おいせさん手帳第40回目
担当:ノム
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11月4日
あるがままの自分に、「いいよ」と伝えてあげましょう。
いいよ(114)の日
「いいよ」と誰かの言動を受けとめることは、人間関係を円滑にします。
また、「自分に厳しく人に優しい」ことを美徳とする向きもあります。
けれど、自分に厳しくしすぎて心に余裕がなくなってしまったら、人に優しくすることはできません。持っていないものはあげられないからです。
今日はどんな自分にも「いいよ!」。あるがままの自分を受けとめる日に。
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自分に「いいよ!」って言ってあげることは、実はとっても難しいことだと私は思っている。
自分で「うわぁー、やらかした!」とか、「こんなこと思って性格悪っ!」とか、「自分ってイヤな奴」とか、まぁ色々出てくる。
「自分大好き」「自分LOVE」なんて人は、そんなに多くないと思う。
反対に、自己嫌悪や自己否定、自己葛藤や自己憐憫、そういうマイナスな方の自分は日常的に体験しやすいし、自分にうんざりする瞬間はいくらでもある。
さて、つい最近も「こんな自分、疲れるー」となった出来事があった。
仕事で、大事な連絡を意図的に外されて、連絡をもらえないことが立て続いて、毎日怒り行進&更新をしていた先週。
個人的な嫌がらせとしては、社会人になって一番タチが悪いと言ってもいいレベルだった。
嫌がらせは連日続いて、それが業務に支障が出まくりのレベルだったから、最終的に上司にお願いをして、絶対にそれをされないように手立てを打って、それでようやく今まともな状況になりつつある。
裏でこのおいせさん手帳パートナーのノムに相談に乗ってもらって、翌出勤日にそれを即実行、上司の理解も得て最終的に上司が関係者全員を巻き込んでの連絡方法の徹底を打ち出して、そこからはやっとまともに稼働するようになった。
そんなこんなのさなか、私が思ったことを紹介すると。
・ツケが全部奴のところに回り回って行って欲しい
・レベルの低い奴と同じ土俵には立たない(私が到着したい場所)
・「許す気はないし、今後も許さなくていい」ことを自分にOKする
奴が何基準かわからない基準で破茶滅茶なことをしていて、それが単なる私個人への嫌がらせならいいけれど、大真面目に多数の関係者及び会社全体の損失に繋がるというのにそういうことを個人の私情たっぷり込めてそんなわけわからんことをしていて、一度地獄を自ら体験してきてください、状態だった。
人の不幸や失敗を願う趣味は全くないけれど、今回だけは本当に頭にきすぎて、色々無理すぎた。
普段なら適当に流せても、流せないくらい、どうやったって許せないくらい、そして理不尽極まりないことを何回もされて、私の中の堪忍袋の緒が切れた。
奴の理不尽な積み重ねは、そのままそっくり奴に倍返しで戻ればいい。
私はそれを本気で願った。
私が手を下さなくても何かのことがキッカケとなって、本人にそれがはね返りで大きな打撃を受ければいい。
私は本当にそれを思った。
そんなことを願うとは何とも気分の悪いことだったけれども、何事もなく奴だけがのほほんとしているのだけは許せなかった。
色々考えていくうちに、自分が絶対的に正しいとは思わなくても、自分に対して後ろめたいこと、人に対して後ろめたいことは何もしてなくて、自分がそうすることが良いと信じてるものをそのように形にしているだけなんだから、自分は堂々としていればいいと思った。
本気で私が間違えているのなら「ごめんなさい」だし、でも自分なりに仕事として良いと思うものをそのまましているだけだから、それに対して私は自分をダメだなんて思う必要もなければ、窮屈な思いに駆られる必要もないとわかった。
モヤモヤはすぐのすぐには解消しなくても、自分を責めたり自分が悪いなんて思う必要は1ミリもないとわかって、それで少しずつ自分の縮こまった気持ちをほぐしていった。
で、奴のところに何かはね返って欲しいとは思ったものの、奴と同じにはなりたくないとも思った。
酷いことをされていると言えども、自分もそれに仕返しをしてしまったら自分も同じレベルになってしまう…、それは絶対に嫌だった。
自分がもし同じことをしたのなら、自分のことがもっと嫌になりそうだから、それだけは自分のためにしないにしようと誓った。
悔しすぎる状況だったけれども、そのレベルに自分が落ちるのは絶対に嫌だった。
色々モヤモヤもするし、やるせない気持ちも湧きまくっていたけれど、別に相手のことを許さなくてもいいし、自分がどうしても納得できないならその納得できない気持ちを最大限尊重しよう、そう決めた。
そんな風にして、とことん自分に「いいよ」をたくさん出した。
自分に「いいよ」としてあげることが何よりも自分が後々楽になれると知った。
