落差の激しい週末と月曜日だった。
週末の私は、バタバタしながらも色々実り多い時間を過ごした。
実り多いというのは、心が潤う系の実りの多さ。
まずテンションが上がったのは、突如目撃した臨時のお知らせの看板。
母が市から助成が出る予防接種を近所のクリニックに受けに行くとかで、普段なら絶対に歩く人がどういうわけか私に車で送って欲しいと言って、近所のそのクリニックに送り届けた。
大通りから一本小路に入ったところにあって、ゆっくりと小道を運転した。
臨時の看板が最初の曲がり角にあった。
看板を見た瞬間、度肝を抜かれた。
私が3年前に派遣で行っていた職場の親会社の名前入り看板だった。
その看板を見るのは、仕事を辞めてから二度目だと思う。
そんな超レアな看板に行き着いて、狂喜乱舞しそうだった。
そもそもその道は1000%通らない。
前回通ったのも、姪っ子が妹と来た時に発熱して、それで急遽小児科にかかるために送った時で、かれこれ2年か3年前になる。
母も母で、普段なら絶対に歩く距離なのに、どういうわけか天気も良いのに送ってと言い出して、私も出る予定だったから構わなかったけれど、なんだろう?と思った。
そうしたらそんなビッグびっくりなことが待ち受けていたなんて、もう1人で超喜んで、工事の道案内をするおじさんから見えるだろう位置で私は車からわざわざ降りて、看板の写真まで撮って、1人で完全に怪しい人だったけれど、大満足な時間を過ごすことができた。
*
私は本当の用事を足しに行った。
本当の用事もだし、最初の看板も、この後のことも、どれもこれも全部それ一つだけでブログの記事を書けるくらい盛りだくさんだったけれど、本当にあったこと全部書くととんでもなく終わりの見えない話になってしまうから、とりあえず概要だけ書いていこうと思う。
その日メインだったのは、新規の自動車整備工場の開拓だった。
うちの家族は長年父の親友の一族がやっている自動車整備工場にお世話になっていた。
20年近く前、社会人になって初めて車を持つことになった時も、4年前に新潟に戻ってきて10年ぶりに車を持つことになった今も、ずっと同じところに預けていた。
今年の春先のことだった。
そこの最後の責任者だった方がある日突然自死を選んで、そこからあれよあれよの展開で、結局そこのところは閉鎖した。
同じグループの他の店舗は開いてはいるけれど、閉鎖してから一度だけサービスのオイル交換を代わりにしてもらった時に、そこには預けたくないと思った。
私が思うに、私は最初からずっとそこしか知らなかったからそれを当たり前と思ったけれど、多分そこというのは日本中探したってなかなか他に類を見ないくらいに最高のサービスを提供してくれてたんだと思う。
いきなりそこに父の縁で当たったけれども、多分それをいきなり他に求めること自体無理があったんだと思う。
同系列の別店舗だって全く悪くはなかった。
だけれど、私の乗る車は若干クセがあって、そのクセをきちんと知ってくれようとしたり、はたまたもうかなりなキロ数を走ってるわけで、それを最後まで乗り潰すくらいまで乗るなら、それを汲んで見てもらいたくてもそれは厳しいのかな…という印象だった。
悪くはないけれど、言うなれば医者にかかるのに自分の不安や懸念事項を相談できる風ではなくて、そこに私はとっても引っかかっていた…、って今だからわかる。
そんなこんなの中で、オイル交換にワイパー交換、ブレーキランプ交換、さらに何ヶ月か前から左にハンドルを強く切る時に聞こえる異音が気になった。
それらをまとめて見てもらうのに、今度は新規開拓する絶好のチャンスになった。
それで私が選んだのは、父の中学の部活の後輩にあたる、父の今も付き合いのある同級生の弟がやっている自動車整備工場だった。
父はずっとこの土地にいるから、他にもいくつか候補があって迷ってる風だったけれど、私はなんとなくそこが良いと思ったのと、ペンジュラムもそこゴリ押しだったのとで、とりあえず一か八かで行った。
行ってみて色んなストーリーがあったけれど、私はそこにして大正解だとわかった。
事務の方も父の後輩にあたる社長さんも、とっても素敵な人たちだった。
温かい空気が流れていて、まるっと一見の私でどこの誰かもわからないのに、そしてどう見ても高級車ではないのに、他の常連さんと変わらない感じで対応してもらえた。
新規顧客になるわけだから確かに当たり前の対応かもしれないけれど、最後に行ってきたオイル交換の店では全くなかった空気で、私はそこにしたくてたまらなかった。
