2020年10月12日月曜日

ブログを書き続けること

前の職場の近くの道の駅からの風景
川向こうより
2020.10.10



また1人、日常的にチェックしていたブロガーの方がブログを辞められてしまった。


ガーン(T_T)


逆に、こうしてずっと何だかんだと書き続ける自分の方が実は稀なのかもしれない、と思った。


書くのが好きとか考える前に、書きたくなれば勝手に書き始めるし、もはやほとんど誰も見ていないようなブログだから超自由気ままに書ける分気楽だし。


Facebookをほんの少しだけやろうとしていた時期が10年くらい前にあったけれど、私にはFacebookはちっとも合わなかった。


情報はどんどん更新されていくし、基本的に写真とセットみたいなアップの感じも苦手だったし、苦手な人たちとも繋がっているのが面倒だったし、いいねとかの数や誰がいいねしてくれてるとかを気にするのも面倒だったし。


やっていて楽しくないどころか気が重たくて、全然気が進まなかった。


あと、ダラダラと書けないのもプチストレスだった。


字数制限があるのかないのかはわからないけれど、基本的にFacebookのアップは文章短めが一般的だった。


私みたいに支離滅裂、起承転結のない文章をダラダラと書いてしまう人からして、字数を極力少なくして端的に言いたいことだけを書いて表現するというのは至難の業だった。


何も気にせず、自分の内にあるものをそのまま吐き出せない、というのは私にとって多分何よりもストレスだったのかもしれない。


そういう意味でこのブログは私にとってベストなスタイルなんだと思う。


文字制限もなければ、ジャンル分けもしなくていい。


例えばamebloなんかは、ジャンルに登録すると、そのジャンルのことを書かないと違反になって事務局から何かしらの注意なのか警告なのかが来るらしい。


なんて窮屈なんだろうと思った。


このbloggerというブログは、男友達が教えてくれたものだった。


すごくいいよと太鼓判付きで、本当に友達の言う通りですごく書きやすい。


友達は当時の旅の記録のために立ち上げたっきり多分もう書いてないと思うけれど、友達が旅の記録を思い立って残そうとしなければ、私は半永久的にbloggerの存在は知らなかっただろうと思う。


余計な宣伝ページが出ないのも気に入っているし(友達がたしか最初それをかなりイチ押ししていた)、字数制限も写真の枚数制限がないのもいい。


写真はいうほどアップしないけれども、とにかく無制限、制約なしなのが本当に私にとってはこの上なく長く続けるための大事な要素だったんだとわかる。


大体プロでもないのに書くことにあれこれ制約があれば、そんなの書く前に嫌になってしまう。


自由に書けるって当たり前だけれど、今の世の中あまり当たり前ではないことの方が多くて、それだけでこのブログはものすごく恵まれている。


あと、ひっそりとやってるから、余計な交流がないのも楽チンでいい。


毎日何十というコメントにコメント返しをしているブログを時々見かけるけれど、あんなの本当に好きとか強迫観念的にやらなきゃみたいな強い意志がなかったら絶対にやれない。


私のブログデビューはmixiの日記だったけれど、あれは楽しくコメントのやりとりができていた超奇跡的な出来事だったんだと今にして思う。


今のせわしない世の中や時の流れでは、あんな風にのんびりとコメントのやりとりなんかできないなぁと思う。


mixiに戻りたいとは思わないけれど、私の中で一番マナー良く気持ち良くやりとりできていたのはmixiだった。


2000年代初頭はまだネット自体もそこまで普及してなかったし、mixiは招待制で誰かリアルな友達や知人から招待状をもらわないとそもそも会員制サイトの中にさえ入れなかったから、中は本当に今思えばネット社会のお手本みたいなところだった。


本当に気持ち良く楽しくやりとりができていた。


思うけれど、私がもし若い頃にmixiに触れてなければ、私は今ブログを書かなかったかもしれないなぁと思う。


あの中でネットも使い方繋がり方次第で安全だと知れたし、自分に合うスタイルみたいなのを知っていく一布石だったし、あの時に良い思いをしたからこそ今こうして難なく書ける。


ネットという不確かな世界に対して、自分の思っていることをこんな風に書けるのはとても嬉しい。


話は少し変わる。


ここ1年くらいで読んだ気がするけれど、SNSの種別の利用者数についての記事をある時読んだ。


具体的な数字はなかったけれど、SNSの中で圧倒的に少数派なのはブログらしい。


インスタが今一番流行っているのかどうかは知らないけれど(私はやってないからわからない)、多分メジャーなのはインスタで、ブログなんていうある種SNS界の重鎮、悪く言えば化石みたいな手段はもはや時代からあまり歓迎されてない気さえする。


しかも私のこのブログみたいに文章だけがつらつらと書いてあるみたいなのは、その中でもド級で時代から相手にされないものだと思う。


自分でも何で書くのかよくわからないけれど、これが他の誰も読まなくなっても私は書き続ける気がする。


自分のペースでたくさん書いたり書かない日が続いたりを繰り返しながらも、何だかんだと書いてる自分が思い浮かぶ。


自分のためにも他の誰かのためにも書いていない。


だけど、書くことで自分の中がスッキリしたり軽くなったりする。


そして私の長いこと夢見ている未来の1つに、うんと年取った自分が若かりし頃の自分の書いた文章をゆっくり読み返すこと。


ブログでも日記でも当時の自分と再会して、当時の自分の気持ちや毎日を思い出して、もしくはどんなに記憶をたぐり寄せても何も思い出せないことも含めて、色んな過去の自分をヨボヨボのおばあちゃんになった自分がそれを読み返す、その楽しみを今はせっせせっせと未来の自分に向けて用意している気持ちに時々なる。


なんだか、す()


アフタヌーンティー、コーヒーなり紅茶なりを丁寧に入れて、好きなお菓子用意して、お気に入りの椅子に座って、ゆらりと揺れながら過去の1ページを思い出す。


想像するだけで私なんかは妙に興奮する。


とにもかくにも、どんなにブログが廃れても、私は飽きるまで書き続けるのだろうなぁと思っている。

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