がものすごく強くはっきりとするようになった。
ふと私は思った。
1人で楽しむこともできるし、これからの残りの人生もずっと1人だったとしても私は十分に楽しんで生きていける自信がある。
その人がいなきゃ生きていけないなんて絶対にないし、これまでも何とかなったようにこれからも何とかなることは容易に想像できる。
でもそういうことじゃないんだと思った。
自分の人生の中にその人がいないこと、これから先もずっといないこと、そんなことは百もわかっているし理解できていたつもりでいたけれども、気がふっと緩んだ時にそのことが本当はずっとずっと寂しくて哀しいことなんだと認識した。
たくさん笑っておいしいものも食べて気の合う素敵な人たちとおしゃべりして…、そういう人生の時間はいくらでも想像できるし、これまでもやってこれたからこれからだってやっていけるのはわかる。
だけど、そうした中にその人はいない。
いつのどの場面にも登場しない。
そのことがたまらなく寂しく哀しいんだと思う。
もう考えるより先に泣き始めていた。
この道を通っていつだったかも泣いたなぁ…と薄ぼんやり思い出しながら、あの時と今とで私の中で何がどう違うのかわからずに同じような涙が出て同じような理由で泣いた。
そうやって私はいつぶりかわからないけれども、わりときちんと泣けた。
哀しいのに平気なフリしてもその哀しみはどこにも行かない。
日常は色んなモヤモヤをとりあえず消してくれるけれども、心の奥底で大切にしているものはそっとそのままになっている。
変わったものと変わらないもの。
変わらずにここまで来たんだなと思った。
*
夜、録画しておいたテレビ番組を見終わった後、放送中の番組に切り替わった。
直太朗が出ると右上の「次の番組」の帯のところに出ていた。
新聞を見ると、30分の音楽番組があることがわかった。
30分ならいいかと思ってそのまま見続けた。
トークが大半で、2曲だけ直太朗が歌った。
1曲は直太朗が(人生を懸けて)歌を歌おう!と思った、その影響を与えた歌のカバーだった。
それが玉置浩二の『SACRED LOVE』という曲で、畏れ多すぎて直太朗はこれまで一度たりともカバーして歌ったことのない曲だと説明していた。
だからここでの披露が歌手生活20年の中で初めての披露になると言っていた。
Sacredは「神聖」という意味だけれど、歌詞を見て欲しいとも直太朗が言っていて、歌詞の方も見ながら聴いた。
歌詞はまるで今の私の心の代弁のようだった。
最初は疑問で始まる歌詞は、本当に私の疑問と一緒だった。
返答はないけれども、自分の気持ちまんまだなと思った。
*
返答…。
返答はない。
物理的な返答は。
だけど、私がこうして時々赤裸々に書くと、いくつか過去の記事に訪問者があって読まれたよとブログの統計データが教えてくれる。
書いたことの意味は知らない。
私にとっての意味はわかるけれども、読み手側の意味はわからない。
だけど、その過去の記事はピンポイントで一発で探し当てて読むのは難しい。
お気に入りページとか何か登録めいたことをしないとそこにはたどり着けないと思う。(私がたどり着き方を知らないだけかもしれないけれど)
過去の記事の中にその人が大なり小なり登場する。
そういう記事が読まれる時に、その人の気配を感じる。
沈黙はずっと保たれたままだけれど、その人もアピールしてる気はないだろうけれど、それでもそうした記事たちへの足跡はすなわちその人の命が今あることを私に教えてくれる。
生きてるよのメッセージ。
この間「命の形」という言葉をどこかで見たけれども、まさにこれも「命の形」の1つだなと思っている。
そうだ、思い出した。
その帰りの青空と白いもくもく雲を見てその後涙が出て泣くあたりのどこかで私は思ったんだった。
私にしか書けないものを書き続けよう、と。
ここに書いた全てのこともこれまで書いた全てのことも、どれもこれも私にしか書けない。
私しか自分の内側にあるものを言葉にすることができない。
それがどんなものでも、私は忖度せずにあるがままを綴り続けよう、そして言葉が続く限り伝え続けよう、そう思った。
これは私の勝手な予想だけど、私にもこれだけの影響が出たわけだから、どういう形かは脇に置いてもその人にだって同じくらい強い影響があったんだと思う。
いつか霊視ができるヒーラーさんがその人と私とが何かということに言い及んだ時に言っていた。
その人に会ったこともなければ私の口からもただの一度も話題にしたことのないその人のことを、ある時突然啖呵を切ってヒーラーさんには視えているその人の存在、エネルギー体みたいなものを視たままを言葉に置き換えて、私にバーっと一気に言われたことがあった。
怖しいぐらいに当たっていて、それを否定する内容はただの1つもなかった。
そのヒーラーさんとある時にその人と私との魂的または霊的な関係性というものの話になった時があった。
具体的には直接会った時にしか私にも説明しないと言われて、よほど慎重にきちんと話さないといけないことなんだろう…とは思ったけれども、とにかく具体的なことは何も聞けずに今に至っている。
その後色々あって今は連絡を取っていないけれども、その話の時に電話越しで言われた。
「多分、本人も全くもって何がなんだかわからないと思うし、ましてやそれを言葉にして説明するなんてできないと思いますよ」
ヒーラーさんの具体的な言葉は忘れたけれども、その人側も尋常ではない何かを感じてはいるだろうけれども、じゃあその尋常じゃない、普通じゃないそれが何かなんてのは本人もわからなくて、混乱したり気持ちが大きく揺れたり、まぁ色々あるだろうことは言っていた。
そして霊性の高い人ではあるけれどもスピリチュアル的なものに全くと言っていいほど興味はないだろうから、余計とその状態や感覚なんてのは本人にとって訳の分からないものだろうことも言っていた。
私の頭や心の中のとっ散らかりを言葉にしたところでどれだけ伝わるものなのかはかなり不明だけれど、私は伝えられることは伝えたいと思っている。
なぜなら、どんなにとっ散らかっていてどんなに意味不明でも、それを言葉にして伝えられる人はこの世で私しかいないから。
他の誰かが私の代わりに私の心の中にあるものを代弁したり、一言一句間違わずにありのままを表現するなんてできない。
私の中に宿ったものは私にしか表現ができない。
勝手に同士にするのもはばかられるけれど、同じ強度で同じ質のものがその人の人生にももたらされたとするなら、私の書くことはその人にだけはわかるような気がする。
他の誰も理解できなくても、その人だけは「なんかわかるよ」となるのかもしれない…、とほんの少しだけ思っている。
だから私が書ける時は書き続けたい、そう思っている。
本当に答え合わせ的なことをその人としてみたいけれども、こんなにも長期に渡って私のダラダラとただ長いブログをチェックし続けてくれていて、そうする理由の中には何かその人にとっても痒いところに手が届くじゃないけれども、自分の中で言葉にできない何かを私が代わりに言葉にしていたり、あ!となる何かを私が書いているんじゃないかと最近は思う。
とにかく私は私の中の言葉と気持ちがあり続ける限り、書き続けようと思っている。
届けば一番いいし、届かなくても少なくとも自分自身は「やった」という自分の中の満足感はあると思うから。
あとどのくらい今回はこの手の文章を書けるかわからないけれども(もう終わりに近付いてる感はある)、書ける時はそのまま書いてしまおう、そう思っている。
0 件のコメント:
コメントを投稿