今の非日常の延長にいるテンションじゃないと書けない気がするから、思うがままに書いてみようと思う。
夫婦でパン屋を営んでいる妹家族のところに5日間行ってきた。
そこで年長の姪っ子を見たり、掃除や洗濯といった家事をしたり、ごはんを作ったのは一度だけ、あとパン屋の手伝いも半日だけした。
パン屋の手伝いは6時間だけだったけれども、想像以上の激務でとにかく驚いたのと、こんなの身内でなければ絶対に体験させてもらえない貴重な経験、まるで大人の社会科見学みたいなことをさせてもらった。
日々の生活はまるっと忘れていたし、ブログを書く気には全くならなかったし、占星術のことも頭の中から消えていた。
人との交流もゼロで誰とも連絡を取らなかったし、誰からも連絡がこなかった。
ちなみにこの間どハマりしたネットは、普段の食べ歩きブログや料理ブログではなく、眞子様との結婚を望んでいる小室圭氏にまつわる数々の記事とそれを読んでの一般市民の感想や意見をひたすら読んでいた。
一連の騒動にやたらと詳しくなってしまった。
そんな風だった5日間を経て、何よりも強く気持ちとして湧き出たものがあった。
妹夫婦のように、一国の城ではないけれども、自分の動く場所を作ってそのものに対して全力投球でいけるような何かを自分も欲しいということ。
例えば今の英訳の仕事ももちろん全力ではしているけれども、私の中には常に「いつかは終わる」ということをものすごく自然にそして揺るがないくらいに強く思っている。
そして、「全力」の全力というのは自分の出せる力を全力でという意味ではやりきり感はあっても、それは自発的にしているのとは全く違う。
外部から求められているものを形にしているものの、それは自分の意志とは違う。
やりたいことでも興味のあることでもない。
人間観察に精を出せる余裕なんかも含めて、気持ちは常に散漫で全然違うところを見ている。
早く昼休みにならないかなとか、今日帰ったら何しようかなとか、今日のつまみは何を作ろうかなとか、そういうことではなくて、寝る間も休む間もないくらいに忙しい中、次の新商品やら仕事をどうしたらもっと自分たちがやりやすく長くやっていけるかを考えたり、はたまたこれから長く町の中でやっていけるようにどうしたらいいかを工夫したり、そういうことを全力でやっている妹夫婦の在り方に私はものすごく憧れた。
自分の人生を賭けて何かをすること、作り出すこと、エネルギーを注ぐこと、そういうことに並々ならぬ憧れのような気持ちを強く持った。
パン屋は絶対に自分のすることではないってわかったけれども、妹夫婦にとっての自分たちのパン屋的なものを私も私の人生で持ちたいという自分の意志を今回は確認した。
色々もっと書きたいけれども、とりあえず仕事に日常に戻らないといけないから、このままアップしてしまおうと思う。
2021/04/22(木) 6:18
新緑前の快晴
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