寒い日なのに、そして最初に行った時は社長さんがいなくて午後から出直したけれど、どちらの時も事務さんは外に出て私が見えなくなるまでお見送りしてくれた。
他のお客さんたちとも重なったから、それを誰にでも毎回しているのはよくわかった。
私が物心ついた頃からある建物だから建物は相当古いはずだけど、掃除がきっちりと行き届いているのがわかった。
待ってる間にコーヒーを出してもらったけれど、その器がまたとっても素敵だった。
どこかの喫茶店で出てきそうなものだった。
奥には創業当時からありそうな昭和デザインの冷蔵庫があったけれど、それを長く使えるほど物を大事に扱っているんだろうと思った。
父の後輩にあたる社長さんは、地元のロータリークラブの会長だと父が言っていて、それは会ってすぐにわかった。
人望があるのが喋らなくても伝わるし、話してみるとさらに一層人柄や人徳が伝わる人だった。
しかも、私が入って行く時には、たしかに外から見えるのもあるけれど、直立して私を出迎えてくれたし、それを当たり前のようにやっていた。
さらには長野から車購入のご家族がやってこられていて、その対応にも驚いた。
店は同じ田舎でも、うちはまだ近くにコンビニやスーパーがあるけれど、その自動車整備工場は本当に周りには何もない、田んぼと民間がポツポツあるみたいな、スーパーへんぴな場所にある。
ネットの力だと事務さんは言われたけれど、たとえネットでもまさかそんな新潟の田舎くんだりまでやってくる、それもどんなに近い新潟に近い長野の人でも高速使って最低2時間はかかる、そんなところにわざわざ一家総出でやってくるなんて、尋常ではなかった。
でもわかる気がした。
購入するにあたり細かいやりとりが相当数あったと思うけれど、それも全部丁寧にしてもらえたと想像できる。
最終的に私の車は土曜日は混んでいて月曜に父から持ち込んでもらうことになったけれど、そして月曜に父が持って行ったら部品取寄せ含め2、3日預かりになったけれど、父が夜言った。
うちは3台とも次からそこの自動車整備工場にしたらどうかと。
社長さんの息子さんがうちからするともっと近い方に本店を構えていて、車検とかはそっちじゃないとできないらしいけれど、ちょっとした故障とかは社長さんがいる方で見てもらえばいいんじゃないかと。
これは月曜日出社してドッと疲れた出来事に遭遇した時にとっさに思ったことだけれど、私はそこの店で「愛」を感じた。
仕事にしても店そのものにしても対お客さんにしても、そこに愛があって、そして仕事なんだけれどもその仕事を一生懸命することは当たり前で、そこに誇りや責任感、意志を持って臨んでいるという感じが伝わってきた。
*
土曜日はその後、姪っ子の5歳の誕生日プレゼントを見繕ってきた。
ついでに、オラクルカードと呼ばれるカードを2種類メルカリで購入して届いた用に、そのカードのためのノートも探した。
そんなこんなをしながら、全く買う予定にもなかった1枚のブラウスが目に入った。
ここ1年で買ったのは常にシーズン終わりがけの頃のセールで超特売、半額以上で大幅値下げされたもので、気付けば何年も定価で服を買ってないことに気付いた。
そもそも1年に1枚服を買うか買わないかの私ゆえ、買うにしても特売の時、だから定価で買うこともこんな風に予定にもなかったのに買うことも皆無だった。
ブラウスは夏も含めてオールシーズンいけそうなのと、中に何か着ても着膨れしないのと、仮にあと10キロ体重が落ちても綺麗に着れそうなのと、これから40代半ばから50代と年を重ねてもすたれないデザインなのと、絶対に使えると踏んだ。
同じ値段に対して、占星術の絶版本には出せても自分の服には出し渋るみたいな自分を見て、それが私の価値観なんだなと笑いそうになった。
決して高額ではないそのブラウスを3回ほど試着して、それで決めて家に持ち帰ってきた。
ノートは結局百均で見つけてきて(文房具店にも行ったけれど気に入るものがなかった)、それはその後即刻使った。
*
そんなこんなの間になんとこのブログの2年以上前に書かれた記事にコメントがついた。
占星術に関する内容だけれど、そのことがキッカケとなって私は占星術講座の時のクラスメイトだったノムから電話越しにメッセージをもらえることとなった。
私はコメントにアワアワしていたけれど、ノムは全く違っていて、「これはぶっしーの魂から頼まれて僕が代弁していることだと思う」と言って、ノムがものすごく大事なことを伝えてくれた。