しかも、散々怒ってイライラを募らせまくって、相手に悪いものは全て本人に帰りますように…なんてお願いするくらいまでのことをしたら、時間の経過と共に気持ちが落ち着いた。
なんなら最後、私は帰る前に元々の係の人に頼まれてポットの電源を切ったから、だけど奴は今日残業しそうな雰囲気でもしかしたらポットを使うかもしれなくて、なのに電源を黙って切って帰ったら感じ悪いし、そこでまた不要な火を点けても嫌だから、私は手書きのメモを書いて机の上に置いて帰った。
必要ならまたポットの電源を入れ直してください、と書いて、そして最後に私は「おつかれ様です」と書いて締めて、さらにはチョコを1つ机の上に乗せた。
向こうが仕掛けて来ているのは知っているけれども、こんなの色々やり辛いだけだから、私は作戦を変えた。
とりあえず奴の気持ちがいきり立つ方ではなく、和らぐように路線変更をすることにした。
それでも奴がまた困ることをしてくる可能性も多分にあるけれど、元々なんだか得体の知れないおかしなことになっているから、色々人生勉強だと思って、あれこれ私は私で好きに実験することにした。
そう、怒りまくって相手の不幸を祈るみたいなこともして、色々自分の気が少しでも済むようにやるだけやったら、突如チョコを置くのとメモにおつかれ様ですと書くことを思いついた。
チョコもメモを置いた後、「そうだ!チョコを置こう」と思って席に戻ってチョコを取りに行って、それでもう一度奴の席に戻って置いた。
私超いい人じゃん!と自画自賛しながら、そしてそんなことしてたら自分の中の硬くなっていたところも柔かくなって、心に久しぶりに清々しい風が吹いた。
そんなことしても何も変わらなくてもいいや、と思った。
もうどっちでも良くて、でも私は自分が少しでも居心地の良いことをその時その時で選択できたらいいや!と開き直れた。
相手の反応はどうでも良くて、自分がそうすることで気持ち良くいられるかどうかだけに注視してたらいいような気がした。
自分に「いいよ!」をするのに、私はこれが一番強力だというものを知っている。
それは、何にもしていない、何にもできていない自分に「いいよ!」をしてあげること。
これが間違いなく最強!!!!!
1年半以上ニートをして引きこもった時にそれはわかった。
何か貢献していたり役立ったりしている自分は、基本的に周りから受け入れてもらえる。
ありがとうも言ってもらえれば、対価としてのお金もやってくる。
そういう自分は、自分がいいよってしなくても周りが勝手にいいことにしてくれる。
だから特別に労わなくても自己肯定に励まなくても、誰かしらがそれを何らかの形でいいよってしてくれるから大丈夫。
もしくは誰もいいよってしなくても、少なくとも自分に「自分おつかれさま!」って言ってあげられる。
だから大丈夫。
でも、何にもしていない自分、なんなら誰かに迷惑かけてる自分、何にも社会の役にも立っていない時の自分、その自分を「いいよ」ってするのはものすごーーーーーく難しい。
そういう時の自分は、自己否定と自己卑下1000%のコースで、そんな自分いいわけないじゃん、と毎秒飽きることもなく自分を責めまくっている。
誰かに責められなくても、自分で自分をとことん追い詰めていたりする。
少なくとも私はそうだった。
そんな時、自分に「いいよ」って心から言ってあげること、そういう自分を受け入れることは、本当にものすごく力がもらえる。
その域に行くまで相当葛藤するけれども、でもそれができるようになってから、私の場合は生きやすさが増した。
自分に多くを求めない代わりに、どんな自分でも生きてていいんだよ、と自分に言えるようになれば、相当自分が救われるようになる。
もちろんいきなりはその境地にはなれない。
でも、本当に一瞬でもいいから、最初は嘘でもいいから、そのように思ってみる。
いきなりは良くならなくても、時間をかけて自分に「いいよ」を伝え続けると、ある時に変わる。
何があったとかではなくても、気付くと変わる。
自分にキツくしても仕方ないか、ともなったし、もう少し自分に優しくなれるようになりたいとも思ったし、なんとなくそれができたのなら生きづらさが減る気がするとも思っていた。
どっちみちニートはすぐに辞めそうになかったし、自分責めもそうすぐには止められそうにもなかったから、だからこそ少しくらい逆のことをしたって困りはしないのはわかっていたから、物は試しぐらいな気持ちで始めたと思う。
これは体験してみなきゃわからない。
だけどやり続けて、どんな心理療法よりも効果があると私は自負しているから、自分でもずっと続けているし、なんとなく効果を少しずつ感じるようになってきた。
自分にいいよ!する。
これが本当に何よりも心に、弱った自分に効く特効薬だと思う。
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