2年前に受けた鑑定の時に、ただもう自分でひっそりと勉強するだけでは済まなくなってくる、そのうち表立って看板を掲げるみたいなことにフェーズが入っていくみたいなことを言われたこともノムに言ったことがあって、ノムはそれが今そうなってきたんだなとぶっしーのコメントの話を聞いて真っ先にそう思ったと言ってくれた。
さらには、私の強みを伝えてくれた。
私が自分の講座の先生と鑑定を受けた先生の2人を紹介しようと思ってると言った時のことだった。
いただいたコメントは、到底私には答えの出せない内容で、即刻「無理」と判断していた。
そんな話もした時にノムが言ってくれた。
「先生にさ、講座の時武士俣さんは星読みをする時思い込みが強いって言われた話あるでしょ。
たしかに桐吉先生やすず先生は星の情報をきちんと読み解いて、まぁ何が正解かどうかってのはわからないしそんなこと言い出したらキリがないけれども、まぁいわゆるきちんとした情報を読み解けるとして。
そういうのは、そういう占星術家の人でやれる人たちはいくらでもいると思う。
だけれど、ぶっしーのその思い込みが強いと言われる独特の読み方は、それこそぶっしーにしか絶対に読み解けなくて、ぶっしーがそのメッセージを紐解かなきゃ他の誰も絶対にできないことなんだよね。
その部分こそがぶっしーがやることで、そして人からも求められることなのかなぁって僕は思ったよ」
そんな風に言ってもらえた。
これは超目からウロコで、すっごく心に響いた。
最近じゃあきらめているけれども、私はホロスコープと呼ばれるある瞬間の空の天体の様子が描かれたものを見ると、それが誰かの生まれた瞬間のものであればあるほど星の情報ではないような情報が浮上してくる。
そして浮上してきたものについては、もはや星なんかお構いなしに、色んなメッセージや言葉がポンポンと浮かぶ。
それを学術的には絶対に説明できないし、ましてやピンポイントで何かを聞かれても私には全く答えが出せない。
代わりに私の妄想なのかメッセージを相手からキャッチしてのことなのかは知らないけれど、そういうのは勝手に出てくるからわかる。
関係ないけれど、今回コメントをもらってみて、ちなみにその超マニアック記事はどういうわけか今回の方が2人目で、それで自分の中で「いつかやりたいこと」として、改めてその情報に行き着くタイプのホロスコープを持ってる人向けに記事を書こうと思った。
数ヶ月前の1人目の方の時も少しそんな風に思わなくもなかったけれど、そのままにした。
だけど、今回同じ記事に同じ物を持っている方からのコメントを見た時に、そしてこれからますます不透明なものが世の中に増えるとするなら、その記事はまたうっかり色んな形で他の人たちの目に触れる可能性がゼロとは言い難く、でも私は学術的には全くと言っていいほど星を読めないから、自分が持っている情報は全て出そうと思う。
もちろん、先生たちを推薦するし、他にも実体験としてあるものは書く。
どういう感じになるのかはまだわからないけれど、たしかに当事者がそれを発信するなんて本当に皆無に近いくらい無いのは私も調べまくって知っているから、それなら逆に持ってる情報を出せばいいと思った。
そんなこんなを思った。
*
ひょんなことからメルカリで見つけたオラクルカードを日曜日に開封した。
カードを原文英語のまま読み解くことを覚えてから、解説書なしのカードを買うこともためらいがなくなった。
こちらも全く買う予定なんてなかったけれど、1つどうしても欲しいのがあったのと、もう1つも以前からずっと気になっていたカードで、2つ合わせても日本語解説書付きのカードを1つも買えないくらいの破格値且つ新品で出ていて、これは買うしかない!と謎の購買意欲を駆り立てて注文した。
こんなこと言うと頭のおかしい人みたいだけれど、ずっと気になっていたカードは何で気になっていたかというと、中の絵柄に出てくる人間たちの1人の顔に自分がそっくりだったから。
初めて携帯の画面越しにそのカードを見た時、自分がそこに写ってるのかと思ったくらいになんだか似ていて、そして他のカードについても絵柄が好きで、使う機会がなくても欲しいなぁなんて思っていた。
それがまさかの破格値で出ていて(通常の3分の1か4分の1の値段)、そしてそちらではなくもう1つ「これは絶対に欲しい!」と一目惚れしたカードがあって、それでセットで買うと割引される方式で、それで注文したものだった。
カードを初めて開ける時、私はカードからメッセージをもらうために儀式的なことをする。
そのために、汚い部屋で開けるのは嫌で、私はまずとっ散らかった部屋の掃除からした。
その後カードを開けて、カードからメッセージももらって、あとは専用に買ったノートにも書き込みをした。
必要なメッセージはちゃんと届いた。
午後の遅い時間から掃除を始めたから、カードの開封やメッセージを書き下ろすことも延び延びになって、なんと私は月曜の朝早く目覚めると、仕事に行く前に1時間ほどカードの読み解きを引き続きやった。
その他にも、夜には手作り餃子を作って、トイレ掃除もして、信じられないくらいにモリモリと動いた日曜日だった。
もう何ヶ月もの間、完全にオフの時は朝から晩まで寝て過ごしていたから、そんな風に動けたことにも感動した。
*
月曜日はカオスだった。
仕事は常に問題ありきみたいな感じで、それはいつもと変わらなかった。
けれど、私が気になったのは私の温度と周りとの温度の差だった。
私は今50枚ほど外注翻訳に出された英訳のチェックをしている。
普段は自分が英訳しているけれど、今回は量が多かったのと客先向けに納期がギリギリなのとで外注翻訳になった。
そのために日本語は合計で5回直した。
とにかく英訳をきちんとするには日本語をきちんと書かないとだから、担当者たちをせっついて何回も直した。
そこまでするのは、これは英語で終わらないからだった。
その後、他言語に訳されることが確定している。
ただでさえ会社特有の言い回しがあるのに、さらに英語も崩れるとその後の言語は総崩れになる。
それを避けるためにできる限りのことはした。
ところが返ってきた英訳は、英語は基本的に問題ないけれど、日本語の原稿の説明が足りなくてものすごい直しが必要な状態だった。
本当に進まないし、納期まで間に合うかどうかさえも自信がなくなってくるぐらいに惨状になっている。
それを上の人2人に簡単にだけれど説明に行った。
2人は私みたいに直接原稿を触るわけじゃないからなのもあるけれど、私が感じている危機感は全くと言っていいほど伝わらなかった。
もうその英訳は、たった1人、私がどこまで見るかでその完成度が決まる。
そして私が今回作るのがある意味正式な第1号になるから、これがダメならこの先何十年とダメなものが引き継がれていく。
そして英語からの他言語翻訳は目も当てられない酷いものになると簡単に想像できる。
私は自分がこだわりすぎてるのかと思ったりしなくもなかったけれど、今回オラクルカードを取り寄せたことでそうじゃないとわかった。
本当にきれいな英語は読みやすいだけじゃなく、きちんと相手に伝わる。
例えば上の文章なら
「私はあなたが私がこだわりがあると言ってだからこだわりすぎてると思ったけれどカードはそうじゃないと取り寄せて教えてくれた」
みたいな、絶対的に何かがおかしいのがわかる英訳のオンパレードで、そういうのを常に私は見ている。
でも今回は文法や言葉の使い方はきちんとしていても、何せ日本語の説明が足りないから色々おかしなことになっている。
10ページほど見た段階で、ほぼ全ページ何かしらあって、さらには1ページにつき1個なら超優秀で、大体平均して3つ4つ確認事項がある。
その状況を私は目の当たりにしているから上に報告しに行ったけれど、上はあっさりして「何がそんなに問題なの?」と言わんばかりだった。
自分たちの会社の製品で自分たちの仕事の成果そのものなのに、なぜに外部の人間の私が危機感を持っているのに、内部の人間がのんびりとしているのかわけがわからなかった。
その時に「愛がない」と思った。
自分の一判断がこれから何十年先の歴史にも及ぶというのに、どうしてそんなにいい加減でいられるのか私にはわからなかった。
いい加減にしたものは、必ずそれが何かの時に自分のところにはね返ってくる。
私は今かなりその英訳チェックと直しがしんどいけれど、ここさえきちんと押さえればこの先必ず大丈夫になる。
そして次に作る資料ももう決まっているけれども、今回のものをある程度きちんと作れたのなら次は楽になる。
産みの苦しみだと思ってとにかくひたすら進めている。
超やる気になってください!とか言うつもりもないし、問題提起したいのとも違う。
だけれど、惨状を前に平然としていられる神経が私にはない。
何かがとにかく狂っている。
みんな何が大事なんだろう?と大きなクエッションマークが頭に浮かんだ。
管理職たちは危機管理ばかりで感覚が麻痺しているのかもしれない。
でも、何でそんな風に適当にできるのかわからない。
新規開拓の自動車整備工場のことがあったから、なおのことそれを強く感じた。
私はわかってもらえない、伝わらないことはあきらめて、とにかく自分ができることだけに集中しようと思った。
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